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水上部隊が応援に来た頃、ミシガン船内では―――。
「さて、巫女の出番だ」
デュオがそういうと、ソリュアは掴んだ手を放し、代わりに信者2人に指示を出す。
「こいつを縛り上げろ」
このままでは、本当に殺される。
瞬間、小鳥はデュオに話しかける。
「ねえ。このまま拷問にかけるなら、最後のお願いを聞いてくれるかしら?」
「ほう、どんな」
「最後の晩餐・・・と言ったら大げさかもしれないけれど、最後に好きなものを食べさせてくれないかしら?
私のお願いを受け入れてくれたら、貴方の好きな部分から切り刻んでも、いいわよ?」
艶やかな表情を浮かべ、上目遣いでデュオに近づく。セーラー服のリボンを解き、スカートの端をゆっくりと掴みながら。
「切り刻みたいんでしょ?私の乳房」
デュオの表情が微妙に変化した。口の右端を吊り上げる。
「いいだろう。
で、何を食べたい?人質の料理人を呼ぼうか?」
「何でも・・・いいのね?」
「二言はないよ」
「そう、よかった」
小鳥はソリュアに、傍の鞄を取るように言う。
通学鞄を取り上げ、中から出したのは、白い容器に象のマークがあしらわれたラベル。
駄菓子の鉄板、モロッコヨーグル。
「なんだ、モロッコヨーグルかよ」
「私ね。これが大好きなのよ」
「近頃の若者にしては珍しいな。まあいい、さっさと食べろ」
ソリュアはそっけなく答えた。
湖を背に、手すりにもたれかかりながら、ラベルに手をかけた。
「ねえ、ソリュアさん・・・でしたっけ?
私がこのモロッコヨーグルが好きな理由って、ご存じかしら?」
「さあな」
小鳥は微笑して、答えた。
「これはオリジナルなの」
「え?」
「私が好きな理由。それはね・・・今の状況をひっくり返せるから!!」
「なんだと!?」
ヨーグルのラベルをはがした瞬間、彼女が手にしたカップからものすごい勢いで白煙が立ち込めた。
周囲、否、それは船すらも包み込む。
ホワイトアウト。数センチ先まで見渡せないだけでなく、細かい粒子が口や鼻から入って、息苦しい。
咳き込む中、ソリュアはあることに気づいた。
縛られていた男がいない。傍には気絶したデュオ。
さらに、煙の向こうから声と銃声。
「畜生・・・」
腕で口をふさぎながら立ち上った時
「動かないで!」
煙の向こうから聞こえる女の声。
ミシガンが切る風に、煙幕が乗って次第に視界が開けてきた。
そこには両手でグロック17を握る小鳥。その姿はあの紺色、セパレートタイプの巫女装束。
足元には伸びた信者たちが倒れている。
「このアマ・・・何をした?」
「見ればわかるでしょ?少し痛めつけただけ」
「あのモロッコヨーグルは」
「ああ、これ?」
足元にある容器を取り上げた。
「見た目はモロッコヨーグル。でも中身は高圧濃縮された煙幕。
一滴でも水に触れた瞬間、入浴剤の様に膨張し、煙を放つ。発煙筒300本分の、ものすごい量の煙をね」
「そうか。この船が巻き上げた水が、その容器に・・・」
「そういうこと。
私に最後の晩餐の舞台を与えた時点で、貴方の負けよ。女は銃より強しってね」
容器を通路に放り投げると、再び両手で銃を構えた。
「さあ、お遊びは終わりよ。今すぐ船を止めて、人質を解放しなさい」
だが、ソリュアは高らかに笑った。
「それは無理な注文だ」
「え?」
「この船は間もなく、別の船と衝突する」
「!?」
「このミシガンより大きく頑丈な客船だ。衝突されれば、ひとたまりもないだろう」
小鳥は言葉を失った。目を伏せ、再び前を向いて
「何故・・・何故そこまでして死に急ぐ!」
「我々は信奉する唯一神の御心のために行動するのだ。その神の言霊を授けられる師は、神の生みだした過ちを異端者の血によって精算せよと、我らに命じた。ただ、それだけのことだ。
神の言霊を信じ、行動すれば、我等は約束された大洋の楽園に住むことができる」
「目を覚ましなさい。ニンギョウを葬る理由は神のためじゃない。お上、彼らの都合のためよ。
それにニンギョウは、血で動いているわけじゃない」
「黙れ。異端者の言うことは、死神の囁きより冷酷で、欺瞞に満ちている。
この船の乗客の血で神の過ちを拭い去る。そうすれば、我等萬蛇教とシクツオミ様は、新たなるステップに進めるのだ」
恍惚の表情を浮かべるソリュアに対し、小鳥は首を横に振りながら半歩下がる。
「狂ってる」
そう呟きながら。
「さて、約束通りに、巫女の血を頂こうか」
ソリュアは言うが
「この状況、わかって言っているの?
