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AM11:10
JR堅田駅
ホームに停車した近江塩津行普通電車。ずんぐりとしたクリーム色に茶帯の車体―117系電車から降り立つ、セーラー服。
周囲を警戒しながら、改札を抜け、一直線にタクシー乗り場に。
すぐさま運転手に行先を伝え、発車。
車は街中の一般道を走り、湖へ。
ジャンクションを抜けると、車は大きな橋に差し掛かった。
琵琶湖大橋。滋賀県守山市と大津市を結ぶ、全長約1400メートルの橋である。上下線が分離されており、橋の中間は船舶を航行させる目的で、他の区画より高く作られていた。
平日だが、その車の多さから、やはり琵琶湖の東西を結ぶ動脈であることを実感する。
窓の外を見ると、丁度大きな船が、琵琶湖大橋をくぐるところが見れた。
(大きい船。クルーズ船かしら?)
考える暇も与えず。車窓は移ろうもの。
守山市側に着くと、料金所が見えてきた。モノクロの通行券をボックスの職員に渡すと、タクシーは出発。ここからはニュータウン内を進む。
だが、ここから目的地はすぐだ。
車を再び琵琶湖方向へ。
「お客さん、着きましたよ」
それは水上に浮かぶ、御殿の如き構え。
無駄のない整えられた石畳の先に、堂々とした構えの切妻屋根と、その姿を映す人工池。
全てが近代的で芸術的なそこは、さまざまな絵画や陶芸作品を収蔵する佐川美術館。
そう、彼女が指定した京阪石山駅の代替場所が、ここだった。
タクシーを降りると、スマートフォンを見た。
〈彫刻のエリアにいます〉
池の横を通る渡り廊下を歩いて、入り口に。
チケットを購入し中に入ると、パンフレットで位置を確認。すぐさま目的地に。
開けた大きなガラス窓に、水面が反射する館内。
彼が指定したエリアは、特別展示室の横にある。
やわらかい色の部屋に並べられた、ブロンズの人物像。その中に、鈴江はいた。
周囲を警戒している様は、やはり彼にも追手がついていたのだろう。
「鈴江さん?」
「ああ、小鳥さん」
おびえた表情の彼に近づくと、彼女は言った。
「大丈夫?連中は?」
「え?どうして」
「私もさっき、浜大津で狙われたの。何とか撒いたんだけど」
「まさか、ここも・・・」
「分からないわ。
だから、てっとり早く済ませましょう。その後、あなたを姉に引き渡して―――」
「待った!」
鈴江が、唐突に。
「君が、連中の仲間でないと、証明できるのか?」
「えっ?」
「それが証明できない限り、この話はない」
しかし、小鳥は微笑。
「こんな危険を冒してまで、貴方に会いに来た。本人だって証拠は、この学生証よ」
制服のポケットから、学生証を出そうとするが
「身分の証明じゃない。お前が、連中の仲間じゃないって証だ」
彼女は声を荒げた
「いい加減にして!私のセーラーにあのバッジが付いていると思って?」
「どうかな?あの野々市ってやつは、どこにもバッジをつけていなかった。それでも、アンタ言ったよね?彼が、俺をこんな目に遭わせた可能性が高いって」
「・・・」
「君や刑事さんから、そんな連中の話を聞いたとき、にわかには信じられなかった。でも、今は信じられる人間は限られる」
「私が信じられないの?はるばる藤井寺から、学校をサボってまで来た私が」
「そうだよ。この瞬間に、隠していた拳銃でズドンなんてされたら、たまったもんじゃない」
すると、小鳥は不機嫌そうな笑みを浮かながら
「じゃあ、好きにしなさいよ。煮るなり焼くなり。
お望みなら、身体検査のために、ここで裸になりましょうか?
ブロンズ像の森の中で、JKのヌード。どう?・・・嬉しいでしょ?」
片手でスカートの裾を掴み、ひらひらさせながら、もう片手でセーラーのリボンに手をかけた―――刹那!
