表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

若い世代のお話

過ぎ去りし日

作者: 赤川ココ

短編で投稿いたします。

時代ごとの話の一つが途絶えてしまったための、繋ぎでもあります。

遠い昔の、ある二人が健在であった時の、初々しい(?)話となっていると思うのですが、どうでありましょうか?

楽しんでいただければ、幸いであります。

 開けていない土地に入ったのは、里心、だった。

 いや、そうなのだろうと考えたのは周りであって、カスミ本人ではない。

 最愛の妻を失い、暗く打ちひしがれていた従弟に、気晴らしにどこかの一族を滅ぼさないかと切り出したのはロンで、男は行先を決めただけだ。

 生まれた土地であり、妻と初めて会ったところでもあるその土地は、まだまだようやく統率が取れた国が、出来始めたばかりだ。

 初めに腰を落ち着けた南の国で、親族が殆どのその群れは、ある拾い物をした。

 兄弟に見える、美しい二人の男だ。

 一人は十代半ばの若者だが、もう一人はまだ幼い子供で、土地争いで捨てられた地で見つけ、連れて来られた。

 拾うと決めたのもカスミで、意外に思ったものだったが、理由を聞いて得心した。

 子供の方は、カスミの妻がこの地に置いて出た、息子だったのだ。

 つまりは、カスミの娘二人の、父親違いの兄と言う事だ。

 若者の方は、カスミの妻の甥っ子で、弟子でもあったらしいと聞いた。

葉月(はづき)殿は、国では守護を仰せつかっていたと聞く。その弟子ともなれば、相当使える奴なんだろうな」

「何事もなければ、そうなんでしょうね」

 (しのぎ)の期待に満ちた言葉に、ロンは裏切る返事をするしかない。

 この若者、先の土地争いで、殿を務めて王を逃がしたらしい。

 力尽きて、倒れている所を拾われた若者は、目覚めると目を開かなくなっていた。

「あれでは、剣を持つことはおろか、生きてゆけるかも分かりません」

 今は客分として接しているが、いずれは身の振り方を、考えてもらわねばならない。

 だが、そうなると、子供の意志の方は無視するしか、なくなる。

 カスミは、口には出さないが、妻の忘れ形見の子供を、引き取りたがっている。

 若者は殆ど何も話さないが、子供を大切にしているのは傍目にも分かり、子供も懐いている。

「無理はないな、鏡月(きょうげつ)と言ったか、あの子供、何故か母親にそっくりだ」

 不思議なものだと、凌は思う。

 カスミと葉月の間にできた娘、ランとユウは全く似ない双子だ。

 ランは男勝りで、身を守る術を教えている凌も、これが男ならばもう少ししごいて、自分を超える弟子にしたいと思える娘だ。

 ユウの方は、会う人間を笑顔で魅了する綺麗な娘だが、葉月とは違う顔立ちの美少女だ。

 二人は、どちらかというと、カスミの方の血筋が出たのだろう。

 母親の面影を持つ鏡月を気にかけ、連れていきたいと考えるのは、夫としてはあり得る考え方だ。

「カスミちゃんが、というよりも、ランちゃんたちが、母親の面影を目で追ってるだけじゃないですか?」

 やんわりと言うロンに、凌はつい顔を顰めた。

「おい、その言葉遣い続ける気なのなら、せめてオレと二人の時は、止めろ。不自然過ぎて、鳥肌が立つ」

「いつもやっていないと、慣れないでしょう? 我慢してくださいな」

「我慢できないから、言っているんだっ」  

 最近ロンは、父親になった。

 相手は、カスミの姉で、ロンにとっても従妹に当たる琥珀(こはく)だ。

 琥珀は体が弱く、家の安全な部屋の中で生活している時間が長く、久し振りに会った兄弟たち以外の男に、好意を持ってしまったのだ。

 ロンの方は、カスミの娘たちが気になって、余り居つかなかった実家に寄り付き始めていたのだが、一緒に寄り付いていた凌が二人の逢瀬に気付いたのは、随分後だった。

 監視が甘かったと頭を抱える男に、兄のクリスは言ったものだ。

「監視されれば、嫌でも燃え上がるから、仕方がない事だったな」

 子供まで出来たのであれば、二人を認めないわけにはいかない。

 だが、自分たちの家には、いくつかの問題があった。

 その内の一つは、凌とロンの勘当、だった。

 身内たちには暗黙の了解で、実家に出入りする自分たちを、見ないふりしている者が多いが、これは知らなかったでは済まない事案だった。

 そこで、カスミの妻の死から四十九日を過ぎた後、クリスと琥珀母娘を残して、そこを後にすることにしたのだった。

「まあ、兄貴の事だから、しれっととんでもない作り話を触れ回って、お前の名を伏せることには、成功しているだろう」

「ですから、あたしも、女には興味ありませんと、強調しておかないと」

「……だから、その考え方が、分からんのだが」

 元々、ロンも自分も、色事にはそれほど興味がない。

 それを知っている親族や、偶に会う友人たちは、揶揄っては来るが色目を使ってくると言う程でもない。

 むしろ、今更の男に興味ありますの主張の方が、周りの者を驚愕させているのに、勘の鋭いはずの男が、気づいていない。

 カスミに絡んであっさり乗ってこられ、逆に逃げ出す様は見ている分には面白いが、いつまで続けるのかと心配してしまう。

「……願掛けと思って、温かく見守っててください」

「……まあ、嫌になったら、いつでもやめていいからな」

 妙に、意固地になっている甥っ子には、そう言ってやるしかない。

「で、憂さ晴らし出来る一族は、見つかったのか?」

 この話は、もう少し落ち着いてからと切り上げ、代わりに凌が切り出したのは、この地に入った本来の目的の件だった。

 打ち沈んだカスミの憂さ晴らしに、適当な一族を殲滅する。

 死んだ妻似の少年を拾えた時に、あの甥っ子の気持ちは少し落ち着いたようだが、一緒に出て来たもう一人の甥っ子の気は、晴れてはいまい。

 クリスの一番上の息子は、一番自由を縛られた立場だ。

