始まりは絶望から……
「や、やや、やっべぇ遅刻遅刻ゥ~!」
その日、僕はドシンドシンと大きな足音を響かせ、怠惰な生活の象徴たる豊満な腹を揺らしながら学校に向かっていた。
僕の名前は大岩 太。その体型にぴったりな名前だと自分でも思う。
そしてそんな僕を白い目で見る人々。
それはまあ、当然のことだろう。何故なら僕は独り言を言っているのだから。ぶっちゃけ、僕ならこんな独り言言ってるデブを見たら無視する。しかも今は朝七時半。どう間違っても遅刻なんてするはずが無い。
そんなことを言っている間に学校に着いた。
「……」
僕は静かに靴を履き替えノソノソと教室へ向かった。僕のクラスにはすでに何人か登校している奴がいたが、誰も僕と目を合わせない。
何故かって? どこのクラスにも1人くらい、誰とも関わりを持たずにいる奴がいるだろう? そう、僕はボッチなのさ!
好きでそうしているわけじゃないけれど、僕は思春期になるにつれ、運動も勉強もできない、おまけにこの体型……周囲に劣等感を感じ始めて無意識のうちに周りと距離を取るようになってしまった。当然そのことを後悔はしているが、今は今で何とか楽しんで生きてはいる。
僕は自分の席に着くとノートを開く。このノートは僕の青春の全てと言っていいだろう。僕はここに、自分を主人公にしたライトノベルを書いている。いずれはこれを公に発表するつもりでいる。大ヒット間違いなしの大作だ。
僕はこのライトノベルの世界では伝説の勇者で、お姫様や女騎士、はたまた魔族の女など、魅力的な女の子達とハーレムを築きながら魔物や男相手に無双し続けているのだ。
僕の学校生活は、大体この妄想の世界に浸りながらの生活だ。周囲が流行の音楽や番組について話している中、僕はそんな彼らを少し羨ましいと思いながら青春のパッションをノートにぶつける。
現実でこんなだからせめて妄想ではこのくらい許してくれていいだろうと。しかし、現実はそう甘く無い。昼休みになると、僕にとっての悪夢がやってくる。
「ねーえ、ねえ、聞こえてるの? クソ豚君」
「あっ……霧崎、さん……えぇっ、と……」
1人の女子が僕の前にやってくる。ぱっちりとした大きな目に風になびく黒髪、そして抜群のスタイル。まさに美少女と言ってもいいだろう。現に彼女は学年一の美少女として有名なのだ。この霧崎さんと僕が並ぶと美女と野獣のような状態になる。しかし、彼女は僕にとってのヒロインではなく死神だ。そして、彼女の隣に立つのは僕じゃない。
「おい琴音、また太の奴に絡んでんのかよ?」
霧崎さんの隣に立つ長身で引き締まりつつも筋肉質な体をした男。こいつはサッカー部のエース来田。来田は僕に見せつけるように霧崎さんの腰に手を回すと、優越感に浸るように僕を見下ろす。
「ねぇ藤也~、この豚、私のこと無視するんだけどー」
「あァ? 生意気だな。てめぇみたいな奴が琴音に話しかけてもらえてるってだけで奇跡なのによ」
始まった。来田と霧崎さんは、ある日を境に僕をこうして笑い者にするようになった。2人はサッカー部エースと学年一の美少女の理想のカップルである2人にとって何も持たない僕は見下す対象としてはぴったりなのだろう。クラスの連中は誰一人として僕の味方をせず見て見ぬ振りだ。中にはこちらを見て笑ってる奴もいる。
「は、はは……そう、だよね。へへ……」
僕は心の中の怒りを確かに感じながらもヘラヘラと笑うことしかできない。こうして2人に見下されるのは苦痛でしかない。自分の惨めさを突き付けられて、それが現実だと思い知るから。
「何笑ってんの? もしかしてアンタマゾなの? キモ……てか、そのノート何? 私に見せてよ」
すると、霧崎さんは僕の大事なノートに手をかける。
「そ、それは、やめ……」
「おいクソ豚! 琴音が見たがってんだろ。汚い手離せよ」
「あぁっ……」
来田が力づくで奪ったことで僕のノートは簡単に奪われてしまい、2人は僕のノートを読み始める。始めはニヤニヤと馬鹿にするように読んでいたが、次第に霧崎さんの顔が青ざめる。
