第一話 犬猿の仲
2021/12/1 1話~5話まで、全体的に空行を多くしました。読みやすくなっていたら幸いです。
どうして自分は、こうも運が悪いのだろう。
ベロニカ・ローヴァインは、焦っていた。これでもか、というほど焦っていた。
今、ベロニカは奇妙な部屋にいた。
古くさい室内はほのかに暗く、変な臭いがする。ずっと使っていなかったような、カビ臭さ。
少し歩いただけで、ほこりが舞い起こるのが見えた。
しかも、それだけではない。
そもそもこの部屋には、見た限り、窓のひとつもなかった。今、ベロニカが室内を何となく把握できているのは、部屋の中央にあるランプがほのかに光っているお陰だった。
やっぱり、この部屋はどこかおかしい、とベロニカは思った。古くて暗いという点以外にも、理由ははっきりしている。
部屋には、一つだけぽかんと空いた入口があった。そこには石でできた階段があり、上へと続いている。
その階段をしばらく登ると、錆びた扉が姿を現す。
しかし、この扉がどうしても、開けられないのだ。分厚い扉には、鍵穴すらなかった。
汚れたくなかったが、ベロニカは念のため、体当たりをしてみた。
しかし、扉はびくともしない。ベロニカも体格が良い方ではなかったが、それでも、扉はぴくりとも動かなかった。
本当に、どうして、こんなことになってしまったんだか。
もしかして、自分は誘拐でもされたんじゃないか、という想像が頭をもたげた。
一応、貴族の家系であるベロニカを謎の部屋に監禁して、お金を要求する。
いやでも、それにしてはおかしい、とベロニカは瞬時にその案を却下した。
たしかに、ベロニカは貴族の子息が多数通う学院の生徒だが、もっと位が高く、家がお金を持ってそうな女子生徒なんて、学院の中にはいくらでもいる。その辺を歩けば、苦労しないでも見つけられるだろう。
ベロニカは、自分の姿を見た。
地味な色合いの服。
生地もそれほど厚くはない。お金持ちの子女が着るような派手な服装とは、全然違う。あまりお金を持ってそうな家柄ではないのは、一目瞭然だった。
そうなると、ますます下級貴族の娘であるベロニカを狙う理由がわからない。
まずい。まずいって。
ベロニカの焦りは留まることを知らなかった。明日は卒業式だ。この学院を卒業するための重要な式典で、学院生活の総決算である。
それなのに、自分は今、こんなよくわからない地下室のような場所で、出口を見つけられずにいる。
ただ、そんなことは、もうどうでもよかった。ベロニカの頭を悩ませる最大の原因は、この部屋だけではない。
ベロニカは、舌打ちと共に、部屋の向かい端を見つめた。
「どうしたんだ?」と軽薄な声が帰ってくる。
視線の先には、地べたに座る男がいた。
栗色の髪に、淡い瞳。
身に付けているコートは一見、落ち着いた色のようにも思えるが、細かく見れば、質の高い意匠がふんだんに盛り付けられていた。
身長は高い。乱雑に投げ出した脚を見ても、そのスタイルの良さが伝わってくる。
男が、薄く笑う。
顔はイケメンらしい。
確かに、パーツは整っている。しかし、ベロニカは、この男の顔が全く好きではなかった。いくら、他の女子が「凛々しくて素敵」とか、「目鼻立ちが涼しげで格好いい」と噂しようが、ベロニカの思いに変わりはなかった。
なんというか、顔を見ているだけで、チャラチャラ生きているのだとわかる。
要するに軽薄で、ベロニカの一番嫌いな人種だった。
「うるさいから黙って」
ピシャリと言い放つ。この男と話すくらいだったら、この薄暗い部屋に一生閉じ籠っている方がまだマシだ。
最悪だ、とベロニカは再び心の中で唱えた。
まだ、自分一人で閉じ込められたのであれば、心細いが気が楽だった。自分だけを頼ればいいのだから。