 今回、久し振りに家を出て行動を共にしていて、出来るものならしっかりと憂さ晴らしさせてやりたい。

「探してはいます。一つ、気になる一族はあるんですけど、聞いた話よりやりにくい所で」

 今、周囲の顔見知りに話を通して、詳しく調べている最中だと言う。

「手ごたえのある奴らなら、いいんだがな」

 そういう事は、自分が係わるものではないと、凌は軽く返して立ち上がった。

 最近、骨のある相手と出会わないせいか、体が鈍っているように感じる。

 そろそろ、夜が明ける。

 甥っ子を捕まえて、修業と称して憂さ晴らしさせてもらおう。


 鏡月は、一人っ子で、親にも捨てられたと聞いて育った。

 従兄の水月(みづき)が、そんなはっきりと、言い切ったわけではない。

 周りがそう囃し立て、よく殴り合いの喧嘩になっていたのだ。

 その度に、間に割って入った水月は、鏡月に言い聞かせた。

 勿論、従弟を殴った者たちに、何倍もの借りを返した後だ。

「お前の母上は、お前の命だけは助けたいと願い、その願いを聞き入れてくれた男の元へと嫁いだ。決して、お前を捨てたわけではない」

 短いながらも、信じるに足りる言葉だと、そう思っていたのだが……。

 その日の朝、森の散策中にばったり会った男は、母親が嫁いだ男の兄に当たると紹介された、火のような髪色の大男だった。

 確か、ヒスイと呼ばれていたと思い出した鏡月が、挨拶を口にする前に男の方が口走った。

「葉月の隠し子か。良い朝……」

 挨拶を続けようとしたヒスイの顔に、少年はついつい、拳を叩きこんでしまった。

 我を忘れてのその動きに、鏡月は舌打ちする。

「くそっ。石を握るのを、忘れてたぜっ」

 壊れる程脆くはないが、殴った拳もじんじんと痛んでいる。

「この……っ、突然、何をしやがるっ?」

 まともに顔面に入れたのに、直ぐに起き上がったヒスイは、当然ながら文句を投げた。

 が、鏡月の怒りは、その上をいっていた。

「うるせえっ、誰が、隠し子だっ? 乳のみ子の前で、母親奪って行った奴らが、何を勝手なことを言ってんだっ」

「覚えてねえくせに、知った風な口きくんじゃねえよ。葉月は、自分から嫁いできたんだぜ。うちの身内には、お前の事は全く漏れてねえんだ。隠し子で充分だろうが」

 男の方も吐き捨て、意地悪く笑って見せた。

 どんよりと睨む少年の目が、更に据わった。

 やる気かと身構える男と、今にも飛び掛かろうとする少年の間に、緊張感の感じられない気配で、割り込んだ者がいる。

「お前ら、朝っぱらから、何を騒いでるんだ?」

 呆れ切った顔で声をかける男は、ヒスイと同じくらいの大男だった。

 ごつい印象のヒスイとは違い、銀色の髪色と色白で整った顔立ちのせいか、威圧感はあまり感じない。

 確か、シノギ、と妙な名前を名乗っていたと思い出している鏡月の前で、凌は別な方向を見て声をかけた。

「お前も、見ていたのなら、止めろ」

 その方向を見て、初めてそこにもう一人の人影があるのに気づいた。

 その匂いと姿を確かめ、鏡月は思わず背筋を伸ばす。

 緊張する少年を見返し、森の中から現れた男は、真面目に答えた。

「子供同士の喧嘩に、大人が口出しするのも、どうかと思いまして」

「なっ、誰が子供だっ」

「お前に、決まってるだろう。ヒスイ、子供相手に、何を本気で、張り合おうとしてるんだ」

 つい言い返す男に釘を刺し、凌は再びもう一人の男を見る。

「どちらが誤解か、お前が良く知っているんだろう? 話してやったらどうだ?」

「ご冗談を」

 葉月を娶り、二人の子に恵まれた男は、真面目な顔のまま言い切った。

「どれが本当のところであれ、話す私が虚しくなります。当人はすでに、故人なのですから」

 ヒスイが空を仰ぎ、鏡月は思わず、母親の再嫁した相手を見つめた。

「ん? どうした? 見惚れられる程、見目には自信がないのだが」

「……これくらいは、教えてくれよ。母親は、どうして、死んだんだ?」

 若くして嫁ぎ、子とともに里に戻った葉月が、再びカスミに嫁いだのは、そう昔の話ではない。

 体も丈夫で、長寿の家系だったはずの叔母の死に、水月も驚きを隠し切れなかったようだった。

 鏡月も不思議に思っていた事だったが、カスミは首を振った。

「それは、もう水月に話した。二度も話すには、私にも気力が足りない」

「ミズ兄に、話したのか……」

 少年の顔が、素直に歪んだ。

 疲れ果てて倒れた従兄が起きた後、カスミは妻のその後を簡単に話した。

 鏡月の母の死を聞いて、子供である自分よりも衝撃を受けたようで、元気もない。

 昔から知っている若者が大人しい今、見知らぬ人ばかりのここは、とても居心地が悪い。

 早くここを離れたいのに、これではいつその望みが叶うか、分かったものではない。

「何で、話しちまうんだよ」

 つい文句が出た少年に、カスミは真面目に答えた。

「水月本人が、知りたがったのでな、致し方あるまい」

「お前ら、これから二人で生きてく気か? あいつがあんなじゃ、無理だろ」

 ヒスイが言い捨てるように言うが、その音は意外に優しい。

「お前、女みてえで成長も途中だし、一緒にいる奴が戦えねえんじゃあ、お前を守れねえだろ?」

「……オレだって、喧嘩ぐらいはできる」

 男から顔を逸らしながら力なく言い、何とかこの状況から逃れようと、逃げ道を探す。

 男三人に囲まれているのは、そろそろ限界だ。

 その様子に、気付いているはずのカスミは、気づかぬ振りで立ち尽くしている。

 青白くなった鏡月の顔に気付き、ヒスイが目を見張った。

「ん? どうした? 具合でも悪いのか?」

「……何でもない、ミズ兄のとこに、戻る」

 一気に不快感が押し寄せ、少年は不自然なのを承知で言い、踵を返した。

「おい、どうした?」

 歩き出そうとしてふらついた体を、凌が慌てて支える。

 思わず振り払おうとして、別な違和感に気付いた。

 膝をついて、心配そうに顔を覗きこむ大男を、鏡月はまじまじと見つめる。

 見た事のない、綺麗な目の色だ。

