7:破滅への始まり
馬車で数分揺られてたどり着いた王太子宮は、エリオット伯爵邸ほどの広さではないが、元庶民からしたら2人暮らしには広すぎる大きさと言えた。
(10歳にしてここで婚約者と暮らすってなかなか苦行よね…)
私も8歳で親元を離れて婚約者と暮らすことになったが、中身は成人だ。大した寂しさはない。
しかし普通であれば、まだまだ甘えたい盛りの10歳が今日の婚約式をもって、両親のいない家に移り住むなど、普通じゃ考えられない話だ。
王太子という国を継ぐ立場であるからこそ、国王と同じ場所に住み続けられないのは頭ではわかっているが、子供と親が離されるのは何とも形容しがたい悲しさだと思う。
そんなことを考えているうちに馬車がゆっくりと玄関の前で停車した。
「降りるよ、フェリシア嬢」
そういって、エドガーは先に馬車から降り、自然な動作で私に手を差し伸べた。
さすがに使用人の目もある。ここはエスコートをしてくれるようだった。
「ありがとうございます。エドガー様」
差し伸べられた左手に自分の右手を重ねる。
たった2歳しか変わらないのに、フェリシアの手よりも随分大きく、少し硬かった。エドガーが剣の練習をしっかりとやっていることを表していた。その手から王太子という立場にどれだけ真剣に向き合っているかという、エドガーの気持ちが窺える。
言うことはいつも生意気だが、その生意気さはエドガーなりに王族について考えてきたことの裏返しなのかもしれない、とふと思った。
エスコートされて、王太子宮の入り口へと近づいていくと、扉の両端に立っていた衛兵が木でできている扉をゆっくりと開けた。その奥には通路の両側へ王太子宮付きの使用人が整列していた。
「ただいま戻ったよ」
エドガーがそう言うと、全員が「おかえりなさいませ」と言って、同じタイミング、角度で頭を下げた。フェリシアの家では、全員でのお出迎えはなかったため、少しびっくりした。どこの大富豪?!と思ってしまったが、大富豪どころではなくここは王太子宮である。これが当たり前なのだろう。
頭を上げた使用人達の視線はすぐにフェリシアへと注がれた。新参者なのだから当たり前だが、やはり注目されるのは慣れなくて、耐えきれずエドガーの方へ視線をやった。エドガーは私が使用人達の視線に耐えている間、私の方をずっとみていたようで、しっかりと視線が合った。
エドガーはニッコリと微笑むと、エスコートしていた左手をフェリシアの腰へ回して引き寄せた。
「今日行われる婚約式で、晴れて僕の婚約者になるエリオット伯爵令嬢、フェリシアだ。さあフィア、挨拶して」
「フェリシア・エリオットです。皆さんと早くなじめるように頑張ります!」
そういって一礼をすると、右側の一番前に立っていた20代後半くらいの落ち着いた雰囲気の黒の燕尾服を着た男性が一歩前へ踏み出してきて、私たちに向けて優雅に一礼をした。
「私は、王太子宮で使用人の筆頭を務めさせていただいております、ロベルト・クックと申します。どうぞロベルトとお呼びください。私の向かい側に立っているのが、侍女長のエリス・アルタリアです」
侍女長と紹介された女性が、丁寧に一礼をしてくれた。やわらかそうな茶色の髪の毛は後ろで一つにまとめられていて、胸元には侍女長を表すのであろう緑色の石がはめ込まれたバッジがついている。
王太子宮の使用人の中で、ロベルトが男性使用人のトップでエリスが女性使用人のトップということか。執事長と侍女長にしてはすごく若く見える。きっと2人とも、ものすごく仕事ができるのだろうなとぼんやりと思った。
「では、エリス。フィアを部屋に案内してくれ。」
「かしこまりました」
エリスは、「ではまいりましょう」と私に言って歩き出した。エリスはまだ小さい私の歩みに合わせてゆっくりと歩いてくれる。
王太子宮の内装は至ってシンプルで、壁は白色の壁紙が貼られており、床は深い緑の絨毯が敷かれていた。この国において、緑色というのは特別な色であると何かの本で読んだような記憶がある。
国政が行われている本宮と国王陛下のプライベート空間である王宮の絨毯は青色で、青色に次いで権威の高い色が緑。そしてその次は赤といった具合だ。
特に、ロイヤルブルーのような深い青色は禁色とされていて、王族にしか使用が許されていない。
緑色というのは王様から与えられる色とされている。だからこそ、王子でも次期国王となる王太子の宮には緑色の絨毯が敷かれているし、ロベルトとエリスは使用人頭であるから緑色のブローチをしている。
その為、禁色ではないが、緑は王宮においては青と同程度に特別な色とされいる。王宮の中では緑色を身につける人は限られてくるというわけだ。もちろん、一般の人には関係ないので、緑色は市場に出回っているが、少し格式高い色として扱われはしている。
そんなことを考えながら、玄関からまっすぐ歩き、突き当たりを右に曲がって、2部屋目の扉の前でエリスが立ち止まった。自室は1階なのかとぼんやり考えていると、その考えを見抜いたかの様に「こちらは衣装部屋です」と説明をされた。
エリスが扉を開けてくれて、中へと誘導してくれた。そして、部屋の真ん中に設置されているテーブルセットの椅子へと座らされた。
部屋は服屋かな?と思うほどの量の服で埋め尽くされている。エドガーの服も勿論あるが、圧倒的に私のものであろう多種多様なデザインのドレスが取り揃えられている。冷静に考えて、成長と共にすぐに小さなドレスはサイズアウトしてしまうと思うので、本当に無駄に感じてしまう。
