5:人はこれをターニングポイントという
お茶会は最後まで婚約成立の話題で持ちきりだった。数え切れないほど祝福の言葉をもらったけれど、実感が湧いてないのでなんとも複雑な気持ちだ。
婚約の話は、3ヶ月ほど前から親同士の間で具体的に動き始めていたらしいが、エドガーがどうしても今日発表したいという申し出をしたようだった。
フェリシアとエドガーが結婚するという筋道は、エドガーが生まれた時、つまりフェリシアが生まれる前からからあった。
エリオット家とバーネット家は、初代当主が兄弟だったこともあり、親交が深く、両家がシャルレイ王国の実質トップにいることで、国の安寧は保たれてきた。
エリオット家に女児が生まれるかは分からなかったが、生まれたら王家であるバーネット家と婚姻を結ぶことが決まっていた。
両家での話は固まっていたとはいえ、本人たちの意思も確認してから正式に発表。というつもりでそろそろ意思確認をしようと思っていたら、エドガーがサプライズで発表する提案をしたということだったらしい。エドガー曰く、フェリシアはどうせ了承するだろうから、と。
しかし、さっき思い出したゲームの設定では、2人が正式に婚約したのはフェリシアが12歳でエドガーが14歳のとき。
つまり断罪の4年前にエドガーがようやく(渋々)フェリシアとの婚約を了承したはず。 だが、フェリシアはまだ8歳。
4年も婚約成立が早まっている。
(別に、今までのフェリシアとは違ってたまたま、昨日挨拶に伺わなかっただけなのに...。)
私が大きなヘマをしたとは思えない。
エドガーが、すぐに婚約へと踏み切ったポイントが、いまいち理解できない。特に深い理由もないのかもしれないけど。
翌朝、ベッドで上半身のみ起こして、ぼーっとしていると、廊下が急に騒がしくなった。廊下というピンポイントよりも、屋敷全体という方が正しいかもしれない。
何か焦ったようなノックが3回響く。きっとヴィオラに違いない。
「どうぞー」
と言うと、少し乱暴に扉が開いた。やっぱりヴィオラだった。
「フェリシア様、あの、お、王太子殿下が」
「殿下がどうなさったの?」
「お屋敷にいらっしゃいました」
思わず笑顔で固まる。
(オヤシキニイラッシャッタ?屋敷に、来たの?殿下が?)
嘘だと言いたいが、こんなにもヴィオラや使用人たちがバタバタと、焦っているということは本当なのだろう。
気がつかないうちに、布団を握りしめる力がだんだんと強くなっている。
「フェリシア様?お召し替えを致しませんと。」
ヴィオラは不安そうな顔で、笑顔のまま固まっている私の顔をうかがった。確かに着替えないと何も始まらないなと思い、ヴィオラの言葉に頷いてからベッドから降りた。
ヴィオラから手渡された、ラウンドネックでアンクル丈の淡いオレンジ色のドレスを身につける。カフリンクスには、水晶のような石がはめ込まれている。
いつものような、お家用のぺったんこ靴ではなく、少しかかとのあるパンプスを履き、髪は白いリボンで後ろに1つでまとめた。
「では王太子殿下は応接間にてお待ちいただいてます。」
「分かりました」
斜め前を歩くヴィオラの後ろをついて歩く。私の部屋があるのは2階で、応接間があるのは1階なのは覚えているが、あまり中へ入った記憶がない。
屋敷の中央の階段を、ゆっくりと降りる。フェリシアの屋敷にある階段は、まっすぐではなく、右と左に二本伸びていて、中央へ向かって緩やかにカーブしている。足を置くと、階段に敷かれているカーペットは、小さな音を立てながら沈むほどふかふかだ。
階段を降りて右に曲がれば、すぐに王太子殿下が待ち受ける応接間に到着してしまう。
行きたくない。永遠につかなければいいのに。などと思いながら顔を下に向けていると、「お顔をあげてくださいませ」とヴィオラに怒られてしまった。
言われた通りに顔をあげると、そこはもう応接室の目の前だった。ヴィオラは先ほどとは違い、ゆっくりと3回扉をノックした。
「失礼いたします。フェリシア様をお連れいたしました。」