 つい見惚れた少年の額に、凌は真顔で掌を当てる。

「? 熱はないな」

 その手が触れた時に我に返り、鏡月は飛び下がった。

「叔父上、その子には、余り触れないでやって下さい」

 そこまで見守っていたカスミが、ようやく口を開いた。

「どうやら、あの一族の後継ぎとしての性質が、幼い頃より出ていたようです」

「葉月殿の、一族の後継ぎ、か? あれは滅多に、真性は出ないと聞いたが」

「ええ、何代か振り、のようです」

 答えた男は少年を見、初めて薄っすらと笑った。

 何か不味い事を知られた気がして、鏡月は挨拶もそこそこに、走り出してしまった。

「叔父上は、流石ですね」

 取り残された二人の大男が、訳も分からず顔を見合わせる中、カスミが真面目な顔に戻って言った。

「あの子は性質のあおりで、少し敏感な所があります。男が多い私たちの元に残す心配を、水月がしなくても済みそうです」

 二人が、同時にカスミを見た。

「お、おい、あいつ、鏡月を残していくって、言ってんのか?」

「そこまでは、まだ決めていないようですが、私が引き取る件には、本人を説得出来たらと、頷いてくれました」

「それが一番、難しそうだぞ。要は、男ばかりのむさ苦しい所が、嫌いなんだろう? うちは殆ど、女子供がいないからな」

 目指す物がものだけに、偶に集う友人も男ばかりだ。

 ただ一人、妙齢の女はいるが、あれは別な意味で暑苦しい。

「玄人の狐に目をつけられたら、流石に可哀そうだろう」

「ですから、あなたが守ると請け負って、説得願えますか?」

 なんて無茶を、と呆れる凌に、カスミはやんわりと笑いかけた。

 何か良からぬ事を考えている時に浮かぶ、気遣っているように見える笑顔だ。

「強い弟子を育てたいと、常々言っていたではありませんか。あれは、強くなりますよ。あなたとは違う強さの方でしょうが、きっと満足できるはずです」

「……」

 何を企んでいるのかと、つい目を細めてしまったが、凌も初めてまともにあの少年に会って、そう感じたのは否定できなかった。

「水月ってのは、もう起きてるのか?」

 頭を掻きながら尋ねる叔父に、カスミは笑顔のまま頷いた。

「なら、初対面の挨拶も兼ねて、話してみるか」

 甥っ子の書いた筋書き通りに動くのも癪だが、興味のあったもう一人の客人に会うべく、鏡月が走り去った方角へと歩き出した。


 床に伏した者がいる割に、周りは賑やかだった。

 今、一緒にいる子供たちが全員そこに集い、思い思いに遊んでいたのだ。

 ユウが嬉しそうに話しかける相手は、凌よりかなり小さな若者だ。

 ようやく十代の域を抜けたばかりに見える、黒々とした髪を持つ美青年だ。

 整った顔立ちは、話程落ち込んでいるようには見えないが、話しかける娘に頷く顔は笑顔を浮かべない。

 細身の木の鞘で包まれた、剣を抱えて座る若者が、足音に気付いたのか振り返った。

 瞼を閉じたその顔を見返し、凌がゆっくりと声をかける。

「少しは、元気になったのか?」

 初対面にしてはおかしな挨拶だったが、若者は少し考えて答えた。

「起き上がれるくらいには、回復した。あんたは?」

「ああ、すまん。名乗っていなかったな。カスミの叔父に当たる、凌だ」

「ああ、あんたが……」

 顔を上げたまま頷き、若者は薄っすらと笑った。

 その陰に隠れて、腰かけていた鏡月が、小さく身を縮めた。

「水月、だ。カスミの旦那の細君とは、叔母甥の間柄だった。こちらの都合で、世話をかけてしまっていて、申し訳ない」

「気にするな。まさか、ガキが伸び伸びと遊べる場が、ここにできているとは、思わなかった」

 笑いながら答え、凌は内心ほっとした。

 人が全く入らないこの辺りは、子供が遊ぶには死と隣り合わせの場所だ。

 だから朝、散策と称して辺りを見て回るのを、日課にしている大人が多い。

 夜は、交代で見張りも立てているのだが、中々子供たちを安心させることは出来なかった。

「守られるのも、遊びとして入るのか?」

 水月は木の枝の切れ端で打ち合っている、二人の子供の方へ顔を向けて笑った。

「そう言う役立ち方でもできたのなら、良かったと言っておこうか」

 ユウの隣で見上げ、無邪気に笑う少女に笑い返しながら、凌は尋ねた。

「気が早いかもしれんが、訊いておきたくて来た。お前さん、回復したら、どうする気だ?」

「どう?」

「カスミとしては、葉月殿の忘れ形見を、お前さんに任せたくない様だ」

 顔を強張らせて見上げる少年に笑いかけ、水月は頷いた。

「そのようだな。そう考えるのなら、初めからこの子も一緒に、連れて行ってくれていれば良かったのだとは、文句を言ったのだが」

「子連れで娶っては、話がややこしくなりそうだったんだろう。だが、その通りだな。あの頃は、お前さんも、まだ小さかったんだろう?」

「ああ」

 十年の年月が過ぎ、水月は二十の年を越えた。

 幼かった水月は、自分を含めた子供たちを助けるために動く叔母を、止める術がなかった。

「……オレの心は、決まっているが、鏡月の望み次第だ」

「オレはっ」

 思わず話に割って入った鏡月が、二人に注目されて再び首を竦めた。

「お、オレは、ミズ兄と一緒に行く」

「駄目っ」

 ユウが、ぶんぶんと首を振った。

 六歳を越えた少女は、今のところ父に似ることなく、素直に育っている。

 姉のランも、話を聞きつけて、喚いた。

「一緒に、ここにいればいいよっ。オレたちが守るしっ」

 枝を手にしたまま、ランと同年の少年が、無言で何度も頷く。

 この国で、しばらく前に拾った二人の子供は、抜けるよう白い肌と髪を持つ、愛らしい双子だ。

 ここまで白く、眼の色まで紅い人間は珍しく、その為か、ある無人となった村で閉じ込められ、餓死寸前となっていた。

 敬われていたのか、恐れられていたのか、どちらにしても最後は捨てていかれてしまった子供たちは、中々心を開いてくれなかったのだが、水月には妙に懐いているように見える。

