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ミシガンから、船の炎上を目撃する小鳥は、言葉を失う。
「なんて・・・こと・・・」
操舵室の窓越しからも伺える黒煙に、口をふさぐ。
射殺した男の代わりに船を操縦していたソリュア。不意に表情をにやけさせる。
彼は別の男に操縦を任せると、彼女の腕をつかみ下の階へと歩き始めた。
「どうする気?」
「第2、3段階を並行して行う」
連れてこられたのは1階、あやめがいるのとは反対側の甲板。そこには外国人の男と4人の信者。傍の柱には人質の男性が縛り付けられ、左腕を湖へと伸ばした形で固定されている。
「た、助けてくれ・・・」
恐怖に顔を引きつった男は、穏やかな目の外国人に助けを乞う。
しかし、その言葉に答えることはない。
そこへ別の信者が来る。
「応援の船が来ました」
「よし、こちら側に1隻寄せろ」
「了解」
さらに、小鳥の腕をつかみながら片手でスマホを操作すると、コール。
「俺だ。お遊びはそこまでだ。
第3段階施行。ビアンカをジャックせよ」
通話を終える。
「ビアンカ?あなた、今度は何を?」
「知る必要などない。これから生贄となるものにとっては」
「は?」
言葉の意味が分からなかった。
「よしデュオ。やれ」
「了解しました」
デュオは穏やかな顔のまま、縛られた男に近づく。
「凌遅の刑はご存じですか?」
「り・・・」
「おや。そこまで硬くならずに」
デュオは話を続ける。
「古来中国に伝わる処刑方法ですよ。
千切りの処刑法とも呼ばれていましてね、文字通り人体を可能な限り細かく切り刻むのですよ。それも生きたまま」
信者の1人が、大型のナイフを彼に手渡す。
「もっと大きな包丁がいいのですが、生憎、こういうのしか怪しまれずに持ち込めませんのでね」
瞬間、男は叫んだ。
「やめてくれ!殺さないでくれ!何でもする!!」
「嫌ですね。これは仕事であって、私の趣味でもある」
表情をそのままにデュオは、ナイフをゆっくり腕に近づける。
「切断するには不向きですし、すぐに死んだら楽しみが半減する。まずはゆっくりと血を抜くことにしましょう」
「やめてくれえ!」
断末魔の叫び。
鋭利なナイフの先が肩から、手へ向かって血の道標を描きながら走り始める。
途端、男は目を閉じ、頭をうなだれる。
「気絶してしまいましたか・・・」
肘まで切ったところで、彼の手が止まった。
したたり落ちた血は、滴となって湖へと流れる。
「だが、これでいい。我が神へ捧げる血は、凡人より巫女がふさわしい」
全ての意味が分かった瞬間、小鳥の体を恐怖が高速で走り抜ける。
(それって、私の血のために、拷問するってこと?
嫌・・・この男マジだ。殺される・・・殺される!)
目を見開き、口を開け、恐れに満ちた体の震え。
気づいた時、デュオの右手が彼女の顎を掴む。
顔を近づける彼は、ナイフを片手に
「さて巫女さん。どの部位から最初に外しましょうか?
綺麗な鼻?しなやかな腕?それとも、発展途上の乳房でしょうか?」
口と共に、ナイフを顔から服の上へと動かす。
彼女にできること、それは自分の乳房のあたりで止まったナイフを凝視する。それだけだった。
救助のため、1隻が離脱。状況は有利のままであり、不利だった。
敵の攻撃はハンドガンのみになった分、こちらの反撃も幾分か容易になった。
それでも・・・
1隻の小型艇が、クルーザーに近づく。
乗っていた宮地が、あやめを呼ぶ。
「先輩!」
「大丈夫か?」
「今のところね。それより、爆発した船は?」
「別の船が、負傷者を探しているわ。
既に消防艇が発進したそうだけど、この状態では到着はいつになるか分からないって。
それと、小鳥ちゃんは?」
「犯人の傍に―――」
突然、左肩を銃弾がかすめ、あやめが倒れこんだ。
「あやめ!」叫ぶ香葉子
クルーザーを減速させ、あやめのもとへ。
見ると押さえた左肩に血が滲む。
「かすっただけよ。直に止まる」
「無茶しないでくれよ。君に死なれたら・・・」
「あら、気にしてくれるの?」
「先月貸した2千円、持ち逃げされたら困るから」
微笑してあやめは答えた。
「もし死んだら、預金口座ごと返済してあげるわ」
そのまま彼女は、宮地に向け叫ぶ。
「私は大丈夫です。早くあいつらを!」
「分かった!」
彼女の乗った小型艇が、離れていくのを音で感じた。
その時、見上げた空で事件は起きた。
「ヘリが離れていく」
ささごいを必死で妨害していたR22ヘリコプターが、突然離れ、飛び去っていく。
「南東の方向ね。逃げるのか?」
気になったあやめは身を乗り出し、ヘリの後を見送る。
その方向には琵琶湖レークサイドホテルの高層ビルがそびえる。
ヘリが一瞬高度を下げた。その場所は
「船?」
ミシガンとは打って変わって近代的な3階建ての大型客船。
そこに1人、降り立つのがぼやけてはいるが分かった。
「香葉子、あの船は?」
彼女もまた身を乗り出す。
「ビアンカね」
「ビアンカ?」
「ミシガンと同じ、琵琶湖汽船が運転している大型船よ。まあ、観光よりも結婚式とかイベント運用に使われるのがほとんどね。
確か今日は、レークサイドホテルで行われた結婚式の披露宴会場に―――」
「まさか、連中ミシガンを!」
あやめは止血を確認すると、眼下で銃撃戦を展開する大介に叫んだ。
「大介!」
しゃがみ、マガジンを装填する彼は答える。
「口座分与の話か?生憎、知り合いに税理士とか弁護士はいないぜ」
「この銃撃で、よく聞こえていたわね。逆に驚くわ!
