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第二話 疑い



「で、ここはなんなの?」


 ベロニカは、嫌々話しかけた。


「悪ふざけだったら、いい加減にして。私、時間がないの。ご存じだと思うけど、明日は卒業式で、色々準備がある。あんたなんかに構ってる暇はないわ」


 明日、ベロニカは学院の卒業式で、「総代」として挨拶することになっていた。


「総代」――すなわち、卒業生の代表である。 


 学院の「総代」といえば、例年、その年に卒業する生徒の中で、最も優秀な生徒が指名される。


 これは貴族の世界で、とんでもなく名誉なことだった。

 総代ともなれば、長い学院の歴史に名を刻むことができる。親は誰しも子供が総代に選ばれることを夢見るし、子供だって、総代に選ばれたら今後数十年、自慢気にこう語ることができるのだ。


「いやあ、私は以前、卒業式で総代を務めさせて頂いたことがありましてね……」と。


 そんな総代に、選ばれたのは嬉しかったが、同時に許せない気分にもなった。

 なんと、今年の総代には、二人選ばれたのだ。


 ベロニカと、ニコロ。


 異例の措置だった。二人分の名前が発表された時のショックを、ベロニカはいまだに忘れることができない。


 しかし、ニコロの方はそれをなんとも思っていなそうだった。それがまた、ベロニカの神経を逆撫でする。


 卒業式の予行演習でもタラタラ喋り、自分が寝ないでしっかり考えた挨拶よりも、気の効いた文句を言う始末。

 生徒の顔を見れば、どっちの話を楽しみにしているかなんて簡単にわかる。





 文句を言いたければ、いくらでも言うことができた。


 今だって、ニコロの服装は目に余る。コートとセーターを着ているようだが、その中に着ているシャツはだいぶ着崩されていて、ネクタイすら結んでいない。


 どういうファッションなんだ、とベロニカは唖然とした。

 いくら学院の女子の大多数が、「ワイルドでかっこいい」と騒ごうが、ベロニカがその意見に同意するような機会は、永遠に来ないだろう。


 少なくとも、明日、名誉ある総代を務めるような人間のファッションではない。


 本当に、嫌いだった。


 ましてや、今日は大切な卒業式の前夜。

 寮の荷造りをしたり、友達やお世話になった教師への挨拶をするなど、やるべきことはいくらでもあった。こんな所で、時間を浪費している暇はないのだ。





「いや、それが全然わからん」とニコロが首を降る。


「本気で言ってるの?」

「もちろん、もちろん。俺は勉強ばっかしてる誰かさんとは違って、挨拶しなきゃいけない友達も多いんでね。こんな場所で油売ってるほど暇じゃないのさ」


 ベロニカは、「ふぅ……」と息を吐いて、天井を見上げた。


 無視だ、無視。落ち着け、自分。こんな下らない男の挑発を真に受けてはいけない。こんな安っぽい相手に構うな。


 ベロニカは冷静に、状況を整理することにした。


「まあ、いいだろ。卒業式なんて出なくても」とあくびをするニコロを、なるべく視界に入れないようにしながら。





 まず、自分は用事を頼まれて、この部屋に入った。


 学院内ですれ違った女子生徒から、「先生に呼ばれていましたよ」と声を掛けられて、ここまで来たのだ。

 ただ、その子に言われた通り、指定された建物に入ったはいいものの、肝心の教師の姿がどこにも見当たらない。


 仕方なく捜索を続けると、建物の奥には扉があった。

 扉は最初から空いた状態で、中を覗くと、下へと続く階段が見えた。


「先生、いらっしゃいますか」


 真っ暗な中、教師に呼び掛けながら恐る恐る階段を降りたベロニカは、地下室らしきものを見つけた。


 しかし、明らかに人の気配がない。

 ベロニカは、諦めて戻ろうとした。


 ところが、いざ帰ろうとしたその瞬間、上の方で大きな音が聞こえた。

 