 どんな手を使ったかと訊きたい気分だが、訊いても無駄だろうとも思う。

 こういう奴は、無意識に人が出来ない事を、やってのけるものだ。

 無口な少年ジュラの妹のジュリも、ユウの体越しに心配そうに、水月を見上げた。

 若者は、自嘲気味に笑い、呟く。

「こんな小さいのに守られてばかりでは、居心地が悪い」

「だったら、早く元気になって、戦えるようになってくれよっ。そして、オレに、今度こそ、剣を教えてくれ」

 水月は、笑いに苦いものを混じらせた。

「……今は、何かを考えるのも、億劫な気分だ。すまないが、あんたへの答えは、もう少し待ってくれないか?」

「……」

 顔を、凌の方へ向けて頼む若者を見返し、男は目を細めた。

 ゆっくりと頷き、答える。

「こちらこそ、先走り過ぎて、悪かった。詫びと言うより、オレ自身がそうしたいと思ったんだが、一ついいか?」

「何だ?」

 首を傾げる水月から、その奥で自分を見上げる少年を見た。

「その子、オレに預けてくれないか?」

「あ?」

 思わず、乱暴な返しをしたのは、鏡月だ。

「何、訳の分かんねえことを……」

「分からんことは、ないだろう。お前さん、剣を学びたいんだろう? なら、何もそいつだけが、剣の使い手じゃないぞ。自慢じゃないが、オレも相当、使える」

 少年の目が、疑いの色を帯びた。

 失礼だなと思いつつも、その目の色の薄さに、不思議な感覚を覚える。

 そんな二人を見比べ、ランが嬉しそうに頷いた。

「それがいいよっ、ねえ、キョウ兄、シノギ叔父さん、でっかい熊を、素手で殴り殺せるんだよ」

「素手? 剣が使えねえんじゃあ、お呼びじゃねえんだけど」

「大丈夫だよっ、オレも、叔父さんに教えてもらってるんだ」

 傍で、ジュラも無言で頷く。

 困ったように水月を見上げると、若者も鏡月を見下ろした。

「どうする? どちらにしても、これから先、お前を守り切れるか、オレも自信がない。お前自身が、身を守る術を持ってくれるのなら、少しは安心だ」

「……」

「あのな、体がでかくても、剣が優れている者は、いるものだ」

 まだ疑っている少年に、若者はゆっくりと言って聞かせた。

「何も、小回り出来るだけが、強さを作る訳じゃないからな」

 唸った鏡月は、渋々だが頷いた。

「考えてみる」

「そうか」

 凌はほっとして頷いた。

 ついつい顔を緩めて、笑みをこぼす。

「前向きに、考えてみてくれ。遊んでるところ、邪魔したな」

 それに笑いかえしながら、水月が答えた。

「いや、色々面白い事に気付いた分、楽しめた。時々は、あんたも遊びに来てくれ」

「ああ、そうする」

 頷いた男が背を向けて立ち去るのを見送り、鏡月が大きな溜息を吐いた。

 見目のいい男が二人笑い合う図は、子供たちを固まらせてしまうのに、十分な衝撃だった。

「中々、面白い男が揃っているな」

 水月が呟き、従弟の様子を伺う。

 妙に大人しい少年は、まだ男の去った方を見ているようだ。

 今後の事を、鏡月は本気で、考えなければならない。

 だが、長く考える暇はなくなった。

 突如、心を決める出来事が、起こったのだ。


 その話を持って来たのは、唯一の女だった。

 女狐のその女は、遠い親戚筋に当たる狐が生んだ、ある子供の事を話題に乗せた。

「子供を産んだと聞いて、見舞いに行った時には、確かに三人いたのよ。なのに、今日見に行ったら、一人減ってた」

 人形を取れる狐同士が、馴れ合い行き来することは、あまりない。

 だが、女にはそうしたいと思える、事情があった。

「いなくなった子、妙に白いのよ」

 その時まだ乳飲み子だったその子は、肌の色が異様に白く、目も青い女の子だった。

 そう言う子供は体が弱く、上手く育たない。

 だが、上手く養えば、逆に神聖な狐に育つ。

 いなくなった理由には、何となく心当たりがある。

 自然界では、弱い子供を見捨てざるを得ないのだ。

 だが、その子の母親は、曲がりなりにも妖狐の一人で、捨てようと考えると言う事は、それこそ力不足な狐と思われても、仕方がない話だった。

「その子は、どうしたんだ?」

 凌の問いに、女は悩まし気に唸って答えた。

「連れ去られたって」

「誰に?」

「近くに住まってる、猫又の村の奴に」

 珍しい色合いの子供は、目を付けられやすいが、これはおかしな話だ。

「猫が、狐に目をつけるか? 確かに、似てはいるが」

「その猫又たちは、人間と良く接しているらしいのよ。だから、珍しい色の子は、いいもので取引できるでしょ?」

「飯のタネにされたってことか。じゃあ、その子はもう……」

 溜息を吐く凌に答え、女は眉を寄せた。

「残念だわ。もし、あの人が養いきれそうもなかったら、私が育ててみたかったのに」

 そんな話をしたのは数か月前で、その出来事は五六年前だったと聞いた。

 そして今夜、ロンが拾い集めて来た一族の情報が、どうやらその猫又の一族のものらしい。

 しかも、意外な事実があった。

「その一族の、ある家族の中に、珍しい者がいるようです」

 様々な柄の猫又の中で、毛並みも変わった家族がいた。

 長毛の黒猫の家族だ。

 この家族を筆頭に、妙に大人しく暮らしている一族で、出稼ぎから戻って来た若者が独り立ちするのを、一族全員で盛大に祝ったりするさまが、見て取れた。

 その家族も、長男らしき若者が無事帰還したのを喜び、祭りで楽しく過ごしていたのだが、その家族の中にただ一人、白髪の娘がいたと言う。

「しかも、その子、猫じゃなかったんです」

 狐、だったのだと言う。

 黒猫一家の末っ子らしい少年の後について、嬉しそうに祭りを楽しんでいた。

「ほう、歩けるほどに、育っていたのか。その白狐が?」

 カスミが、感心した声を上げた。

「そうなの、雑に養ったら、あんなに元気には育たないわ。大切に育ててもらっているのよ、きっと」

「なのに、襲うのは、その家族を筆頭にした、猫の一族か? お前、後ろめたいとは、思わねえのか?」

 顔を歪めてのヒスイの問いに、ロンは何でもないように答えた。

「コトちゃんの知り合いがね、取り戻したいって、切に願ってるんですって」

 その場の全員が、妙な空気になった。

 寿(ことほぎ)と、凌に名付けられた狐が、苦笑して頷いた。

「言いたいことは分かります。私も、あの村の話を聞いて、思いましたもの。あの人、体の弱い子を育てきれないで、猫の一族の村の近くの山に、捨てたんじゃないかと。本当は、殺してくれることを、願ってたんじゃないでしょうか」

