翳り
兵士達に追い詰められた僕とアリエッタを助けてくれた男は、かつて僕を暗殺しようとした男、グロフレインだった。
「身構えなくていい。流石に俺も、家の中で暴れられたらたまったものではない。今回助け舟を出したのは、俺としても君達があそこで殺されては困るからだよ」
グロフレインは落ち着いた様子で淡々と話す。しかし、僕とアリエッタが妙な気を起こさないようにずっと圧を放っていた。
「そ、それって……お前を殺すのは俺の役目だ……とか、そういうアレなのか……!」
何となく少年漫画的な展開なのかと思ったが、グロフレインはあっさりと否定した。
「いや、役目、というほどのものでは無い。君が俺にあるものを与えてくれたのなら……俺は君を殺すつもりでいる……。それだけの話さ」
な、何を言ってるんだ……? 与えたら、殺す? この男は、何がしたいんだろう……。彼は平然とした様子で、それを普通のことのように話しているが僕には一切理解できなかった。
「わけがわからないことを……!」
僕の横でそう言うアリエッタに対して、グロフレインはこう返す。
「俺は、君の方がわからないがね。君は何故、あの時彼を助けたんだい?」
アリエッタは一瞬僕の方を見るとグロフレインの問いに対して簡潔に答えた。
「私は、魔物に支配されたもう半分の世界……神に見放された地、天外魔境へ行きたいの……。けど、あの場所への入り口は別の世界から召喚された勇者じゃなければ開けられない……!この世界の人間には開けられないの。貴方も知ってるでしょ……!」
その答えに対しグロフレインはふぅ、と溜息をつく。
「ああ、そんなことは知っているとも。俺が望む答えじゃない」
「じゃあ何を……!」
「彼のような異物ではなく、もう少し優秀な勇者が召喚されるまで待てたはずだ。何故、君は彼を選んだのかな……。それとも……ああ、君は……」
グロフレインが考え込み、導き出した答えを言おうとした瞬間だった。
「……やめて!」
アリエッタは今までに無いくらい声を荒げた。彼女は肩を震わせ、グロフレインを睨みつけている。
「おおっと、悪いねぇ。俺は君を虐めるつもりは無かったんだが、ついちょっかいを出したくなってしまってね」
二人は、一体何の話をしているんだ……? 僕が困惑しているとグロフレインは扉の方へ歩いていく。
「俺は外の様子を見てくるよ。オージ王子がお帰りになられたら、君達を呼びに来よう」
そう言うとグロフレインは外に出て行く。
「アリエッタ……? 大丈夫……?」
僕は俯いているアリエッタを心配し、そう声をかける。
「……平気よ。別に、何も」
だけど、どう見ても彼女は平気そうには見えない。
「あ、あのさ、な、何でも話して欲しいなって……僕、頼りないと思うけど、誰かに話せば少しはすっきりすると思うし……」
僕がそう言うとアリエッタは僕から距離を取る。
「……何も知らない癖に、何が話して欲しいよ。軽々しく言わないでくれない?」
僕と目を合わそうともしないアリエッタ。
「だ、だって君が何も話してくれないから、わからない……んだよ」
そんなこと、彼女もわかっているはずだ。でもそれは、僕には話せないことなんだろう。魔物に支配された地……天外魔境へ行く理由も、彼女は以前聞いた時答えてはくれなかった。
「……わ、わかったよ。待つよ」
僕が無理に聞き出そうとせずにそう言うと、アリエッタはやっと僕の方を向く。
「アリエッタが話してくれるまで、待つよ……。それに、今度、さっきみたいなことがあったら、僕が守るから!」
僕は彼女に誓う。僕の顔はたぶん今真っ赤だろう。
「……はぁ」
アリエッタはそんな僕の様子を見ると溜息をつく。
「どの口が言ってんの。いつも危なくなると私の後ろに隠れる癖に」
「じゃ、じゃあ、次は僕が前に出るよ!」
「やめてよ。死なれるとこっちが困るわ」
「でも! 僕ずっと守られてばかりじゃん! 男なのに女の子に守られてばかりで情けないよ!」
僕が必死にアリエッタを元気付けようとしてると、彼女はいきなり僕のヘソに正確に指を突っ込んでくる。
「アウッ」
指でほじくるように僕のヘソをいじるアリエッタ。僕が身をよじらせているのを確認すると彼女は指を僕のヘソから抜く。
「な、何するんだよ!」
僕が怒ったようにそう言うと、アリエッタは無表情ではあったものの何となくいつもの雰囲気に戻っていた。
「何が守るよ。私より強くなってから言えっつーの」
一瞬彼女の目に何か翳りのようなものを感じたが、深くは突っ込まなかった。
それから少しすると、グロフレインが戻ってきた。
「オージ王子達はすぐにいなくなった。もう外に出ても大丈夫だろう……。それとも、もう少し二人きりの方が良かったかい?」
「おええええ……」
あからさまに嫌なリアクションをするアリエッタ。何だか彼女にキモがられるのも慣れてきた気がする。僕は二人きりでも良かったのだが。
「この街にいる間は、何か用がある時に来るといい。俺はまだ君達と戦うつもりは無いからねぇ」
グロフレインが僕とアリエッタを見送る。よくよく考えれば彼は殺し屋だ。恐らく、殺し屋故に隠れ家的な場所に住んでいるだろうに何故僕達にあっさりと家の場所と、素顔を明かしたのだろう。
