6:私の日常を返して!
そのあとと言えば、屋敷中が私の婚約の話で持ちきりだった。なんせ、この国の王太子との婚約なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、私にはなんだかむずがゆくて仕方がなかった。
というかそもそも、数回しかあったことのない人間と婚約することを良しとしてしまうことが、庶民だった私には理解しがたかった。ただ、この婚約に反対する人は少ない。私が生まれる前からこの婚約はほぼ決まっていたことだからである。
「フェリシア、そのむっとした顔をやめて頂戴。」
仕方がなく下がった口角を無理やり引き上げた。お母様はそれでも不満げな顔をしていたが、これ以上言っても言うことを聞かないということがわかっているのか、諦めたようだった。
そう、今日はできれば永遠に来ないで欲しかった婚約式の日。
屋敷中で噂になっていたこと以外は何も変わったことはなかったし、新聞記者やパパラッチの人たちも特別謁見が決まったということ以外、一切ニュースとして取り上げていなかった。というか新聞には婚約の"こ"の字も書かれていない。
なぜ、今日特別謁見なのか。という真相を知っているのは、あのお茶会にいた人たちだけだ。貴族たちは案外口が堅いようだ。王家が直々に口止めしているのかもしれない。そういった大人の事情は子供の内にはわからないでおきたいと思う。
断罪をさける作戦を思いついたとはいえ、自分が知っている展開通りにいかないというのはなかなか怖いものだ。
というのも、この1ヶ月毎日王太子からご機嫌伺いの手紙が届いていた。婚約が早まったのだけでも怖いのに、毎日手紙が届くときたら恐怖を倍増させずにはいられない。内容は大したものではなく、今日やったことみたいな報告的なものだった。が、しかしこちとらまだ8歳の少女。返信を書く為にわからない単語はいちいち辞書を引いたり、人に聞いたりしなければならず、なかなかの重労働だった。おかげで1か月だけでも、かなり語彙が上昇したように思う。
濃かった1か月の日々を思い起こしているうちに、王都と呼ばれる王国の中心街の中に入っていた。
王都に入って程なくして、特別謁見のために鮮やかに彩られた王宮が見えてきた。ぜひとも王宮の広さを、テレビ番組の常套句である東京ドーム何個分くらいなのか?で表現してみたいところなのだが、あいにく東京ドームに行く前にこちらの世界に来てしまったのでわからない。
こちらの世界で表現するなら、私の屋敷が10個以上は入る。要するに外から見ただけでも王宮がものすごく大きいということをわかっていただきたい。
「お父様、私ここに住むんですよね?」
「そうだよ、フェリシアは本館の奥にある王族の私用スペースにある王太子宮に住むんだよ」
…とにかくここの敷地内に住むらしい。毎日散歩しても王宮の把握には10年くらいかかってしまいそうだし、どうやら王宮内には私用スペースと公用スペースがあるようで、それぞれに王太子宮が存在しているらしい。はたして住居が2つ必要なのかは疑問である。
そうこうしているうちに、ここまで1度も止まることなく進み続けてきた馬車がゆっくりと減速を始めた。城門が近づいてきている証拠だろう。
「さあ、フェリシア降りる支度をしなさい」
「え?どうしてですかお父様」
「この城門を過ぎたら、お前は次期王太子妃として扱われる。馬車を乗り換えるんだ。荷物は後で届けるから安心しなさい」
「そんな・・・」と私は項垂れた。
婚約式直前まで一緒にいられるとすっかり思い込んでいた私にとっては、ショックすぎる話だ。
馬車はいつの間にか城門を潜り抜けており、ゆるやかに停車した。
一緒に馬車に乗っていたお父様の執事が馬車のドアを開けた。
「やあ、フィア待っていたよ」
ドアの目の前には満面の笑みの王太子と思わしき少年が立っていた。
偽者ドッキリか???????????
