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2/6

**解き放たれた異常肉体(アブノーマルフィジカル)**

足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


迷いの洞窟——異世界に転生して初めてのダンジョン。その入り口は大きな裂け目のように開いており、中からは湿った冷気が流れ出ている。


一歩ずつ進むたびに、周囲の音が消えていく。森のざわめきも、鳥の囀りも、背後の世界から遠ざかる。代わりに、洞窟の奥から聞こえるのは、風が石壁を撫でる音と、かすかに響く水滴の音だけだった。


「……深呼吸しろ、レクト」


自分に言い聞かせるように呟く。胸の奥が妙にざわついていた。緊張だけではない。


この空気。この冷たさ。


まるで、俺を試すかのように広がる闇の奥へ——。





洞窟の内部は予想以上に広かった。天井は高く、岩の隙間からわずかに光が漏れている。湿った石の香りが鼻をくすぐり、足元には苔と水たまりが点在している。


「……思ったより、広いな」


呟きながら、腰に下げた剣の柄に指をかける。


敵が、いる。


直感的にそう感じた。


気配がする。視界の端、岩陰の奥で、何かがじっと俺を見ている。


「——出てこい」


次の瞬間、闇の中から飛びかかってきたのは、小型の魔物だった。


鼠のような体躯に、鋭く伸びた爪。目が光り、牙を剥き出しにしながら襲いかかる。


本能が叫ぶ。


動け。


俺の体は、自然と剣を抜いていた。


右の剣が振るわれる。魔物の爪を弾き、その勢いのまま左の剣を走らせる。


**ズバッ!**


鮮血が飛ぶ。


魔物の体が裂け、動かなくなる。


「……ふぅ」


初めての実戦。しかし、体は迷わなかった。


むしろ、興奮している。


この戦いの感覚。剣を振るう悦び。


それが、じんわりと俺の奥底に広がっていくのを感じた。


「もっと、試してみるか——」


闇の奥へ。


俺はさらに一歩を踏み出した。





**ガルヴァンとの共闘**


闇の奥へ進む。


魔物の死骸を踏み越え、湿った岩壁に手をつきながら、俺はさらに深くへと足を進めていた。


空気が濃くなる。


まるで、洞窟そのものが俺を試すかのように。


「……この先、何が待っている?」


俺は剣の柄を握り直す。体が、戦いを求めるように疼いていた。その時、レクトは何かを感じた。


——気配。


次の瞬間、洞窟の奥から飛びかかってきたのは、巨大な狼だった。


「くっ……!」


瞬時に右の剣を振るい、飛びかかる牙を弾く。しかし、衝撃が重い。さっきの魔物とはまるで違う。


狼の背後から、さらに複数の影がうごめいている。


**囲まれた——!**


「へぇ、お前さん、一人でどこまでやれるか見てやろうと思ったが……思ったより楽しそうなことになってるじゃねぇか」


聞き覚えのある声。


背後を振り返ると、そこには鎧を纏った男——**ガルヴァン**が立っていた。


「……助太刀か?」


「馬鹿言え。俺はただ、狩りの時間を楽しみたいだけだ」


言葉とは裏腹に、彼の手には大剣が握られていた。


「そっちは頼んだ」


「言われなくてもな」


狼の群れが一斉に襲いかかる。


俺は右の剣で迎え撃ち、左の剣で反撃を繰り出す。ガルヴァンは大剣を振るい、豪快に魔物を叩き伏せる。


剣が舞う。血が飛ぶ。狼たちは次々と倒れていく。


**戦いの高揚が、俺たちを支配していく。**


最後の狼が地に伏した時、俺たちは互いに剣を納めた。


「……悪くねぇな、お前の剣」


「そっちこそ、大味かと思ったが、意外と繊細な動きもできるんだな」


「はっ……気に入ったぜ、レクト」


ガルヴァンは笑う。


この戦いで、俺たちは言葉以上の何かを理解し合った。


「さて、まだまだ奥が深いようだが……行くか?」


「当然だ」


俺は再び剣を握り、洞窟の奥へと向かった。




洞窟の静寂を切り裂く、剣と牙のぶつかる音。


血の匂いが混じる湿った空気の中、俺はガルヴァンの背中を見つめていた。


**——逞しい。**


鎧に包まれたその体は、まるで彫刻のように精緻だった。厚く鍛えられた胸板は、わずかに揺れるたびに漆黒の金属の光沢を帯びる。


大剣を握る腕は太く、それでいて無駄な力みはない。刃を振るうたびに、筋肉が滑らかに波打つ。


「チッ……なかなかしぶといな」


彼が息を吐くたびに、汗の香りが微かに混じる。獣じみた野性が、狭い洞窟の中に満ちていた。


**色気がある——。**


無骨な男の背に、確かに滲む色気。戦いの熱が、その存在をより際立たせていた。


俺は剣を構えながら、ちらりと彼の横顔を盗み見る。


鋭い眼光。獲物を狙う狼のような瞳。


汗が顎を伝い、鎖骨へと滑り落ちる。


喉が、渇く。


(……なんだ、これは)


