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第二十二話 運命



 講堂を出て少し歩くと、広場についた。


「でも、残念だったね」

「何が?」


 こちらを慮るようなピーアの発言に疑問を抱きながら、ベロニカは聞き返した。


「その……ほら、ニコロ君さ。いなかったじゃん」

「ああ」


 予想してなかった質問に、一瞬驚いた。


「でも、大丈夫だよ。私、ああいう適当な人、好きじゃないしさ」


「う~ん。そうかなあ」


 不思議そうにピーアが唸った。


「たしかに、ニコロ君っていつもベロニカのこと馬鹿にしているみたいだけどさ。よくよく見ると、ベロニカのことずっと眼で追ってるんだよね」


 だから、とピーアが微笑む。


「もしかしたら二人はくっつくんじゃないかって、ずっと思っていた」

「ああ、そうね……」


 ベロニカは内心、舌を巻いていた。なんでこう、この子はよくわからないところで鋭いんだろうか。

 笑って、誤魔化した。


 未練を振り払う。

 もう、自分には関係のないことだ。





 辺りを見回す。真っ白な広場には、数々の学生がいた。卒業生はもちろん、在校生もみなが別れを惜しんで、泣いたり、笑ったりしている。


 そこに、ニコロの姿はなかった。


 それもそうか。卒業式でも見かけなかったのは、何か理由があるのかもしれない。もしくは、面倒くさくなったか。


 ベロニカはくすりと笑った。それはそれで、ニコロらしい。


 でも、本音を言えば、最後くらい一目だけ、好きな相手を見ておきたかった。





「じゃあね、ベロニカ。私、他にも呼ばれてるから!」


 ピーアが駆け出していった。


 彼女は顔が広い。きっと、あちこちのグループと思い出話をするのだろう。


 辺りには、他にも目立つ集団がいた。


 取り巻きを従えて、ふんぞり返っているのは、サブリーナだった。


 身体のラインを見せつけるような、ド派手な赤いドレス。

 卒業式には、学院の正装で出席する人間が大多数なのだが、こんな機会にも自分を見せつけようと、自前のドレスを用意する自信は流石だな、ベロニカは思った。

 

 顔を見られないように、さっと顔をそらす。


 ベロニカが総代として出ているのを見て、サブリーナはさぞかし怒っているのだろう。心なしか、周りの取り巻きの女子たちも、機嫌を伺うように無理して誉めているようにも見えた。


 ふと、疑問に思った。


 ニコロが卒業式に参加しなかった理由をサブリーナは知っているのだろうか。なにも知らされてなかったら大変だろうな、とベロニカはしみじみ思った。





 さて、これから、何をしようか。

 一人で広場の片隅に立ちながら、ぼんやりと考える。


 とりあえずは、実家に帰って両親の仕事を手伝うのだろう。ほどほどに、手伝える自信はあった。


 それで、その後は?

 何をするのか、全く決まっていない。


「恋人かあ」


 小さく呟いてみた。

 実感は、わかなかった。


 昨日の一件で、何をすればいいか、よくわからなくなってしまった。一応、それなりの将来の考えはあったはずなのに、どうやら昨日のキスで吹っ飛んでしまったらしい。


 いや、わかっている。


 自分は、ニコロのことが気になっているのだ。でも、今さらそんなことを言うなんて、浅ましい。


 ニコロには、ニコロの人生がある。ボレル家は名門だし、婚約しているサブリーナの実家は金持ちだ。ニコロはニコロで、これから幸せな人生が待っているのだろう。


 もう、会うことはないが、良い思い出だった。


 おそらく、たまたまだ、とベロニカは思った。


 一瞬、ベロニカとニコロは、ほんの一瞬だけ、交わる運命にあった。あの廊下で、偶然出会うことができた。


 でも、それは続かなかった。そう考えると、気持ちが楽だった。


 最後に一瞬だけ、昔の二人に戻れた。昔のように笑い合うことができた。


 それで、充分じゃないか。





 いつまでも、ひとりぼっちじゃ恥ずかしいと、ベロニカが一足先に帰ろうとした瞬間、爆発するような黄色い声が広場に響き渡った。


 黄色い声と共に、拍手が鳴る。


 眼鏡をあげ、遠くの方に目を凝らした。


 スタイルのいい男性がにこやかに挨拶しながら、広場を横切る。 


 ああ、ニコロだ。

 黒い正装に身を包んだニコロは普段のおちゃらけた感じが弱まって、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


 真っ青な空に、真っ白な広場。そして、笑顔で微笑むイケメン。


 何となく、ニコロはリラックスしているようにベロニカには見えた。


 最後に見れて本当によかった。ベロニカは、心底安堵した。これで、心置きなく卒業することができる。


 自分の心の憂いが、溶けていく。


 きっと、ニコロは色々な人とは話す用事があるはずだ。自分以外の誰かと。





 ところが、ベロニカの予想に反して、矯声がどんどん近づいてくる。

 婚約者のサブリーナでもなく、仲のいい男子のグループでもなく、ただただ突っ立っているベロニカの方に、ニコロが真っ直ぐした足取りで近づいてきた。


 何をしに来たのだろうか、と疑問に思う。


 昨日、交わした約束を忘れたのだろうか?