「で、立派に育ってると知った途端、その業績を猫にとられるのが、惜しくなったか?」

 呆れ果てた空気の中、ロンだけは淡々と話す。

「手ごたえは充分にあるはず。どこから崩すかを、まずは考えてみましょ」

 余りに淡々と話を進める男に、凌が目を細めて尋ねた。

「お前らしくないぞ。その程度の情報で、そこに目を付けたのか?」

 見返したロンは、躊躇ってから答えた。

「ここは、父が雇っていたあの猫の一族の、一つです」

 叔父が目を見開いた。

「確かか?」

「はい」

 唸った男に、ロンはきっぱりと言い切った。

「根絶やしにしたいんです。例え、あいつと係わりがなく、誠実な暮らしをしているとしても」

 係わりがないなら、この襲撃は八つ当たりだ。

 だが、それを責める言葉は、出てこなかった。

 死んだロンの父の姿を得た、あの猫が裏切った事を、凌は知っている。

 すでに奴はこの世にいないが、ここの猫たちは、主を手ひどく裏切る一族ではないかも知れないが、一族全てを、この世から抹殺したいと甥っ子が考えてしまうのは、無理がなかった。

「あの猫の一族は、代々主の死後の姿を得る約束の代わりに、その身の守護を買って出る。つまり、簡単に抹殺させてはくれないだろう」

「下手な恨みも、残しちゃいけねえな。つまり……」

 女や子供たちも、皆殺し、だ。

「良かったな。今は子守がいるから、子供たちを連れて行かなくても、安心して動ける」

 ヒスイが、わざとらしく明るい声で言い、そのままロンに尋ねた。

「いつにする?」

 話を進めるうちに、後ろめたさが消えていく。

 襲撃は明日の、新月の夜に決まった。


 月がないからと言って、夜行性の獣には、不安になる話ではない。

 だが、獣によっては力が弱まり、その間だけ引きこもる者もいる。

 オキの一族は、むしろ逆だった。

 闇の深さが、野生を駆り立て、強くなる。

 今は、独り立ちを成した長兄が戻り、その力は強固なものになったと、そう感じていた。

 それなのに、突如襲って来た人間たちは、そんな自尊心を木っ端みじんに崩した。

 女子供も容赦なく、虐殺される様を見守る父が、薄く笑った。

「まだ、慈悲がある方だな。姿を形どる者を、最後に相手取る気でいるようだ」

 家族の大黒柱は、父であったり父母二人であったりする一族だ。

 その子は成長して出稼ぎに行くまでは、親の姿を形取り人形となる。

 その能力も借りて成長するから、まだ未熟な子供たちでも、大抵の賊には対処できる。

 それを知っているのか、一族の大黒柱達は、未だ刃にかかっていない。

「しかし、ここまで強大な連中が、この地に迫っていたとはな。何が気に障ったのか」

「それとも、何か狙う者があるのでしょうかね」

 大黒柱の一人の女が、ちらりと一瞥した先には、青ざめた少女がいた。

 青白い肌と青い目。

 髪の毛まで真っ白なせいで、動揺した今はそのまま消えてしまいそうなほどに、白く感じた。

 立っているのがやっとの少女を、オキはしっかりと抱え込んでいた。

「そう、そうやって、しっかりと捕まえておきなさい」

 一瞥の後、すぐに賊の様子を伺っていた女が、何でもないように言った。

「誰にも渡さない気概こそが、力になることもある」

 情のある言葉に、少年はしっかりと頷いた。

「……強大な力を持っていますが、数は思ったよりも少ないです」

 気配を辿っていたオキの兄が、静かに告げた。

 父が小さく笑う。

「逆に、厄介な連中だと言う事だな」

「はい」

「ですが、こちらもまだまだ、運がある」

 別な大黒柱が言い、その娘もうっすらと笑った。

「まさか、独り立ちできたと思ったら、すぐに一族の存続にかかわる事態に陥るとは。これで生き残れたら、いい語り草が出来ます」

 緊迫した空気の中で、笑いが湧いた。

 同時に、士気も上がっていく大人たちの中で、オキも気を引き締めた。

「オキ」

 静かに呼びかけたのは、母親だった。

「あなたは、(りつ)を連れて、逃げなさい」

「何でっ? オレも、戦う」

「馬鹿。お前が戦ったって、何も変わらない」

 兄が見下すように言い放ち、むっとした少年を笑う。

「律を連れたまま、本気で戦えるのか? それより、女を守って、どこかに隠れてろ」

 見上げた目を見返す兄の目は、そんな気楽な言葉とは裏腹の、真面目なものだった。

「騒ぎが収まるまで、出て来るんじゃないぞ」

 覚悟を、感じた。

 絶望しか感じない事態で、目当てであろう娘を逃がすことで、少しでも留飲を下げようと言う、足掻きでもあっただろう。

 だが、それも、本当に無駄な足掻きとなった。

 律の手を引いて山を駆けていたオキは、前に立ちふさがった大男を見上げ、そう感じた。

 待ち伏せされていたわけではない。

 一族の殆んどが、すでにこいつの仲間の手にかかって、手が空いたこの男が、自分を追って来たのだろう。

 立ち塞がった赤毛の男は、オキを見下ろして舌打ちした。

「まだ、ガキじゃねえか」

 その言葉で、目を険しくした少年の後ろの少女を見止め、男は頷く。

「確かに、毛色が珍しい狐だな。良くここまで成長したもんだ」

 見据えられて身を固くした律の前から、オキが男へと飛び掛かった。

 拾った木の枝で先手を打って打ちかかり、油断していた男が動転するのを見ながら、叫ぶ。

「先に逃げろっ」

「でもっ」

「早く行けっ、直ぐに追いつくから……」

 必死で言いつのる声が、男の反撃で途切れた。

 拳が体に入り、そのまま小さな体が吹き飛んだ。

「ったく、あんまり、手間かけさせんじゃねえ。余計な苦しませ方は、したくねえんだよ」

 溜息交じりに言い、大男は腰から剣を抜いた。

 地面に倒れたまま、起き上がれないオキの前に立ち、その姿を見下ろす。

