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第七話 家紋持ち



 ふと目を覚ますと、視界は一面、灰色の天井だった。


「ううん」と言って、ベロニカは大きく伸びをした。


 しまった。どうやら寝てしまっていたらしい。

 急いで、飛び起きる。


 しかし、状況は全く変わっていなかった。ニコロは依然として、だらしなく床の上に横になっているし、自分は以前と同じく変な部屋のまま。


 頭が、ぼうっとする。よく寝た後特有の脱力感が、ベロニカを襲った。


 それにしても、寝過ぎてしまった。恥ずかしい。こんな危機的状況で寝るなんて、まるでニコロみたいじゃないか。

 貸してもらった服を纏うのが、思いの外心地よく、すっかり寝入ってしまった。

 

 これも、ニコロの優しさなのだろうか。


 本当に判断に困る。

 嫌えばいいのか、どうなのか。相手の思惑が、全く見えない。普通に考えたら感謝すべきなのだろうが、これまでのニコロの行いのせいで、どうも信じられなかった。

 




 ベロニカはランタンの中で、ちらちらと踊る炎を見つめた。

 灯りに照らされて、コートの模様がよく見える。胸の辺りには、緻密な裁縫で縫い付けられた紋章が浮かんでいた。


 これを見る度につくづく思う。金がかかってそうだな、と。


 上位の貴族の見分け方は、すぐにわかる。偉そうだとか、態度が大きいとか、そういう主観的な問題ではなく、もっと見分けやすい方法があるのだ。


 位が高い家系の生徒は、自身が持っている服に家紋をつける。家に家紋なんかがあったかどうかも定かではないベロニカとは、根本的に考え方が違う。


 位が上であればあるほど、貴族というのは、自身の出自に絶対の自信をもつ。


 それにしても、こんなに近くで見るのは珍しいな、とベロニカは感じた。ベロニカの交友関係は狭いし、周りもほとんどベロニカと同じような身分だ。

 だから、家紋持ちのコートを近くで見る機会なんてそうそうないのだが、今日は珍しく、()()()()()()()()()()()


 もしかしたら、今日はラッキーな日だったのかもしれない。まあ、地下室に閉じ込められている時点で、それ以上に不幸なのは確定しているが。





 だが、単純に綺麗だな、とも思う。


 服に縫い付けてある紋章は、かなり近くで、よく見ないと見えない。遠くから見たら、ごちゃごちゃしているなあ、くらいの感想しか持たないだろう。ベロニカだって、ニコロの服をわざわざ明かりの近くで見なければ、わからない程度の飾りである。


 それでも、近くで見るとその緻密さ、精巧さに圧倒される。名門の貴族は、これを作るためだけに、専門の職人を雇っているのだという噂も聞いたことがある。あながち、間違いでもないのかもしれない。


 ベロニカ自身は、あまりこういうものに憧れる人間ではないが、家紋を見て、周りの女子が綺麗だ、と騒ぐ気持ちも、少しはわかるような気がした。





――ん? 


 その時、ベロニカの脳内に、閃光が走った。


 何かが、引っ掛かる。

 とても重要な何かが、抜けない刺のように、いつまでも刺さっている感覚。


 知らず知らずのうちに、ベロニカはソファの上で、姿勢を正していた。


 心地よい眠気はもうとっくに、どこかへ吹っ飛んでいた。


 今、自分は何か重要なことを見落としている、とベロニカは感じていた。


 ランタンの中で、炎が揺れる。


 自分の中の違和感を探るように、少しずつ思考の海に沈んでいく。

 蝋が溶けていく様子を、ベロニカはじっと見つめていた。





「あれ?」


 ようやく、ベロニカは自分の中にあった違和感の正体に感づいた。


 なんで、自分は紋章を見て、「二度も見ることができた」だなんて、感想を持ったんだろう。


 そう。考えれば、おかしい話だ。

 自分の交友関係に紋章をもつほど、位の高い家系の子はいないし、至近距離でちゃんと見たことだって、ほとんどない。

 それほど、至近距離で他人の服をじっくり見る機会など、滅多にないはずなのだ。


 ベロニカは、無意識のうちにコートを握りしめていた。


――違和感が大きくなる。


 ちょっと待てよ。じゃあ、自分はどこで、紋章を見たんだ?

 今ここで、ニコロの服を見た以外、いつ、どこで?


 たしかに今日、自分はどこかで見たような気がする。だが、それが思い付かない。


 心臓が早鐘を打つ。口が、乾いた。

 重要な場面だ。思い出せ思い出せ、とベロニカはひたすら炎に念じた。

 

 どこだ? 

 学院を駆けずり回っているときに、偶然見かけたのか? 

 それにしたって、そんな近くで見れるような場面はあったか?

 自分はそんな位が上の人間と話すような機会があったのか?





――すみません。ローヴァインさんで、いらっしゃいますよね。


 不意に、ベロニカの脳裏に、声が蘇った。


――あの、先生がお呼びしていたので、お声掛けをさせて頂きました。

 

 そうだ、そうだ。

 今日、話しかけてきた彼女は、そんな感じだった。少なくとも、ベロニカが見たことのない顔で、用事があると、彼女は言っていた。


 少しずつ、少しずつ、細部を思い出していく。

 自分はあのとき、廊下で呼び止められて……。

 あのとき、自分は何て思った? 


