第1話
僕は宮本紅葉、秋に生まれた美しい名前。大学二回生。一人暮らし。週に二日くらいだけ、家からずうっと遠いコンビニでアルバイトをしている。部活は天文部、活動はしていない、部室でYouTubeをみる部活だ。二回生になった春、チューターのバイトがはじまった。だるいながら、頑張っていきたいと思う。
入学式の時、僕たちはまだその時点では交わっていない。人の人生というのは重なることはあっても交わることはないんだから、この先も交わっていないと言えるのかもしれない。とにかく、この春の入学式の日の時点で僕と、僕以外に接点はなかった。
「以上で本日のオリエンテーションは終了です。明日もこの教室に―――」
階段教室705。大学入学してすぐの僕たちはここに箱詰めになって、規則正しく座ってオリエンテーションを受ける。僕はその上級生……いわゆるチューター側だった。といっても、僕もまだ二回生で、別に成績優秀という理由で選ばれたとかではなくて、ちょっと時給の良いチューターのバイトが、就活の時に役立つとウワサで耳にしたからだった。時給も良くて、教授たちからの内申もあがるこのバイトの唯一の欠点は、長期休暇に学校に来て準備する必要があるということだ。
アナウンスしている学生を横目に、僕はマスクの下で小さく欠伸する。去年の僕も目の前の一回生みたいな初々しさがあったんだろうか。一年先輩というだけで大きいツラをしてしまう僕たち二回生、それよりもっとデカいツラをしている三回生が年功序列で並んでいる教卓前。
それでは解散です、と言われると一目散に荷物を持って教室から出る者、まずスマホを見る者、荷物をまとめる者。僕たちは忘れ物がないかどうか確認してから、明日の準備のために別の教室に向かう。今日が初日だというのに、終わると疲労感に襲われた。座ると足がじんじんした。
明日の準備は思ったよりすぐ終わって、僕も帰路についた。学内の自販機の前を通ると、猫が飛び出してきた。ワッと声にならない音が出て、ぶわっと冷汗が出た。はーと息を吐いて気を取り直す。普通のバイトすらまともにやったことがない僕にとって、朝から夕方まであるこのチューターのバイトはなかなかハードなものだった。
スマートウォッチをみると近所のスーパーの総菜コーナーで割引シールが貼られる時間が過ぎていた。僕は貧困学生なので、その時間を狙っていつもスーパーに寄る。急がないと。一年間お世話になっているそのスーパーは24時間営業で、こんな田舎の大学近くのスーパーだから土地がありあまっているのだろう、だだっぴろい駐車場にはもう数か月前から同じ車が停められている。駐輪場の自転車なんて鍵がサビていたりパンクしていたり、自転車同士が絡み合って放置されているものすらある。
スーパーに着くとこの時間はやっぱりいつもより車が多い。田舎だから車社会だ。僕は元々田舎出身だから知っている、車がない者に人権がないと。僕は家と大学とこのスーパーが全部徒歩10分圏内に存在しているので滅多に自転車にも車にも乗らないけど、それでもどこか行くときは車を運転しなければならない。都会にいった友達が電車が五分刻みとか十分刻みで来ることに驚いていた。都会は電車が渋滞していることはアニメや映画の中での出来事だけなのかと思っていた。
スーパーの総菜コーナーのお弁当はなんとかいくつか残っていた。ラッキー、と思いながら明日の朝の分……ともう一つとる。それから明日持っていくジュースと、酒と、柔軟剤がないんだった、と思い出して柔軟剤コーナーに向かう。お気に入りの匂いなんてないけど、今使っているのは前の彼女が使っていた柔軟剤と同じもの。忘れられないわけじゃないけど、変えられない。
レジを済ませて、店を出る。もうすっかり夕方になってしまって、19時前。桜は先週の雨で散ってしまった。入学式の日にいつも桜がないのはある意味、日本のあるあるなのではないかと感じた。