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最終話 返事は



 後に、一部始終を目撃していたピーアはこう語る。


「そりゃもちろん、凄かったよ。


 ニコロ君は、学院でも人気の男子だったし。それにベロニカは知らなかったと思うけど、ベロニカも結構人気があったんだよ。ツンとしてるから、近寄りがたいけど、勉強できる高嶺の花って感じでさ。後輩の女子や男子に紹介してくれないか、って何度も言われたもん。まあ、ベロニカが嫌がるって思ったから、断ってたけど。


 そしたら、あのニコロ君が膝まずいて告白だもんねえ。周りは凄かったよ。ニコロ君のファンは泣き出すし、ベロニカのこと気になっていた人たちも発狂してたし。


 しかも、それにつられて、最後の機会だからって、好きな人に告白する人が続出してさ。元々、卒業式にカップルができやすいってのは聞いたことあったんだけど、あの年の卒業式だけは、特別だったんじゃないかな。何組もカップルが生まれたんじゃない? 大混乱って感じだったね。


 いや、ほんといい卒業式だったよ。私? 私も告白されたかって? ああ、一緒にベロニカを探した男子のグループの一人に告白されたよ。うんだから、本当にベロニカのおかげでいい卒業式になったよ。まあ、私は元々お似合いの二人だと睨んでたけどね」





「いや、何それ?」


 我に返ったベロニカは、思い付くままに問題点を指摘した。 


「無理に決まってるって! どうすんの? ニコロは婚約だってしてるし、実家だって許さないでしょ!」


 興奮のあまり、ベロニカは自分から約束を破ってしまった。衆人の前で、ニコロの名前を口走ってしまった。


 しかし、そんな些細なことは、もうどうでもよかった。


「言ったろ。俺は後悔してるって」


 手を優しく握りながら、ニコロが立ち上がる。


「問題ない。今朝、実家とあっちの家に手紙を出してきたよ。婚約は破棄だ」

「いや、そんなの、どうやって……」

「後は任せろって言ったろ? 一応、サブリーナの悪事は抑えてある」


 ベロニカの頭に浮かんだのは、扉を閉めたという二人の生徒のことだった。


「あの二人……」

「そう。証言は取り付けたし、手紙も、今日中には到着するだろ」


 呆れた。返す言葉もない。


「そんなの、許されるはずが……」


 許されるはずがない、とベロニカは言おうとした。


 貴族社会は、それほど甘いものではない。


 契約は、何よりも尊重される。しかも、今回は名門の家同士の婚約だ。手紙の一通で、終わらせられるようなものではない。


 他に好きな人ができたからじゃあ婚約をやめます、と言えるのは、物語の中だけだ。

 現実は、厳しい。


 ニコロだって、わかっているはずだった。一番、貴族の面倒さ、大変さを知っているのは、ニコロだろう。


 あれだけ、ニコロだって、振り回されたじゃないか。


「ああ。たぶん、みんな怒ってるだろうな」


 ニコロは、あっさり認めた。


「怒ってるどころじゃ……」と言いかけたベロニカを、ニコロが遮る。


「でも、いい。いいんだ」


 ニコロが屈託のない表情で笑った。憑き物が落ちたような晴れやかな表情。


 これでいい、と心の底から思っているような表情だった。


「貴族の称号も興味ないし、実家も関係ない。サブリーナも」


 だろ、とニコロが言った。


「俺は、ベロニカと一緒にいれれば、それで満足なんだ」

「そんな無茶苦茶な……」


 頭が混乱して、追い付かない。





「ふざけんな、このメス猫!」


 遠くの方で、どぎついドレスが揺れる。

 口汚く罵りながら、サブリーナが人混みをかき分けていた。


「ぶっ殺してやる! お前みたいな身分の女が、しゃしゃり出ていい問題じゃねえんだよ! 下等な土着の娘が、貴族ぶりやがって!」


 周りの取り巻きたちが必死にサブリーナを押し止める。


 広場の盛り上がりを耳にして、ちらほら教師も集まり始めた。この場所では、取り巻きだって騒ぎを起こしたくないのだろう。


 だが、怒り狂ったサブリーナは止まらない。諌める令嬢たちを吹っ飛ばして、真っ赤な顔が、ずんずんこちらに向かってくる。

 