その巫女が、貴方に銃を突き付けている。それに、私を殺す最大の目的は、私の姉と鈴江君への抑止力。
重要なビデオの在り処を握る鈴江君を、船ごと沈めるとは思えない。仮にその場所を吐かせたとしても、彼が水難事故で生還する可能性も、無きにしも非ず。だってそうでしょ?すぐ横を、滋賀県警の船が並行して走っているんですもの。
ここで血まみれになり、精肉工場の様に解体される私の姿を鈴江君に見せて、よりいっそう恐怖を植え付けて話させよう。その彼を味方の船に乗せ、場所を吐かせた後、確実に殺す。
ミシガン・・・あなたたちの計画の最終段階は、こういうことね?
でも、すべては完璧ではない。むしろナンセンスといったところかな。鈴江君に対しては、確かに効果は覿面でしょう。でも、この反対側でドンパチしている彼女に見えないところで、私を殺すだなんて・・・。
貴方馬鹿?」
「馬鹿は君さ!」
その声。聞こえたのは背後だった。
鋭利な物体が鼻先をかすめる間隔。
振り返りざまに交わした刃。デュオがそこにいた。
「起きていたのね」
「いい踵落としでしたよ。最も、居眠り程度にしかなりませんでしたが」
「上等の褒め文句ね。で、どうする?」
「無論、続けさせていただきますよ。
この状態ですから、まずは右腕から・・・」
「へえ。刃物と飛び道具、どっちが優位なのか、わかっているでしょうに」
張り詰める空気。
小鳥が左手を放し、片手で銃を構えた。デュオにとって、その姿勢は挑戦以外の何物でもなかった。
背後でソリュアが話す。
「銃を片手に、お前はどうしたい?」
「この船を止める!アンタたちの言う計画を、私がぶっ壊す!」
「ほう・・・お前ひとりでか?」
「舐めない方がいいわよ。私を」
「たかが煙幕ぐらいでいきがるなよ、アマ」
鼻で笑ったソリュアの鳴らす、2つの足音。
それを合図に、デュオがナイフ振り上げ切りかかる。
出遅れた小鳥。引き金を引く時間がない。
すかさず、左手をポケットに突っ込むと、何かを投げつける。
袋に詰められた何かは、デュオのナイフに接触した瞬間、音を立ててはじけた!
中身が放射線を描いて広がると、デュオの体を包み、身動きを封じる。
「な、なんだこれは!」
「トリモチか?」
2人とも、その光景に驚きを隠せない。
小鳥はすぐさ振り返り、ソリュアに銃を向ける。
「こうなりたくないなら、動かないで」
「貴様!」
「これ?どんぐりガム型のトリモチ。
ああ、デュオさん。動いても無駄ですよ。車1台軽く止められる程度ですから」
「もう・・・もうただじゃおかない!」
小鳥のいる場所は1階。最上階に通じる階段は、ソリュアの背後にある。
手ぶらな彼の傍を通れば・・・否、彼が何を仕掛けてくるか。
足元の通学鞄を蹴り上げ、左手でキャッチすると
「子供じみた言葉ね。坊や」
傍の開いたドアから船内に。
そこはダイニングルーム。主に貸切クルーズやパーティー会場として使用される。白を基調とした天井や柱の中に、欧州の屋敷風のテーブル、調度品が並べられている。
だが、反対側のドアも開いている。襲撃の際、そのままにされたようだ。
しかし、扉の向こうにいる信者たちは倒れたまま。
(きっと、あや姉の仲間が倒したんだ)
ほっとしたのも束の間、怒号が響く。
「巫女は1階のダイニングだ!ぶち殺せ!」
彼女はテーブルに隠れながら、鞄を探る。
「何かないか・・・」
しなやかな手が、鞄の底にある塊を掴むと、小鳥は笑みをこぼした。