「その必要はないわ」
背後で聞こえる声。
それは特別展示室とを結ぶ、殺風景な通路からだった。
現れたのは、鈴江と同い年くらいの女性。その姿を見て、小鳥は手を放した。
鈴江は見覚えがあるようで
「え?浪川さん?」
「誰?」
「おや。私を知らないなんて・・・あなた、やっぱり小鳥ちゃんの偽物ね」
狼狽・・・なんて全くしない小鳥。というより、呆れている。
しかし鈴江の、小鳥に対する疑念は強まる。
「自己紹介しておくわ。私は浪川ハナ。彼と同じ都古大学の1回生よ」
そう、同級生なら尚更、そっちを信じるだろう。同じ学び舎の仲間なのだから。
「貴方、何の権利で、ここに?」
「小鳥さんのお姉さんから連絡を受けてね。今は事件でてんやわんやだから、代わりにこっちへ向かってって言われてね、ここへ来たってわけよ。さあ、ビデオをこっちに。彼女に渡して、滋賀県警で確保してもらうから」
直感で判った。最早、直感でもないかもしれない。
ウソだ。この女はウソをついている。
しかし、鈴江は彼女を信頼していた。
「浪川さんが、どうして?」
「以前から、彼女と交流があって―――」
「待って!」
小鳥が制止する。
「貴方が本人であるという証拠を、私に見せてください」
「はあ?何を言っているの?私は―――」
「貴方が連中の仲間で、大学生を装っている可能性も捨てきれませんから」
浪川は舌打ちをすると、学生証を取り出した。
写真を確認するが、確かに彼女だ。
(大学一年、史学科。彼も確か史学科・・・どういうこと?あや姉の口からは、一言も浪川なんて言葉は聞いたことはない)
一通り見ると、浪川は右手で、小鳥の手から学生証を取りあげる。
「これでいいでしょ?さあ、早くビデオを―――」
その時、鈴江が放った一言を、彼女は逃さなかった。
「偽物だ!」
「え?」
「お前は、浪川さんじゃないな!」
浪川は微笑した。
「何を急に。根拠はあるの?」
「あるさ。さっきの仕草が」
「仕草?」
「浪川さんは左利きだ。学校では何かと不便だから右利きで過ごしているが、咄嗟の行動では左利きが出る。でも、さっき彼女の手から取り上げたときには、右利きだった!」
それを聞き、爆笑する浪川。
「ハハハッ!それが根拠になるか!咄嗟の判断じゃなかったから、右手で奪っただけで―――」
「まだある。浪川さんは、学校内のサークルには属していないし、周りに心理学科とのパイプは存在しない。つまり小鳥のお姉さんと面識はないはずなんだ。そんな浪川さんに、警察関係の、それも最重要任務を任せるわけがない!
ここから滋賀県警まで、車を飛ばせば楽に来れる。わざわざ奈良から人間を呼ぶことなんてしなくていいはずなんだ」
「そ、それは、本部がてんやわんやで―――」
「所轄に任せればいい。事件が起きているのは湖東地区。平和な湖西地区の所轄なら、すぐに動かせる」
鈴江の意外な推理力に、彼女もオロオロ。
そこで
「いじめるのは、やめましょう」
「五月蠅い。偽物の言葉なんて―――」
「何を勘違いしているの?救いの手なんて、差し伸べてはいないわ。
そんな推論を並べずとも・・・ね?」
「はあ?」
「貴方、私の姉と親しいみたいじゃない?」
その言葉に、機械の如く繰り返す。
「親しいも何も。彼女に頼まれて―――」
「なら、私の姉の名前を言ってみて?」
「そんなことか。あやめ、よ」
瞬間
「いいえ。苗字もよ!」
その言葉を受けて、浪川は狼狽する。
「えーと・・・名取、だっけ?」
「いいえ。沢口よ」
「そ、そうそう。沢口」
ひきつった顔で、何とか答えるが
(全くの阿呆ね。名取も沢口も、あや姉が第三者や他大学の学生相手によく使う偽名。それを口に出したってことはコイツ、あや姉とは、何も親しくない。
これで、彼女が偽物と証明できるか。否、この質問は、ただ単にこの女が、あや姉と接点がないということを導き出したに過ぎない。
鈴江君の話、それに本物の学生証からして、彼女が浪川さんに成りすましていることは、想定できるんだけど。
どうする?どうすれば、彼女が本物の彼女でないと証明できるか)
小鳥の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。
サークル参加者でなくても、学校にいる皆は、ほとんど知っているとあやめ自身が言った、あの話題。
「じゃあ、あやめが車通学をしているの、知ってる?」
「ええ。それくらい」
「どうやって、その権利を得たのか。知っているかしら?」
「弓道でしょ?」
あっさりと回答。勝ち誇った顔。
(本人から吐かせたか。それなら!)
「じゃあ、あやめの愛車の色と、車種は?」
「私、車に詳しくないけど」
「どうぞ」
「青色の・・・何だっけ?全体が角ばった、古い車よ。
・・・そう、レパード!そんな名前の車よ」
それを聞いて、小鳥は口元を緩ませた。




