第1話
きらきらと瞬く星々。今日は満月。そっと空を見上げれば、これっぽっちも欠けていない月が視界に入った。
「聞いていらっしゃるのかしら? リゼット・メル・グランディエ様?」
その声を聞いて、リゼットは自身に詰め寄ってくる一人の令嬢を見つめた。
深紅のドレスを身にまとい、胸元は大きく開いている。大ぶりの宝石があしらわれたアクセサリーを身に着けたその姿は、まさに『貴族令嬢』と言えるだろう。
「……はい」
小さく返事をする。すると、令嬢はリゼットの身体をバルコニーの手すりに押し付けた。
上半身が傾く。このままでは、落ちてしまいそうだ。でも、リゼットには抵抗する勇気などない。
「聞いているのならば、さっさと離縁なさってくださいませ。アーレン様には、私のような華やかな娘が似合いますのよ」
唇を歪めて、令嬢がそんな言葉を口にする。彼女はさる伯爵家の娘であり、高慢ちきでわがままだと有名だ。綺麗な金色の緩く波打つ髪と、ぱっちりとしたエメラルド色の目が特徴的な美少女。名前は、リリアン。
「……黙っていないで、なんとか言ったらどうなの?」
リゼットが身を縮めた所為で、身長差が逆転する。リリアンはリゼットを見下ろし、口元に嘲笑を浮かべた。
……今まで何度も何度も、向けられてきた感情だ。
(どうして、いつもこうなるの……?)
リゼットは大人しい娘だ。だから、こういう風に貴族令嬢と口論になるといつだって負けてしまう。
だから、出来れば口論にならないようにと振る舞っているのだが……。
「本当、アーレン様には不釣り合いだわ!」
リリアンがリゼットを睨みつけて、はっきりとそう言葉を口にした。
彼女の言う「アーレン」とは、リゼットの夫である。約二年前に婚姻し、以来リゼットはアーレンの生家であるグランディエ伯爵家の夫人だ。
グランディエ伯爵家はとても名門家系なので、普通ならばこんな風に侮られることはない。が、リゼットは極端に気が弱いため、強く出られないのだ。
(あぁ、本当に私に伯爵夫人なんて荷が重すぎるの……!)
二年経った今でも、そう思ってしまう。リゼットの生家は子爵家であり、グランディエ伯爵家の足元にも及ばない。その所為だろう。リゼットがアーレンに相応しくないとやっかみを付ける令嬢が後を絶たない。
(それに、私は所詮アーレン様にとってお飾りの妻なの。白い結婚だし、愛されてもいないの……)
ぎゅっと手のひらを握って、リゼットは心の中でそう言葉を発した。
そうだ。結婚して二年。未だに寝室は別だし、会話だって最低限。アーレンは仕事を口実に屋敷に寄りつかず、リゼットのことも基本的に放置している。
恐る恐る、リリアンの顔を見上げる。彼女は、目元を吊り上げていた。
「本当、あんたなんていなくなればいいのに。そうすれば、私が後妻に収まれるのよ」
悪意がたっぷりと込められた言葉だった。……その言葉を聞いて、リゼットは気分が悪くなってしまう。
悪意には慣れている。蔑ろにされるのも慣れている。でも、どうしても――気持ち悪くなってしまう。
自然と手が口元を押さえる。リリアンは、それを見て眉を吊り上げていた。
「あら、泣きたいの? でもごめんなさい。泣きたいのはこっちだわ。……アーレン様が可哀想で、泣いてしまいそう」
『可哀想』
その言葉が、リゼットの頭に引っ掛かった。だけど、引っ掛かりこそすれど、なにに引っ掛かったのかがわからない。
「本当――消えればいいのに」
また、悪意にまみれた言葉を浴びせられた。
自然と、涙がこみあげてくる。どうして、どうして、どうして――。
(私は、結婚する前も結婚してからも、こんな扱いを受けなければならないの――?)
実家での扱いを思い出して、涙がはらりと零れ落ちる。リリアンはそんなリゼットを見て、気分を害したような表情を浮かべた。
「泣いたらなんでも許されると思わないで。……この、尻軽女!」
そう叫んで、リリアンがリゼットの肩を押す。……瞬間、リゼットの身体が傾いた。
「――っ!」
元々、上半身がバルコニーからはみ出していたのだ。その状態で肩を押されれば――どうなるかは、子供でも想像がつく。
(――落ちるっ!)
合わせ、どうやら手すりが老朽化していたらしく。バルコニーの手すりはがたりと崩れ落ちて、リゼットの身体を支えてはくれなかった。
(……いやぁあっ!)
内心で大絶叫をして、リゼットは二階から転落した。リリアンが、にんまりとした笑みを浮かべている。
……もしかしたら、この手すりの老朽化も彼女が企てたことなのかもしれない。
「きゃぁあっ! 大変、リゼット様が、リゼット様がっ……!」
薄れゆく意識の中、二階でリリアンがそう叫んでいるのがわかる。……きっと、彼女はこういうのだろう。
『リゼット・メル・グランディエ様が、気が付いたら転落していらっしゃったの!』
と。
(なんて、バカげているのかしら、ねぇ)
心の中でそう呟いて、リゼットは意識を失った。
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