終わりの始まり
新郎「拓海」新婦「早紀」
健やかなる時も 病める時も
喜びの時も 悲しみの時も
富める時も 貧しい時も
これを愛し 敬い 慰め合い 共に助け合い
その命ある限り真心を尽くすことを…
誓いますか?
…
いいえ。
永遠の愛なんて、猫の糞より価値がない。
ミャオ!
「偉いねぇサンゴ、うんち出た?…よしよし健康的。お利口さんだねぇ」
そう言いながら私はうんちを片付ける。
会社の帰り、大雨が降る中ずぶ濡れのサンゴを見つけたあの日から、私はサンゴ中心に動いている。
話す事ができないサンゴの毎日の健康は、食欲や排便、排尿から読み取る事ができる。
ね?
永遠の愛より猫の糞のほうが価値あると思わない?
神さまなんて糞喰らえ。
。。。。。
思っていたよりも仕事が早く終わった。
傘をさしていても肩や背中が濡れるような雨の中、撮り溜まった録画番組を消化しようと家路を急ぐ。
「…ミィ…ミィー…」
雨の音に混じって微かに聞こえた猫の声。
キョロキョロと声の主を探す。
「…ミィ…」
捨てられた段ボールの隙間に、雨を避けるように小さくなっていた茶トラの子猫を見つけた。
私は傘を背にしゃがみ込み、かばんの中からハンカチを出して子猫を抱き上げ拭いてやる。
こんなにびしょ濡れになって…このままでは死んでしまうだろう。
実家で長く猫を飼っていた私はこの子猫を見捨てる事が出来なかった。
「どうしよう…」
飼うのか飼わないのか、責任が生まれてしまった。
ライターという仕事柄、少しの間なら調整が出来るだろう。ただし、取材などで家を空ける事が多いので飼うとなると話しは別だ。
子猫を手の中で暖めながら考え込んだ。
「大丈夫ですか?具合でも悪いのですか?」
声を掛けられ我にかえる。
差し出された傘の中、心配そうにこちらを伺う人がいた。
「あ、いえ、子猫が…」
私は立ち上がり子猫を見せ説明する。
「とりあえず動物病院へ連れて行きましょう」
男性がスマホで近くの動物病院を探してくれた。
両手で子猫を抱く私に傘をさしてくれる。
傘は私を覆い、代わりに男性の肩が濡れはじめていた。
動物病院に到着し、そのまま二人で子猫の診察を待つ。
「衰弱しているが食事をすればまた元気になるだろう」との事だった。
会計を済ませて私は男性に御礼を言う。
「猫ちゃん、何でもなくて良かったですね」
「ハイ…」
「…飼われるんですか?」
「…どうしようかと困っています。本当は飼ってあげたいのですが、普段の仕事はどうにかなるとしても、出張で2、3日家を空ける事が多くて…」
「そうですか…僕も飼ってあげれたら良いのですが…やはり仕事が…」
「この数日なら家に置いて置けるのですが、5日後は出張があるので、もうすでにどうしようかと…」
「…じゃあ、その日は僕が預かりましょうか?」
「えっ?でも…」
「2、3日ですよね?」
「はい、二泊三日の取材なので…」
「じゃあ僕が預かりますよ、その間にお互い誰か飼える人がいないか探してみましょう」
そうしてお互い連絡を取り合い、時間をやりくりしながら今週はどちらが猫を預かるか、今後猫を引き取るか、誰か別の飼い主を探すか話し合ったりしながら、猫の様子をあれこれ話したり、お互いの家に行き来した。
桃色珊瑚のようなピンクの鼻だから「サンゴ」
拓海と二人で考えた名前だった。
結局他に飼い主を見つける事なく…月日を重ねて…
「二人で一緒にサンゴと暮らそう」
拓海からのプロポーズ。
サンゴもいるし、お互いが働けるうちにと話し合って小さい家を買った。
サンゴと、拓海と…ずっと一緒に居られる。
同じ家に帰れる。
なんて幸せだろうとしみじみ思った。
そうして始まった結婚生活。
一緒の時間はなかなか作れず、気持ちがすれ違うまであっという間だった。
もともとお互いの生活の時間が合わないから、サンゴの世話がこなせたのだ。
そんな事もわからないほど恋は盲目だった。
拓海とは寝室も別。
たまに顔を合わせても話すことなどないし、拓海はほんの数分で自分の部屋へ戻って行く。
何とか改善しようと思い話し掛けた事もあったが、携帯から目を逸らさず「…うん、そうだね」としか返ってこない事に疲れて話し掛けるのも諦めた。
「さて。ごめんねサンゴ。3日後にまた2泊の出張なんだ。いい子にお留守番しててね」
拓海にも出張の予定のメッセージを送る。
「3日後の12日〜14日まで2泊3日の出張です。サンゴをお願いします」
お互いの連絡に返信はない。
「既読」がついたら了承の意味だ。
調整が必要な時だけやり取りがある。
会話的なものはなく、サンゴについての業務連絡的なメッセージを送るだけ。
