第二十一話 真相
学院の大講堂は、満員だった。
日頃、好き勝手な騒ぐような生徒も、今日ばかりは正装を身を包んで、神妙な顔をしている。中には、もう目に涙が溢れそうになっている生徒も、ちらほらいた。
外は曇りひとつない快晴だった。
澄んで清らかな空気が、肺一杯に広がる。それに、気温もちょうどいい。少し寒いが、理想的な卒業式日和だった。
日の光によって、精巧なステンドガラスが煌めく中、ベロニカはゆっくりと歩き、壇上へと上がった。
「卒業生総代からの挨拶です」と紹介がされる。
鳴り響く、拍手。
待ちわびた光景だ。自分はこれを望んでいたはずだ。
しかし、なぜか胸がぽっかりと空いたような感じがする。
ベロニカは、横目で壇上を盗み見た。
横には、誰もいない。
とうとうニコロは、卒業式が始まっても、来なかった。
一歩、前に出る。
おもむろに、ベロニカは口を開いた。
「いやあ、本当によかったよ」
と言った教師に、ベロニカは深々とお辞儀した。
「ありがとうございます」
「なんというか、君の挨拶はいつも立派なんだけど、どこか固い部分があったんだよね。でも、今日はそれがなかった。ちょうどよかったよ」
「はあ……」
ベロニカは微妙な顔をしながら頷いた。
今日のスピーチは一種の賭けだった。
朝までよくわからない地下室に閉じ込められて、まともな挨拶も完成していなかったため、苦肉の策として、ベロニカはいつもニコロがやっていたように、冗談を交えてスピーチをした。
それは思いの外、成功したようだった。
挨拶を聞いていた生徒は、大盛り上がりしていた。冗談を言ったことがない堅物なベロニカは、ちょっとふざけたことを言ったのが、よっぽど面白かったのだろうか。
そういう軽いノリは嫌いなはずだったが、今日は不思議と受け入れることができた。一晩中、一緒にいた誰かのせいで、少し性格が移ってしまったのかもしれない。
「いや、ここだけの話だがね」
ベロニカの様子を見て、満足そうに頷いていた教師が、小声で言う。
「実は最初、卒業生の総代はボレル君に頼もうって話になっていたんだ。なにせ、上からの押しが凄いし」
ほら、わかるだろ、と言って教師が目配せをした。
きっとボレル家のことだろうな、とベロニカはぼんやり思った。サブリーナの実家も絡んでるのかもしれない。ニコロに箔を付けさせようという算段だろう。
「でも、当の本人がその話に猛反対してね。『一番努力しているローヴァインが、なぜ総代になれないんだ』って大騒ぎで。ものすごい剣幕だったなあ。しかも、そのくせに、本人は知られたくないって口止めされててね。
その時、思ったんだ。ボレル君はあれほど君のことを嫌ってるように見えるけど、心の中では一番認めているんだろうなって」
だから、と教師が続ける。
「今日卒業式に出てこなかったのも、そのせいかもね。行事をやる側としては困ったけど、今時珍しい、真っ直ぐな子だよ」
「そうですね」
ベロニカは素直に同意した。
「よく、知っています」
ニコロはなにも変わっていなかった。
今日の式が成功したのであれば、それはきっと、ニコロのお陰だろう。
お世話になった先生に何度もお礼してから、ベロニカはピーアと合流した。
上機嫌なのは、ピーアも同じだった。
「さすが、ベロニカだね。今朝まで、閉じ込められてたとは思えない余裕! かっこよかったなあ」
「ありがとう。でも、ピーアのお陰だよ」
ベロニカは笑って答えた。
「いやでも、ベロニカは凄いよ」
ピーアが興奮したように話す。
「夜、他の人に見つからないように、決闘をするなんて!」
「え、ええ。うん、まあ……」
大きな身ぶり手振りで興奮しているピーアを横目に、ベロニカは内心ドン引きしながら相槌を打った。
あの部屋に来たのが、ピーアで本当に良かった、とベロニカは感謝していた。
今のところ、あの場面を直接見たのはピーアだけだった。ピーア以外の生徒や友達に見つかっていたら、自分とニコロが抱き合っていたという事実が、学院中にバレていただろう。
