裸エプロン~”均衡の理”
あれから、一週間が経った。
セリーナの治療は無事に終わり、彼女はギルドの奥にある書庫にこもる日々を送っていた。
「異常肉体……二刀流スキルと結びつく異質な魔力の流れ……ふむ……」
テーブルの上には、古びた文献が幾冊も積み上げられ、彼女はその一冊をめくりながら呟く。
——レクト。
その男の異質な力。
彼の魔力の流れは、まるで制御不能の奔流のようだった。それでいて、時折抑制が利くこともある。
「……一体、あなたは何者なの?」
彼女の指が、書物の紙面をなぞる。
そして、一方——
「さて、こっちはこっちで続けるか」
ガルヴァンは、ダンジョンの異変を追い続けていた。
ミノタウロスの出現、魔力の異常な乱れ、そしてレクトが見せた未知の力。
「昨日もおかしな魔物が出てたな……どうなってやがる?」
彼は戦場で鍛えた勘で、このダンジョンに何か異変が起きていることを察していた。
だが、原因は依然として不明。
「まあ、のんびり調べるしかねえな……」
そう呟き、剣を背負い直す。
### **レクトの新たな日常**
「おーい、飯できたぞ!」
ダンジョン探索とは無縁の、のどかな声が響く。
レクトは裸エプロンのまま、台所で夕食を作っていた。
なぜ裸エプロンかというと、慣れない手での洗濯でびしょびしょにしてしまったからだ。しかも服は一着しかなかった。
そもそもなぜ家事をしているのか——それは、三人で暮らすことになったからだ。
「……もう少し落ち着いた生活ができると思ったのに」
背後から、呆れたようなため息が聞こえる。
振り向くと、腕を組んでキッチンの入り口に立つセリーナがいた。
「いい加減、服を買いなさいよ……その格好、目のやり場に困るわ」
「いや、買いに行く余裕がなかったんだよ」
「だったら貸してあげてもいいけど?」
レクトは一瞬想像してしまい、頭を振る。
「さすがに、それは色々と問題がある……」
そこにガルヴァンがダンジョンから帰ってきた。
「おいおい、なんだその格好、変態じゃねーか」
レクトはスープをよそいながら、肩をすくめる。
「…じゃあ、セリーナ、服貸してくれ」
「……は?」
セリーナが一瞬絶句し、ガルヴァンはスプーンを止めた。
「お前、それでいいのか?」
「背に腹は変えられん」 レクトは真顔で言った。
セリーナは深いため息をつきながらも、「まあ、私はキライじゃないけどね……」と小声で了承した。
そしてガルヴァンは一瞬考え込み——そして、ふっと笑った。
「いや、結局変態じゃねーか」
食卓に腰を下ろした彼は、呆れたようにレクトを見つめ、スープをすする。
彼らが三人で暮らすことになったのには理由があった。
二刀流スキルの発動条件に、二人が関わっていたからだ。
ガルヴァンはまだ気づいていないが、レクトは徐々に確信しつつあった。
異世界転生、ダンジョン攻略、そして今——謎の共同生活。
レクトはスプーンを手に取りながら、頭を掻いた。
レクトは思う。荒療治だが何とか耐性をつけなきゃなと。
共同生活には、明確な狙いがあった。
まず、一つ目。
魅力的な人物に耐性をつけなければ、興奮しすぎてまともに立って歩くことすらできないからだ。
二刀流スキルを持っている限り、視界に入るだけで、声を聞くだけで、意識せずとも心臓が跳ねる。身体が勝手に反応する。
このままでは冒険どころか、日常生活すらまともにこなせない。
だからこそ、強制的に慣れる必要があった。
そして、二つ目。
セリーナに自分の能力について調べてもらう必要があった。
異常肉体、二刀流のスキル、そして今なお理解できない身体の変化。
「あなた、まともに制御できないうちは、危険よ?」
セリーナはそう言った。
つまり、しっかりとした研究が必要なのだ。
彼女ならば、知識と冷静な分析力を持っている。
頼れるのは、彼女しかいない。
そして、三つ目。