僕達は宿屋に戻り、一階で食事をすることにした。僕は今晩もガツガツと肉を食べるのだが、アリエッタは違った。
アリエッタの手元にあるコップには泡立ったものが……これは、酒? 僕が困惑しているとアリエッタは酒のようなものをゴクゴクと飲む。
「何、不思議そうに見てんの。お前は飲まないわけ?」
当たり前のようにゴクゴクと酒を喉に通すアリエッタ。
「いや、ね、年齢とか大丈夫なのかなって……お酒って、二十歳にならないとダメなんじゃ……」
「はぁ? 酒は十八歳から飲めるけど。お前が元いた世界だと二十歳なのね」
ここと元いた世界では酒を飲めるようになる年齢が違うらしい。まあ、十八歳からだとしても僕は飲めないが……。
「てか、お前何歳よ」
珍しく僕に興味を持つアリエッタ。酒を飲んでいるからかいつもよりよく喋り、少し顔も赤くなっている。肌が白いので酔っているとすぐわかるタイプだ。
「僕は、十七だよ」
その答えを聞くとアリエッタが急に目を見開き、テーブルを大きな音が出るくらい叩き身を乗り出す。
「嘘、お前私より二つも年下なの!? お前顔と体型的に三十超えてると思ってたんだけど!」
声が大きい。僕より二つ上、ということはアリエッタは十九歳……。あまり考えたことは無かったが、彼女は見た感じ僕と同い年くらいだと思っていた。
「お前の元いた世界ってどんなところ?」
「え?いじめられてた?まあそんな感じよね」
「う、うん」
この夜、僕とアリエッタは色々と話した。お酒を飲むと彼女はお喋りになる。何となくその様子は微笑ましくもあった。
「あー……もう、飲め、ないぃ……」
結局、アリエッタはまともに立てなくなるまで酒を飲み続けた。今、僕がこうして彼女をおんぶして部屋まで運んでいる。よくよく考えるとここまで密着するのは初めてで、彼女の足がとてもすべすべしているのを感じる。そして、背中にはずっと胸が……。僕は頭の中に浮かんで来る邪なイメージを払拭しながら彼女を部屋まで送り届けた。
「すー……すー……」
ベッドの上に降ろすとすぐ寝てしまった。寝顔を見ると、彼女は本当に綺麗な顔立ちをしている。肌は白くて綺麗だし、体もスレンダーな体格だ。もう自分の部屋に戻ればいいものを、僕は彼女に見入っていた。
寝てるし、少しくらい触ってもバレないんじゃないか……? 昼間は怖くてそんな隙無いし、今くらいなら……。罪悪感を感じながらも彼女に手を伸ばすと、彼女は急に体を僕の方に寄せて来る。
「…………はぅっ……!」
なんと彼女の方が僕に抱きついてきた。今、意識は無いのだろうが。僕は口から心臓が出そうになるほど緊張し、まともに動けなくなる。
「……何で、あの時……ふざけ、ないで…………私、あなたのこと…………」
寝言だ。途切れ途切れだが悲しそうな声色……僕に聞かせたことの無いような声だ。
「いやだ…………一人に、しないで……」
彼女はより強く僕をギュッと抱きしめる。思わず僕はアリエッタから目をそらす。
「……しない。僕は、僕だったら絶対、君を一人にしないよ!」
誰に対しての言葉かわからなかったが、恐らく僕に向けてのものじゃ無いんだろう。だが、せめてこのくらいはいいよな……と思い僕は夢を見ている彼女の声に答えた。そして、少しの時間を置いて再びアリエッタを見ると……。
「…………!」
思いっきり目を見開いていた。今、目を覚ましたのだろう。アリエッタは状況が理解できていないようだった。僕を抱き締める自分の手を見るとどんどん顔が青ざめていく。
「きゃあああああああ!!!」
アリエッタは乱暴に僕を突き飛ばした。
「え、私、何で……? 何でこいつに……? 嘘、イヤ、イヤァア!!」
アリエッタはそのままお風呂の方に駆け込んでいく。水温が聞こえて来るとまた変な気分になって来る為、ある程度聞いた後、僕はアリエッタの部屋を出て自分の部屋に戻った。
この夜、僕は悶々として中々寝付けなかった。邪な妄想は置いておいて、グロフレインの前で声を荒げたアリエッタ……。そして、寝言で言っていた言葉……。僕は彼女のことを知らな過ぎる。いくら彼女が話す時まで待つと決めたとはいえ、気になるものは気になる。
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ここは、リブドールを出てすぐの平原……。
「ぎゃあああああ!!!」
男の断末魔のような叫び声と、肉が飛び散る音が聞こえる。暗闇の中に倒れている男と、それを貪る大きな影が一つ……。
「ひ、ヒィイイッ……! 何だよあいつ……あのイッカクリュウ、化物すぎる……!」
二人の旅人がその様子を見て立ち尽くす。人の肉を貪っているのは、討伐依頼の受注所にて、討伐対象として依頼書に載っていたイッカクリュウだ。
「お、俺たちじゃ手に負えない……! リブドールの受注所に報告しなければ……!」
旅人達はイッカクリュウに気付かれないようにリブドールへ向かう。
「ハシュルル……!」
そして食事を終えたイッカクリュウはその二人の背中を、煌々とした目で不気味に見つめていた。