3 気付くまで
拓海と顔を合わせない生活がこんなにも苦痛で、こんなにもありがたいとは思わなかった。
私の気持ちはぐちゃぐちゃのまま。
それでも仕事をしなくてはいけないし、サンゴの世話もきちんとしている。
もともと拓海とは破綻していたのだ。
今までと何も変わらない毎日を過ごしている。
サンゴを守りたい。
仕事もある、サンゴと私が暮らしていけるだけならなんとかなる。
別れたい。
でも、仕事で家を空ける時は…
数日間同じ考えばかり繰り返していた。
それでも答えは出ない。
いや…
もう答えは出ているのかもしれない。
今までと一つも変わらない暮らしを続けているのだから…
また、出張が入っている。
拓海に連絡をしなければ…わかっているのに、なかなかいつも通りに文字が打てなかった。
本当は色々聞きたい。
あの女は誰?
聞いたらこの先は…
でもこのままでいいの?
結局何も聞けず、何も変わらないいつも通りのメッセージを送る。
「2日後に、2泊3日の出張です。サンゴをお願いします」
…既読。
今までと何も変わらないはずなのに、既読の向こうに女が居ると思うと許せないのは何故だろう。
あの日…拓海はサンゴを部屋から追い出してまで…
私はまだ拓海の事が好きだったのかな。
涙が滲む。
様々な取材をしてきて「サレ妻」と言う言葉を知った。
その時は「へぇ〜」くらいの気持ちで聞いていたが、まさか自分がサレ妻になるとは。
すぐに別れられない気持ちも、割り切れない気持ちも痛いほどよくわかる。
「…ご飯にしよう」
食欲はないけれど…
「食べることは生きること」
ずいぶん前、蕎麦の取材で長野に行った時、94歳のお婆さんに言われた言葉が私を支えてくれていた。
拓海は蕎麦アレルギーだから…お婆さんからお土産に渡された蕎麦粉を小分けにして上司にあげたり、服に蕎麦粉がついてないかなど、凄く気をつけていた。
ふふ…懐かしい。
お婆さんは取材の2ヶ月後に亡くなったそうだ。
蕎麦畑もお婆さんの趣味みたいなものだったので、亡くなった後に畑は潰してしまったそう。
会社のデスクには、小さな小さな瓶に入れた思い出の蕎麦粉がとってある。
「さて、何にしようかな…」
冷蔵庫を開けて献立を決める。
私は取材であちこちに行く度に珍しい食材を貰ったり、お土産を買ったりする。
その素材の美味しさを引き立てる、シンプルな料理法が好きだった。
それなのに、どんな物にもマヨネーズをかけてしまう拓海。
せっかくいただいた高級食材にもマヨネーズ。
サラダやコロッケ、炒飯にまでマヨネーズをつける。
取材で知り合った人が送ってくれた松坂牛にまでマヨネーズを……
?
皿を取ろうと食器棚に手を伸ばして…
?
あれ…?
なんだろう…違和感がある…
…?
しばらく食器棚を眺めて気付く。
普段使っていない、奥の方に仕舞ってあった食器に使った形跡がある。
結婚祝で貰った高級食器のコーヒーカップのセット。
拓海はカップなんて気にしないから、きっとあの女が出したのだろう。
ほんのちょっとの事だけれど、こういう違和感は案外気づきやすいのだ。
拓海は何度この家に女を迎えたのだろう。
わざわざ他人の家の使ってない食器を見つけて引っ張り出すなんて…
信じられない。
なんてデリカシーの無い女だ。
ふうん…
こういうのが好きなんだ。
いい事思いついちゃった。