こちらは用意してもらった身なので文句は言えないのだが。
「こちらで婚約式の衣装を選んでいただきます。事前に何着か私たちで選ばせていただいておりますので、そちらからお選びくださいませ」
エリスさんがそういうと私の前にドレスが10着ほどかけられたハンガーラックが運ばれてきた。左側に白色のドレスが5着、右側には緑色のドレスが5着かけられていた。
「あの、なんで白と緑のドレスが5着ずつ用意されてるんですか?」
「そういえばご説明がまだでしたね」
そういいながらエリスは私を椅子から移動させ、鏡の前へと立たせた。そして、スッと白色のドレスを1着手に取ると、私の体にあてて説明をし始めた。
「まず、婚約式は王宮の敷地内にある大聖堂にて行われます。王太子殿下とフェリシア様は前室にて初めて着替えた姿を見ることになります。そこで、お2人は短剣と花冠を交換し、教会内にて婚約書にサインしていただいて婚約成立となります」
「短剣ってまさか王家に伝わる国宝の・・・?」
「いえ、それの複製です。刃も潰されていますし、ご安心ください」
まぁ、王位継承式の際は本物ですが。とエリスが呟いているが、その頃にはエドガーとはおさらばしているので関係ない。国宝を扱う緊張を味わうことは一生ないだろう。
そして、エリスは白色のドレスを戻して、次は緑色のドレスを私の体に当てる。
「そして、婚約成立後にこちらの緑色のドレスにお召し替えしていただきます。あなた色に染まりましたということでして、次期王太子妃になったことを周りに示す意味のドレスです」
「へー、着替えて終わりっていうこと?」
「いえ、そのあと国王陛下に謁見していただいて、城門にて王国民へのお披露目をして婚約式の一連の流れは終了となります」
「なんか疲れそう」
それが私の正直な感想だった。婚約書にサインして終わりかと思っていた。
今後、私は婚約破棄される訳だが、のちに婚約者となるティファニーもこの式をやらなければいけないのには少し同情をする。あと、エドガーも2回婚約式をやるのはすごく滑稽だと思う。愛の前にはそんなこと関係ないのかもしれないが。
「では、フェリシア様。ドレスをお選びくださいませ」
「あ、さっきエリスが私にあててくれたドレスでいいです」
「あら、よろしいのですか?先ほどのドレスもお似合いだと思いますが、他のドレスもそれぞれ違った意匠が凝らされていますので、試着してみてもよいかと思いますが」
正直言って、ドレスにはそこまで興味がない。自分のサイズに合ったドレスであればなんでもいいので、他のドレスの試着は丁重にお断りした。
「では、こちらの白ドレスと緑ドレスで式に出席されることを衣装担当に申し付けておきますね。これで実際にお着替えしていただいて婚約式に臨んで頂きます」
どうやらまたもや移動をするらしい。一体何部屋あるんだ、王太子宮は。
衣装部屋の隣にあるヘアメイクルームへと場所を移し、白ドレスへと着替えてから、鏡台の前へ座らされる。どうやらここでヘアメイクを行うらしい。
「フェリシア様はなにかお好きなヘアスタイルなどはございますか?」
そういって、私の衣装担当(だと紹介された)マリーが尋ねてくる。好きなヘアスタイルは特にないのだけれど、しいて言うならと口を開いた。
「花冠に似合う髪型でお願いします」
とりあえずこういっておけば無難だろうと回答したのだが、周りの侍女さんたちは「まぁまぁまぁ」とほほえましそうに私を見つめてくる。完全に勘違いされている。
「かしこまりました!マリーのすべての力を使ってドレスアップさせていただきます!」
そして、見る見るとヘアスタイルが仕上がっていく。左右は緩く編みこんで後ろでお団子にしている。シンプルだが、花冠が映えるのは間違いない。
最後に淡い桃色のリップを唇に乗せてヘアメイクが完了した。
いつもふわふわとしているミルクティー色の髪がしっかりとまとめられていて、おまけにリップも塗って少し大人になった気分だ。元々は大人だったけれど。
ヘアメイクが終わると、メイク中は扉口の近くで待機していたエリスが近づいてきた。
「では、これから婚約式のため、大聖堂へと移動となります。殿下にお渡しするための短剣は前室に入る前にお渡ししますね。では移動しましょう」
ヘアメイクルームを出て、王太子宮の玄関へと向かう。
そして、玄関先につけられて馬車へと乗り込み大聖堂に向かい馬車が動き始めた。
エリスの話によると王太子が先に大聖堂に向かうのが慣習らしい。未来の花嫁より先に行くことで、身を挺して道の安全を確認する。それには、一生自分が妃を守り抜くという意味が込められているらしい。
意外とシャルレイ王国はしきたりとか慣習が多くてびっくりする。スペデレの中では、そんなに厳しいイメージはなかったので、乙女ゲームだからホイホイとイレギュラーなことを起きまくっているんだなと今更理解をする。
大聖堂へと着き、馬車を降りるとエリスに短剣を手渡される。複製ではあるが、刃を潰されただけの短剣なので8歳の少女にはずっしりと重く感じた。
「では、フェリシア様。私がお供できるのはここまでです。扉の奥には王太子殿下がお待ちですので、先ほど言ったことを行ってください。もし何かあれば見届け人である、宰相様か将軍様にお尋ねください。では、行ってらっしゃいませ」
エリスに見送られて、大聖堂へと歩き出した。
婚約成立の瞬間から私の破滅は始まるのである。
前室で出会ったエドガーは白色の式典服を着て、笑顔で私を迎え入れた。