しかし、ベロニカはピーアを何とか言いくるめることができた。
もちろん、ピーアは素直だし頼れるしで、本当に良い友達なのだが、かなり、というか非常に、いや、包み隠さず言うと、死ぬほど馬鹿だった。
ベロニカは昨日のピーアの活躍を思い出していた。
話を聞くところによると、昨日から今朝にかけての流れは、こうだったらしい。
まず、早い段階からピーアは、ベロニカの不在に気が付いていた。ところが、寮の周りや教室などを探しても探しても、一向にベロニカは見つからない。
そうこうしているうちに、何か変だと思い始めたピーアは、本格的にベロニカを探し始めるようになった。
いくら卒業式前の浮わついた雰囲気の中でも、あのベロニカが明日の準備もしないで、外に出歩くはずがない、と思ったからだそうだ。
寮の知り合いに声をかけたり、教師にも聞いたりするものの、一向に手がかりが見つからない。
そんな時、ピーアはある男子のグループとばったり会った。
ピーアは言う。
「お互い、卒業式前夜に遊ぶにしては必死な様子だったから、何か勘づいたんだ」
男子たちも、最後の夜に一緒に遊ぼうと、ニコロを探していたらしい。
しかし、ニコロがどこにも見つからない。誰に聞いても知らないと答えるばかりだったので、男子たちは心配になって探していた、という。
お互いの状況を知った両グループは、一時結託。
合流して探すことになったが、学院は広大で、中々姿を見つけることができない。刻々と時間だけが過ぎて行く。
しかし、日付が変わる頃、ピーアの情報網に気になる噂が引っ掛かった。サブリーナが、学院のある地域には近付くな、と取り巻きに命令していたという噂である。
ピーアは語る。
「全てがつながった」と。
急行し、みなでくまなく探した。
もう、辺りは日が上りかけていた。
そして、もうついにダメか、と思いかけた瞬間、朝焼けの中、さびれた建物の入り口に、真っ赤なネクタイが巻き付けられているのを発見したのである。
そして、当然、ベロニカはあの後、ピーアに問い詰められた。
「あの部屋で何をしていたの?」
恐る恐る、ベロニカはこう答えた。
卒業式前に、大嫌いな男と決着をつけようとしていた、と。
絶対に無理がある答えだと、ベロニカは自分でも呆れた。
なんだよ、決着って。しかも、ソファでお互いに密着するというのは、どういう状況なのか。絶対に、決着を着けるためにすることではない。
これは、流石のピーアでも、信用しないだろう、と思っていたのだが……。
しかし、ピーアの純粋ぶりはベロニカの想定以上だった。
彼女は、ベロニカのでっち上げた話を大真面目に信じてくれたらしい。
「凄いね! ついにあの犬猿の仲の二人が口だけじゃなくて、拳を交わすなんて」
うわあ、熱い展開だあ、と拳を握りしめるピーア。
これである。
ベロニカは、途端にピーアが心配になった。将来、確実にどこかで騙されそうな気がする。一応、ピーアには、命を救われたという恩がある。そうなったときには、自分が全力で守ってあげなくては、とベロニカは固く誓った。
「で、どっちが勝ったの?」
興味津々といった表情をするピーア。
「あー」
あれは、どっちが勝ったのだろうか。
あの夜を本気で思い出そうとすると、脳が全力で拒否する。
勢いで唇を重ねて、さらにお互いの身体を……。
いや、やめておこう、とベロニカは思った。あれはベロニカにとって、かなり強烈な思い出だった。許されない行為である。記憶の奥底に封印すべきだ。
「引き分け……かな」
適当にお茶を濁した。
「そっかあ。惜しいところだったねえ。やっぱニコロ君、強いんだ」
男女が薄着になって戦うって一体どういう状況なんだ、と問い詰めたかったが、ベロニカは我慢した。
もうこれ以上、藪をつつきたくはない。どうせ追及されたら不味いのは、ベロニカの方だ。
あの部屋での一件を納得してくれただけでも、良しとしよう。
講堂の外へと出る。
「しっかし、あんな隠し部屋が学院にあったんだね。私も全然知らなかったよ」
ピーアが言う。
