一章六話 外出という名の日光浴
朝、目が覚めると枕が濡れていた。
見ていた夢は覚えていない。だけど、少しだけ悪くなかったものだったと思っている。本気で泣いたのはいつぶりだったんだろう。俺も優奈に似ていて馬鹿だから覚えていないや。体を起こして頭の上にスラを置く。ニーナはしっかりと腰につけているから安心していい。
「……少しだけ服を変えたいな」
上はまだいいにしても下着は少しだけ気持ちが悪い。パンツに至ってはずっと使っているから新しいものに変えたいと思うのは普通だろう。アイツらといた時と違って街で買えるって状況なんだから。……それなら銃のホルダーとかも欲しいな。街の外で狩りをしてから武器屋にでも行こうか。
あ、アプリケーションでニーナをしまっておけば自由に出し入れが……はいはい、嫌なのね。別に嫌ならしないから安心して。……いい案だと思ったんだけどな。一緒にいられないのは嫌っぽいからホルダーは必須か。某ゲームのアニメのマスコットキャラクターみたいだな。ボールの中に入るのが嫌な黄色いネズミみたいな、そんな感じ。
まぁ、今日のやることも決まったし早めに冒険者ギルドにでも行こう。ズミ達がいれば街の話を聞けるし、いなければ素材買取の話くらいは受付嬢と出来るはず。行ってみて損は無いと思う。雰囲気的には結構、好きだしな。お金さえあればコーヒーを飲んだりとかで入り浸りそうな気がする。酒は未成年だしヤケ酒になりそうだからやめておこう。
「……おし、行くか!」
両頬を強めに叩いて気合いを入れ直す。
今日から本格的な街での生活が始まるんだ。昨日までのジメジメした考えは一旦、やめよう。どうせ、後悔しても戻ってくるものじゃないんだ。それならいっそのこと忘れなくても考えないようにした方がいい。前へ進めなくなってしまう。
リュックサックを背負ってスラを頭の上に乗っけてやる。嫌がる素振りは一切、見せずにプルプルと震えていてリラックスしている。これで異世界生活四日目か、とか思うと自分が一人だと思えてしまうのでやめた。今はこの愛玩動物、もとい愛玩魔物で癒されよう。……さすがにニーナの鉄の装甲で癒されるほど精神的には病んでいない。
部屋を出て冒険者ギルドに向かう。
昨日よりは人通りが少ない。そういえばデイリーガチャを回していなかったな。まぁ、寝る前とかにでも回しておけばいいだろう。昨日のスラの当たりとかを考えたらハズレ枠だろうし。まずは金稼ぎだ。
冒険者ギルドは空いていた。どれだけ眠っていたのか覚えていないけど割と早い時間だしな。早く寝すぎたせいで起きたのが早すぎたみたいだ。ただこれなら心置き無く話を聞けるから安心出来るよ。すぐに昨日の受付嬢のところまで歩いていって目が会った瞬間に一礼する。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ、延長と魔物の買取について軽く聞いておきたくて」
そう言うと受付嬢は軽く頬をかいていた。
何かおかしな質問だったかと疑問に思ったが分からないことは聞くしかない。軽く微笑んであげると昨日とは少し違って微笑み返された。良い笑顔だと思う。これも作り笑いならものすごいレベルの高さだ。
「本当に何も知らないんですね」
「すいません、そういうのとは無縁の世界で生きていたもので……」
これは事実だ。俺の初めての戦いは数日前のオークとの戦いだし。喧嘩自体、あまりしたことは無いからな。手ではなく言葉での喧嘩は何度かあるにしても。そう考えてみると俺達でよくオークを倒せたよな。
「まず冒険者にならなくても魔物の素材は売れますよ。ただし少しだけ安くなってしまいます。そこだけは承知の上でお売り下さい。昨日のような街が必要としている物ならば別ですけどね」
要はそこで色を付けるかどうか考えるって話か。
それならイノシシばかりを狩ってきて売っていけば需要に供給が……いや、それだと価値が低下してしまうから悪影響が大きいか。それでも儲けられるのなら一体くらいは狩ってきて大丈夫だな、おし、きっとそうだから狩ってこよう。
「後、これを渡しておきますね。これは冒険者になる意思のある人に渡される紙で、門で見せれば冒険者同様、入場税がなくなります」
「助かります。受付の……」
そう言えばこの人の名前なんだっけ?
