赤い空に舞う黒い羽根
ある村に、一人の少年がいました。
その男の子は、友達がおらず、いつも孤独でした。
けれど彼は、一人ぼっちを寂しいとは思いません。
周りの子供達は、最初は一緒に遊ぼうと誘っていましたが、少年はなかなか来てくれない上、来てもいつのまにかいなくなって、一人で空を見ている事が多かった彼を、いつしかいないものとして扱っていくようになりました。
彼はそれを嫌だとも思わず、ますます一人でいることが多くなりました。
その少年は、同い年の子供達の遊び声や、風に揺られる木々の音や鳥のさえずり、家の中から聞こえるお母さんの家事をする音を聞きながら空を見るのが大好きでした。
時には外に出て、家以外の場所から空を見ることもありました。
時間や季節の移り変わりによって、空は彼にいろんな表情を見せてくれたのです。
少年はいつからか、あの空はどこまで続いているんだろうと不思議に思いました。
試しに一度、朝から家を出て、それまで行ったこともない場所まで遠出をしました。
少年は家の台所からこっそり取ってきたビスケットをポケットに入れながら、ずんずんと空の続く限り歩きました。
進めど進めど、空は少年の上に広がり続けました。
夕方になり、いつのまにか周りは暗くなって、少年は帰り道も分からなくなりました。
少年が泣きながら歩いていると、彼を探してきた両親に見つけられました。
両親もまた泣いていました、そして彼を怒りながら抱き締めました。
お父さんにおんぶされながら見た夕焼けの空に、鴉が飛んでいました。
少年は、あんなふうに空が飛べたならと思いました。
鳥になって空を飛べたなら、もっと近くで空を見ることが出来るし、遠くまで行ってもすぐ帰ってこれるのになぁ、と彼は鴉の鳴き声を聞きながら空しくなりました。
それから何ヵ月か経った冬の日の事でした。
少年は昼下がりの公園で、いつものように空を見上げていました。
雲ひとつない、綺麗な青空です。
彼にとっては、面白い雲の模様もなく、夕方になるのも早い冬の空は、いつもより少し退屈でした。
ふと空を見るのを辞めて、ポケットに入れてきたビスケットを食べようとしたときです。
彼の近くに、一羽の黒くて大きい鴉がやってきました。
鴉が、じっと自分の方を見ているように思えました。
少年は、手に持っていたビスケットを細かく手で割って鴉の近くの地面にそっと投げてやりました。
鴉はそのビスケットの欠片をくちばしでつついて食べました。
それを見て、少年には自然に笑顔が零れました。
彼は持っていたビスケットを、鴉と分けあって食べました。
彼は鴉に、
「明日も、一緒にビスケットを食べよう」
と言いました。
鴉に人の言葉が通じない事はその少年も分かっていましたが、鴉は応えるように一声鳴き、空に飛んで行きました。
それから雨の日以外は、少年は毎日公園に行ってその鴉に会いました。
鴉は毎日同じ時間に、同じ場所にやってきました。
彼は空を見る代わりに、その鴉にビスケットをあげたり、遊んだりしました。
その内に少年は、その鴉はどうやら自分の言葉が伝わる事が分かりました。
どうしてかは分からないけれど、その鴉は少年の言った通りに動いたり、鳴いたりしました。
彼はその鴉に、『クロ』と名前をつけました。
友達の代わりに、少年はクロとボールで遊んだり、鬼ごっこをしたりしました。
クロの気持ちは、彼には分かりません。
けれど、一緒に遊んでいるときのクロは、とっても元気で、自分と同じ人間の子供と遊んでいるような楽しさがありました。
夕焼けが来る度に、少年はクロを家に連れて帰りたいと思いました。
けれど、彼は鴉には帰る巣があり、家族がいることを絵本で知っていたのですから、クロを家で飼う訳にはいきません。
少年はクロが空に飛び去っていく度に寂しい気持ちになりました。
あれほど好きだった空も、夕焼けの色に染まるときだけはちょっぴり嫌いになってしまいました。
少年とクロの出会いから一ヶ月ほど経った、ある日。
いつものように寒空の下、少年はお母さんに縫ってもらった手袋をしながら、クロといつもの公園で遊んでいた時のことでした。
ふとクロが飛び、木の枝に乗るのを見ていると、一羽の鴉がその上空を飛んでいました。
クロから目を離し、その鴉を目で追いかけると、翼をはためかせ減速しながら住宅地の一画に入っていきました。
もしかしたら、あそこに鴉の巣があるのかもしれない。
そう思った少年は、クロを連れて鴉の入っていった先に向かいました。
