信じるきみへ
一台のトラックが歩道に乗り上げ、夫婦を撥ねた。
夫婦は病院に運ばれたが、後に死亡。
あたたかな陽の光が木漏れ日をつくり出す、穏やかな日だった。
桜の花びらが舞い上がり、春は終わりを告げようとしている。
たったひとりの娘を残したまま。
クリスマスを一週間先に控えた朝のこと。
「……サンタさんに何お願いしようかなぁ」
隣を歩く幼なじみの言葉に、ソウマはずっこけた。
「ソウマ! 大丈夫!?」
「それはおれの台詞だっ!」
昨夜降り続いた雪が、いつもの通学路を一面銀世界に染めていた。降り積もった雪に頭から突っ込んだソウマを、曇りのない瞳が見つめている。
「リコ…………え、……まじなのか?」
「? なにが?」
リコは全く訳がわからないという様子で、すっかり雪まみれになったソウマの身体をはたく。
「……だから、その……サンタの話だよ」
輝く笑顔が、銀色の世界に咲き誇る。
リコのこんな表情を見たのは本当に久々のことだった。
「ソウマは何をお願いしたの?」
「………………ひ、秘密だ」
「えー」
この純粋さがリコの良いところでもあり、ソウマの悩みの種でもあった。
学校に着く前に、この話は終わらせなければならない。そんなソウマの焦りには気付くことなく、リコは遠くの空を見上げた。
「……サンタさん、今年も来てくれるかなぁ」
ぽつりと呟いたリコの言葉が、ソウマの心を凍らせた。
――そう、そうなのだ。
今年のクリスマスは――リコにとって『ただの』クリスマスではない。
「リコ」
「ん?」
振り返ったリコはいつも通りだった。
「……いや、…………おまえはサンタに何をお願いするんだ?」
リコは「うーん」と唸って、そして――。
「秘密!」
いたずらっ子の笑顔を浮かべ、リコはくるりと一回転。すでに見え始めていた昇降口の方へと駆けて行った。
ソウマが何をしようが、何を考えようが、時間の流れは止まらない。一週間はあっという間に経ち、ついにクリスマスイブの夜はやって来た。
「あーくそっ!」
あと数時間で日付が変わろうとしていた。
ソウマは自室のベッドにダイブし、手足をばたつかせる。
「はー……」
そうしてひとしきり暴れた後、大きなため息を吐いた。思い浮かべるのは、クリスマスに夢膨らませるリコのことだ。
「やるしかねぇか……」
ソウマはある決心をして、ベッドから起き上がる。
ほとんど使われた形跡がない勉強机の引き出しから、包みを引っ張り出した。クリスマス仕様の可愛らしい包装で、明らかに女の子へのプレゼントであることがわかる。息子をからかうことが趣味の母親に見つからないよう、ここに隠しておいたのだ。
できるだけ音をたてないよう、窓を開ければ、冷たい外気が部屋の中へ入り込む。
ソウマは白い息を吐きながら、窓枠に足を掛けた。伸ばした手は、向かいの窓枠に掛かり、ゆっくりと開く。
幼なじみの部屋の鍵が掛かっていないのは知っていた。
そして、早寝早起きの幼なじみは既に寝ている、ということも。
さすがに一瞬躊躇ったものの、ソウマはリコの部屋へ足を踏み入れた。
久々に入るリコの部屋は、ソウマの想像する女の子の部屋そのものだった。部屋の隅にはソウマの身長ほどのクリスマスツリーが飾ってあり、ピカピカと電飾を輝かせている。
もしかしたら、これから先もずっと――リコのところにだけはサンタは来たのかもしれない。
抜き足差し足。すっかり夢の中にいるであろうリコは、ベッドに埋まり静かに寝息をたてていた。
その枕元に、包みを置く。
任務完了。
あとはさっさと退散するのみである。
「ぎゃあああああああああああああああああああ!?」
「……ソウマ!?」
目を見開いたリコが、ソウマの手をしっかり掴んでいた。
「おま……だあああああ……タイミング悪すぎだろっ! なんで今起きるんだよっ!」
「な、な、なんでソウマがあたしの部屋に……! もーっ! お化けかと思った……!」
気の抜けた二人が、揃って肩を落とす。
気まずい沈黙が流れる中、先に口を開いたのは、リコだった。眉間には皺が寄っている。これは相当お冠のようだ。
「……で? ソウマ、どういうこと?」
「……」
視線を泳がせるソウマだったが、すでにリコの視線はある一点に集中していた。
「これ……」
「あ……!」
リコは枕元に置かれた包みを手に取ると、あっという間に開封した。
中から現れたのは、
「くま……?」
くまのぬいぐるみだった。
「……サ、サンタが持ってきたんじゃねーの? おれが来たときからそこに置いてあったぜ」
我ながら苦しい言い訳だったが、真実がバレたら、羞恥心で死ねる。ソウマはリコの肩を掴み、うんうんとひとり頷く。
「あーそうだ! きっとサンタだぜっ! 良かったな、リコ! 今年も来たじゃねぇか」
もはや強引に押し通すしかなかった。
というか、気付かないフリをしてくれ。頼む。俺のためにも!
「ソウマが……?」
ソウマの願いも空しく、暗闇の中でも、リコが驚いているのが声音でわかった。
「だからちげーって!」
暗闇の中でもわかるほど、ソウマの顔は赤くなっている。慌てふためくソウマを横目に、リコはくまを抱き上げた。
つぶらな黒目が、リコを見つめている。
「リコ……?」
黙って俯いたリコ。その長いまつげが、震えている気がした。なんと声を掛ければいいのか、わからなかった。しかし、茶化すのも違う気がした。
「……おまえが信じる限り、サンタは来るぞ」
俯いたままのリコが、顔を上げた。
その瞳は僅かに濡れている。
鼻をすする音が、静かな部屋に響いた。
「この先のクリスマスも。ずっと」
ソウマの言葉に、リコが目を丸くしていた。
「……それって……プロポーズ?」
「な……ち、ちげーよ馬鹿!!」
「ば、馬鹿って、ひどーい!」
振り上げた小さな拳が、ソウマの頭をぽかりと叩く。
「ソウマ、ありがとっ」
外では、いつの間にか降り出した雪が積もり始めている。
リコの耳には、どこか遠くで鳴るベルの音が聞こえた気がした。