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第五話

「お嬢様、貴女は、本当に立派でした」


 シェリルが長年会いたいと願っていた人は、すでに亡くなっていた。

 しかし、あの甘えん坊だった彼女が、娘の為に一人で頑張った。その証として、ムーンが生きている。シェリルは、嬉しさと切なさで涙が止まらなかった。

 実は、ムーンがこうして生き残れたのは、シェリルの助けもあったからだった。母を失ったたった4歳の子供が、何故、家事をまともにこなす事が出来たのか?

 それは、あの赤い人工魔石を通して、シェリルの持つメイドとしての熟練技術の一部をムーンが使うことが出来たからだ。『ママ』も、その事に気づいていたからこそ、ムーンにネックレスを絶対外すなと伝えたのだ。

 

「もっと早く見つけて差し上げられていたら」


 今更言ってもしかたない事だと分かっていても、シェリルは、悔恨の思いを口にする。


「ともだち、かなしぃ?」


 シェリルの名前を『ともだち』と思い込んでいるムーンは、傍らでママの墓石に飾る花を花壇から摘んでいる。  


「あ、ムーン様、叫び草は、今必要ありません」

「ともだち、きにしすぎ」

「いえ、叫び草を飾られたら、お嬢様が心安らかに眠ることができません。と言うか、私は、ともだちではありません」

「え!だれ?」

「シェリルです」

「シェーーーーーー、むじゅかしい(難しい)、ともだちダメ?」


 ムーンにとって、新しい言葉を覚えることは、なかなか難しいのだ。『ともだち』と『あに』なら、書き取りを何度もして覚えているので安心だ。


「やはり、ランバルト様だけには任せておけません。ちゃんとした教育をムーン様に与えれる環境が必要なようですね」


 ハンカチで涙を拭きながら、シェリルは、今後のムーン教育計画について考える。既にスパルタ教師の片鱗を見せる彼女の眼力に、ムーンは、慄く。


 慌てて周りを見回しランバルトを探すと、少し離れたところでグレイと話をしていた。


「ラーーーー!」


 走って逃げようとしたが、


「ムーン様、先ずは、『名前』とは何かをお話しましょう」


ギラリと目を輝かすシェリルに手首を掴まれ、ムーンは、ブルブル震えた。


 


「あー、また、やっていますね」


 妹とシェリルのやり取りに気づき、グレイは、視線を彼女たちの方に向ける。


「また、とはどういう意味だ?」


 ランバルトに問われ、グレイは、苦笑いを浮かべた。


「シェリルは、厳しいんです。特に、礼儀作法に。僕は、男だし、平民扱いで学園に入ったから、そこまで言われませんでしたが。ムーンは、どうかな。アレはアレで、かわいいと思うんだけど」

 

 ムーンは、幼い頃の栄養失調と時間の流れが緩やかな事が重なり、未だに小さな体のままだ。だから、少々無作法な言動をしたからといって、目くじらを立てる程おかしな事にも思えない。

 逆に、グレイは、妹と一緒に過ごせなかった幼少期を今追体験しているようで嬉しいのだ。


「あの……ランバルト様」 

「なんだ?」

「シェリルを、ここに置いていっても良いですか?」


 そう言ったグレイの顔は、何か決意をした男の顔だった。


「捨てるのか?」

「いえ、彼女との未来を拾いに行ってこようと思います」


 九歳で出会い十三歳までの四年間、シェリルは、常にグレイの為に身を粉にして働いてくれた。なんの見返りも無いのに、両親すら何もしてくれなかったのに、ひたすらに支えてくれたのだ。