いやいや、そんなはずはない。まぎれもなく私の婚約者様となる王太子エドガーその人だ。
「これは、王太子殿下!城門まで娘のお迎えに来てくださるなど至極光栄でございます。」
「王太子殿下、ありがとうございます。フェリシアの親としてこれ以上になく幸せでございます」
お父様とお母様は慣れたようにエドガーに向かって挨拶をした。
「あなたも挨拶なさい」と言わんばかりにお母様から見つめられる。
嫌すぎる。私からしたら光栄&幸せ要素が一つもないというのに・・・。
「ありがとうございます」
エドガーは満足したように大きく一つ頷いた。
それを合図とするかのように両親から降車を促された。
ここからしばらくの間は親子として会話できないのかと思うと、もの凄く寂しく感じた。
ゆっくりと馬車から降りると、扉が閉じられ、応接室がある王宮の本館へとゆっくりと進みだした。
「さて、行こうか。フェリシア嬢」
そういうとさっと私に背を向けて王族用の馬車へさっさと歩みを進めていく。
迎えに来た割にあっさりと置いていくのが少し癪に障ったが、王族なんてそんなもんだろうと自分に言い聞かせて後について歩いていく。
「あの、王太子殿下、私のためにお迎えに来ていただきありがとうございました」
「別に君のためじゃないよ。体裁ってものがあるんだよね王族には」
そういうとさっと一人で馬車へと乗り込んだ。エスコートする気はさらさらないということか。
(こんの生意気王子・・・!)
「てーさいですか!難しい言葉をお遣いになるのですね」
(10歳の割に。)
エスコートする気0のエドガーの後に続いて、馬車へと私も乗り込んだ。エドガーの向かい側の席へ腰を下ろすとすぐに馬車は王太子宮へと向かい動き出した。
この間のお茶会のときも思ったが、エドガーは私を若干…というかかなりバカにしている節がある。
純粋になんか腹が立つ。
今までのフェリシアは確かに8歳児相応の人格だったであろうから、若干バカっぽく見えてしまうのは仕方がないと思う。実際のところ過去を思い出したからと言って、頭がよくなったわけでもないと思うので、ただただ10歳にバカにされる成人という構図が個人的に気に入らないだけではあるが。
「そうそう、エドガーって呼んでって言ったよね?公の場では王太子殿下でもいいけど、二人のときはエドガーって呼びなよ。使用人に不仲っていう噂なんか流されたらたまったもんじゃないし」
「わかりました。そうします」
なるほど、なかなかどうしてこの10歳は頭が切れるようだ。さすが10歳という生意気さはあるが、その若さでも王族の一員としての防衛術は備わっているようで、少し同情をしてしまう。
会話が終わると馬車の中は静まり返った。エドガーは馬車の外に見える王宮の庭を眺めて少し口角を上げている。意外と花とかが好きなのだろうか?端正な顔立ちに似合う趣味だと思う。
しかし、沈黙が苦手な私にとっては苦痛すぎる時間だったので、それとなく気になっていたことをエドガーに聞くことにした。
「あの、なんで婚約しようと思ってくださったのですか?」
先ほどまでUの字型を描いていた口は、見事にへの字型を描き、眉間にはしわが寄せられた。明らかに何でそんな質問に答えなきゃいけないんだっていう不満を顔に出している。
さすがに婚約者を無下にできないと思ったのか、少し考えるそぶりをして、口を開いた。
「面倒だから。どちらにせよフェリシアと婚約するのは決まっているのだから、早くなっても問題ないだろう。それに…」
「それに?」
「今のフェリシアとならやっていける気がした」
「な、るほど」
そういってすぐ視線をまた窓の外に戻した。
(”今のフェリシアとなら”…か)
深読みすると、フェリシアの内側が変わったことを本質では見抜いているということだと思うと、さすがというべきか。王太子エドガーの観察眼の鋭さには脱帽する。
間もなく、馬車は王太子宮に到着する。
これから婚約破棄されるまでの時間のほとんどをここで過ごすことになる。
8歳にして招かれた箱の大きさに少し背筋が伸びた。