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迷子の幽霊はストリートピアノを弾く

作者: 海底御田

ストリートピアノコラボセッション(フラッシュモブやバトルも)よく見てます。

エミリオとかジュリアンとかヴァントアンとか、ヴァイオリンならフォニックスとかレイチェンとか。

いつも技術にすごい尊敬します。


そこから思いついて書いてみました。最後までお読みいただけると嬉しいです。


 わたしは誰だったか。

 どこへ行こうとしていたのか。

 誰かに会いたかった気がするけど、それが誰かも思い出せない。


 思い出そうとするけど、こぼれ落ちるかのように雲を掴むかのように、何も掴めない。

 行かないとならないのに、見えない鎖に繋がれたかのようにここから動けないでいる。

 忙しく行き交う人々の会話も声は音にならず、ざわざわとした雑音にしか聞こえない。

 一人だけ取り残されたかのように佇んで、どれほどの時間が経ったのだろう。

 


 ふと向こうで誰かがピアノを弾き始めて、つい意識がそちらに行く。

 懐かしいような気がするのに、音が止んでしまう。

 

 もっと弾いて。ピアノの奏ででもっとわたしの記憶を呼び起こして!

 願ったけれど、わたしの声は届かない。

 せめてピアノに触ろうとするけど、触れられない。

 わたしは誰にも見えない幽霊になってしまった。



 ここはどこかのショッピングモールのようだ。

 夜になってこの施設は閉められてしまう。

 照明が落とされ、誰もいなくなって静まり返ったフロアに一人。

 唯一記憶に辿りつけそうなピアノに近づくと、今度は触ることができた。


 思うままにピアノを弾くことにした。

 昼間聞いた曲で、記憶を揺り起こしそうだったのはクラシックの定番ピアノ曲。ワルツ、ソナタ、ノクターンにエチュード、プレリュード。

 楽譜もなしに上手く弾けるかわからないけど、ピアノの前に座って指を動かし始めた。


 ああ、やっぱり懐かしい。

 何かが喉元まで出かかっているような、温かな気持ち。そして早く思い出さなきゃという焦り。

 その紡がれるピアノの音色は急に手ごたえがなくなり、途切れた。


「おいっ!誰かいるのか?」


 ピアノの音を不審に思ってやってきた警備員だ。

 誰かがここにいるとピアノには触れられないようだ。

 残念だけれど次の機会を待つしかない。



 そんな風に警備員との攻防を経て、夜にピアノを弾くようになって何日が過ぎただろう。

 わたしの知らないところで、勝手に奏でられるストリートピアノはちょっとした騒ぎになる。


 テレビやネットニュースに、無人のピアノが勝手に演奏される防犯カメラの映像が流れる。

 しかも演奏されるピアノはところどころ間違えて下手で。

 わたしはピアニストでも音大生でもないから当然なのだけど、記憶を思い出すために必死に弾き続けていただけで。

 でも世間では、「幽霊もストリートピアノに夢中?!」という見出しでニュースが拡散されていたのだった。



 そんなことは露知らず、わたしは今夜もピアノを弾く。

 

 雨の日を思い出させる、繊細なリズムと美しい旋律の曲。これはまだ最初の一ページくらいしか弾けない。


 女の子を思わせる、全体的にしっとりとした感傷的な旋律の曲。これは何度も弾いたことがある。上手だって言ってもらった。


 子犬が元気に跳ね回っているような、軽快なリズムと愛らしい旋律が特徴の曲。これはずっと昔に弾いたことがある気がする。指が覚えている。そして誰かが隣で笑っていた?


 美しい旋律が夜のロマンティックなシーンを想起させる曲。これは…この曲を弾いたとき、誰かがわたしと一緒にいた気がする。誰だったか…?


 月の光を思わせる、静かで柔らかく優しい旋律の曲。この包み込むようなメロディの曲…本当に包みこまれていた気がする。後ろから誰かに…


 別れを思わせる美しく悲しげなメロディの曲。これ中盤がむずかしくてほんの序盤しか暗譜で弾けない。XXXならとても上手に弾いてくれるのに…


 誰?


