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階段を登りきった小鳥は、操舵室のドアから内部を覗く。
男が一人、舵を握っている。
「よし!」
小鳥はスカイデッキに飛び出すと、通学鞄から何かを取り出すと、次々と床に並べ始め―――
再びドアの前に戻った。
飛び交うヘリのプロペラ、切り裂かれる水の音。
高揚する気持ちを押さえつけ、ゆっくりと深呼吸。
「いいわね、小鳥。行くわよ・・・」
自分に言い聞かせると、握った右手をゆっくりと開く。
オリオン社が販売するロングセラー駄菓子 ミニコーラ。
缶をデザインした小さな容器。そのプルタブを思い切り引っ張ると、操舵室へと放り投げ、その場に伏せた。
瞬間!
「うわああああっ!!」
操舵室が、否船前方部が凄まじい閃光に包まれに包まれ、すぐに消えた。
それを確認すると、操舵室に突入。中で気絶している男を確認すると、室外へ引きずり出したのだった。
「初めて使ったけど、効果覿面だったわね。ミニコーク型スタングレネード・・・ありがとう、あや姉」
不意に、何かが青空の中を旋回し、自分の足元にゆっくりと降り立った。
それは伝書バトのよう。自分の飛ばしたソフトグライダー。
「どうして・・・!?」
翼の裏を見た小鳥は驚愕した後、笑みを浮かべるのだった。
「やれるだけ、やってみますか」
次いで、小鳥のスマホが鞄の中で震えだした。
着信は、見知らぬ番号。
「誰だろう・・・もしもし」
―――小鳥さん
「鈴江君!無事なの?」
―――ええ。見張りの数が1人になった時に、みなさんと協力して。
この電話も、乗客の方のを借りて。
そう、警察や小鳥の予想外の反撃に、敵も兵隊を大幅に喪失していたのだ。
「船長さんは?」
少しの沈黙の後、鈴江とは違う声が聞こえてくる。
―――船長の西堂です。
「時間がありませんので単刀直入に伺います。この船を急速旋回させることは可能ですか?」
―――可能ですが。船舶の急速な旋回は、最悪の場合、船舶のバランスを崩し、横転する危険性があるのです。
どうして、そんなことを?
「落ち着いて聞いてください。現在こちらに向かって、ハイジャックされた別の船舶が走行しています」
―――あのビアンカか!?
「そうです。先ほど、捜査員が突入しましたが、この様子では操舵室の制圧と、進路変更は望み薄です。
仮にビアンカの制圧が現時点で完了しても、衝突の可能性はなくなったわけではありません。警察の話では、ビアンカはミシガンの左舷中腹に船首がぶつかるように走っているそうで。
―――右舷側に舵を切って回避したとしても、無理なのか?
「右舷側には、犯人の船舶2隻が航行しています。全力で妨害してくるでしょう。
そこで、この船をビアンカの鼻先で旋回させ、衝突を回避します」
―――鼻先って・・・左に旋回する気か!?無茶だ!
「確かに、この船が無事であるかどうかの保証はありません。でも、これしかないんです!
左舷側には、警察の船が・・・鉄壁のフォワードがいます!こちら側に逃げれば・・・兎に角、船長には乗客に対しての説明を願います」
―――君が操縦するのか!?
「簡単な操作方法の説明を願います。合図は、警察側から―――」
―――君は信用するのか?船に対して素人の警察の意見を!?
「警察ではありません。私は・・・私は、この世で一番愛している女性を信じます」
通話を終えると、舵を握り前を見た。
左舷側からビアンカが迫ってくる。
船首3階部分のデッキに、大勢の人が出てきていた。
「ビアンカも、この異常事態に気づいたのね」
外では滋賀県警の水上艇が危険を伝えていた。
あやめの伝言で、エリスがビアンカの制圧をしていることは知っている。
「信じていいのよね。あや姉」
刹那。
操舵室に撃ちこまれた銃弾。
背後!