やがて、少年はあの鴉が着陸したであろう場所に着きましたが、鴉の姿は見当たりません。
半ば諦めながら奥に進むと、女の子の声が聞こえました。
その声につられるように立ち並ぶ家々の角を曲がると、窓の開いた小さな家にたどり着きました。
その家の開いた窓際には、鴉が止まっていました。
そして、家の中からその鴉に話しかけている少女と目が合ったのです。
「……こんにちは」
「ごきげんよう」
それが、彼に出来た初めての人間の友達との出会いでした。
それからというもの、一人と一羽は、二人と二羽になりました。
少女の友達である鴉は、少女に『カラ』と呼ばれていました。
カラもまたクロと同じく、人語を解する鴉でした。
少女は、心臓に持病を患っており、外に出て遊べない子供でした。
毎日ベッドから空を見上げたり、本を読むことぐらいしか出来なかった彼女のもとに、ある日突然カラはやってきました。
最初は少女も怖かったに違いありませんが、彼女の具合が悪くベッドから起き上がれない日も自分をただ見守ってくれるカラに、とうとう心を許したのです。
少年と少女は、毎日少女がカラとしていたようにお話をしました。
少女もまた、カラがやってくる前からずっと鳥になりたいと思っていたこともあったのか、いつも話が弾みました。
鳥になったら何がしたいか、どんな空が好きか、どんな本をよく読むのか……。
また、カラとクロも合わせたみんなで歌を歌ったりしました。
少女はとても綺麗な声をしていて、歌が上手でした。
少年は家からお父さんにもらったハーモニカを吹き、クロとカラは歌に合わせて鳴いたり、くちばしで壁をつついてリズムをとったり……。
少女はあまり長くは歌えませんでしたが、彼等の奏でる音色は空に広がっていきました。
そんな毎日を送る中で、少年は一人でいる事よりも楽しい時間はあるんだ、と心から感じていました。
少女とカラとの出会いからまた一ヶ月ほど経った、雪の降る日。
その日は少女の調子が悪く、窓を閉めきって寝ていました。
彼女を雪の降る中まんじりともせず見守るカラを見て、少年はいつもの公園に戻りました。
「ねぇクロ、あの女の子は今どんな気持ちなんだろうね。苦しいのかな、寂しいのかな、悲しいのかな、それとも全部なのかな」
クロは静かに少年の近くに佇んでいました。
少年は、もし自分が彼女のような状況だったらと想像すると、何だか恐ろしい怪物に後ろから捕まれるような戦慄を感じました。
「あの子も、鳥になって自由になりたいって言ってたなぁ。僕よりもずぅっと、その気持ちは強いんだろうな」
そう思うと、同じ願いを持っている少年は、彼女になんとなく申し訳なくなりました。
少女より自由な身空でそんな願いを抱くのは、彼女に対して不謹慎だと思ったのでしょう。
雪が強くなってきて、少年はいつもより早くクロと別れました。
その日の夜、少年はベッドで寝ていましたが、突然奇妙な感覚に襲われました。
意識はあるのに、身体は動かないのです、目すら開けることも出来ません。
今まで体験したことのない現象に、恐怖のあまり叫びそうになりましたが、もちろん口も開きません。
ただ呼吸をすることしか出来ないので、少年はもう一度寝ようとしました。
早鐘を打っている心臓のなんとか抑えて、意識を微睡みに落とそうとした時、声が聞こえました。
その聞き覚えのない声は頭に直接響いてきました。
少年は、ようやく夢が見れたかと安心しましたが、その声はどこか現実のことのようでした。
声は少年に問いかけました。
『君は鴉になりたいかい?』
「あなたは誰?どこにいるの?」
『僕はは今、君の部屋の窓の外にいる。僕は鴉だよ』
「もしかして、クロ?」
『いや、違う。クロでも、カラでもない
』
少年は驚きました、鴉が言葉を使って自分と話していること、カラやクロのことを知っていること、全てが不思議でした。
『もう一度聞こう、君は鴉になりたいかい?』
「……うん、なりたい」
『じゃあ、もし人間を辞めなきゃいけなくて、家族や友達とも会えなくなって、記憶も全部無くなるけど、鴉になれるとしたら、どうだい?』
「きおく……?」
『思い出、なら分かるかな。もしそれでも鴉になりたいなら、僕がその願いを叶えてあげよう』
少年は考えました。
今までずっと、長い間鳥になりたいと思っていた彼にとって、それは難しい質問に他ならなかったのです。
果たして、お母さんやお父さん、そしてあの少女と、自分の願いは、どっちが大切なんだろう?