奇妙な感覚だった。


戦いの興奮とは違う、別の熱が胸の奥にこみ上げてくる。


だが、今はそれを振り払うべきだ。


「ガルヴァン、左側を頼む」


「……ふっ、言われなくてもな」


彼は獰猛な笑みを浮かべ、再び大剣を振るった。


剣を振るう俺の視界の端に、ガルヴァンの逞しい腕がちらつく。


その動きは、獲物を狩る獣のようにしなやかで、そして圧倒的だった。


力強く、それでいて無駄がない。


(……美しい)


そう思った瞬間——


**ズッ——**


鋭い痛みが腕を貫いた。


「……ッ!」


モンスターの攻撃が俺の左腕をかすめ、鮮血が飛ぶ。深くはないが、じわじわと熱が滲むのが分かった。


「おい……何やってんだ?」


ガルヴァンが俺を睨む。鋭い眼差しに、俺は息を詰まらせた。


「……見とれてたか?」


低く響く声。


否定するべきなのに、口が動かない。


彼は俺の腕を乱暴に引き寄せ、傷口を覗き込んだ。


「……ポーションは?」


「ない」


「……は? まさか、持ってねぇのか?」


「……悪い、初めてなんだ」


ガルヴァンは呆れたようにため息をついた。


「俺も持ってねぇ。頑丈だから使う機会がねぇんだ」


「じゃあ、どうするんだ?」


「こうするしかねぇだろ」


そう言うや否や——


**彼の唇が、俺の傷口を覆った。**


「……ッ!」


ざらついた舌が、ゆっくりと傷口をなぞる。


熱い。


じわりと血が吸われ、彼の息が肌を撫でる。


「ん……少し沁みるか?」


俺の腕をしっかりと掴みながら、彼は確かめるように舌を動かす。


鼓動が早まる。


「……お前、何やってんだ」


「何って、止血だろ。お前、何も知らねぇのか?」


舌の先が、傷口を丁寧になぞる。


「何もねぇ時は、こうするのが普通だ」


普通。


……なのか?


「……これでしばらくは血は止まる。大した傷じゃねぇしな」


ガルヴァンは顔を上げ、俺を見下ろした。


汗が光る唇。


俺は息を呑み込んだ。


「行くぞ。これ以上、余計な怪我すんなよ」


いつものように淡々と、彼は剣を振るうため背を向ける。


だが、俺の心臓は、さっきからやけに騒がしかった。







階層が変わり、洞窟の空気も変わった。


視界の先、壁の裂け目から赤い光が漏れている。熱波が肌を打ち、息苦しさを感じさせる。


「……マグマ層か」


俺は汗を拭いながら呟いた。ここは初心者向けダンジョンのはず。それなのに、この階層は明らかに異常だ。


「おい、なんかおかしくねぇか?」


ガルヴァンが眉をひそめる。その額にも汗が滲み、鎧の隙間から逞しい筋肉が汗で光っていた。


(……駄目だ。こんな時に見とれてる場合じゃない)