 しかし、今、ムーンの世話を焼く彼女は、大切だったお嬢様の忘れ形見を立派に育てようと必死になっている。


「一応、もう一回確認しておきたいのですが、外の世界で三つ歳をとったとしても、ここでは一つしか歳を取らないのですよね?」

「そうだが」

「ありがとうございます。感謝します」


 いきなり頭を下げられても、どう対応すれば良いか分からない。

 しかし、ランバルトは、自分に対して特に恐怖を抱くわけでもなく、飄々と話をするグレイに不快感は無かった。




「ラー、たすけて!」


 両手を伸ばしてくるムーンをランバルトが抱き上げると、


「ランバルト様は、甘いのです!ムーン様は、もう少し独り立ちするべきです!」


鼻息の荒いシェリルが詰め寄ってきた。最初震えていた人間と同じとは思えない。


「まぁまぁ、シェリル。そんなに一遍に言っても、ムーンも困っているから。ランバルト様、早くムーンをあちらへ連れて行ってあげてください」


 仲裁に入ったグレイに、シェリルは、怒りの矛先を向ける。


「グレイ!貴方だって分かるでしょ!ムーン様は、公爵令嬢なのよ!このままじゃ、笑われてしまうわ!」

「ねぇ、シェリル。誰に笑われるの?もう、公爵家は、ないんだよ」


 グレイの正論に、シェリルが反論を言えず、目をパチパチと瞬いた。


「それに、ここにいる人間は、僕達だけだ。魔族に作法があるのかは知らないけど、ムーンのあの魔力に当てられて消滅するのが先だよ」


 ポンと肩を叩かれて、シェリルの力が抜ける。

 女性としては長身の彼女だが、どんどん成長するグレイに背を抜かれ、今では彼の肩と彼女の顔が同じ辺りにある。

 グレイは、そっとシェリルの頭に手を置くと、自分の肩に彼女の顔を押し当てた。


「うっ……うぅう……」

 

声を殺して涙を流すシェリルに、グレイの胸も苦しくなる。

 まだ、二人で国を出たばかりの頃、民家の軒下で過ごしたこともあった。それでも泣かなかった彼女が、泣いている。


「シェリル、ムーンが生きてて良かったね。それ以上、何を望むの?気持ちは分かるけど、ムーンのことも考えないと。突然現れた人間を受け入れるだけでも凄いことだと思うよ」


 今までと違う環境に置かれるだけで、ストレスを感じるものだ。ランバルトしか居なかった世界に、住人が二人も増えたムーンの精神的圧迫は、どれほどのものだろう?

 何も考えていないムーンに聞いても、『は?』と言われそうだが、世間の荒波に揉まれてきた二人には、人を思う優しさがあった。


「徐々に、関係を築いていけばいいと思うよ」

「それには、時間が…」


 ムーンの側を離れたくはないが、グレイを一人にすることも出来ない。そんなシェリルの気持ちを痛いほど理解するグレイが、ある提案をする。

 徐ろに片膝を地面に付き、シェリルの手を取ったグレイは、


「貴女の年齢に追いついたら、結婚してください」

 

 とプロポーズした。


「え?」

「貴女は、今、二十六。僕は、十三。だけど、僕が外で暮せば、少しずつ年齢が近づくと思うんだ。だから…」

「ちょっと待って!貴方、私が好きなの?」

「気づかなかった?結構、分かりやすかったと思ったけど」


 驚きに涙も引っ込み、シェリルは、顔を真っ赤にしている。グレイも、負けじと顔を赤くして彼女を見上げていた。


「で、で、でも、でも、外で暮らすって、一人で?」

「そうだよ。もう、僕は、魔法学園主席卒業生だから。お金もガッポガッポ稼げる優良物件だ。早めにツバつけといた方がいいよ」


 笑うグレイに、シェリルは、泣き笑いをした。彼に恋をしているのかと言われると違うと言える。

 しかし、失って平気かと言われると、無理としか言いようがない。


「そんな約束は、聞けないわ。そんな優良物件様には、沢山の女の子が寄ってくるもの。私みたいなオバサンより、直ぐそっちが良くなるわ」


 『ママと結婚する』と言う子供のようなもの。シェリルは、決して真に受けない。だからこそ、グレイは、実証しなければならない。


 次の日、朝起きるとグレイは、一人居なくなっていた。置き手紙には、


『まずは、十六歳になったら帰ってきます』


とだけ書かれていた。



「シェリル、だいじょぶ?」

「ムーン様、私の心配より、書き取りを先にしてください」


 あれから、ここの世界では三年経った。外の世界では、九年だった。

 一年目に戻ってきた時、十六歳になったグレイは、二十七歳になったシェリルに、


『貴女の年齢に追いついたら、結婚してください』


とプロポーズした。


 二年目に十九歳になったグレイは、二十八歳になったシェリルに、


『貴女の年齢に追いついたら、結婚してください』


とプロポーズした。


 そして、三年目の今日、二十二歳になったグレイは、二十九歳になったシェリルに、


『貴女の年齢に追いついたら、結婚してください』


とプロポーズするはずだ。

 外で長い月日を過ごしたグレイは、身長も更に伸び、体も一回り大きくなったように感じた。

 見た目だけなら、とてもお似合いのカップルだ。


「スキならスキっていえばいいのに」


 シェリルの努力の甲斐があり、ムーンの語彙力は格段に増え、滑舌も良くなってきた。毎回帰省の際、グレイが山のように物資を運んでくるので、かなり文化的な生活が出来るようになっている。