前世で溜め込んだ、我慢していつしかなくしていた己の欲に向き合うことにした。
——ありていに言えば、性欲に負けたのだ。
転生前は、ただただ日々を無難に過ごし、欲望なんてものはとうに忘れたつもりでいた。
だが、この異世界に来てしまえば、そんなものは通用しない。
抑え込んだままでは、むしろ狂ってしまう。
だからこそ、この共同生活を選んだ。
「……想像しただけで暴発しそうだ」(スキルが)
レクトは深く息をつき、スープを食べ始めた。
セリーナが書物をめくる音が、静かな部屋に響いていた。
食事の後、レクトとガルヴァンはそれぞれ席につき、セリーナの研究を見守っていた。
「……ふむ、面白い記述を見つけたわ。」
セリーナがふと顔を上げる。
「昔、ある男がいた。その男は自ら『神とまぐわった』と語っていたそうよ。」
レクトはスプーンを持つ手を止めた。
「神と……まぐわった?」
セリーナは頷く。
「ええ。そして、その男は異常な力を持っていた。どんなモンスターも一瞬で屠るほどの力よ。」
ガルヴァンの眉が僅かに動いた。
「一瞬で屠る……」
彼は思わず呟いた。
自分がダンジョンで見た光景を思い出す。あの時、レクトがミノタウロスを粉砕した光景——。
「しかし——」
セリーナが少し声を潜める。
「ほどなくして、その男は死んだそうよ。いや、死んだというより……爆散したそうよ。」
——爆散。
レクトの背筋に冷たい汗が伝った。
(俺も……?しかし神とまぐわるとは?転生の転生のことか?しかし共通点が多すぎる)
「なあ、それって……」
ガルヴァンが言葉を継ぎかけたが、セリーナは手を軽く振る。
「まあ、残っていた話としてはここまでね。あとは想像するしかない。でも、二人とも随分といい反応するわね?なにか心当たりでも?」
セリーナの不敵な視線が、レクトとガルヴァンをじっと見据えた。
まるで、確信を持ったかのように。
セリーナの視線が鋭くなる。
「……レクト、正直に言いなさい。」
彼女の声には、いつもの冷静さがあったが、どこか詰問するような圧も含まれていた。
レクトは軽く息を吐く。
「神と致した覚えはない……けど、一度死んで、新たに命と力をもらったのは確かだ。」
「やっぱり。」
セリーナが目を細める。
「細かいことは教わる前に、俺はこの地に降り立ったんだ。『二刀流』のスキルを与えられた理由も、深くは知らない。」
レクトが静かに語ると、ガルヴァンが小さく息を呑んだ。
「……おい、つまりお前は……」
「そういうことだ。」
ガルヴァンの表情が揺れる。すぐには受け入れがたい事実だった。
一方でセリーナは、わずかに動揺の色を見せたものの、それを隠すように話を続けた。
「仮説だけど……神の血と交わることで、特異な力が備わる。しかし、それによって肉体が耐え切れなくなり、破裂したのではないかしら。」
その言葉に、レクトは息を詰まらせた。
爆散——確かに、あの記述と合致する。
「耐え切れずに破裂……?」
ガルヴァンは顔をしかめる。
「俺の頭じゃ理解に苦しむな……頭が痛くなってきた。」
彼はこめかみを押さえながら、ため息をついた。
「……明日、まとまったら教えてくれ。少し休む。」
そう言って、ガルヴァンは部屋へと戻っていった。
セリーナとレクトだけが、静かな空間に取り残される。
セリーナは静かに問いかけた。
「……その力が引き金になるような出来事とか、何かあった?」
レクトは一瞬、沈黙した。
「……二刀流の本当の意味を知った。」
セリーナは眉をひそめた。
「本当の意味?」
レクトはゆっくりと息を吐いた。
「この力は単なる剣の技じゃない。二刀流というのは、**『剣』だけじゃなく『心』の二刀流でもある**。俺は……本当にその意味を理解した時、制御を失いかけた。」
セリーナはわずかに息を呑んだ。
「……それってつまり…?」
セリーナはおおよそのことを察した。微かに下唇を嚙んだような仕草をみせた。