「や、止めて下さいっ。お願いです、この人は……」

 咳込む少年を抱え起こしながら、律が懇願した時、オキの体が変化した。

 抱きしめた体が小さく縮み、本来の黒猫の姿に戻るのを見て、律は家族の死を知った。

「お、やじ……嘘だろ」

 呟いた黒猫を抱きしめ、少女も顔を歪める。

 そんな二人を見下ろし、男は首を振って嘆いた。

「おい、ガキ相手でも後ろめたいってのに、小せえ猫を相手にしろってか。ったく、お前が無駄に足掻くから、こうなったんだぜ。悪く思うんじゃねえぞ」

 無慈悲な物言いに、律は男を睨んだ。

 オキを抱く腕に、さらに力を込める。

「だから、悪く思うんじゃねえぞって。お前は、お袋の元で、幸せに暮らしゃあいいじゃねえか」

「……私が、母の元に戻るなら、この人を助けてくれるんですかっ?」

 真顔で言う少女と、思わず顔を上げて律を見る猫の前で、男は少し考えて頷いた。

「ああ、助けてやるぜ。だから、そいつから離れろ」

「……おい、信じるなっ、そいつ、初めからオレたちを、殲滅する気だ」

 オキの言い分を聞くまでもなく、律も分かっていた。

 幼い頃、自分を置いて去る母親が、心にもない事を言っていた時と、同じ顔だ。

 だが、このままここにいても、オキは助からない。

 それならば、少しでも望みがある動きをしたのちに、自分もオキや家族たちの後を追おう。

 そんな気持ちが滲んていたのか、オキがその顔を見上げて首を振った。

「駄目だ、お前は、お前だけは……」

 黒猫を見返して、少女は微笑み、その体を地面に置いて立ち上がった。

「い、行くなっ」

 叫んだオキの声を背に、律が男の方へと歩み寄ろうと足を踏み出したが、その前に立ちふさがった者がいた。

「……弱いもんをいたぶるのが、そんなに好きなのか、あんたは?」

 自分より、年かさの少年だった。

 黒髪で整った顔立ちの少年は、かなり怒っているようだった。

 そして、前に立つ男とは、顔見知りのようだ。

「お前、何で、ここにいんだよ?」

 赤毛の男が驚いて、目を剝いたまま尋ねたその目の先で、更なる驚きが重なった。

「わ、本当に子供だっ。可愛いな」

 自分と同じくらいの、男勝りの少女が、重なる事態について行けずに立ち尽くす律に気付き、破顔した。

「わーい、女の子が増えた。いっぱい遊べるっ」

 嬉しそうな声と共に、二人の少女が律の体に抱き着いた。

「こらこら、驚かしてはいかんぞ。初めて会う友達には、まずは名乗らないとな」

 赤毛の男が、目を剝いたままぎょっとした。

 笑いの滲む声で少女たちを窘めたのは、いつの間にか律とオキの傍に立っていた、若者だった。

 赤毛の男より、頭一つ分は小さいその若者は、瞼を閉じたまま少女を見下ろし、微笑む。

「線が細そうな、狐だな。だが、心根は強い様だ。名は何という?」

 四つん這いで立ち上がり、威嚇するオキの頭を撫でながらの若者の問いに、少女は知らず答えていた。

「律、と言います」

「そうか。良い名だな。お前は?」

「……オキ」

 威嚇しながらもつい答えた黒猫が我に返って、本来の敵の男を見た。

 赤毛の男は、顔を険しくして若者に声を投げた。

「お前、何で、ガキどもを連れて来たっ?」

「何を怒っているんだ? ただの夜の散歩だ。子供たちだけに留守を任せて、出かけるわけにはいかんだろうが」

「だからって、なんでよりによって、ここに……」

 尋ねる男に首を傾げ、若者は笑った。

「何でだろうな。それは、分からん」

「何だとっ?」

「だが、来てよかった。これで、鏡月の腹も決まっただろう」

 言われた少年は、立ち塞がったまま物騒に笑って見せた。

「ああ、腹は決まった。こんな殺戮を好むところになんぞ、居つけるかっ。ミズ兄、早くどっかに行っちまおう」

「おいっ、早まるなっ。いいか、これには事情が……」

「事情、か」

 男の必死の声を、若者が楽しそうに遮った。

「下らん事情だろうな」

「なっ」

「力を失ったガキにまで、刃を向ける事情なんぞ、下らんものだと、決まってるだろうが」

 男の顔が、怒りで歪んだ。

「目が見えなくなって、役に立たねえ男が、偉そうなことを、ほざいてんじゃねえぞ」

「役に立たんかどうかは、試してみんことには、分からんと思うが?」

「おう、泣きを見ても、知らねえぞ」

 剣を構え、体に殺意を乗せた男を前に、若者は持っていた細長い杖を、地面に突き刺しながら、言った。

「律とオキ、と言ったな? お前ら、どうしたい?」 

 顔を上げた二人を見ないまま、若者は続けた。

「恐らく、オキはこの先しばらく、人形を取れないだろう。それでも、二人で生きる方を選ぶか? それとも、この男の言い分に従うか?」

 見知らぬ人だ。

 だが、律はすぐに答えていた。

「この人と一緒に生きれるのなら、この人がどんな姿でも構いません。力を失ったのなら、私が力をつけますっ」

 若者が微笑んで、少女の頭に手を置いた。

「よく言った。その術は、オレが叩き込んでやる。その前に、邪魔者は、消してしまおうな」

 言いながら、若者は杖の先を握った。

 と思ったら、いつの間にか、赤毛の男の背後にいた。

 振り返って身を引く男の手から、剣が零れ落ちる。

「?」

「剣は、手に持っていないと、武器にも防具にも、ならんぞ」

 唖然として、自分が落とした剣を見下ろす男に、若者はやれやれと首を振った。

 その手には、細身の剣がある。

 軽い音が響いたと思ったら、もう一人男が増えていた。

 赤毛の男の前で、若者の振り下ろした刃を、剣で受けている。

「……出たな、化け物その二」

「誰が化け物だ。お前もその一人だろうが」

「何を失敬な。オレはあんたらと違って、年老いて死ぬ」