 空白が、埋まっていく。

 欠けた記憶が、埋まったような気がした。


「あっ」


 思わず、声を出したベロニカは、ニコロが寝ているのを思いだして、反射的に口を抑えた。


 なんで、忘れてたんだろう。


 女子生徒は、なぜかひそひそ声で話しかけてきた。だからベロニカは、彼女の声を聞くために近付くことになった。ついつい、彼女の服を至近距離から見ることになったのだ。

 

 その時、たしか、自分は思ったはずだ。


 彼女が着ているものを見て。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 


 綺麗だな、と。

 純粋に、そう思ったのだ。





「ああ、もう!」


 ベロニカは、盛大に頭を振った。

 せっかく式のために手入れしたはずの髪がくしゃくしゃになるが、そんなことは既にベロニカの頭にはなかった。


 迂闊だった。

 なんで、こんな簡単なことを忘れてたんだろう。


 自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。

 今までずっと、外に出ることだけに意識がいっていて、そもそも、なんでここに閉じ込められることになったのか、という部分をすっかり忘れていた。


 冷静に考えれば、わかるはずだ。


 どう考えても、話しかけてきた相手が怪しいに決まっている。

 誘い込まれてたんだ。


 ソファの上で暫く、じたばたともがく。


 ダメだ。完全に、ニコロと一緒にいるせいで、調子が狂ってる。あの男の馬鹿馬鹿しい発言のせいで、自分は全くもって集中できていない。


 深呼吸をする。

 今一度、ベロニカはソファに深く身体を預けた。

 息を吸い、息を吐く。それを何回か繰り返すと、次第に自分への怒りも収まってきた。

 

 とりあえず、ベロニカは集中するために、ニコロを視界から外すことにした。

 ベロニカの座るソファから見て、ニコロは反対側の方に、だらしなく寝転がっている。


 わざと姿勢を変え、壁の方をにらむ。

 つまらない光景だけど、仕方ない。セクハラ男よりはまだマシだ。壁はベロニカの足が綺麗だとかいう感想を言わないのだから。





 壁を見ながら、思考を戻す。


 そうだ。確かに、彼女は自体は見たことがなかったけど、あの印は間違いない。間違いなく、上位の貴族だ。


 今になってみれば、おかしい点はいくらでもあった。

 たとえば、ベロニカを呼んでいるとかいう先生の場所。


 彼女に言われた場所を聞いて、ベロニカは首を捻ったのを覚えている。

 簡単に言えば、遠いのだ。指定された場所は、学院でも奥まっていて、ほとんどの人が行かないような場所である。学院の中央から、指定された場所へはかなりの距離があった。

 

 そんな人が来ないところに、なぜわざわざ呼び出すのか。

 

 普通だったら、多少は疑っただろう。


 しかし、ベロニカは今日一日、大忙しだった。

卒業式のためにやることはいくらでもある。卒業式が行われる予定の大講堂で、自分の歩き方を確認したり、当日の準備を手伝ったり。細かいリハーサルのチェックや、挨拶など。


 今日は、それらで日が暮れそうになるまで、学院内を駆け回っていた。


 だから、ベロニカとしても、「卒業式前だから、なにか用事があるんだろう」と勝手に納得してしまっていたのだ。


 ベロニカは唸った。

 こんな簡単なことに気がつかなかったなんて。自分が恥ずかしい。これじゃ、誘い込まれたのが明白じゃないか。


 それでもまだ、わからないこともあった。

 なんで、面識もない彼女が、自分に話しかけてきたのか、という点である。


 顔も見たことのない女子に閉じ込められるほど、悪いことをしたような覚えはない。


 学年が同じだったら、成績のことでちくりと言われる可能性もあったが、そもそも、ベロニカに面識がないことからすると、彼女は後輩だろう。

 別にベロニカがどんな成績を取ろうとも、彼女には関係ないじゃないか。


 動機が、見えない。

 

「誰かに指示されているっていう可能性も、ありか」とつぶやいてみる。


 充分にあり得る話だ。

 ただ、そうなると話は余計ややこしくなる。


 ベロニカに話しかけてきた女子は、家紋を持っていた。つまり、それ相応に位が高い貴族である。そんな令嬢を使って、ベロニカに話しかけさせた存在がいる。

 家紋持ちの貴族を動かせるほどの権力をもつ存在が、いる。


 想像以上に、面倒臭いことに巻き込まれている予感がした。


 確かに、自分は位が上の女子に、何となく嫌われている自覚はあった。

 でも、だからといって、こんな部屋に閉じ込めるほど、直接的な手段に訴える人間がいるのか……?

 

 明らかに、悪戯のレベルを越えている。単なるちょっかいなどではすまない。現に、ニコロも巻き込まれている。ボレル家だって大貴族だ。

 これを実行できる人物……。


 



――沈黙。


 いた。


 たった一人だけ、それを平気な顔で、実行できそうな人物がいた。

 たった一人だけ、他人を歯牙にもかけない人間がいた。


 なんで、ここまで思い浮かばなかったんだろう、と自分を呪いたくなるほどの大穴。


 ベロニカは、天井に向かって思い当たる名前を口に出した。


「サブリーナ・ブラウナー……」


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