そんなことは、どうでもいい。ヘリの乗員が別の船に乗り移ったわ。恐らく、ハイジャック」
「またか!?」
「ミシガンに、その船をぶつけるつもりよ」
「死にたがりめ。その船は、どこに?」
大介は反対側に移って、船を確認する。
「あんな大型船にぶつけられたら、ひとたまりもないぜ。
でも、本当にジャックされたのか?」
「ヘリから人が飛び降りるのを見たもの」
「単なる見間違いかもよ」
その時、あやめの無線が叫ぶ。寺崎からだ。
―――琵琶湖汽船にいる捜査員から連絡。航行中の客船、ビアンカからの交信途絶。船舶はミシガンが走行する方へ、進路を取ったとの情報。
「マジかよ」
「あのヘリが2人乗り。1人が降りたってことは、操舵室が占拠されただけで、乗客は気づいていないってことになるわね」
あやめはイヤホンマイクに叫ぶ。
「リオ!」
―――ビアンカでしょ?向かいたいけど・・・
「どうしたの?」
―――あの五月蠅いヘリが、戻ってきた!
ハッとして見上げると、小さな機影がささごいに向かって走って来る。
アクロバティックな操縦で、今まで持ちこたえていたが、パイロットやヘリの状態を考慮すると、限界に近いだろう。
それでなくとも、ささごいは長命寺港での戦いでダメージを受けて、本格的な修理をせずに現場に投入されている。
妨害が理由でなくとも、ささごいが自滅する可能性もあり得るのだ。
「あやめ!」
次いで大介の叫び声。
視線は後方。
2隻の小型クルーザーと、多数の水上バイク。すべて白で統一されたそれは、こちらへと走ってくる。
「水に関する宗教だから、船の1つや2つ持っていると思っていたけど、これは予想外ね」
「あいつらもマシンガンを持っていたら・・・」
「何とかしなくちゃ」
「でも、この距離じゃ。ライフルも弾切れだ」
「私がいるじゃない?」
幸運にも、ミシガンから少し離れた場所。
立ち上がったあやめは、湖に両手を伸ばした。
「氷花 弓!」
立ち上った水が、手の動きに伴って上昇。
頭上でクロスした、彼女の白い手の中で弓矢に形を変える。
巫女はそのまま、左手の矢枕に矢を添え、弦を引く。
氷の先端が獲物を捕らえた瞬間、鋭い視線と氷の矢が、空気を切り裂く。
湖面を走ったそれは一直線に、水上バイクのエンジンに突き刺さる。
爆発と共にマシンが四散。搭乗者が湖に放り投げられた。
そのまま次の矢を生成し、再び放つ。
別の水上バイクが爆発。避けようとした別の1台が乗り上げ、宙返り。墜落。
しかし、船舶に乗る信者たちがマシンガンを構え始める。
それを、背後から大介の射撃が援護する。
「船を出すんだ!」
「言われずとも」
エンジンスタート。連中との距離はそのまま、あやめは矢を放ち続ける。
次々と爆発炎上する水上バイク。
数はみるみる少なくなっていく。
そして後れを取っていた水上警察艇が負傷者を、1人1人引き揚げていく。
残るは水上バイク6台、船舶2隻。
「よし、このまま・・・」
刹那!
「あやめ、煙だ!」
ミシガン2階から白煙が上がり、瞬く間に船を包み込んだ。
「小鳥め。モロッコヨーグルを使ったな」