「どうなんだ」


 周りの状況なんか一切気にせず、ニコロが言った。真っ直ぐにこちらを見つめる。 


 ベロニカも、周りの声なんて一切聞こえていなかった。


 そんな音が気にならないくらい、自分の心臓がうるさくて。


 そしてなぜか、その瞳の奥に、小さい頃のニコロの姿を見たような気がした。


「俺は、お前のことを愛している」


 ああ、もう。これだから。


 ベロニカはてっきり忘れていた。


 そもそも、昔からニコロにはこういうところがあった。


 あの廊下で会ったときも、初対面だからと言っておどおど遠慮する自分を無視して、急に握手を求めてきたり、せっかくなんだから一緒に座ろう、と急に真横に座ってきたり。


 案外、この男は押しが強いのだ。

 六年も経って、そういうところが治っているな、と思ったら、これである。


 恥ずかしい。


 顔は、真っ赤だった。冬だから、快晴といっても外の風は中々に冷たい。しかし、それを感じないくらいベロニカは、顔に熱を感じていた。


 本当に恥ずかしい。


 一体、何回この男はベロニカに恥をかかせれば済むのか。


 返事は、火を見るより明らかだった。手を振り払おうとすれば、いつでもそれができたのに、ベロニカ何も言わず、ニコロにされるがままになっていた。


 答えはもう、とっくに出ていた。


 サブリーナが怒り狂っているが、うまく進めていないようだった。

 抱き合っているカップルや、別れを惜しむ人たちが中々離れないらしい。


「ふざけるな! 私を誰だと思って! この私に、逆らう気なの!」


 口角に泡を飛ばして怒鳴るが、周りは聞き入れようともしていなかった。最早、劣勢を悟ったのか、取り巻きすらも白けた顔をして遠巻きにしている。





「ほらよ」


 手が差し出される。


 大きい手。


 思えば、ここまでかかった。

 六年前もそうだった。同じように差し出された手を握り返した時から、ベロニカとニコロの交流は始まった。


 ニコロは自分に勇気がない、と言っていた。自分に勇気がなくて、ずっと後悔していた、と。


 でもそれは、ニコロだけの問題じゃない。


 自分だって同じだ。ベロニカに勇気がなかったから、自分の気持ちに正直になれなかったら、ずっと辛い思いを隠していた。

 そのままずっと、自分に嘘をつきながら生きていくのだと、諦めていた。


 次は自分の番だった。


 よく見ると、ニコロの手がかすかに震えている。


 自分だけじゃない。 

 ニコロだって、勇気を振り絞っているんだ。


「返事なんて……」


 言う言葉は、とっくに決まっていた。

 ニコロに負けじと、ベロニカは声を振り絞った。


「好きに決まってるでしょ!」


 自分に言い聞かせるように、ベロニカは精一杯大声で答えた。


「私だって!」





 ざわめきが、どよめきに変わる。


 やがて辺りは、割れんばかりの歓声に包まれた。拍手に、手拍子、冷やかしの声。


 ベロニカは、呆れていた。

 無茶苦茶だった。せっかく卒業式が終わって、しんみりした雰囲気になっていたのに、これじゃ、まるでどこぞのパーティーみたいじゃないか。伝統ある、立派な卒業式なのに。

 

 ニコロの手が、ベロニカの手を強く握り締める。

 夢中でベロニカも、手を握り返した。


「さっさと逃げるぞ」

 

 ニコロが笑い、そのまま走り出す。遅れないように、とベロニカも足を動かした。


 目の前でごった返していた人混みが、嘘のように割れていく。


 おめでとう、おめでとう、という声。男子に女子に、教師まで。


 馬鹿じゃないのか、と周りに文句を言いたくなる。 

 なんなんだろう、これは。


 まるで、もう結婚したみたいじゃないか。まだ、付き合うかどうかも、決まっていないというのに。


 でも、おめでとう、と言ってもらえるのは、意外と悪くない気分だった。


 せめて一言、文句を言ってやろうと一歩先をいくニコロを見たが、幸せそうな顔に毒気を抜かれた。


「あのね、このあとの予定決まってるの? 私、実家に帰るんだけど」

「俺も行くよ」

「はあ?」

「だから、俺もベロニカの実家に行く」


 息が途切れ、胸が痛む。久しぶりに走ったからか、頭がチカチカする。

 けど、辛くはなかった。むしろ、痛みが心地良い。


「ご両親に挨拶しないとな」と嬉しそうにはしゃぐニコロに、ベロニカは全力で叫んだ。


「馬っ鹿じゃないの!」

 




