10.日常の始まり
婚約式の翌日からすぐに王妃教育が始まり、3ヶ月がたった。
今までも習い事やレッスンなどは受けていたが、詰め込まれ方が尋常じゃない。さらに、内容もただのテーブルマナーではない。主催者として相手に気を遣った言葉選びやもてなしができるか、あるいは情報を相手から引き出せるか。
勉強もいままではシャルレイ王国の歴史しか学んでいなかったが、そこから広がり、シャルレイ王国建国前から現在に至るまでの周辺国の歴史まで範囲が広がった。(もちろん、数学国語などの勉強もしている)
正直、身代わりでしかない私からすると負担でしかないがとにかくやるしかない。王妃としてこの力を役立てることができなくても、この知識はどこかで役に立つはずだ。
午後の諸外国史の先生が来るまでの間自習をしようと机に向かっているとコンコンと扉のノック音が響いた。
「はい」
「入るよ」
私の返事と同時に扉が開いた。
ノックの音の回数から察してはいたが、やはりエドガーだった。エドガーは私以上に授業が詰め込まれているはずだが、直接伝えなければいけない大事な用事でもあるのだろうか?
私は自習の手を止めて机を離れ、エドガーが座ったソファの向かい側に座った。
「どうかされましたか?」
「いや、別に何もない。時間が空いたから来たのだけど、ダメだったかな?」
「いえ、ダメということでは...」
「じゃあいいね」
相変わらず素敵な笑顔で見つめてくる。特に話したそうな素振りも全くないので、顔出しに来ただけなのだろう。
しかし気まずい。この状況をどう切り抜ければいいのか考えていると、エドガーがにこやかに問いかけきた。
「昼食はどうしたんだい?」
なぜ、わざわざそんなことを尋ねてくるのだろう?と思いながら「このお部屋で食べました」と回答をした。ちなみに今いるのは王太子宮の図書室の横にある書斎だ。横にある図書室で調べ物もしやすく利便性が高い。お陰で、今の王太子宮の好きな部屋No.1は書斎がトップを駆けている。
「書斎で?」
「はい」
「1人で?」
「はい」
エドガーは信じられないと言った表情で見つめてくる。
もしかして「ダイニングルーム以外で食事を摂ることがあり得ない」とか言われるのだろうか? 正直、ご飯のたびに所作に粗相がないか怯えながら食事をしたくない。フェリシアにマナー基礎があるとはいえ、私にはまだ馴染んでいない。ご飯を美味しいと感じる余裕がなくなるので勘弁して欲しい。
そんな気持ちを露ほども知らないエドガーは「そうか...」と呟くと、にっこりと笑みを深めて嬉しそうにこう言った。
「では明日からは共に昼食をとろう」
「え...っと、え?」
まさかのお誘いの言葉に戸惑いを隠せない。返す言葉を見つけられずオロオロしているうちに、エドガーはさらに畳み掛けてくる。
「どうして戸惑う必要があるのかな?婚約者なのだから何も悩むことなどないはずだよね」
「そう、ですけど...」
「決められた結婚であるからこそ、互いに理解を深めなきゃね。時間を共有しなければわからないことも多いし」
確かにそうではある。王太子とその婚約者が仲睦まじく食事をして、問題視する人は1人もいない。
しかし、この婚約はゆくゆく解消される。だったら、関わる機会が少ない方がいいという気持ちもあって1人で摂っていた。それが裏目に出るとは。
エドガーは私の言葉を待っているのだろうが、断ることはできないだろう?という無言の圧力を感じる。どうしよもないコトだと悟り、諦めて了承することにした。
「分かりました。明日からダイニングルームで昼食を摂るようにしますね」
「いいや、僕もここで摂る」
「え?エドガー様もここで?」
てっきりダイニングルームでハーフコースの流れだと思っていたので、なんだか拍子抜けだ。「ああ」と明るい声で返事をしたエドガーは楽しそうに言葉を続けた。
「フィアはここで食事を摂りたいんだろう?僕は別に場所にこだわりはない。フィアと食事を共にすることが目的だからね。それに...」
「それに...?」
「なんだか秘密基地みたいで楽しそうだしね」