そもそもズミと俺に対する話し方も少し違う。自然と話し方を変えていたから疑問に思わなかったけど敬語にされるってことは距離を置かれているってことか。名前も教えて貰えていなかったからなぁ。……ああ、それは俺が聞いていないから俺が悪いか。
「受付嬢を務めています、エルパと言います。もし良ければご贔屓にお願いしますね」
「よろしくお願いします、エルパさん」
笑顔で返されたので笑っておく。
「本当に世話が焼けますね」
「申し訳ないです、エルパさん」
笑顔を絶やさない。受付だから無理に作ったのかもしれないけど嫌な気なんて一切、起こさせないような笑顔だ。対して俺は上手く笑えているのだろうか。そんなことをまた考えてしまう。考えたって仕方ないのにな。
「エルパで結構ですよ。受付嬢ごときに敬意を表す必要なんてありません」
「癖なので」
「ズミ達には普通に話すのに私には距離を置いて話すんですね」
あー、バレてしまうか。
というよりも、命を助けてやったっていう建前があるから下に出る必要が無いんだよな。ズミ達が下から話してくる分だけ、俺も下から話してしまうと話が進まないし。それに幼い子達に気を使わせるのは申し訳ない。
「エルパさんだってズミ達とは話し方が違うじゃないですか」
「あの子達は弟や妹のような感覚なので」
少しだけ悲しそうに話してくる。
よく分からないな、色んなことが考えられるけども一番にありえそうなのは……エルパがズミを弟としてではなく男の人として好きとかか。それならフウが俺に引っ付くのは応援するはずだし喜ぶはずだ。なら……なんだろうな。
「それに比べて……ゼロ様はそっくりですね」
「何の話ですか?」
「いえ、内緒の話ですよ」
人差し指で口元を隠して笑ってくる。
本当に感情表現が豊かだな。たいていの男なら笑顔一つで落とされるだろ。俺でもソヨメという存在を見る前だったら危なかったかもしれない。茶色のポニーテールとツリ目が印象的で……それなのに笑顔はすごく優しげだ。まぁ、ナイスバディとまではいかないにしても服は小さめで体型とかが整っていることは見て分かる。
「エッチな目で見ないでください」
「すいません、あまり深く見ていなかったなと思って見てしまいました」
「わ、私は簡単に体を売るような人ではありませんからね!」
嫌がっている……のか……?
本当に女の子ってよく分からない。ただ……エルパは面白そうな人だな。話していて嫌な気持ちが少しも湧いてこない。面倒くささは感じるのに嫌じゃないなんて……優奈以来、見たことがないような気がする。フウは純粋に幼いからこその年上に憧れているだけだ。それが分かるから嫌な気はしないけどエルパに関しては……。
「あ、長話になってしまいましたね」
冒険者ギルドに人が集まってきた。
これは時間が経って依頼を受ける人が多く来たってことだろう。これ以上いたらエルパの邪魔になってしまうからな。「否定くらいしてくださいよ」と頬を赤くして抗議した後、一度、咳払いをしてから「そうですね」と笑うエルパを見ると名残惜しさはあるが、それは別だ。一礼をしてから目を見つめる。
「しっかりと査定してくださいね、エルパ」
「……ええ、お気を付けて。せっかく仲良くなれそうなのに死なれたら悲しんでしまいますよ」
「死にませんよ、もう二度と」
最後の言葉は聞かれたかどうか分からない。
反応が怖くて何も出来ずに冒険者ギルドを出た。つい口から漏れてしまった言葉、一度でも表に出した言葉は俺の中へと戻らない。俺がエルパに対して疑問に思うことがあるように、エルパも俺に対して疑問を持ってしまっただろう。俺に隠し事なんて出来ないのかもな。
街を出てニーナを構える。
悩んでいても意味が無いよな。言ってしまったからには誤魔化せる言い訳を考えておかないといけない。今はただそれだけでいい。こんなことを誰かに話したって俺が楽になるわけじゃないんだ。気持ちを改めろ、ここから先はいつゴブリンナイトとかが出てもいいようにしなければ。
「……八つ当たりで悪いが」
殺させてもらおう、俺が生きるために。
街を出てすぐ現れたゴブリンを遠距離から撃って殺しておく。八つ当たりしたはずなのに気分が晴れてくれない。それでもいい、また構え直して新しく現れたゴブリンを撃った。計三体のゴブリンを倒してからしまっておく。高く売れやしないだろうけど何も無いよりはマシだ。