 ムーンが、グレイを『おにぃさま』と呼べるようになってからは、


『お兄様が、沢山お土産買ってくるからね!』


と鼻息を荒くしている。今日来ている服も、そのお土産の一つだ。多分、今回も前回を超える物資が届くだろう。

 しかし、そんなことよりも、シェリルは、男ぶりが急上昇中のグレイが眩しくて、真っ直ぐ見られないのだ。今回も、逃げ回ってしまう自分を想像して、既に一杯一杯になっている。


「ムーン様、そのようなはしたない質問は、するものではありません」

「ラン、シェリルが、またむずかしいこという」 

「ムーン、そういう時は、放って置くのが一番だぞ」

「はーい」


 十歳を迎え、ムーンも聞き分けが良くなった。トコトコとランバルトの側まで来ると横に座らず膝の上に座るのは、今も昔も変わらないが。


「ラン、わたし、ウサギさんりんごたべたい」

「お前が、ここに座っている限り、無理だと思うがな」


 ランバルトは、まだまだ子供なムーンを今は、しっかり愛でることに時間を費やしている。そうでなくとも、人間の寿命など、とても短いものなのだから。


「ランバルト様、そのように甘やかすのは、ムーン様のためになりません」

「何を言う。愛情は、いくら注いでも過剰などありえん」

「いえ!やはり、節度というものが大切です」


 教育方針は、平行線のままだが、ランバルトとシェリルがムーンを愛していることは間違いない。

 両極端な二人に挟まれ、ムーンは、都合の良い方へ靡くという、一番大人な選択をするあざとい娘へとスクスク育っていっていた。



 しかし、予定の日を過ぎても、グレイは帰ってこなかった。三日、一週間。一ヶ月を過ぎるあたりで、ムーンが、キレた。

 

「みにいく!」

「ムーン、簡単に言うんじゃない!」


 ランバルトは、頑なに反対した。もしかしたら、外の世界を見たムーンが、帰りたくないと言うかもしれない。もっと突っ込んで言えば、ランバルトの側を離れていくかもしれない。

 何者にも恐れを抱かぬランバルトの手が小刻みに震えるのを見て、ムーンは下を向いた。


「だって……シェリルが…」


 いつもと変わらぬ笑顔を浮かべるシェリルだが、どんどん痩せ細っている。言葉にせずとも、目の奥が悲しみに満ちていた。


「ふんずかまえて、ギタギタにしてやる」


 地団駄を踏むムーンを見て、ランバルトは、複雑な表情を浮かべる。

 きっと、シェリルは、グレイが他に良い女を見つけただけなら、明るく見送ることができる女だ。たとえ心で泣いていても。

 だが、今、彼女が痩せ細る程心配しているのは、グレイの身の安全なのだ。怪我をしたのか?病気なのか?最悪を想像しては、頭を横に振る。グレイがどんな人間か理解しているからこそ、約束を守れない状況に恐怖を抱いている。


 ランバルトも、確信しているのだ。グレイなら、仮に、新しく妻となる女が見つかったのなら、必ず紹介に来るだろう。たとえ、ムーンに、『ギタギタ』に殴られたとしても。




 それから三ヶ月を過ぎて、とうとうシェリルが倒れ、ランバルトは覚悟を決めざるを得ないことを悟る。


「大丈夫です」


 と、ベッドの上で全く大丈夫じゃない顔で笑う彼女を心配し、ムーンまでが激ヤセし始めたのだ。


「ムーン、グレイをとっ捕まえて、ギタギタにするぞ」

「いいの?」

「俺も行く」

「やった!」


 言ったが早いか、ムーンが、その足で走り出そうとする。


「何処へ行く」

「おにぃさまのところ」

「何処に居るのか分かっているのか?」

「んーーーーー、あっち?」


 ムーンは、東を指さした。


「何故、そっちだと思う」

「におうから」


 本人が聞いたら、どれだけ体臭がキツイのかと泣いてしまうだろう。

 しかし、あながち間違いでもないのだ。半分とはいえ血が繋がる二人の間には、他人には分からない絆があるらしい。以前から、森の散策等する際、ムーンはグレイの居場所を目視以外の方法で察知している気配があった。まさか、それが匂いとは思わなかったが、ランバルトは、それに頼ることにした。それ程、シェリルの衰弱が進んでおり、一人にしておける時間も限られている。