 若者の真顔の意見に、銀髪の大男はつい吹き出した。

「それだけが、違いか? さして変わらないじゃないか」

「大きな違いだろうが」

 そこでようやく、赤毛の男が後ろに後ずさった。

「何で、そんなに早く動けるんだよっ? お前、目が見えるようになったのかっ?」

 銀髪の男が小さく笑い、若者がきょとんとした。

 閉じていた目を開き、答える。

「元々、こんなだが。面倒だったから、目を開かなかっただけだ」

「は?」

「……あんた、気づいてなかったのかよ。それでよく、剣の使い手を名乗ってんな」

「何だとっ?」

 呆れた年長の少年が、睨む赤毛男に言った。

「ミズ兄は元々、小さい頃から、目が見えてねえの」

「いやいや、気づかれても困る。弱みになることもあるからな」

「お前さんの弱みには、ならんだろう」

 銀髪の男が言いながら、交えられていた刃を払い、剣を構える。

「久しぶりに、腕が鳴る相手のようだな」

「そうか? 随分と退屈していたんだな」

 若者も表情を改め、細身の刃の剣を構える。

 年かさの少年が、その隙に律たちに近づき、その背に守るように立つ。

「……待ってろよ。すぐこの場から、逃げられるからな」

 のんびりと笑う後ろで、二人の男が切り結んでいるのが見えた。

 はらはらと見守る律に、少女の一人が笑顔で声をかける。

「私、ユウって言うの。この子はジュリ」

「は、はあ」

 呑気にも見える会話に戸惑う少女に、同じ年ごろの男勝りな少女も声をかけた。

「律って言うんだな。オレ、ラン。こっちは、ジュラ。よろしくなっ」

「よ、よろしく?」

 今迄の話は、全く無視した挨拶だ。

 戸惑ったままの律の前で、切り結んでいた二人の戦いが、唐突に終わった。

「うわっ」

 男二人の声が、驚きの色で揃った。

 同時に動きを止めた二人の間に、もう一人の男が立っている。

「……やはり、身を挺して止めるのは、良策ではないですね」

 真面目な顔で、その男は言った。

 若者と大男の間くらいの体つきのその男は、二人の刃をその身に刺し、しんみりと言った。

「串刺しは、流石に痛い」

「あ、当たりめえだろうがっ」

 一瞬、唖然として見ていた赤毛の男が、盛大に言い返した。

「しかし、無理にでも止めないと、この隙に鏡月だけでなく、子供全員が姿を消しそうでした」

 男は言い、呆れ果てている二人に声をかけた。

「そろそろ、剣を引いてくれませんか? このままでは、話しづらい。聞く方も聞きづらいでしょう」

 最初に、剣を引き抜いて引いたのは、若者の方だ。

「……相変わらずの、化け物っぷりだな」

「これと一緒にされるのは、流石に不本意なんだが」

 銀髪の大男も剣を引き、気の抜けた溜息を吐く。

「で、終わったのか?」

「はい」

 大男の問いに、真面目な顔でしっかりと答えた男は、顔を強張らせた少女を見下ろした。

「難儀しましたよ。真に迫っていないと、周りが騙されてくれませんからね。根は強い一族だったようですので、あれで何とかなるでしょう」

「そうか」

 銀髪の大男はその説明だけで得心し、子供たちを庇って立つ若者を見た。

「本性を現したところで、改めて話をしたいんだが、一度、元の場所へ戻ってくれるか? その子ら、全員連れて、な」

「……」

「話が決まるまで、その猫の命も預かる。その娘の処遇も。ヒスイやロンには、言い含めて手出しさせないと、約束しよう」

 真に迫った言葉を受け、少年と若者は一旦元居た場所へ戻り、どんな話し合いが凭れたのかは知らないが、なぜか長々と居続けることとなった。

 その年月は、数十年と短いものだったが、律は水月と言う師匠の下で強く育ち、オキも猫のままとは言え、徐々に力をつけて行った。


 その終わりは、唐突なものではなかった。

 水月がカスミの元を離れる事を決めた時から、この終わりは予想されていたと言ってもいい。

 だが、それを見届けた者全てが、それを実感したのは夜が更けた頃だ。

 昼間倒れた男が、息も鼓動もなく全く動かないのを見ても信じられず、本当に死を受け入れられたのは、その体が冷え切って固まり始めた頃だった。

 横たえられた亡骸の枕元で、ただ座っている律と鏡月は、その死を実感しても涙を流すことがなかった。

 すすり泣く女たちの声を聞きながら、律は膝にすり寄ったオキの体を、ゆっくりと撫でる。

 鏡月は、顔を伏せたまま静かに立ち上がった。

 見とがめる者は、いない。

 群れを離れると、辺りは静かだ。

 血の繋がる者はまだいるが、頼れる身内は水月だけだった。

 その水月が、一番気心知れた自分の師匠に、敗れた。

 感情がこみ上げるにはまだ早すぎる様で、何も感じない。

 凌は水月を斬り払った後、倒れた男を見下ろして立ち尽くしていた。

 従兄に駆け寄る弟子に背を向け、黙ったまま立ち去ってしまった。

 鏡月の兄弟子たちも、あの場にはいない。

 水月の体が固まり始めた頃、カスミが静かにやって来ただけだ。

 今後、どういう話になるのかは分からないが、自分と律がここを出る事を選んでも、引き留められることはもうないだろう。

 ひんやりとした夜風を受けながら、鏡月は暫く夜空を見上げて立ち尽くした。

 その風に、僅かな血の匂いが混じっているのに気づき、我に返る。

 この辺りに知った人間はいないようだが、匂いでそれと分からない者に、心当たりがあった。

 慎重に匂いを辿り、その血の匂いが濃くなった場所で、立ち止まった。

 山奥の、険しい岩場の間に、誰かが座り込んでいる。

 岩壁に背を預けたままのその誰かは、顔を伏せたまま動かない。

 月明りの中で銀色に光る頭と大きな体を、鏡月は無言で見下ろした。

「……」

 この人は、何かを残すことなく逝く気か。