また奥へと歩き始める。ゴブリンごときで生きていくためのお金は稼げないだろうしな。道は覚えていたからズミ達と通っていた道を進んで奥へと向かう。戦うのであればゴブリンリーダー以上の敵だ。運が良ければ野生動物でも狩ればいい。イノシシなら尚更な。
歩いて数分、特に強い魔物が出てくるわけでもなく気持ちの悪いゴブリンだけを倒していた。今、倒したゴブリンを含めれば合計八体だ。冒険者の依頼だったら達成出来るだけの数かもしれないけど、あいにくと冒険者ではないことを悔やむことしか出来ない。
「……なにもないな」
強い敵と戦いたいわけじゃない。
出来れば動きたくはないからな。強いものに強い敵は任せて俺は俺に見合った敵と戦いたい。動きたくなくても身を守れるだけの力がなければ搾取されるだけだ。振りかざすためじゃなくて身を守るために冒険者ランクは上げたいしな。
それなのにイノシシどころか、ゴブリンリーダーの一匹すら出てこない。稼ぎ口がない以上は帰ることも出来ないし面倒だな。準備をするためにもお金は必要だろうし、あって困るものでは決してない。仮に冒険者になれなくても生きていくために多めに持っていたい。……というか、腹も減ってきたから早く帰って食事にしたい。昨日も今朝も飯を食い忘れたことを後悔してしまう。
「……ってか、喉乾いた……」
準備不足にも程があるな。
宿で美味しくはないけど水は飲めたし、備え付けてあったコップも持ってきている。ただ他のものは何もない。いっそのこと、汗を流すために川の近くでも行きたいところだが……水を探知出来るような能力は持っていない。コップを出してからスラを下ろして近付けてやる。意図には気がついたようでコップの中に水を入れてくれた。
「ありがと」
頭を撫でて中に入っていた水を飲み干す。
普通に美味しいな、陽菜と同レベルっていう感じだからかなりのものだ。日本でも有名なレストランとかで使われるような水じゃないのか。味音痴だから知らないけど。個人的には普通の水よりは少しだけ甘みを感じられるくらいだけどな。
……というか、スラなら案外と水場を探せるんじゃないかって思えてきた。スラは見た目は確かにゼリーみたいだけどほとんどが水で出来ている存在だ。元の住処が水場の可能性はかなり高い。なおさら川とかを探してもらえば……いや、着替えがないな。まぁ、水浴びは出来ないが水場の方が水を飲むために来た野生動物とかを狩れそうだ。やみくもに歩くよりはいい。
もしも鍛治職とかと知り合えたなら罠の作成とかを頼んでも良さそうだ。トラバサミの一つや二つで野生動物の確保はより簡単になるだろう。なによりも作ってもらって成果さえ見せてしまえば商品登録で知り合いが儲かる。ウィン・ウィンの関係を保てるからな。……さすがに売られている可能性の方が高いか。
試しにコップを近付けて水を入れてもらう。
そして飲まずにそのままにしていると俺が望んでいたものと違うと考えたのか、中の水を触れずに消していた。これは多分だけど水をそのまま飲み込んでいるんだと思う。原理は考えたところで魔法の世界だ。考えないようにしておこう。ここまで出来るのなら水場の探知の方が水と関係の深いスライムには簡単だろう。
「スラ、水場って探せるか? 川とか湖とか何でもいいから教えて欲しいんだ」
しっかりと伝わっているかは分からない。
スラ自体が話せるわけじゃないし合図として震えたりするくらいだからな。それでもこうやってプルプルと動かずにいるってことは考えているんだと思う。地面の上にスラを置いて少しだけ様子を見守ってみる。
不意に動き始めた。よく分からないけど斜め左の方をずっと進んでいる。途中で魔物が現れても困るだけなのでニーナを構えて追っているが、スラ自体の速度は少しだけ速い。それでも追っていられるのはスラが調節してくれているからだろう。俺とスラのステータスはかけ離れているからな。
そして数分は俺にとっての全速力で走っていてようやく、俺の望んでいた場所が見えた。綺麗な水面がピチャリと飛び散って魚が飛んでいる。着いた頃にはスラも喜んでいるようで縦長に伸びてプルプルしている。撫でてやるともっと震えてきて俺を癒してくれるから可愛い。
「さて、やるか」
次回は二十六日に投稿します。