 今、誰かを思い出しかけた。


 もう一度弾こうと思ったけど、警備員の巡回でそこで時間切れになってしまった。




 ある日のこと、最近昼間はピアノを弾く人が途切れずにいたのだけど、ひと際注目を集めるようなピアノの奏でが聞こえてきた。


 その音色はなぜか、わたしの胸をいっぱいにする。

 求めていたものはこれだ、とすぐにわかった。


 ピアノを弾く手、ついで奏者の顔を見る。切なそうな必死な顔でピアノを弾く、その男性は…

 

 ああ、彼だ。彼がわたしの会いたかったピアニスト。

 ジェス!

 わたしの恋人、ジェス!




 次の瞬間、目に入ったのは真白い天井。わたしはベッドで寝ていたようだ。

 ズキズキ痛む頭に一気に記憶が蘇る。


 わたしは恋人のピアニスト、海外での仕事から帰ってくるジェスを迎えに行こうと家を出てタクシーを拾おうとしたところで強盗に襲われた。

 彼とおそろいのリングを通したネックレスをひったくられて、取り返そうと男に食い下がったところで側頭部を強打された。


 なぜわたしが、あのショッピングモールにいたのかはわからない。


 けれど、あそこはわたしがジェスを初めて見た思い出の場所だった。

 ストリートピアニストとしても活躍するジェスが、SNS撮影のために演奏しているところに出くわした。そしてすぐに彼が弾くピアノに惚れ込んでしまった。


 子供の頃に習っていたピアノを、もう一度習いたくなって選んだオンラインのプライベートレッスン。

 その講師が驚いたことにジェスだった。


 わたし達はそれをきっかけに仲良くなり、やがて付き合うようになった。



「エリカ!!」


 病室に駆け込んで来たのは、先程ストリートピアノを弾いていた恋人のジェス。


「エリカ…よかった…目が覚めて…」

「ジェス…」

「エリカ、意識なかった時にあのショッピングモールでピアノ弾いてただろ?ストリートピアノを弾く幽霊って話題になってたんだ。

 エリカがよく練習するクラシック曲、いつもと同じ部分で間違えるから、きっとエリカだってわかったよ。あそこで俺がピアノを弾いたら、俺に気づいてくれるって思った。

 本当に、本当に、よかった…」


 

 襲われる場面を見たタクシー運転手が救急車を呼んでくれた。

 拳銃の柄でこめかみのあたりを殴打されて切れてしまったけれど、縫合して傷痕は目立たなくなるだろうとのこと。

 それなのになぜか目が覚めずに一週間も眠っていたそうだ。


 早くジェスに会いたかったわたしの意識だけが、記憶が混濁したまま思い出の場所に飛んで行ってしまったのかもしれない。


 お医者さんの診断では脳波にも問題なく、このまま帰宅していいとのことでジェスと二人で帰ることに。


 二人の住む家に着いてから、ジェスに話題になっていたニュース画像を見せられた。

 はっきりいって恥ずかしい。

 下手くそだった。

 もし世間にこれがわたしだと認識されていたら、恥ずかしくて二度とピアノを触れない。


 ジェスはそんなわたしに優しく言った。


「そんなエリカのために俺がいるだろう?これからも一緒に練習しよう?

 練習を続けたら、エリカだって俺以上のピアニストになれるよ。そうしたら二人で一緒にストリートライブしよう」

「そこに上達するまで何年かかるかわからないよ」

「何年だってずっと一緒にいよう。エリカは俺とずっと一緒にいたくない?」

「いたくないわけない!」

「じゃあ決まり。実はエリカに聞いて欲しい曲があるんだ。今から聞いてくれる?」



 それは『愛』と名のつくとても美しい旋律でロマンティックなメロディの曲。続いてクラシック音楽史上、最もロマンチックな歌曲と呼ばれる、花嫁へと捧げた曲だった。


 ピアニストの恋人に捧げられた曲は愛に溢れた奏でで。

 どう勘違いしても、それは紛れもなくプロポーズで。

 ジェスは感動して涙の止まらないわたしを優しく抱きしめて額にキスを落とし、わたしはジェスに「イエス」と答えたのだった。


お読みいただきありがとうございます。

面白かったら評価・いいね、よろしくお願いします。


※ストリートピアノは従来のアップライト型で、自動演奏機能はついていません。それと夜間鍵をかけられたりもしていません。

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