あの部屋に関しても、段々と事情がわかってきた。
たしかに、あの部屋を使って、サブリーナは気にくわない相手を卒業式に出させないようにしたのだろう。
ところが、ベロニカはずっと疑問を持っていた。
相手を痛め付けるには、妙に居心地がいい空間なのである。
ソファはあるし、可愛い栗鼠の置物もある。ご丁寧にランプと燃料まで常備してある。埃っぽいと言っても、普通の部屋に比べて、という話であって、人が過ごせないほどひどい環境ではない。
つまり、人の手が加えられた形跡があったのだ。
色々調べたところ、答えは簡単だった。
ニコロはたしかに、こう言っていた。
――女子はあまり知らないかもしれないけど、男の間じゃこの辺は有名なんだよ。騒げる場所だって。
だとしたら、他にもあの部屋を知っている人間がいても不思議ではない。
つまり、あの部屋の存在を知っていたのは、サブリーナだけではなかった、ということだ。
サブリーナがあの地下室に眼を付けたときには、既にある男子学生のグループがあの部屋に居着いていた。
彼らは、なんと秘密基地代わりに、あそこに集まっていたらしい。彼らにとっては、いい場所だったのだろう。ニコロの言う通り、人には見つからず、騒いでも問題がない、絶好のスポットだ。
当然、サブリーナだって、そんなことは調べればすぐにわかったはずだろう。
しかし、そこはサブリーナのプライドが裏目に出てしまった。サブリーナはあの地下室――というより、あの建物全体を小馬鹿にしていた。薄汚い場所だ、と。
彼女は、自分では絶対に入らなかったはずだ。
その結果、サブリーナは見逃した。
本人は、恐ろしい牢屋だと思っていたが、知らず知らずのうちに、地下室はちょっと汚いし寒いけど、それなりに過ごせる部屋に変貌してしまっていたのだ。
そして、扉を閉めに来た二人の生徒も見つかったらしい。
ニコロが、「あいつらについては、俺に任せてくれ」と言っていたので、問題はないはずだ。
結局、あの部屋はそういう存在だった。
サブリーナは、いつか嫌がらせに使えるだろうと思い、男子生徒のグループは遊び場として使用していた。
ベロニカを閉じ込めるというサブリーナの計画は、半分成功で、半分失敗に終わった。
「でも、それで……いいの? なんかこう、一発言わなくて」
ピーアがこちらの顔色をうかがう。
ベロニカは首を降った。
気持ちは嬉しいが、わざわざ事件を蒸し返す必要はないだろう。これ以上やってしまえば、ピーアも、サブリーナに睨まれる可能性がある。
自分が黙っておけば、それでいい。今日、自分は学院を卒業する。もう、サブリーナと揉めることもない。
きっと、ニコロも黙っているはずだ。
ちなみに、「○○しなければ出られない部屋」という文章は、昔からあったのではなく、その男子生徒たちが勝手に掘った文字だという。
要するに、何の意味もない表記だったのだ。別に、二文字縛りでもなければ、何かをしたら部屋が開くという特殊な作りになっている訳でもない。
彼らとしては、単なる冗談だったらしい。
「ギャグしなければ出られない部屋」とか、「告白しなければ出られない部屋」というキャッチコピーをつけて遊んでいたのだ。
なんという下らない遊びなのか。
自分達の秘密基地に名前を付けたかっただけらしいが、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由に、ベロニカは開いた口が塞がらなかった。
ベロニカだって、キスで開くという魔法やおとぎ話みたいな事を本気で信じていた訳ではなかったが、それにしたってしょうもない理由だ。
ついでに言えば、最後の文字が「ス」に見えたのも、見違えだった。まあ、薄暗い中で、完全に文字を断定するのは不可能だったのだろう。
彫った字も、汚かったみたいだし。
ベロニカは、無意識に唇に触れていた。
馬鹿馬鹿しい。
まったく、迷惑な話だ。
それだったら、別に、キスなんてする必要がなかったのに。
残り2話です。
爽やかなラストを目指して奮闘中。