「クロやカラとも、会えなくなるの?」
『いや、あの子達とは会えるし、遊べるよ』
「鴉になりたいって言ったら、今すぐ本当になれるの?」
『そうだ、その為に僕はここに来た』
「どうして、僕なの?」
『…………』
鴉は少し黙りました。
もしかしたら、聞いてばっかりだった自分に怒ってしまったのかと怖くなりましたが、やがて鴉は再び話し始めました。
『実は僕達、つまり鴉は、絶滅の危機に瀕しているんだ』
「ぜつめつ……ひんする?」
『鴉が、みんないなくなってしまいそうってことさ』
「どうして?」
『それは分からない。でも君が生まれるずっとずっと前から、鴉はいなくなりそうだったんだ。そんな僕達に、神様はあるチカラをくれたんだ』
神様の存在は、少年も知っていました。
すごく偉くて、空の上にいて、悪い人にはお仕置きを、いい人にはご褒美をくれる存在だと、お母さんから聞かされていました。
少年は、鴉はいい鳥だったから、ご褒美をくれたのかなぁとなんとなく思いました。
『それが、鳥になりたいと心から思っている人を鴉にするチカラなんだ。それとチカラを使うために、人の言葉が分かるように、そして鴉にする時は人とこうして話が出来るようになるチカラもくれた』
「クロやカラも、人間だったの?」
『多分そうだと思う。元人間の鴉は人と仲良くなりやすいんだ』
少年は、クロとカラが自分と同じ人間だったと聞いても、それほど驚きませんでした。
言われてみれば腑に落ちる点が多くあったこと、そして人間が鴉になるという事を馬鹿馬鹿しいも笑い飛ばすには、少年はまだまだ幼かったのです。
少年は、とても悩みました。
お母さんの優しさ、作ってくれた料理、お父さんのごつごつした温かい手、 おぶられた広い背中……。
そして、クロやカラ、そしてあの少女と過ごした冬の楽しさ。
いろんな思い出が少年の頭を巡りました。
そして……
「僕は、やめておくよ」
少年は、長年の願いよりも、人間であり続けることを望みました。
『そうか……。分かった』
鴉は少し残念そうでした。
その声に、少年は少し不安になりました。
どうしてかは分からないけれど、もう二度とクロやカラに会えないような気がしたのです。
「僕は明日からも、クロとカラに出会えるよね?」
『……もちろんさ、空は広くて、どこまでも続いているからね』
そう言うと、鴉の声が小さくなっていきました。
『じゃあね。……ビスケット、美味しかったよ、ありがとう』
「え……?」
呼び止めようとした時には、もう鴉の声は聞こえなくなっていました。
それと同時に、体が動かせるようになりました。
少年は慌てて起きて、何故か開いている窓から外を見ました。
鴉の姿は見えず、真っ黒な闇が広がっているだけでした。
それでも、少年は別れの言葉を言いました。
「さよなら、クロ……。また、会えるよね」
翌日の昼下がり、いつもの時間に少年は公園に行きました。
ビスケットを持ったまま、彼は待っていましたが、ついにクロは現れませんでした。
少年はその時、カラの事を、そして少女の事を思い出しました。
もしかしたら少女はもう鴉になっているかもしれない、そう思ったのです。
少年はいてもたってもいられず、駈け出しました。
すっかり見慣れた路地を通っているのに、いつもより道が長く感じました。
少女の家に着くと、カラが窓際にいませんでした。
そして少女も、ベッドにいませんでした。
少年は、あぁやっぱりと思いました。
彼女は、鴉になって飛び去ったのだと確信しました。
きっと、カラと一緒に。
友達が一日でみんないなくなってしまい、少年はたまらず泣き出しそうになりました。
その時、後ろから声をかけられました。
「よかった……。いなくなってなかった……」
振り向くと、あの少女がいました。
息も絶え絶えで、顔色も真っ白でした。
「カラに……鴉にならないかって言われて……。私、パパとママ、君と会えなくなるのが嫌で……。そしたらカラがいなくなっちゃって……。君も来てくれなくなったから……」
あまりの疲労に、少女は倒れそうでした。
肩を貸しながら、少女の家に入り、ベッドに連れていってあげながら、少年は少女も自分とほとんど同じ状況だった事を聞きました。
みんないなくなってしまったのかと、焦りと悲しみのあまり家を飛び出してしまったそうです。
「でも本当によかった……。君がいてくれて」
少女は泣きだしました、少年もさっきまで引っ込んでいた涙が溢れてきました。
二人の子供が、泣きながら笑いあった時には、もうすっかり日は暮れていて。
窓から見上げた夕暮れの空には、鴉が飛んでいました。