第十七話 将来
やがて、会話も少なくなった。ニコロも疲れているのだろう。
お互い無言でランタンの火を眺める。
炎は、未だに揺れていた。この場で元気がいいのは、炎くらいだろう。
ベロニカは物思いに沈んでいた。
一体、どうすればいいのだろう。
ニコロと和解したは良いものの、冷静に考えると、特に何も状況が改善されていないと言うことに気が付く。
未だに出る方法は見つからないし、誰かが助けてくれるような気配もない。
卒業式は、刻々と近付いていた。卒業式は、午前中には始まってしまう。それまでにこの場所を出られなければ、サブリーナの思惑通りになる。
それだけは、避けたかった。
とはいえ、現状できることは何もない。
「打つ手なしね」
なんてつぶやいてみるが、それで状況が改善するものでもない。
唯一の望みは、ニコロの体調がすっかり戻ったということだけだ。どうやら、身体を暖め合うというベロニカの作戦は、効を奏したらしい。
考えれば考えるほど、詰んでいた。
ベロニカは、いまだにスピーチもほとんど考えていない。
本当だったら、今ごろは暖かい寮の部屋でのんびりスピーチの原稿を作ろうと思っていたのだ。
こんな暗がりで、そして書き留める紙もない。到底、間に合う自信はなかった。
卒業式のスピーチ。
自分は何を話せばいいのだろう。
歴代の総代は、自分たちの未来だとか将来について、暑苦しく語っていた。
それに対して、自分には特にやりたいこともない。
そもそもベロニカは、ニコロとの一件があって、それから逃げるように勉強に打ち込んでいただけだ。自分がどうなりたいか、という確固たる考えがあるわけでもない。
第一、ベロニカ自身が自分の問題すら片付けられていないのだ。他の生徒に、偉そうに未来のことを語る資格など、ないのかもしれない。
さっきのニコロとの会話を思い出す。
ベロニカ、と呼ばれて嬉しかった。
昔のように、優しく呼ばれて。
だから、ついつい、ニコロに聞こうと思ってしまった。今、自分のことをどう思っているのか、と。
でも、やめておいた。気持ちに蓋をした。
ここで、聞いてどうなる? いや、なにも変わらない。ニコロだって婚約をしてる。ここで、そんなことを聞くのは、卑怯だ。
ニコロには、ニコロの人生がある。
ベロニカは、ぼんやりと今までの学院生活を思い出していた。
最後の最後で、こんなことが起きるだなんて思いもよらなかった。でも、おかげでニコロとの仲を修復することができた。
それはそれで、よかったのかもしれない。
ニコロ以降、好きになった相手は現れなかった。
何回か、男子に話しかけられたこともあったけど、特に心が動かされることはなかった。あれが自分の人生で、最初で最後の恋だったのだ。
学院を卒業して、実家に帰って。それからのことは、いまだにわからない。最後には、好きでもない男と結婚するしかないのかもしれない。
自分の未来が容易に想像できて、ベロニカはくすりと笑った。
まあ、いい。
それだったら、ここで、かつて好きだった相手と仲直りできただけで、最後にベロニカ、と呼んでもらえただけで、自分の人生としては上出来だろう。
大丈夫。
自分はこれで、生きていける。
この思い出を大切にしていれば、それだけで、生きていける。
とはいえ、やることがないと暇だ。
ベロニカはとりとめもなく地下室の隅を見上げていた。部屋の角とにらめっこしつつ、ぶつぶつ口の中で言って、スピーチの案を考える。
優等生としての悲しい習性か、ついつい完璧にしなければ、と明日の卒業式のことを考えてしまう。
「ベロニカ」
「な、なによ、急に」
思いがけず、もぞもぞと横の方で動きがあった。
ニコロが体勢を変え、こちらの方を向く。
「今、スピーチを考えてるんだから、邪魔しないで!」ときっぱり言い放つ。
大体、誰のせいでスピーチをこんな場所でしなきゃいけなくなってるんだ。
あんたのせいだ、と不満をぶつけようとしたが……。
いや、ちょっと待てよ、とベロニカは急に胸騒ぎを感じていた。
というより、恥ずかしさだ。
先ほどまでは、ニコロが自分を嫌っていると思っていたから、平然としていられた。
しかし、今、冷静に考えると、この状況はどうなんだ?
年頃の男女が一緒にソファに座っている。しかも、肌が触れるほどの距離で。
この格好はいささか、外聞が悪いんじゃないか?
一度意識してしまうと、急に感覚が鋭くなってくる。
ベロニカは今、普段着だった。
元々、服にはそれほど興味がないタイプだったし、今日も一日中動き回るだろうから、簡単な服装でいいかな、と思っていたのだ。
だからこそ、ニコロが心配してコートやセーターを貸してくれたのだが……。
今現在、二人で暖まるために、ベロニカはニコロとくっついて、その上からコートとセーターを纏っていた。こうしていれば、自分たちを服とソファで包むことができ、何とか熱を逃さずに済む。
完璧なはずだ。
計画としては完璧なはずだ。
だが、
「ねえ、ちょっと待って」とニコロに告げる。
「この姿勢はまずいって。一旦、いったん、離れよう」
焦りを感じながらベロニカは弁解した。じりじりと、さらにニコロから離れようとする。
「嫌だね」
低い声。
至近距離で囁くように言われ、耳がぞくりとする。
「なんでよ。もう充分暖まったでしょ!」
ニコロを睨む。もうこれ以上、近づくような真似はしてほしくない。
「キス、しようぜ」
ニコロが笑った。
それはそれは屈託のない、いい笑顔で。
「へ」
だから、とニコロが小さい子供に言い聞かせるかのように、もう一度言い直した。
「キス」
「はあああああああ?????」
地下室に、ベロニカの絶叫が響き渡った。