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翌日、10月13日
AM10:13
京都府京都市山科区
この日、関西地区は灰色の雲がかかり、どんよりとした天候だった。
京都市営地下鉄東西線をと相互運転をし、山科から浜大津までを結ぶ京津線。4両編成のちんまりとした水色の電車が、地下鉄のトンネルを出て山科駅に入った。その先頭車両、クロスシートには小鳥の姿が。
手に握ったスマートフォンを、何度か見ながら車窓へと目線を戻す。
話は昨日。あやめと波乱の別れをした後の、大和西大寺駅から始まる。
あの時、電話から聞こえてきたのは、紛れもない、自分が命を救い、見舞った青年。
時間を遡って、昨日
大和西大寺駅
「え・・・どうして?」
困惑する小鳥に、鈴江は言う。
―――病室に来たとき、名刺を置いて行きましたよね?
思い出した。
何かあったら、ここに連絡するようにと渡したことを。
まさか、除霊に失敗した?
先ほどの感情の波が、現在の不安を飲み込まんとした。
―――実は、お話ししたいことがありまして。
その・・・あなたのお姉さんの連絡先を知らないものですから、貴方にかけたのですが。
「話したいこと?」
そう聞くと、彼は声を小さく、受話器傍で囁いた。
―――ビデオの事です。
「え?」
―――あのビデオがどこにあるか知っています。それを渡したいんです。
「なんですって?場所は?」
―――この話が、誰かに聞かれてはマズいので、直接会ってから。
小鳥は一抹の興奮を覚えた。と同時に、迷いも。
この事件は、姉の専門で、もう事件に介入するなと言われたのだ。そして---
(いいわ。私だって、あや姉の力になれるもん!)
「私が話を聞きましょう。大丈夫よ、後で姉に伝えますから」
―――え?
「姉は事件の方で忙しいので」
―――そうですか・・・では、明日の11時に、どうですか?
「場所は?」
―――京阪石山駅へ。
そして今日、天王寺区にある学校に通うと見せかけ、環状線や京阪本線、地下鉄と乗り継ぎ、現在に至る。学校への連絡は、母親を装って既に行った。
電車は車輪をきしませ、車体を大きく振ってカーブを繰り返す。今まで見えていた住宅街は消え、山の中を切り通した道路と並走する。登山電車顔負けの急勾配を走る区間に突入した証拠である。
山岳部を突っ切り、電車は京都府から滋賀県に入る。
「!?」
不意に、スマートフォンが震えた。
メール着信。発信元は鈴江。
「え?」
文面には
〈連中に目をつけられた。今、彦根駅だが、場所を変更したい〉
その連中が、ライカル近江で接触した、白スーツの連中と同一であることは理解できた。
彼女にも、感じていたのだ。
後ろで自分を刺す気配が。
(まさか・・・私にも?
でも、いつから?三条京阪から?京橋から?天王寺から?それとも、藤井寺から?)
小鳥を、徐々に恐怖が蝕む。
本当に誰かいるのか?後ろを振り向けば、確実に気づかれる。
気が付くと、電車は駅に停車し、すぐに出発した。
気配は消えない。
「次は、浜大津。大津港、浜大津アーカス前です」
車内放送が流れ、電車が急カーブを曲がると、視界がグンと開けた。
ここから浜大津まで併用軌道、つまり路面電車のように車道に敷かれた線路を走るのだ。
(次が終点。やってみるか!)
小鳥は手にしていたスマートフォンを右ひざの上に置いた。右手でそっと添えながら。
前を向き、そのチャンスを待った。
車窓がゆっくりと、流れていく。ビルやコンビニの玄関が流れ、傍を車が通り過ぎる。なんとも異様な風景ではないか。
突然、電車がブレーキをかけた。
同時に客の体が、慣性の法則に従って、進行方向にもっていかれる。
ガタン!
誰かのスマートフォンが、床に落ちた。
クロスシートから伸びるしなやかな手が、その四角い機械の箱を取り上げる。
電源が入っていない黒い長方形の鏡が、車内を仄かに映し出す。
(白いスーツの男!?)
やはり、それらしき男が乗っていた。
しかし
(彼だけとは限らないわね。この電車は4両編成で、私はその先頭に乗っている。ほかの車両に仲間がいる可能性も、無きにしも非ず)
緊張感が漂い始める。
その始まりを告げるかのように、電車は速度を少し上げ、右急カーブを曲がる。
浜大津手前、京阪石山坂本線と合流する、直角に近いカーブ。交差点に敷かれたそこを、ゴーと低い音を立てながら、車両はホームへ滑り込んだ。
(10:27。浜大津停車。ここまで相手が配置を強化しているとしたら、私たちが京阪石山へ行くことも、お見通しってとこかしらね)
扉が開いて、小鳥はゆっくりとホームへ降り立った。
そのまま彼女は、改札へと続く階段を上っていく。
大勢の靴音で、確実とは言い難いが、あの男も来ているに違いない。
外へ出ると、彼女はコンコースへ。
バス乗り場となっている屋根付きの中心部が、駅に隣接しており、そこから東側の大津港、北側の福祉関連ビルへと連絡橋が伸びている。
そこから見下ろすと、先ほど電車が曲がった交差点が見える。
車がひっきりなしに行き交い、列車全体にラッピングされた2両編成の小さな電車が、坂本方面に走り去る。
北側連絡橋から、交差点を見下ろしながら、周辺にいる白スーツ男を数える。
(中央部に1人・・・いえ、スーツじゃないけど、別に2人、親しそうに話してる)
3人くらいなら、撒くことは容易。そう高をくくっていたのだが。
「え?」
それは交差点の端にいた。
小太りの男。大きな一眼レフを抱えていたのでてっきり、鉄道マニアかと思っていたのだが、そのカメラが、知らぬ間にこちらを向いていた。さらに福祉ビル方向にも、こちらを凝視する2人。
分かるだけで合計6人。さらに背後には大津港へ向かう連絡橋。そこに何人いるか。
(ヤバい・・・マジでヤバい!)
心臓がひっくり返る程高鳴る。柵にもたれかかったまま、微動だにできない。
この場から離れたい。でも、そうしたら何をしてくるか、わからない。
自分が壊れそう。
そんな時、小鳥は姉がかつて言ってくれた言葉を思い出した。
「いい?自分がピンチな時こそ、冷静にならなきゃいけないの。
落ち着いて、深呼吸。そうすれば、見えていなかった突破口が、簡単に見えるものよ」
(そう。こういう時こそ、深呼吸)
深く息を吸い、吐く。重い空気が、曇天の空の隙間に見え始めた、青空に吸い込まれる。
そうして、周辺を見回すと冷静に考える。
(連中が石山にも張り込んでいるとしたら、石山寺駅方面の電車は危険ね。とすると、撒くためには坂本駅方面の電車に乗ることが必要。
あの3人を、どうにか私から逸らす方法を考えるとして、問題は、あのカメラマンね。
近江の件からすれば、私が逃げれば、電車を躊躇なく止めるでしょうね。
・・・よし、一か八か)
彼女の中で起きた決心。
スマートフォンを起動して、時計を見る。
「10:35。後3分で、電車が来るわね」
その時、福祉ビル方向から、職員らしき若い女性が出てきた。
「すみません」
小鳥が声をかけ、彼女に何かを話すのだった。