――錆びついた扉が閉まるような、嫌な音。


 思わず、ベロニカは固まってしまった。パニックで、頭が真っ白になる。


 さらに、次の瞬間、かつかつと足音が聞こえた。

 自分以外の人間が、ここにいる。間違いなく、下へと降りてきている。


 だから、ベロニカは反射的に息を潜めたのだが……。


「よお、元気か」

「へ?」


 そうして、息を殺していたベロニカに声を掛けてきたのは、ベロニカが最も嫌う男だった。


 なぜかニコロが、へらへら笑いながら入ってきたのである。

 ベロニカは、灯りを手にしながら入ってきたニコロを、あっけにとられて見つめていた。


「いやあ、どうやら閉じ込められたみたいだな、俺たち」


 ニコロが、さらっと告げた。まるで朝の挨拶をするかのような、気軽な調子で。


「はあ?」


 ベロニカは信じなかった。


 目の前の男は、「こんなとこで会うなんて運命かもね」などとほざいているが、全く意味がわからない。


 最初見たとき、上の扉は開きっぱなしだったし、かなり重そうで、全く動く様子もなかった。

 まさかそんな扉が、簡単に閉まるはずがない。


 十二歳の頃に、学院に入学して今年で、もうベロニカは十八歳になった。 

 六年間も学院いれば、大抵のことを経験する。そして、ベロニカが知る限り、学院内で閉じ込められるなんて事態は、聞いたこともなかった。


 自分はそんな冗談を恐れる人間ではない、とベロニカは階段を登って、扉の方に向かった。


 しかし、数分後、ベロニカは、ニコロの言うことを信じないわけにはいかなくなっていた。


 入る前には、何事もなく開いていた扉が、今では固く閉ざされ、出ることができなくなっていたのだ。

 何度叩いても、どれだけ大声を出そうとも、扉は閉ざされたまま。


 そういうわけで、ベロニカは現状、学院一嫌いな男と共に密室にいるという、真に不名誉な状態に甘んじていた。



 


 状況を整理し終えたベロニカは、胡散臭げに目の前の男を見た。


 疑わしいこと、この上ない。


 そもそもなんで、この男がここにいるのか。


 ベロニカが今いる場所は、学院の中でも、辺鄙であまり人が来ない場所だ。普通の生徒が訪れるような場所ではない。ベロニカだって、教師を探すという目的が無かったら、わざわざこんなところまで来ない。


 ベロニカの頭に、ある考えが浮かんだ。

 そうだ。この男が、犯人というのはどうだろうか。


 地下室に入る前の光景を思い出す。どう考えても、あの重そうな扉が、風とかで勝手に閉まるとは思えない。

 この男が自分から扉を閉めた。


 あり得ない話じゃない。


 つくづく、救えない男だ。

 理由はわからないが、どうせ明日の卒業式のことだろう。嫌いな女と同列という事態に耐えられなくなったから、わざとベロニカを閉じ込めて、卒業式に出席させないようにした。


 これなら、辻褄が合うような気がする……。


 なおも疑いの眼差しを向けるベロニカに、ニコロは言った。


「あのなあ。まだ、俺を疑ってんのか? さっきから言ってるだろ。第一、あんな重い扉が俺一人で閉じれるわけがないだろ」

「ぐっ」


 痛いところを突かれて、ベロニカは押し黙った。


「そんでもって、嫌がらせが目的だったら、俺がいる訳がない。なんで閉じ込める側が、一緒になって閉じ込められなきゃいけないんだよ。危機的状況なのは、お互い様だろ」 


 ああ、とニコロが天を仰ぐような仕草をした。


「卒業式の前夜と言えば、飲んで騒いでっていう絶好のチャンスなのに。俺はこんなお固くて、遊びも知らないような女と二人っきりか。泣けてくるね」


 聞いていられない。不快なのは、こちらの方だ。


「それ以上、喋らないでくれる? 耳が腐り落ちそう」

「はいはい」


 ベロニカの怒気に対しても、ニコロは余裕を崩さない。


 とはいえ、悔しいがニコロの言うことには、一理あった。


 明日が卒業式ということもあって、学院はお祭り騒ぎだ。夕方辺りからは、別れを惜しむ学生がそこかしこに溢れていた。


 しかも、皮肉にも毎回顔を付き合わせて、喧嘩していたベロニカは、目の前の男の人気ぶりを知っている。


 ベロニカがニコロに嫌みを言う度、こちらを睨み付ける女子の軍団がいるのだ。自分はニコロのことが心底嫌いなのだが、彼女たちから見ると、ニコロに構ってもらいたい女だと思われているらしい。