「シェリル、おにぃさまをギタギタにしてくるからね!」

「ムーン、いきなり殴ったら駄目だぞ。殴るのは、話を聞いてからだ」


 『殴る』前提の話をする二人の声は、目を開けることすら辛くなり始めたシェリルの耳に聞こえることはなかった。




「もう、駄目だ。グレイ様、本当に申し訳ない」


 荒れ果てた街道の片隅で、三十人程の商団員達に囲まれたグレイは、小さく首を横に振る。


「あと少しです。国境線まで行けば、どうにかなります」


 今でも、自分一人なら簡単に逃げられるだろう。

 しかし、多数の怪我人が出た上に、馬車まで壊されてしまっている。全員を安全に運ぶことは、不可能に思えた。


 グレイは、『呪われた森』へ向かう途中、たまたまこの商団と出会い、目的地の方向が同じだったことから、旅は道連れとばかりに行動を共にしていた。本当なら、とっくの前に、到着している。それが、まさか、内乱に巻き込まれるとは誰も思わない。物資不足から、野盗はもとより、市民や兵士に至るまで、食べ物を求めて暴徒化した。無論、荷を運ぶ商団など、格好の餌食だ。


 国境線まで、あと数キロ。敵を避け、森の中に身を隠しながら徐々に移動し、なんとかここまで来たが、食料も底をついている。グレイが展開した結界の外には、彼が力尽きるのを待つ野盗達が下卑た笑いを浮かべていた。

 商談の荷馬車の中には、金目のものがザクザク入っている。しかも、団員の中には、うら若き女性も数名いる。ここで、グレイが諦めたら、彼女達もどうなるか分からない。

 

「グレイ様だけでも、お逃げください」

「そんなことをしたら、僕は、大好きな人に嫌われると思うんです」


 グレイの心を支えるのは、シェリルとの思い出。一つのパンを二人で分けて食べ、寒い夜は、身を寄せ合って眠った。

 もし、困った人をグレイが見捨てて帰ってきたと知れば、彼女は、きっと一生許してくれないだろう。


「すみませんが、ほんの少しの間だけ、ご自身の身は、ご自身で守ってくださいね」


 グレイは、左右の腰に刺した二本の剣を一度に抜いた。研鑽を積んだ双剣は、防御を捨てた攻撃特化型の戦い方だ。刀身に魔力を纏わせ鉄を紙のように切り裂く切れ味を持つ。結界を一度解いたグレイは、自身の残った魔力を剣に集めた。チャンスは、一度だけ。

 太陽が雲に隠れ、辺りが暗くなる瞬間を見計らう。


『ごめん、シェリル、僕が死んでも幸せになってね』


 頭の中でシェリルの笑顔を思い描き、心の中で手を合わせた。

 そして、決死の覚悟で走り出したグレイが、森の木々を縫うように走り、敵目前の距離まで詰め寄ったその時、


ドカーン


彼の後頭部に、空から落ちてきた何かが、直撃した。


「ガハッ」


 ゴロゴロゴロゴロと地面を転がるグレイは、風に飛ばされる木桶のようだ。大きな木にぶち当たり、やっと止める事が出来た。

 巻き上がった風で、土埃が舞う。白くなった視界に、敵も味方もざわめく。新型の武器か、はたまた遠距離魔法攻撃か。

 見上げた空には、太陽を隠すほど大きな大きな何かが飛来していた。





「ラン、あっち!」

「ムーン、危ないから立つんじゃない」


 久しぶりに黒竜の姿に戻ったランバルトは、ムーンを背中に乗せて大空を飛行していた。眼下に見える家々が点のように見える。

 ムーンは、鼻をヒクヒクさせ、グレイの匂いを追っている。


「あ……ちのにおい…」


 それまで、怒りばかり先行していたムーンの表情が、曇る。更に匂いに近づくと、遠くからでもグレイの張る結界の青白い光が見えた。喜んだのも束の間、スーッとその光が消えた。

 

「おにぃさまが!ラン、はやく!はやく!はやく!」

「分かっている」


 ランバルトは、全力で速度を上げると数秒後には頭上まで来ていた。見下ろせば、一目見ただけでも分かる。傷ついた人々を背に、武器を構える男達へ、剣を羽のように広げながら一直線に走るグレイ。


