9 横山早紀
「それにしても七海は周りに全く信用されてないな」
俺が呟くと、佐々木が言う。
「婚約者からもいいように使われていたし、友人と思ってた人から警察にリークされてるし。
でも、婚約者の前で他の男とやり取りしたり、友人の彼氏にちょっかいだすなんて、あり得ないですよ。個人的な意見としては、もう七海がやったとしか思えませんね。
やっぱり別れ話のもつれの殺人…じゃないですかね」
「それでも殺人での立件は難しいだろうな…拓海が自分から蕎麦を口にした可能性もある訳だし。七海の様子はどうなんだ?」
佐々木が渋い顔をし、首を横に振る。
「七海の両親が弁護士を付けて…弁護士と接見した後から七海は黙秘に転じています。殺人ではなく、保護責任者遺棄致死で手を打つつもりだと思われます」
うーん。ま、妥当なところか。
「…早紀のところにも行ってみるか…」
。。。
「すみません、あの、今お茶とか…無いんです…」
俺と佐々木は横山家のリビングに居た。
食材などは鑑識に持って行かれたのと、残っていた物も許可を得てから捨てたそうだ。
旦那と女が使っていたかもしれない物を置いて置きたくない。
その気持ちもよくわかる。
「いえ、お気になさらずに…。こちらこそ突然来てしまってすみません。その…少しは…落ち着きましたか?」
早紀は首を横にふる。
「まだ…お葬式も…出来ていないので。
拓海ってば、そんなに家に帰りたくないのかと…」
拓海の遺体はまだ警察が預かっていた。
もし、新たな事実が出てきた時のために保管してあるのだ。
「いや…すみません、なかなかご遺体をお返しする事が出来ず…」
佐々木が話を変える。
「あの、奥様と拓海さんはどうやって知り合ったんですか?」
早紀は一度俯いて目をぎゅっと瞑り、大きく深呼吸してから、こちらを見て話し出した。
「雨の日に…猫を拾ったんです。あそこにいるのがそうなんですけど…」
リビングにある猫用のクッションでスヤスヤと眠る猫。
「困っていた私に拓海が声を掛けてくれて…
それから一緒に猫の面倒を見て…私が出張の日は拓海が預かってくれて…それで…」
それきり早紀は黙ってしまった。
思い出すのはまだ辛いだろう。
「猫ちゃん、可愛いですね」
「あ…はい、サンゴは…あの子サンゴって言うんですけど、サンゴは私の全てです。
拓海もサンゴをとても可愛がってくれて、安心して預ける事が出来たんです。
それが出来なくなって…拓海がいなくなってしまったので、今までのように出張は出来ません…だから仕事も出張のない部署に移動したんです…
警察は…きっと、私も疑っていますよね。」
佐々木が俺を睨む。
お前は本当にわかりやすいやつだな。
「私は…サンゴと、サンゴをちゃんと世話してくれる拓海がいれば…それで良かったんです…」
。。。
結局、裁判で七海は、殺意はなかったと主張、殺人罪は免れたが、アナフィラキシーの症状で明らかに異常な被害者に対し、自身の保身を優先し救急車を呼ぶなどの救護活動をしなかった保護責任者遺棄致死、被害者宅の証拠隠滅するなどの行為が、計画的で悪質と、1年7ヶ月の実刑判決を受けてこの事件は結審となった。
。。。
判決が出る少し前、少量の検体を残して拓海は家に帰ってきた。
私と拓海の両親のみで、ひっそりと葬式を終えた。
遺骨は拓海の実家のお墓に入ることになり、事情が事情なので、今後私がお墓参りなどに行く事はない。
家のローンは、団信(団体信用生命保険)で全て無くなった。
なかなかおりなかった生命保険も、全てが終わった事で払われたし、七海にも不倫の慰謝料を、拓海が死んだ結果を考慮して多めに請求した。
こちらは七海の両親によって一括で支払われた。
私は、仕事の出張手当てがなくなった分、給料は減ってしまったが、サンゴと私二人が暮らして行くには何の問題もない。
ニャーーン、ニャーーン…
サンゴがおやつをせがむ。
「はいはい、今あげるね」
あの日…
あのビデオに映った拓海は…サンゴよりあの女を優先していた。
この家は、サンゴと私と拓海の家なのに。
あの女の為にサンゴを排除した拓海が許せなかった。
サンゴが…
サンゴだけが私と拓海を繋ぐ糸だったのに。
これから先も拓海は私が出張に行く度に、あの女を招き入れるのだろう…
サンゴを部屋から追い出して。
食器棚の異変に気づいた日の翌日、私は蕎麦粉が入った小瓶を会社から持ち帰り、マヨネーズの容器の口付近だけに少量付けた。
こうしておけば、拓海は残さず食べてしまうだろう。
それと、コーヒーカップにも蕎麦粉を付けておく。
どうせこのカップでコーヒーを飲むのだろうから。
片付けはきちんと二人でしてもらおう。
いつも通りに、元通り、私に気付かれないように丁寧にね。
ニャーーン。
これからはサンゴと二人で生きていく。
私は心の中で拓海に礼を言う。
ありがとう!って。
拙い文章、最後までお読み下さりありがとうございました。