 それでも、ベロニカはのんきに構えていた。自分達の仲の悪さは、学院中に知られている。どうせ、最後に一言、嫌みでも言いに来たのだろう、と。


 目の前に、ニコロが来た。

 周りの注目が集まっている。それもそうか。他の生徒から見たら、面白い見世物かもしれない。


 だが、ベロニカは、ニコロの一言に耳を疑った。


「ベロニカ」


 ひどく優しげな声で、呼び止められる。


「ん?」


 返事をしようとして、違和感に固まってしまった。 


 息が、止まる。

 ニコロの口から、自分の名前が出た。


 いや、待て。それはおかしい。昨日の昨日まで、お前とあんたで呼び合っていた二人が、一夜にして、急に名前で呼び始めるわけがない。


 いけない。まずい。ベロニカの頭の中で、警告音が鳴り響く。


 周りも、興味深そうに遠巻きながら見守っている。


「あ、お腹が痛くなってきたので、この辺で……」


 そう言って後ろを向いて、逃げ出そうとしたが、ガッツリと手を握られた。





 心臓がバクバクと鳴る。


 嫌々、ベロニカは振り返った。ゆっくりゆっくり、後ろを見る。


 その瞬間、目撃してしまった目の前の光景に、ベロニカは猛烈に後悔した。


 なぜなら――ニコロが、まるで大切なものを扱うかのように、片ひざをついて、ベロニカの手を握っていたからだった。


 まずい。これはまずいって。


 ベロニカは、パニック状態だった。

 昨日のキスより心臓に悪い。昨夜は、二人っきりだったし、薄暗い部屋だったから、まだ許せたのだ。


 声が、出ない。罵詈雑言を浴びせようとするが、口からは、ぱくぱく間抜けな音が出るだけだった。


 周りは、既に静まり返っていた。


 視線が、集中するのを感じる。

 女子も男子も、あのサブリーナですら、驚きのあまり、固まっている。


 もうやめてくれ、とベロニカは切に願った。これまで、波が立たないような学生生活を送ってきた。勉強に精を出し、異性と関わらず、嫌みな高位貴族とも関わりを持たない。


 そうやって、ここまで来た。そうやって卒業できたのに、最後の最後まで、この男に振り回されてる。


 夢ならさっさと、醒めてほしい。


 頼むから、立ち上がって冗談だと言ってくれれば……。いつものように、ヘラヘラふざけてくれれば、それで全てが、丸く収まるのに……。

 




 ようやく立ち直って、声が出るようになったベロニカは、小声で訴えかけた。


「いいから立ってよ。何やってんの。周りも見てるって……」

「俺は」


 ニコロが目線を上げた。


 一瞬その目を見て、ベロニカは何も言えなくなってしまった。思わず、こちらが飲み込まれてしまうほどの、真剣な表情。


「ずっと後悔していた。この六年間、ずっと」


 嫌な予感がした。


 ニコロはどうやら、声のボリュームに関して、特に注意を払っていないようだった。そのせいで、ニコロとベロニカの会話は周りに筒抜けになっているようだった。


 周囲のざわめきが、次第に大きくなる。周りの驚きようが、手に取るように伝わって来た。


「六年前、俺は、お前に想いを告げれずにいた。だからこそ、もう、そんな思いは、二度としたくない」


 その時の光景をベロニカは、一生忘れないだろう。

 ゆっくりと、ニコロの顔が、ベロニカの手に迫る。


「へ?」


 手の甲に伝わるのは、唇の感触だった。

 触れた地点が、熱をもったように熱くなる。


 唇。誰の?


 問うまでもない。目の前の人間の唇だ。 

 というかこれって、


「き、キス……?」


ベロニカに出来たのは、裏返ってかすれた声を辛うじて発することだけだった。




 瞬間、広場が爆発した――ように思えた。


 叫び声に上げる女子に、囃し立てる男子。

 拍手に、喝采。絶叫に、嘆息。

 

 状況が全く飲み込めないベロニカを置いてきぼりにして、よくわからない熱気が、広場を包んでいた。

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