「おにぃさまのバカ!」


 お人好しにも程がある。


「あ、ムーン、待ちなさい!」


 ランバルトの制止も虚しく、ムーンは、大空へとダイブした。


ヒューーーーーーーーーーーーーーン


ドカーン


 彼女の可愛く小さな足裏は、落下速度も相まって、隕石レベルの殺傷力を

持ってグレイの後頭部へとめり込んだ。自身に結界を張っていた彼でなければ、即死だろう。地面を転がっていく兄に、華麗に地面に降り立った妹は、顎を上げて、


「てんばつ!」


と吐き捨てた。

 もし、グレイが死んだら、シェリルが生きていられる訳がない。それなのに、五分五分どころか、勝ち目のない戦いに命をかけるなど、言語道断。


「よわいくせに、なんでにげないの!」


 妹の痛烈な一言に、辛うじて意識を保つグレイは、泣きそうだ。


「コラ、ムーン、『ギタギタ』にするのは、話を聞いてからだろ」


 空から舞い降りてきたランバルトは、人型へと变化し、ムーンの横に立つ。


「『ギタギタ』じゃないもん」

「可愛くいっても駄目だ」

「『ホドホド』だもん」


 あの存在自体が天災と言われる黒竜が、空から落ちてきた少女にお説教を始める。その不思議な光景を前に、周りに居た全ての人間が、敵味方関係なく膝をつき、這いつくばった。

 誰も動くことができない。それは、黒竜から発せられる威圧もあるが、銀髪の少女を中心に渦巻く魔力が、暴風となって吹き荒れているからだ。


 プーッと頬を膨らませるムーンに、ランバルトだけが微笑む。この一人と一匹は、人がどうこう出来る相手ではない。それどころか、グレイ以外関心がない。


「ムーン、お兄様は、悲しい。こんな止め方しなくても、方法は幾らでもあったでしょ?」


 ヨロヨロと立ち上がるグレイに、周りの者は、尊敬の眼差しを向ける。あの攻撃で死なないのか?それは、畏怖に近い感情だった。


「しらない。ムーン、しらないもん」


 少しやりすぎたと内心思っているムーンは、ランバルトの足にしがみつき、顔をグリグリと押し付けている。


「ムーン、それより、大事なことを伝えに来たんだろ?」


 ランバルトに言われ、ムーンは、ハッと顔を上げた。


「おにぃさま」

「なに?」

「シェリルが、あぶない」

「え?」

「しにそう」

「は?」

「しんだら、おにぃさまのせい。ぜったい、ゆるさない」

「え?え?どうしよう?どうしよう、ランバルト様!」


 パニックになるグレイの肩に、ランバルトが手を置いた。


「帰るぞ」

「でも…」


 困った人を助けるのは、自分が困った時に助けられたから。グレイが商団の方に視線を向けると、ムーンが鼻をツンと上げた。


「そんなの、こうすればいい」


 ムーンがポケットを弄ると、一匹のワームワームが出てきた。それを地面に置くと、


「エイエイエイエイ」


と踏みつけ増殖させていく。


「それいけ!」


 ムーンが指さしたのは、グレイ達を襲っていた野盗の軍団だ。


ニョロニョロニョロニョロ


 命令を理解したのか、ワームワームは、一直線に野盗に向かって進撃する。


「わ!ムーン、それはちょっと…」


 ムーンの大切なお友達は、本当は、人肉でも喰らう魔物だ。ただ彼女は、それをよく理解していない。ワームワームが掘った落とし穴に落とすくらいの気楽な気分で命令を出したのだろうが、多分、野盗は、全員喰われてジ・エンドだ。


「おにぃさま、これでいい?」

「あーーーーー、はい」


 数分後、ワームワームが戻ってきた。そして、ムーンの体にまとわりつく。敵陣には、もう、人影すらなかった。それが、何を意味するか、ムーン以外の人間には気づいている。


「ラン、かえろう」

「……あぁ」


 可愛い妹は、時々可愛くない妹になる。一番怒らせてはいけないのは、多分、彼女だ。ランバルトを黒竜の姿に戻らせると、ワームワームごとムーンがその背に乗った。世界に恐れられる黒竜は、既に尻に敷かれた旦那と成り下がっている。


「おにぃさまも!」

「でも……」


 商団を振り返ると、皆、未だにランバルトとムーンのせいで這いつくばったままだ。


「グレイ様、もう、大丈夫です」


 商団長が威圧の重力に耐えながら、なんとか指さしたのは、野盗が使っていた馬や馬車だ。多分、食料も乗っているだろう。


「国境線まで行けばどうにかなります。本当に、ありがとうございました」


 早口に、そう言われ、グレイは、やっと気づいた。自分達が立ち去らないと、彼らは、ずっと地面に押し付けられたままだということに。


「こちらこそ、すみません。直ぐ飛び立ちますので」


 ペコペコ頭を下げながら、グレイは、急いでランバルトの背にいそいそと乗った。その後ろ姿に、先程までのオーラはなかった。

 