 しばらく走ると、広場からは、だいぶ遠ざかっていた。

 もう、サブリーナの姿も、生徒の姿も見えない。だから、手を繋いでいる必要はなかった。

 

 だが、ベロニカもニコロも手を離そうとはしなかった。


「ひとつだけ言っておきたいことがある」


 速度を落とすと、ベロニカはニコロに向かい合った。


 女子寮の近くには、誰もいなかった。在校生もこんな日は、寮を抜け出しているのだろう。

 辺りは静かで、人も来そうにはなかった。


「今度から、ちゃんと事前に相談して。あんた、大変なことになるかもしれない」

「あんたじゃないだろ、ニコロ」


 にやにや笑うニコロを制する。


「ああもう、そうじゃなくて。言ってる意味わかるでしょ?」


 やるべきことはたくさんあった。ニコロの言う通りなら、実家に帰るのに、ニコロを連れて帰らないといけない。

 今まで、何の浮いた話も無かった一人娘が、急に男を伴って帰ってきたら、流石に鈍感なベロニカの両親だって、驚くはずだった。


 それだけじゃない。ニコロの婚約は、どうなるのか。もし、解消できたとして、本当にベロニカと一生を共にする覚悟があるのか。


「その心配も、わかるけどさ」


 でも、とニコロが続けた。


「キスして、良かっただろ?」


 嬉しそうに、ニコロが訊いてくる。





 無言が、辺りを包む。


 そもそも、思い返せば、昨晩からずっとベロニカは、ニコロにやられっぱなしだった。


 ベロニカを心配して、勝手に地下室に入ってきたこともそうだったし、地下室では無理矢理キスを迫り、卒業式にも無断欠席し、最後の最後には、あんな公共の場で、午前中から、手の甲にキスをされた。


 あんなに大勢の人に見られてたんじゃ、絶対誰も忘れてくれないよな、と我ながら憂鬱な気分になる。

 優秀な卒業生として名を残す計画だったのに。大誤算だ。


 穴があったら、入りたい。


 このまま、自分とニコロの名前は、総代のくせに卒業式が終わり次第いちゃつき始めたカップルとして、学院の歴史に名を刻んでしまうんだ……。


 そう思うと、ほとほと泣けてくる。

 もっと立派な総代として、名を残したかった。


 大体キスというのは、神聖な行いだ。お互いを愛する男女が行うもので、その場の勢いとかノリでするようなもんじゃないのである。

 そんな神聖なキスを何回も求めてくるなんて、絶対におかしい。


 しかも、さっきのように手の甲だったら、まだ許せるが、昨夜は酷かった。

 お陰で、今朝は、正装に着替える際、変な跡が付いてないか、一人で鏡を使って、全身を何回も確認するはめになってしまった。


 やはり、すべての元凶はこの男だ、とベロニカは思った。


 こうなったらやり返してやる。やられっぱなしは、性に合わない。自分だって、やるときはやるのである。


「返事はどうなんだよ」


 ニコロが笑いをこらえきれないといった様子で言う。


 返事をする代わりに、精一杯、背伸びをした。


 ニコロの首に手をかけ、引き寄せる。予想もしていなかったのだろう。抵抗もせず、ニコロはされるがままになっていた。


 ニコロの目が、驚きで丸くなった。


 

――二人の顔が、接近する。





 その結果、どうなったかまでは、言う必要もないだろう。


 まあ、ただひとつ言えるのは、別に私はキスが嫌いな訳ではないってことだ。


 こっちからすることだって、ある。

 必要に応じて、だけど。


初投稿で色々と至らない部分もありましたが、ここまで付き合って頂きありがとうございました!

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