「え? な、何これ……何でこの女の子の名前コトネなの? し、信じられない……気持ち悪い!」
ついにバレてしまった。僕は霧崎さんに好意を寄せていて一度彼女に告白したことがあった。しかしその時既に彼女は来田と付き合っていて、こっぴどく振られた上に来田に殴られ、散々な幕引きとなったのだが。それから2人は僕を執拗に馬鹿にするようになった。
僕は霧崎さんへの好意を忘れられず、ライトノベルにコトネという名前のヒロインを登場させたのだ。
「うっわ、こいつまだ琴音のこと好きだったのかよ……」
「藤也、どうしよう……私こいつに襲われるかも……」
藤也の腕に抱きつく霧崎さん。軽蔑の目で彼女は僕をキッと睨む。
「あー、俺も自分の女でこんなことされてムカついたからさ、こいつに少し教えてやるよ。現実って奴をよ……!」
藤也は霧崎さんから僕のノートを取り、乱暴に掴む。
「や、やめ……ぐふっ!?」
取り返そうとする僕の腹に藤也の鋭い拳が決まり、僕は痛みから地面に蹲る。
「ははっ! 大事なノートなんだろ? 取り返してみろよ。早くしねーとビリビリに破いちまうぞー」
「あはは、頑張れー」
痛い、痛い。何故だ……。何故僕がこんな目に遭う……。お前らは何もかも持っているのに、それだけで飽き足らず、何故何も持たない僕から奪おうとする……!
「や、めろ……やめろおおおおおおお!!! 」
ビリビリビリィッ!
僕が立ち上がった時にはもう遅かった。既に破られたノートの残骸が雪のように教室の床にパラパラと落ちていく。
「あ、ああ……」
視界が揺れ、頭がクラッと大きく傾いていくのを感じる。あまりのショックで僕は今、恐らく意識を失いかけているのだろう。
絶対に許さない……僕は、僕はこいつらを絶対に許さない……!
──「ならば、力を望むか?」
「全てを取り戻したくば戦え……お前には、その義務がある」
何か声が聞こえる。力? ああ、これもきっと僕に都合のいい妄想に過ぎない。けど、夢でもいいから僕にだって……。
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「……」
意識がはっきりとしてくる。僕は確か倒れて……ってことは、ここは保健室か?
それにしては何か妙だ。ガヤガヤと人の声が聞こえるような気がするし、何か風が吹いている。
「おお、何ということだ」
「これでは今回も……」
「まさか、こんなことが……」
「しかし、まだ可能性は捨てきれませんぞ。もしやこの者にも秘められた力が……」
次第に声がはっきりと聞こえるようになってきて、僕は目を開き起き上がる。
「えっ……?」
僕の眼前に広がっていたのは、何処かの城の内部のような光景。僕は何かしらの儀式を思わせる魔法陣? の中心にいて、周囲にいる人たちは魔法のローブのようなものを着ていたり、鎧を着て槍を持った兵士のような風貌だったり……。
僕が混乱して周囲をキョロキョロしていると声が聞こえてくる。
「よくぞ召喚に応じてくれた。恐らく、初めての世界で混乱していることだろう」
声の方へ振り返るとそこにはいかにもという玉座がある。そこに座っていたのは王冠を被り、立派に髭を切り揃えた老人。見ただけでわかる。王様だ。しかし、どこか残念そうな顔をしているのが気になる。
王様の言う召喚という言葉、これで僕は確信した。そう、僕はこのぶっちゃけゲームのような世界に何らかの役目があって召喚されたのだ!
もしかしたらこれも妄想か、夢かもしれない。だがせっかくこんなチャンスが来たんだ……。
この世界では、見たところ僕は伝説の勇者か何かだ……! なら、その力で好き放題してやる……。女を囲って、邪魔する奴は皆潰して、もう誰にも僕を馬鹿にさせない……!
しかし、この時僕はまだ知らなかったんだ。僕がこの世界に来た意味も、自分自身の運命も……。