「しゅっぱーつ!」


 ムーン達がご機嫌で飛び去っていった後、商団長は、フラフラと立ち上がり、団員達を見渡した。


「お前達、分かっているな?」

「勿論です。他言いたしません」

「そうです!そんなことしたら……」


 皆が一斉に顔を上に向けた。


「あの蹴りに耐えられる奴なんて、ここにはいませんから」


 各々が、銀髪の少女を思い出し、ブルリと身を震わせた。




「シェリル、ただいま」

「あ…………グレイ」


 ベッド脇に置かれた椅子に座り、グレイは、シェリルの右手を両手で包み込んだ。  


「あぁ、こんなに痩せて。ごめんなさい、僕の帰りが遅かったから、心配させてしまったんだね」

「全然……全く……ちっとも」

「ふふふ、シェリルは、嘘を付く時いつも眉間にシワが寄るよね」

「女性にシワの話をするなんて、失礼極まりないと思うわ」


 あれだけ憔悴していたシェリルが、カサカサになった唇を緩め、笑みを浮かべている。それだけで、彼女がどれほどグレイを愛おしく思っているのかが分かる。


「ランバルト様が、君のためのスープを作ってくれたんだ。一口でいいから飲めるかな?」

「えぇ。起きるのを手伝ってくれるなら」


 今回の件で、シェリルは、認めざるを得なくなった。自分が、グレイを愛しているということを。

 ただ、それを飲み込み消化するには時間がかかる。グレイに支えられながら、ベッドの上で上半身を起こすと、彼の顔が目の前にあった。


「あら……ヒゲ」


 身だしなみに気遣う余裕すらない状態だったのか、口の周りに無精ひげが生えており、髪もボサボサだった。


「野性的ね」

「こういう僕も、たまには、良いと思うんだ」

「そうね、悪くはないけど、手洗いとうがいはしたのかしら?」


 幼い頃から世話をし続けた弊害か、ついつい小言を言ってしまう。可愛くないなと自分でもいやになるシェリルだが、グレイの方は、


「やっと、シェリルがシェリルらしいところを見せてくれてホッとしたよ」


と笑った。


 そんな二人を隣の部屋から除くランバルトとムーンは、お母さんと息子のようなやり取りを交わす二人に微妙な顔をする。


「ねぇ、ラン。あの二人は、いつか、ほんとうに、けっこんできるの?」

「さぁな」


 絵本の中では、『幸せに暮らしましたとさ』で締めくくられるハッピーエンドは、現実ではなかなか難しいのだだなぁとムーンは学んだ。




 三日後、グレイは、再び外の世界へと戻った。理由は、


『少し時間が欲しい』


だった。それは、シェリルが気持ちを認める時間かと思いきや、


『今のままじゃ、弱すぎる』


という理由だった。余程、妹に『よわいくせに、なんでにげないの!』と言われたのがショックだったらしい。


「今のままじゃ、シェリルを担いで逃げることすら出来やしない」


 どんな状況で、そんな事が起きるのかと聞きたいくらいだが、本人は至って真剣だ。シェリルもシェリルで、


「納得がいくまで、頑張ってらっしゃい!」


とエールを送る始末。多分、気持ちの切り替えをする為の時間が確保できたと喜んでいるのだろう。


「お前ら、本当に、変人だな」

「おにぃさまも、シェリルも、おかしい!」


 常識知らずの二人にすらドン引きされるグレイとシェリルは、それでも、とても幸せそうだった。 




 あれから、十二年の年月が流れた。


 草の根の守護神グレイ


 今、どの国へ行こうとも、彼の二つ名を知らぬ者は居ない。各国を周り、苦しむ民を救う彼は、稀代の魔導師であり、双剣を操る騎士でもあった。子供達が初めて手にする本は、必ずと言って良いほど彼を題材にした冒険譚だ。


 よくある勇者の物語との違いは、彼の生い立ちの不遇さだ。


 母親は、一斉を風靡した大女優。

 父親は、魔力量の多さでは右に出るものがいなかった魔導師界の寵児。


 しかし、両親の名を知らしめたのは、『シルバー公爵家簒奪未遂事件』だ。婿入り先に愛人とその息子を引き込み、シルバー公爵家の血筋を途絶えさせた極悪人。そんな二人の間に産み落とされてしまったグレイは、本来なら後ろ指をさされ、爪弾きにされる存在だっただろう。


