4
10月3日 AM7:24
滋賀県長浜市 豊公園
長浜城を中心に、国民宿舎や市民プールが展開する憩いの場。
すぐ傍には琵琶湖。そこにパトカーと警官が。
朝陽が乱反射する湖面の光を手で遮り、滋賀県警本部の碇警部が現場に入る。
初老の彼は、間もなく定年。
「定年前に、こんな大事件が起こるとはな・・・」
青いビニールシートで区切られた場所に、手袋をしながら入っていく。
飛び込んでくるのは水草が体にくるまった水死体。目を見開いたそれは、長く水に浸かったせいで皮膚がふやけて腹部が異様に膨らんでいる。
「ひどい臭いだな。仏さんの身元は?」
部下の高城刑事が報告する。
「それが・・・所持していた運転免許証から、奴さんが俵田浩二であることが判明しました」
「あの、俵田か?」
碇は、顔を覗く。
「福井県警からの書類で、嫌とみている。間違いない」
その人物とは、伊豆半島で起きた特急電車襲撃事件と同時刻、福井県敦賀市中心部で起こった連続通り魔事件の犯人だった。
JR敦賀駅で3人、そのすぐ近くの敦賀街道で5人の計8人が襲われ、3人死亡5人重軽傷という事案。
街道での襲撃後、犯人は車を奪い逃走したため各所に検問を敷いて対処したが、JR近江塩津駅に車が乗り捨てられていたのを最後に、消息は途絶えていた。
「まさか、滋賀にいたとはな」
「でも、あれだけの警戒網をどうやって潜り抜けたんでしょうね?」
そこへもう1人の部下、柴村刑事が。
「加島からの連絡です。竹生島で俵田の所持品と思われるリュックサックと凶器のナイフが発見されました」
竹生島とは、琵琶湖の北側に浮かぶ小島で、国の名勝にも指定されている。昔から信仰の対象となっており、島の南側には神社がある。
「成程。あそこは島の南側以外人は簡単に立ち入れないし、神社と土産物屋の人間は島外から来ているから、あそこは原則無人島だ。してやられたな」
「ですね。
福井県警には、連絡を入れておきました。県警本部の人間がこちらに向かうとの事です」
再び高城に聞く。
「死因は?」
「はっきりしたことは解剖してみないと分からないそうですが、死因は溺死。
事件を苦にしての自殺か、それとも事故かはわかりませんが。
それから、仏さんの遺体に妙なものが」
「ん?」
「手に、食塩が大量に入ったビニール袋を握っていたんです」
「漂流物が絡んだだけじゃないのか?」
「いえ、しっかりと手に握っていて」
碇は首をかしげた。通り魔が何故、そんなものを握っていたのか?
「人を殺した自分の身でも清めるつもりだったんですかね?」
気楽に言った高城の言葉を、柴村は否定した。
「それは、絶対ないよ」
「どうして、そう言える?」
「加島から、もう1つ連絡を受けていたんだが、俵田のリュックサックの周辺には、たくさんの動物の死骸が転がっていたんです。全て、ナイフでバラバラに切り裂かれて」
「食糧を確保するために―――」
「それにしては、猟奇過ぎると」
3人は改めて、無言の死体に恐怖を感じ始めた。
「ひとまず、司法解剖に回すんだ」
「了解」
指示を受け、警官数人が担架を持ってきた。死体を運ぶため横向きになっていた体を仰向けにさせた、その時だった
「うわあああっ!」
「ひいっ!」
警官たちが一斉に叫び始めた。
「どうした!」
傍にいた碇も、その訳を理解した。
突然、死体の口元が緩み、笑い出したのだ。狂気の笑み。誰もがそう見えた。
あまりの恐怖に後ずさりするが、しばらくすると笑みは消え、普通の表情に。
呆気にとられていたが、碇はヒステリックに叫んだ。
「は、早く運ぶんだ!」
怖気づいた警官は、死者への尊厳もどこへやら、乱雑に遺体収容用の袋に入れると担架で担ぎ上げ、ダッシュで車へ。遺体を乗せられたワゴン車は、タイヤからスキール音をさせながら発進していった。
周囲の警察官には、まだ体を震わせていたものや、下を向くものも。
それを見て、碇は柴村に言う。
「トクハンに、捜査協力を要請してくれ。まさかとは思うが」
「了解しました」