 馬鹿馬鹿しい。


 だが、逆にいえば、ニコロはそれほど人気があるのだ。大して友達もいないベロニカとは違う。


 だから、そんな最後の夜に、この忙しいはずのこの男が、ベロニカと二人きりで過ごすメリットなんて存在しない。

 嫌がらせのために敢えて扉を閉めるなんて行為は、そもそも必要ないのだ。


 それに、ニコロまでこの部屋にいて、明日の卒業式に出られなかったら、式は大失敗になるだろう。せっかく、総代に選ばれたというのに、二人ともいないなんて前代未聞の大事件だ。

 さすがのニコロだって、いくらやる気がなくとも、総代のチャンスを逃すわけがない。


「たしかにそうね。あなたのように、高貴で上品な家系では、総代になるのは最高の名誉なんでしょ。明日の卒業式に出れなくちゃ、まずいわよね」


 ニコロの反論にひとまず納得したが、素直に認めるのが不愉快だったので、思いっきり皮肉を言ってやった。


 もちろん、ニコロの家を上品だなんて思ったことは、一回もない。

 ボレル家は、長年続く名門の血筋だが、当代党首であるニコロの父は、金にがめつくてあこぎな商売をしているという噂が蔓延していて、あまり評判はよろしくない。


「そうでもないさ」


 しかし、ニコロは一向に調子を崩さず、へらりと答えた。


「そんなことより、俺からしたら、女の子と二人で総代の挨拶をできる方が光栄だけどね」




 

 よくもぬけぬけと……。ベロニカの額に、青筋が浮き出そうになった。お前が割り込んできたんだろ、と言いたくなる。


 本来、総代に選ばれるのは、例年一人のみだ。


 ベロニカは優秀な成績を残したとして、今年の「首席」に選ばれていた。首席とは、学年で一番の成績をとったという証である。


 だからベロニカは、自分が総代に選ばれることを全くもって疑っていなかった。

 毎年、学年で一番の成績を修めた人間――つまり、首席が、総代を務めることになっていたからだ。


 要するに、ベロニカが首席に選ばれた時点で、総代は決まったも同然だった。


 自分は、成績だけではなく、生活態度も完璧だ。授業だって遅れたことはないし、ましてや休んだこともない。教師に言われたら、授業の手伝いだってするし、寮の規則だって六年間の学院生活で、一度しか破ったことがなかった。


 当然、ベロニカは、自分が選ばれると思っていた。


 一方のニコロは、成績こそベロニカに並ぶほど良いものの、頻繁に寮を抜け出し、授業にはしょっちゅう遅刻や休みを繰り返している。


 学年で一位の成績をもち、なおかつ生活態度も完璧なベロニカと、頭は良いけど怠惰でだらけた生活を送っているニコロ。

 本当だったら、勝負にすらならないはずだ。


 しかし、結果は惨敗だった。しかも、お情けのように、史上初、二人の総代として選ばれた。


 周囲は今年は豊作だ、と騒いでいたが、そんなことはない。

 ベロニカから見れば、元々自分が総代として選ばれていたのに、ニコロが自分の家柄を盾に、割り込んできたとしか思えなかった。





 ベロニカは、大きく深呼吸をした。それを、何回か繰り返す。


 たしかに、この男はムカつく。

 しかし、同時にベロニカの頭の冷静な部分は、落ち着け、と自分に言っていた。

 ここまで頑張って総代にまで登り詰めたのに、このまま揉めていたら、せっかくの自分の活躍の場が失われてしまう。

 ベロニカにとっては、それこそが最も嫌な結果だった。

 

 ここで、この男に構っていても、なにも良いことはない。

 釈然としない思いを抱きながらも、胸のイラつきは放っておくことにした。

 まずは、ここを出ることが何よりも先決だ。


「取り敢えず、ここを出ましょう」


 ベロニカは、努めて冷静に言った。


「出来る限り、さっさと」 


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