前はよくお留守番中のサンゴの写真を送ってくれたのに、今はそれもない。
拓海はサンゴの事をとても可愛がってくれている。
サンゴもよく懐いているので、私は安心して仕事が出来る。
それだけでもありがたいと思おう。
「あ、そういえば…」
サンゴを拾ってすぐの時、出張中にサンゴがどう過ごしているか見ようと思って買ったペットカメラがあったはず。
結局、私が居ない時は拓海が預かってくれたし、写真や動画を送ってくれたから存在をすっかり忘れていた。
出張先の家電量販店でワゴンセールになっていたのを見つけて買ったやつ。
引っ越しの時…確か…ここに仕舞った…
「あった」
買ってから一度も箱から出さないでいた事に少し笑った。
普段サンゴはリビングで過ごしている事が多い。夜はどちらかの寝室へやってきてそこで寝ている。
見慣れない物があると警戒してしまうサンゴに気づかれないよう、リビングのソファーの裏、カーテンの隙間に設置する。
カメラについている液晶にて映りを確認すると、死角はあるものの、ほぼリビング全体と奥のキッチンまでが映し出された。
「これ凄い!サンゴの様子がよく見える。これなら出張先でも癒されそう!」
結婚前に買った物だから型は古いけれど充分だ。
いつもよりウキウキと出張の準備を進める事が出来た。
「行ってきます。サンゴをお願いします」
出張の日の朝、飛行機に乗る前に拓海にメッセージを送った。
。。。。
「ピコン」
通勤中の電車の中でメッセージの通知音が鳴った。
「さっきまで一緒だったのに、もう会いたい❤︎大好き」
5分前の乗り換えで別れたばかりの七海からのメッセージ。
「俺も七海の事が大好き。早く会いたいよ」
すぐに返事を送る。
「ピコン」
「行ってきます。サンゴをお願いします」
入れ替わりに届いた早紀からの業務連絡。
既読したので了承。
「…頼まれなくてもみてるっつーの」
サンゴは可愛い。
俺が帰れば、急いで玄関まで来て足にまとわりつく。
しばらく撫でてやるとオヤツをせがむ。
寝る時は俺の足元で丸くなって寝る。
可愛いサンゴの世話は苦ではない。
俺は七海にメッセージを送る。
「昨日は七海の部屋だったけど、今日は俺の部屋で過ごそう」
「嬉しい!サンゴちゃん可愛い。またご飯作るね!」
あー…早紀いなくならないかなぁ…
家のローンを考えると離婚も出来ない。
アイツが死んだら保険金でなんとかなるのに。
七海とサンゴと一緒に暮らせる。
早紀がいなくなるのが一番丸く収まるんだけどな…
そんな事を考えながら改札を抜けた。
。。。。
出張から帰るとまずサンゴ。
何よりサンゴに会いたい。
「ただいま〜サンゴ〜」
ニャーーン
「ただいま。いい子にしてた?サンゴちゃんは今日も可愛いねぇ」
ニャーーン
せっかくカメラを設置して行ったのに、カメラとリンクするアプリを携帯に入れ忘れていた。そのせいで観る事が出来ずに終わった。
まあ忙しくて観る時間もなかったが。
「さてさて。サンゴはどう過ごしていたのかな〜?」
カメラについている液晶で確認する。
ふふふ、寝てる寝てる。…お?走って行った。拓海が帰ってきたのかな?
えっ
誰?
拓海の後ろから見た事ない女性が入ってきた。
拓海がサンゴを抱き上げて廊下に出して扉を閉めた。
すりガラス戸の向こう、サンゴが扉をカリカリしているのが見える。
拓海が私に見せない様な笑顔で女性を抱きしめて…
キスをした…
何度も何度も…
二人の服が乱れだす…
そのうち傾れ込むようにソファーに座り…
二人はカメラの死角に消えた。
頭が真っ白になって行く…
拓海が…
嘘…
怒り…悲しみ…様々な感情が溢れて上手く呼吸が出来ない。
手が震えカメラを落としてしまった。
涙が勝手に出てくる。
はぁっ… はぁっ……
誰か…
助けて…
息が止まりそう…
返事の来ないやり取りも、一人の食事も、本当は凄く辛い。
二人でいるのに、独りの時より孤独を強く感じる。
別れたい…
もう、拓海の顔を見たくない…ここを出て行こう。
自分が惨め過ぎる…何もかも…
すぐに荷物を纏めようと立ち上がる。
ニャーーン
サンゴがゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄って来た。
ハッとする。
サンゴは?サンゴはどうするの!?
サンゴはこの家を気に入っている。のひのびこの家で暮らしている。
置いて出て行くの?
拓海とサンゴとあの女がここで幸せに?
私は?
サンゴとも拓海とも家とも別れる私はどうなるの?
サンゴと別れるの?
どうして?
私は何も悪いことなんてしていないのに……