・
・
・
おおぅ?予想外過ぎて完全にフリーズしてしまった。エドガーといえば「ツンデレ王道腹黒王子」で、どんな言葉も計算されているような人というイメージだった。
まさか...そんな人が「秘密基地だ」なんて。まさか...言ったんだよな。計算づくなのか? 好感度アップを狙っているのか? そう思ってエドガーを見てもその表情は計算というよりワクワクしている。明らかに本心を言っている顔だ。
「そ、そうですね。なんだか秘密基地みたいですよね」
必死に絞り出した同意の言葉に満足してくれたようだ。「じゃあ僕は剣の鍛錬があるからいくね」と手をヒラヒラと振りながらごきげんに書斎を去って行った。
ドアが閉まったのを見届けると、溜め込んだいろんな感情を吐き出すようにゆっくりとソファにもたれかかった。
「なんでだろ〜...なんでだろ〜......」
私の理想や想定を悠々と超えてくる抗えない現実に対して、不満が口から漏れ出る。完全に私の中に住む赤と青のジャージの人たちが踊り狂っている。
帰れない故郷に想いを馳せても、なんの身にもならない。そうわかっていても、今は気を紛らわせるために踊ってもらうしかない。
(もし今会えたら絶対泣くなぁ)
そんなしょうもない妄想ばかりが浮かぶ。完全に放心状態の中、ノックの音が響いた。今度は3回。急いで身を正してから入室を促すと、入ってきたのはヴィオラだった。まさかの来客に思わず立ち上がって歓迎する。
「ヴィオラ!どうしたの?ここにくるなんて、お父様の御使いか何か?」
王太子宮に越すことになった時、侍女は王宮側で用意すると言われて私1人で越してきた。私の事情を知っているヴィオラに王太子宮へ来て欲しかったのだが、ヴィオラの雇い主はお父様であるため来てもらうことが叶わなかった。
王宮所属の侍女になっても良かったのだが、1年の見習い期間が必要だと言われ、だったらエリオット邸での勤務を続けてもらおうという話だったのだが。
「この度フェリシア様専属の侍女となりましたので、私も王宮で勤務することになったのです!」
「本当!?」
「ええ、本当ですよ」
先ほどまで落ち込んでいたのが全て吹っ飛んだ。ヴィオラが来てくれるとは思っていなかった。
しかし私専属の侍女というのは、結局所属はどうなるのだろうか?エリオット家抱えなのか、王宮抱えなのか。何か大きな差があるのかと言われるとピンとこないが、知っておいて困ることはないと思うので聞いてみる。
「私専属の侍女になったっていうのは...?」
「今までの雇い主は旦那様でしたが、それがフェリシア様に変わったのです」
なるほど!と納得したのも束の間。私が雇い主ということは、私が給料を払う必要があるわけで。無論そんな貯金どこにもない。というかそもそもこちらに来てから自分でお金を使ったこともないような重箱入り娘である。
「ヴィ、ヴィオラ。私お給料、ヴィオラに...」
申し訳なさに震えながら、事実を伝えなければと必死に言葉を紡いでいると、それを察したヴィオラは「お給金は旦那様からいただきますよ」と補足してくれた。
(なんだー!それなら何の心配もないじゃん!)
これは手放しで喜んでいい案件だ。この2、3ヶ月の間、人見知りとそれに伴う孤独に耐え続けた甲斐があった。
完全に舞い上がっている私を見て、フェリシアは少し申し訳なさそうに「ただ、」と言葉をつなげた。
「王宮にて勤めることには変わりないので、1年は研修を重ねながらという感じになります」
「いいのよ!来てくれただけで嬉しいんだから!」
ずっと一緒にいる事ができないことに対して申し訳なさを感じているのだろう。近くに居ることが力になるのであって、私付きの侍女になると決断してくれただけでもう十分なのに...なんていい人なんだヴィオラ。
ヴィオラに話したいことは積もり積もっているが、もう授業の時間だ。ヴィオラも研修があるようで、部屋から去っていった。
その後は、不安でいっぱいだった日常に少しの安らぎが与えられたことを幸せに思いながら、午後を過ごした。