 水月は、子供を儲けて逝った。

 呪い持ちで、長く見守る事が出来ない事を悔やみながらも、死にざまには満足していたはずだ。

 逆にこの人は、様々な悔いを残したまま、一人で去ろうとしている。

 小さく咳込み、目を上げた男が、若者に気付いた。

 ただ見下ろす鏡月を見上げ、凌は笑う。

「見つかったか。かくれんぼには、向かないようだな」

 こんなでかいなりでは、身を隠すのにも不向きだ。

 自嘲気味に笑い、黙ったままの若者を見上げると、すぐに真顔になった。

「済まなかったな。もう少し、オレが器用なら、水月にとりついた呪いを、解くことも出来たかも知れない」

「何で、謝るんだよ……そんなの、あんたが出来るはず、ねえじゃんか。あんたにそんな事、望んでねえよ」

「そうか、そうだな」

 短く返して見返す凌の目は、昔と変わらない。

 可憐な花の一つに、この色の花びらを持つものがあると知った時は、道行くたびについつい、その花を探した。

 傍にいても嫌じゃない男が師匠となり、今は仇になった。

 怒りはない。

 ただ、身内の死が開けた大きな穴が、どうやったら埋まるのか、分からずにいるだけだった。

「謝って、死で報いる気なら、やめてくれ。あんたは、生きろ。オレや律の恨みや悲しみを、全て受け止める為に」

 どう言って、謝罪を流そうかと考えた挙句、鏡月は乱暴にそう言っていた。

 その顔を見つめ、凌は小さく笑う。

「ああ、そうしよう。次に会う時は、その恨みも全て受けてやるから、今はそっとしていてくれ。もう少しだけ、休ませてほしい」

 とにかく疲れたと目を瞑った男は、若者の去る気配をそのまま見送った。

 親族の者を避け、人払いしたこの場に、鏡月が気づくとは意外だったが、それだけ重傷で血の匂いがひどいのだろう。

 狂った水月の剣は、武器も狂っていた。

 一息に終わらせようとした一閃を縫って襲った刃は、完全に内臓をえぐり取っていった。

 つい、相手がどういう状況になるかも考えず反撃して、名ばかりの勝利は治めたが、回復するとは思えず、一人の療養を選んだのだ。

 随分長く、生きていた。

 もう充分だろうと、凌は固く目を閉じた。

 二度と、目覚めないだろうが、悔いはない。

 最期に、弟子の顔を見て謝れたのだから、それでいい。

 心残りがあるとしたら、その弟子が本当の意味で目覚めるのを、この目で見れなかった事だろう。

 望む者の、癒しの力を引き出す力。

 そんなものが目覚めたら、気安く師弟として付き合えなくなり寂しくなるだろう。

 それでも、誰かに想い寄せる若者を見るよりはましだと、その日を心待ちにしていたのだが、叶わなかった。

 もうこうなれば高望みはしないから、若作りなあの弟子も幸せになって欲しいものだと考えながら、凌は意識を沈めていく。

 朦朧とした意識の中で、夢を見た。

 頭を柔らかい体に抱きしめられ、そのまま口づけされる夢だ。

 痛みが和らぎ、体に熱が孕むのが分かるが、依然として動けないから、矢張り夢だ。

 色恋に縁がなかったのに、女を抱く夢でも見ているのかと、凌は内心苦笑した。

 

 それは、ラブロマンスの、序章だった。

 カスミが書いた、架空の映画撮影の台本。

 読み合わせしている三人の女は、男役すら使い分けて読んでいて、臨場感もあった。

 早々にカウンター席のテーブルに、頭を抱えて突っ伏したのは鏡月だ。

 潰されそうになって若者の膝から避難し、隣の椅子に座った水月は、出されていたホットミルクを啜った。

 様々な思いの溜息を、盛大に漏らす。

「……おい」

「言わないでくれっ」

 小さく呼びかけた幼い少年に、鏡月は小さく吐き出した。

 瀕死の末、無事復活を遂げた男の、寝込みを襲う女。

 その女が秘かに身籠り、先の話にも登場するのだが、鏡月の素直な反応が、気づかせたことがあった。

「お前、すごいな。あの旦那の、寝込みを襲ったのか」

「言わないでくれって、言ってるだろうがっ」

「こじつけかと思って、身籠る件は流し読みしていたんですが、鏡月?」

 突っ伏した若者の逆隣りで、コーヒーを啜っていた律が呼び掛けて、溜息を吐いた。

 違和感は、会った当初からあったのだ。

 ウルに紹介された、ライラと言う女。

 顔見知りの母親だと言われて、何故かしっくりこなかった。

 そして、何故か凌から逃げ回っている、鏡月にも違和感があった。

 逃げ回っている割に、その子供の若者には、何だかんだと理由をつけて係わっているのだ。

「……出来心だったんだ。ただ、怪我を治してほしくて願ったら、段々逆に弱って来て、慌ててしまって……」

 視力と引き換えに、無事怪我を治し安心した時、動かない男が珍しくて、ついつい触り過ぎたのだ。

「だろうな」

 だからこそ、その事実に気付いて、鏡月は慄いたのだ。

 そして、芽吹いた物を、男の体に丸投げしたのだ。

「まさか、あんな長い間、女の一人も作らんとは、思わなかったんだっ」

「だよな」

 予想以上の朴念仁、凌の話だ。

 凌に丸投げされた愛の結晶は、そのまま体内で眠り続け、ライラと言う女と出会った時に、ようやく眠りから覚めたのだ。

 こんな形で真実を暴露され、鏡月は仕事中も動揺した。

 今は顔も上げられない程に、憔悴しているのだが、水月は面白そうに笑った。

「まだ、何か面白い話が、隠れているのだろ? 楽しみだな」

 流石はカスミの旦那だと、少年は昔の知り合いを称賛した。

 舞い戻った世で、こんなに楽しい過去話が聞けるとは、思っていなかった。


最期まで読んで下さった方、有難うございます。

懲りずにまた、次回は長編を投稿する予定であります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