 しかし、彼は、負けなかった。両親の死後、国を出て最年少で世界最高峰と言われる魔法学園に特待生として入学した。父譲りの魔力は、それほど群を抜いていた。生まれ持った資質に胡座をかくことなく、彼は、学園を最短で卒業した。その時の年齢は、なんと十三歳だった。


 それは、ひとえに父のようにやるべきことを背中で見せ、母のように優しく抱きしめてくれたシェリルという女性の存在があったからだと言われている。


「グレイ様、シェリル様の墓参りは、お一人でいかれるのですか?」


 馬車に大量の物資を載せ、どう見ても墓参りには見えないグレイに、村人達が声を掛けた。多分、噂の真偽を知りたくてカマをかけたのだろう。

 

 幼い頃、彼を支えたシェリルの姿が見えなくなってから、かなりの時間が過ぎた。過酷な旅の途中で亡くなったと言われている。そして、三年に一度、彼が、何処かに大きな荷物を載せて赴くことから、彼女の墓が、そこにあるのだろうと噂されていた。


 グレイは、村人の声掛けに返事はせず、ただ微笑むだけだ。鍛え抜かれた体躯は、重い荷物も軽々と運ぶ。三十四歳になり益々男振りが良くなるグレイに、恋焦がれる女性も多い。


 ただ、適齢期になっても妻も娶らず子もなさず、常に清貧を心掛ける彼は、まるで両親の贖罪をしているよう

に見えた。


 見送りに来てくれた面々一人一人に視線を向けた後、グレイは、深くお辞儀をしてから馬車を出した。きっと村人達は、これが最後の挨拶などとは、思いもよらなかっただろう。


ガタゴトガタゴトガタゴト


 彼の馬車が向かうのは、『呪われた森』。その地で、不老長寿の薬ともなる黒竜の肉を各国が奪い合ったのは、二十五年ちかく前の話だ。今でも魔物が徘徊する危険な場所として、禁足地になっている。

 しかし、グレイの表情は、まるでピクニックに向かう子供のようだ。荷台に載せた荷物の中には、女性用の服や化粧品等も載せてある。シェリルから持ってくるよう頼まれた物に漏れがないか反芻しながら、心は飛んで行きたいほどだった。


ガタゴトガタゴトガタゴト


 いつも森に入る時は、まず、人通りの少ない東の結界石を目指す。途中、月の女神へ供物を捧げる幌馬車と擦れ違った。記憶にある老人ではなく、壮年の男性に代わっていたので、代替わりしたのかもしれない。

 グレイは、森の入口まで来ると、一度馬車を降りた。懐かしい石のように硬いパンが、祭壇に7つ並んでいた。


「もう、この個数じゃ足りないだろう」


 クスクス笑い、布で丁寧に包む。未だに、スープに付けてパンを食べるのが大好きな妹に持っていってやらねばなるまい。何故なら、現在彼女は、夫によって森の外に出ることを禁じられているのだから。


「そろそろかな…」


 グレイは、荷物を地面に下ろし、何かを待っている。数分すると、地面の下からブワッと物凄い魔力が盛り上がってきた。


「やぁ、久しぶり」

 

 彼が声を掛けたのは、ワームワーム。以前と変わらず、元気よく体をくねらせている。

 ふと、グレイは、妹がこの魔物に体中まとわりつかれていたのを思い出し身震いした。


「我が妹ながら、よく平気でいられるな」


 クスクス笑いながら、ワームワームの後ろを歩く。荷物は、全て彼らが持ってくれる。波打つ体の上に載せ、重みなど関係なく、地面を滑るように動いていく様は圧巻だ。


「運送業でもやらせたら、一財産儲かりそうだ」


 意外と商才のある彼は、守護神と祭り上げられる裏で、商会を立ち上げていた。その名も『ムーン商会』。取り扱い商品は、グレイが討伐した貴重な魔物の素材だ。


 妹と愛するシェリルに湯水のように金を使いたい。その気持ちだけを原動力に運営していたが、今回、全てを売って現金に変えた。理由?そんなの、分かりきっている。


「シェリル!」

「グレイ!」


 遠くにシェリルの姿を見つけたグレイは、瞬間トップスピードで走り出し、ワームワームを追い越した。


「きゃぁ!」


 彼女を抱き上げグルグル回ると、小さな悲鳴が聞こえてギュッと抱きしめられた。


「会いたかった、シェリル!結婚してくれ!」


 『呪われた森』と外界は、時間の流れが違う。そのお陰で、グレイとシェリルの年齢差が、今年やっと埋まった。


「グレイは、馬鹿です!」


 まさか、これ程長い間、彼が自分を思い続けてくれるとは思っていなかったシェリルは、ポロポロと涙をこぼした。その横顔は、ここに来た当初よりも若返っているように見える。苦労に苦労を重ね、『呪われた森』まで辿り着いた頃の彼女は、栄養失調ギリギリだった。