レクトにはそれがどんな意味を持っていたかは理解できなかった。
「ガルヴァンには受け入れられないかもしれない。だから、黙っていてくれ。」
レクトの目が真剣だった。
セリーナはしばらく黙った後、ゆっくりと頷いた。
「でも……」
彼女は思い返す。
「私があなたと一緒に行動していた時は、少し制御できていたわ。」
レクトはその言葉に目を細めた。
「……確かに。」
彼はじっとセリーナを見つめた。
思考を巡らせている姿は**あの時、傷口を愛撫され、理性を失っていたセリーナではなく、とても理知的で学者のようにすべてを俯瞰し主観の入らないように状況を整理しているようだった。**
そんな彼女の一面を見て、レクトのレクトの鼓動は高鳴り始めていた。
そんな様子を気づかれぬようにレクトは話を進めることにした。
「……何か、分かった?」
レクトの声に、セリーナはハッと我に返る。
「……いいえ。ただ、もう少し考えさせて。」
彼女はそう答えた。
しばらくの沈黙の後——
ふいに、ハッとした様子でセリーナが口を開いた。
「そうよ! 要は、大事なのはバランスってことじゃない!?」
レクトはいぶかしげにセリーナを見る。
「……バランス?」
セリーナは勢いよく頷くと、身振りを交えながら続けた。
「剣の二刀流も、大体同じくらいの重量のものを使うでしょう? 片方が重すぎたり、軽すぎたりしたら、バランスが崩れてうまく動けなくなるわ。」
レクトは静かに聞きながら、その言葉を反芻する。
「心の二刀流も同じよ。」
セリーナの瞳が輝いていた。
「どちらかに偏るんじゃなく、同じくらいの愛情を注ぐことでバランスが取れる。いえ——多分今回は偶然、そのバランスが取れた時と思う。そして力が安定した、みたいな仮説が成り立つわ!あくまで仮説にすぎないけど」
レクトは目を見開いた。
言葉では完全に理解しきれない。
だが、不思議とその理屈が頭ではなく、心に染み込んでくる感覚があった。
(……確かに、剣でも心でも、どちらかに偏れば制御が難しくなる。)
「……なるほどな。」
自分の内側で、何かが噛み合った気がした。
セリーナは深く息をつき、書物をそっと閉じた。
「……これはあくまで仮説よ。間違っているかもしれないし、正解に辿り着ける保証もない。でも、少しずつ試していくしかないわね。」
レクトは静かに彼女を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……ここまで俺のためにしてくれて、感謝する。ありがとうセリーナ」
その言葉に、セリーナは一瞬驚いたように目を見開いた。
「ふふ……あなたが素直に感謝するなんて、珍しいわね。」
軽く笑って立ち上がり、彼女は伸びをする。長時間の調査に疲れた身体をほぐすように。
「それじゃ、お開きにしましょう。私も部屋に戻るわ。」
そう言って、彼女が背を向けた瞬間——
**レクトは気づけば、セリーナの背後からそっと抱きしめていた。**
彼女の細い肩越しに、ほんのりとした温もりが伝わる。
「レ、レクト……?」
驚きに満ちた声。
「本当に、ありがとう。」
囁くように伝える。
だが、その瞬間——自分のスキルを甘く見ていたことに気づく。
**欲情の波が、理性をかき消すように押し寄せる。**
気づけば、唇はセリーナの首筋へと降りていた。
一日中埃にまみれながら、彼女は本をめくり、考え続けてくれた。
労働の汗が微かに香る。
けれど、その奥に——
本来のセリーナの柔らかく、甘く、優しい匂いが溶け込んでいる。
「や、やめ——っ……!」
彼女の声が震える。
突然の抱擁に、緊張感が滲む。
その体は小刻みに震え、か細い指先がレクトの腕を掴む。
逃れようとしているのか、あるいは——
彼の唇が、そっと首筋をなぞる。
その瞬間、セリーナの背筋がピクリと震えた。
「……っ……」
言葉にならない息が漏れる。
レクトは、もう後戻りができないことを悟る。