友達と二人なら、なお良し。仲が良い相手と一緒だったら、この異常事態にも対応できそうな気がする。
ただ、なんで、よりによって、この男がいるのか。
「ニコロ・ボレル……」
ベロニカは、にやにやと笑う男を睨んだ。
自分が最も嫌う人間と一緒に閉じ込められるとは、なんて自分は運が悪いんだろう。
そう。
よくわからない部屋に閉じ込められた二人は、学院でも、「犬猿の仲」と名高い間柄だった。
ベロニカの通う学院は、貴族の子弟の教育を目的として設立された機関だ。
ただし、ベロニカは貴族といっても、所詮、下級の貴族だ。伯爵や侯爵のように広大な土地を持つこともなければ、強大な権力だってもってやしない。
というより実態は、地元でちょっと有名な家といった程度である。
家来といえば、老いた年寄りが数人いるだけ。そしてベロニカも、そんな年寄りを家来だと思ったことはなかった。昔から家で仕事をしていて、時々遊んでくれるおじさん、おばさんがいるなあ、くらいのイメージである。
裕福な貴族にありがちな、ハウスメイドだとか、執事だとか、専用のシェフといった類いの人間は、ベロニカの周りでは見たこともなかった。
都市部の裕福な平民のほうが、よっぽど良い暮らしをしているだろう。
そんな自分が学院に行けたのは、単に両親のお陰だ。
だから、ベロニカは必死になって勉強した。中央の貴族の息子や令嬢がどれだけ遊び歩いていても、構わずに勉強した。
結果、学年でも上位の成績になったベロニカだったが、そこにライバルが現れた。
それが、このニコロである。
数少ないベロニカの友達によれば、ニコロは女子生徒から大人気らしい。
甘いマスクに高身長。加えて、誰とでも気軽に話してくれる。それに、王国内でも有名な貴族の跡取りともなれば、モテないわけがない。
ただ、それだけなら、まだよかった。まだ、許せたのだ。
ベロニカは、どうしてもニコロのある一点が、許せなかった。
この男は、この常日頃から遊び歩いているような、この適当そうな男は、いつもベロニカより上位の成績をとるのだ。
そう。ニコロという男は、天才だった。
ベロニカが一週間かけて覚えた範囲を、一時間ほどで覚えてしまう。
なぜか、毎回授業に遅刻したり、休んだりしているのに、平気な顔でベロニカと同じくらい優秀な成績をとる。
ベロニカが寮で夜遅くまで寝ずに勉強していると、深夜に帰ってきたチャラチャラした女子生徒が、
「さっき、ニコロと遊んじゃってさあ! 本当にカッコいいよねえ……」と酔っぱらって、周りに自慢している声が聞こえたこともあった。
当然、ベロニカは面白くない。
成績が負けたことではない。自分より成績が上の人間でも、それ相応の努力をした人間に対しては、素直に次は負けないぞ、と思うことができる。
ベロニカは、それほど心の狭い人間ではない。
でも、ニコロは違う。何にも努力せずに、自身をやすやすと越えていく相手。
しかも、運が悪いことに、ベロニカとニコロはなぜか、教室や授業で鉢合わせすることが多かった。
入学したての頃は、世間話をしたこともあったが、月日が過ぎるごとにベロニカの敵意は大きくなっていき、特に、ここ一年間、ベロニカはニコロと壮絶に成績を争っていた。
ニコロがへらへらと、「また勉強ばっかしてんのか? どうせ俺より出来ないんだから、勉強なんてしなければいいのにな」と嫌みを投げ掛ければ、
「馬鹿じゃないの。あんたみたいな人間になりたくないだけ」とベロニカが応じる。
今ではもう、二人が近くにいるだけで、周りは息を潜め、興味津々といった様子で見守るようになっている。
二人の確執は、学院中の生徒に知られていた。