少し間を空けてから「入りなさい」という声が中から聞こえた。これはお父様の声だ。
ドアノブを回してドアをこちら側へ引く。
「フェリシア、こちらへ来なさい」
王太子殿下の向かい側の席へと誘導される。
気まずいことには気まずいが、特に拒む理由もないので、大人しくお父様の横に腰を下ろした。
「フェリシア嬢、おはようございます」
「おはようございます。王太子殿下」
いかにもな王子様スマイルに不信感の募り方がすごい。10歳にして完璧な王子様である王太子殿下には、恐れ入る。
私たちの様子を見ていたお父様が、挨拶を交わした後に少し間を置いてから、話し始めた。
「フェリシアはもう知っているかも知れないが、王太子殿下と正式に婚約することとなった」
「はい、知っています」
(完全に不意打ちでしたけどね)
お父様の目を見て返事をしたのちに、この間思いついた案をハッと思い出した。
遅かれ早かれエドガーとフェリシアは婚約する。しかし、エドガーが主人公に出会ってしまえば、運命の恋とやらに溺れるのはわかっている未来だ。
なら婚約破棄されるまでの間、自分が思い描いた幸せな人生を送ればいい。
エドガーには一定の距離で接して、主人公のティファニーが現れてもいじめず、最終的に2人の前から姿を消せば断罪されてエリオット家に泥を塗ることもなくなるはずだ。
この案なら今度は間違いない。
私が急に黙り込んで思案している所を静かに窺っていたお父様は、私の中で何か合点がいった事に気がついたのか気がつかないのか分からないが、また2人に向かって話し始めた。
「近々、婚約式を執り行なってもらう。そこで専用の婚約書に記入し、晴れて2人は婚約者となるんだ。」
エドガーは神妙な面持ちで静かに相槌を打っている一方で、私は胡散臭い話を聞くような呆れ顔を(心の中で)して、話に耳を傾けていた。
「エリオット伯爵、婚約式後について王室側から提案があり本日は来ました。この手紙を読んでいただけますか?」
エドガーは、王室の封蝋が押された手紙を渡してきた。お父様は慣れた手つきで封を開け、手紙を取り出した。
さっと目を通した後、「これは...」と驚いたようにつぶやいていた。エドガーとお父様に許可を得て私もその手紙を読ませてもらった。
(しまった...フェリシアはまだ8歳だからわかる単語が少ない。内容が全然入ってこない!)
なんとか読めるところだけ解読すると、婚約式の夜から、王太子妃、つまりは後の王妃としての教育を行うために、王太子宮に住んで欲しいということだった。
「絶対無理...。なんでアンタと一緒に住まなきゃなんないのよ、このおたんこなす!」と言えたらどんなに楽だろうか。
流石に言うのは憚られたので、極めて親離れできていない子どものように意見することにした。
「私、まだお父様と一緒に暮らしたいです!」
「そうは言っても...。殿下、うちの娘はこう言っておりますが、いかがなさいますか」
どうやら私たち側には決定権はないようだった。しかし、お父様は先ほどより涼やかに笑顔を浮かべているような気がするので、娘の意向も汲んでくれようとしているのかもしれない。
「では、月に一度3日間だけ実家に帰るというのはどうかな?フェリシア嬢?」
きっと王室が将来の王妃にできる最高の融通で、これ以上は妥協してくれなさそうだと察してその条件をのんだ。
そのまま婚約式について打ち合わせをし、1か月後に執り行われることとなった。日付と大まかな段取りを私たちへ伝えると王太子殿下は王宮へと帰っていった。
「フェリシア、どこへ行ってもお前は私の大切な娘だからな。それだけは忘れないでくれ」
そう言って私の頭をひとなでして、お父様も応接間から出て行ってしまった。
扉がパタリと閉まると同時に、全身から力が抜けてソファへとぐったりともたれ掛かった。
「あー...これからどうしよっかなぁ...」
自然と口から出た言葉は、誰にも拾われることなく消えていった。
ちなみにそのあと食べた朝食は半分も喉を通らなかったが、今日ばかりはお母様も怒ってこなかった。