「出てきなさい!」
声から誰なのかは分かった。
「ルキーミ」
ゆっくりと窓を覗くと、数名の信者と共にソリュア、ルキーミ、デュオの姿が。
「チッ!すべての罠を突破されたのか!」
「出てこないのなら、こちらから迎えに行く」とソリュア
そこで小鳥は、ドアを開けて叫んだ。
「来れるものなら、来てみなさい。床が見えなのならね」
「何?」
3人が見ると、スカイデッキに万遍なく並べられたチェア。その隙間、彼らを前に横一直線に並べられたおもちゃ。
二足歩行のカエルから、ゼンマイ式のパトカーのミニカーまで数多し。
「またフェイクか・・・構わん!突っ込め!」
ソリュアの言葉に、先ほど囚われた3人が走り始めた。奇声を上げチェアを蹴飛ばしながら。
途端、彼らの前に止まっていた、プルバック式のミニカーが走り始め―――
「わあっ!」
爆音とともに黒い煙が立ち上った。四散したチェアがその威力を物語る。
そこに3人の姿はなく、吹き飛ばされ湖に転落していたのだった。
「ば、爆弾!?」
「馬鹿な・・・正気に戻れデュオ。こんなの1つだけ本物さ」
ソリュアは銃をとりだすと、左端のカエルのニンギョウを撃つ。
再び大爆発。
「全て・・・本物か」
「構うことはない。ルキーミ、全て撃て」
「ソリュア様・・・もう、手元に銃弾はわずかです」
「知るか!撃て!」
その言葉に反応したのか、並んでいたミニカーの一台が、こちらへ向けて走りだした。
慌てて下の階へ逃げ出す。
恐る恐る階段からスカイデッキを覗くと、ミニカーはその階段手前で止まった。
これでは、先に進めない。
「ビアンカの連中が何とかしてくれるさ。まさかヘリから飛び降りた奴以外に、既に仲間が乗り込んでいるなんて知らないだろう」
一方、操舵室の小鳥のスマホに再び着信。
船長からだった。
―――乗客への説明は済んだ。舵輪の操作は素人考え通りでいい。突き出ているハンドルを、左に思い切り回せ。
「分かったわ」
―――合図は?
「鐘の音よ!」
ミシガンと並走していたあやめは
「香葉子、減速して」
スピードを落とすクルーザー。
すかさずイヤホンマイクを掴む。
「全船舶に告ぐ。ミシガンと距離を取れ。
・・・リオさん、準備はいいわね?」
―――回り込む。
その声の後、クルーザーの上空をささごいが追い抜くと、旋回し、ミシガンの前にてホバリングする。
ミシガンとビアンカの距離は、素人目で見ても迫りすぎだった。
「エリス・・・エリス!応答して!」
あやめが叫ぶも、向こうは反応しない。
「まさか、やられたんじゃ」
「そんなバカな。敵は1人だけだったはず・・・仕方ない。エリスが何もしないことを祈るしか・・・」
2隻の距離はどんどん迫っていく。
だが汽笛も鳴らさず、互いの航路を自己主張の如く突き進む光景は異様だった。
「頼んだわよ。香葉子」
「こんな大役を押し付けるなんて・・・冷や汗が止まらないわ」
「貴方が頼りなの。私より長いこと船と付き合っているでしょ?」
「仕方ない・・・」
嫌々ながら、その表情は穏やか。
船の距離は狭まっていく。
「この辺りよ。合図を」
「まだよ」
「あや!」
「まだ・・・まだよ・・・」
彼女は見ていた。その瞬間まで。
並走する信者の船が、ミシガンから離れる、その瞬間を!
「鐘を打ち鳴らせ!」
その叫びが湖を木霊した!
ささごいから放たれる1発の銃弾。
向けられた銃口は操舵室に。
小鳥に向けて放たれた銃弾は―――操舵室前に吊るされた銅の鐘に。
カーン、カーン、カーン。
乾いた音が狂ったように、繰り返し繰り返し鳴り響く!
音が鳴りやんだ頃、ミシガンの進路が左へと動き出した。
「よし!やったわ!」