俺は気を引き締めようとした。しかし、その矢先——


**——ドンッ!!**


地響き。


そして、目の前に現れたのは、圧倒的な威圧感を放つ巨体。


「……嘘だろ」


巨大な角、分厚い胸板。全身を覆うような猛牛の筋肉。


**ミノタウロス——!!**


本来、この階層には現れないはずの強敵。


「くそっ、どうなってやがる……!」


ガルヴァンが大剣を構える。しかし、次の瞬間、ミノタウロスの豪腕が大気を裂いた。


**ブオォン!!**


ガルヴァンが即座に剣を振るい防ごうとする——が、その軌道を読んだミノタウロスが巧みに腕を捻り、不可避の軌道へ変える。


「——ッ!」


間に合わない。


ガルヴァンの防御が崩れる。


「……チッ!」


迷いはなかった。


俺は即座に左の剣を捨て、右の剣を滑らせるように放ち、**ミノタウロスの拳をパリイ** した。


**ギィン!!**


衝撃が全身を駆け抜ける。


だが——


「……守ったか」


ガルヴァンが息を呑んで俺を見る。


「今の……お前の反応、速すぎだろ」


「考えてる暇なんてねぇよ」


俺は苦笑しながら剣を持ち直した。


だが、違和感がある。


胸の奥が熱い。


——違う。


これは、熱さのせいだけじゃない。


ガルヴァンの肌を伝う汗。いきり立つ野生の香り。


その全身を使って血管に酸素を運ぼうとするほどの荒い呼吸。


そして俺に向けられる友情とも、戦友とも取れる熱いまなざし。


こんなに——**魅力的に見えるなんて。**


「……ッ」


俺の内側で、何かが弾ける。


次の瞬間、脳内に強制的にメッセージが浮かび上がった。


**《二刀流スキル——「アブノーマルフィジカル」発動》**


「……は?」


俺の身体が、異常なほど軽くなった。


同時に、全身の神経が敏感になり、視界が研ぎ澄まされる。


**熱が、昂ぶりが、限界を超えて加速する。**




**解き放たれた異常肉体アブノーマルフィジカル**


——熱い。


全身の血が沸騰するかのように滾っていた。


**ミノタウロスの巨体が視界に入る。**


だが、それがまるで鈍重な影のように見えた。


**——遅い。**


右手の剣が疾る。左手がそれを追う。


一閃、また一閃。


**ズバッ! ズババババッ!!**


肉が裂ける音。


ミノタウロスの分厚い筋肉が、まるで粘土細工のように裂け、飛び散る。


(……嘘だろ)


自分の腕が異常なまでに軽く、刃の軌跡が通常の倍——いや、それ以上の速度で刻まれていく。


ミノタウロスが叫ぶ間もなく、俺の剣が次々とその巨体を引き裂いた。


最後に、喉元を貫き、剣を払う。


**——ドサッ!**


地響きを立てて、巨体が崩れ落ちた。


勝った。


**だが……何だ、これは。**


「…………ッ」


俺の体が、まだ何かを求めるように疼いていた。


そして、その隣——


「……お、おい……今の、何だよ……」


ガルヴァンの声が震えていた。


普段は飄々としている男の表情が、目に見えて強張っている。


「……お前、なんだその力は?」


その声は、驚きと——恐怖を滲ませていた。


無理もない。


俺は今、常軌を逸していた。


「いや、分からねぇ……でも、これは……」


自分の手を見る。指が震えている。


違う、違うんだ。


俺は、こんなつもりじゃなかった。


だが、ガルヴァンの目は、俺をまるで別の何かを見るような色を帯びていた。


苦しい。スキルを発動したことじゃない。ガルヴァンのその畏怖の眼差しが俺には苦しく感じられた。


「……ッ、くそ……」


意識が揺れる。


熱が引かない。むしろ、体が焼けるように熱い。


次の瞬間、レクトは膝から崩れ落ちた。


**ガクンッ……!**


「お、おい!? レクト!!」


遠のく意識の中で、ガルヴァンの声が聞こえた。


重たい身体が、地面へと倒れ込んでいく——。











——冷たい。


意識がゆっくりと浮上していく。


次に目を開けたとき、俺は暗い水の中にいた。


**地底湖……?**


ぼんやりとした意識のまま、状況を整理する。確かに俺は、マグマ層で異常なまでに熱くなり、倒れたはずだ。


「……ガルヴァンか」


目を横へやると、そこにいたのはガルヴァンだった。


彼は水中で、俺を支えるように片腕を枕のように添え、俺が溺れないようにしている。


**肌が、直接触れている。**


水に浮かびながらも、確かに感じる男の熱。


「……お前、何やってんだよ」


俺の声に、ガルヴァンは目を開けた。


「起きたか。少しは冷えたか?」


「なんで……ここに?」


「お前、あのまま放ってたら熱で死ぬぞ。仕方なく運んできた」


「……それで?」


「そのままじゃ溺れるだろうが。ちゃんと支えてやってるんだぜ?」


彼の息遣いが、ゆるやかに俺の首筋をかすめる。


冷たい水と熱を帯びた体温のコントラストが、妙に心地よくて——


(……まずい、これは)


「……でも、服、脱がす必要はあったのか?」


「熱を逃がすには、これが一番だろ?」


ガルヴァンの声には一切の迷いがなかった。だが、俺の方が落ち着かない。


(汗で張りついていた服が、俺の肌を離れていった時……この男は、それをどう思っていたんだろうか?)


「……そろそろ上がるか」


「そうだな」


ガルヴァンが腕を引き、俺をゆっくり岸へと運ぶ。






**帰還**


洞窟を出る頃には、俺は完全にガルヴァンに背負われていた。


「歩けそうか?」


「……無理だ。少し休めば何とかなる」


「はぁ、仕方ねぇな」


ため息混じりの言葉とは裏腹に、彼の背中は広く、そして妙に安らぐ。


彼の体温が、俺の背中に伝わる。


水滴が滴る髪の隙間から、うなじにかかる吐息。


(……やばい、余計なことを考えるな)


そう思いながらも、俺の意識は否応なく、彼のぬくもりに引き寄せられていた。


ガルヴァンの背中に揺られながら、俺は静かにギルドの門へと運ばれていった。





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