 しかし、ここでの生活が、頑なだった彼女の心をほぐし、癒やし、素直にグレイを愛しているのだと認められるようにしてくれた。


『シェリル、僕が貴女の年齢に追いついたら、結婚してください』


 あの日の告白から、ずっとグレイの心の中心は、シェリルだった。どんな美女よりも、髪を一つにくくり、一心に仕事に励む彼女の姿が一番美しかった。揺れる事なく貫いた信念が、とうとうシェリルを変えたのだ。


「おにぃさまは、見る目があるわ!」


 シェリルから、女性としての立ち居振る舞いを学んだはずのムーンだが、ランバルトが甘やかすため、イマイチ令嬢らしくない。今も、腰に手を当て、何故か自慢げに胸を張っている。

 そのお腹が、ほんの少し膨らんでいた。十六歳になった彼女は、ランバルトと正式に番となり、今、お腹に赤ちゃんがいる。


「やぁ、ムーン、これからは、僕もお世話になるよ」

「待ってたわ、おにぃさま。歳なんか気にせず、最初から居れば良かったのに」

 

 六百歳の夫を持つ彼女にすれば、たかが十三年の年の差など、あってないようなものだ。

 しかし、グレイがシェリルに結婚を申し込んだのが十三歳。二十六歳の彼女には、受け入れ難かったのだ。


 現在シェリルは、三十三歳。そして、グレイが三十四歳。年上になったグレイには、もう結婚を断られる理由など一つもなかった。


「騒がしいと思ったら、もう来たのか?」


 ランバルトは、右肩に熊を担いで帰ってきた。左手には、『叫び草』の束を掴んでいる。


ギョェ〜ギョェ〜ギョェ〜


 耳をふさぎたくなるほど騒がしい口のある草を見て、グレイは、あからさまに嫌な顔をした。


「いつ見ても、気味が悪いですね」

「ん?そんなことを気にしていたら、ここじゃ暮らせないぞ。あとで、シェリルに煎じ方を教えてもらえ」

「飲める気がしません」

 

 首を高速で左右に振るグレイを見て、ムーンがニャ~ッと悪戯っ子の表情を浮かべる。


「あら、おにぃさま、本当に飲んだことはございませんの?」 

「は?そんなこと、あるわけ無いだろう」


 否定するグレイの横で、シェリルが人差し指を口に当てて、


『言っちゃ駄目です』


とアピールしている。

 しかし、そんな控えめな抑制が、ムーンに効くはずもない。


「おにぃさまが、初めてこちらに来た際、お飲みになられたじゃありませんか」

「は?」


 言われている意味が分からず、グレイは、暫く首を傾げていたが、ふと、あの日あったことを鮮明に思い出した。


『グレイ、死なないで!』


 瀕死の状態のグレイに、シェリルが何かを口移しで飲ませた。その後、気を失って、目が覚めたらムーン達の家に居たのだ。


「………シェリル」

「私は、何も知りません」

「まだ、質問してないけど、何となく分かったよ」


 嬉し恥ずかしい思い出が、まさかの『叫び草口移し』とは。


「僕の純情を返して欲しいよ」

「いい大人が、昔の話を蒸し返さないでください」


 不貞腐れるグレイにシェリルは手を焼きながらも、二人はランバルトが建ててくれた新居へと荷物を運び込む。今日から、ここが二人の棲家だ。


「まぁ、お前達の骨は俺達が拾ってやるから安心して生きろ」


 ランバルトからの餞の言葉は、何処かズレている。そして、横で頷くムーンも、どこかズレている。

 ムーンは、ランバルトと縁を結んだことで彼と同じだけの寿命を手にした。文字通り兄夫婦だけでなく、子々孫々の骨を拾うことも可能だ。だが、その前に、家族としての大切な時間を過ごしていくことになる。

 

つづく

次回、エピローグ

ほんの少しだけ、その後の彼らの日常をお送りします。



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