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その衝撃は、捜査本部が静まり返る程度。
サムイのではない。まさかという疑惑からだった。
臨仰市は奈良県北部の東側―奈良市から見て南東の位置にある。日本でも最大勢力を誇る新興宗教の1つである臨仰教が起こり、その本部を置く、日本唯一の宗教都市。
市中心部には本部寺院、外部参拝信者用の宿泊・炊事施設、臨仰大学、大学付属博物館・図書館等、宗教関連施設が密集している。
無論、市内の住人全てが信者ではないし、宗教色が強いのは、あくまで市中心部のみである。市全体的には農業が盛んな地帯であり、最近ではソウルフード“臨仰ラーメン”が、全国のグルメから注目を浴びている。
「確かに、臨仰市は長浜市から見て南に位置しているし、萬蛇教が掲げる“宗教の完全破壊”とも合致する」
唸る深津。しかし、碇警部は言った。
「しかし、どうして長浜なんだ?奈良市から送り込んだ方が早いんじゃないのか?」
「恐らく、我々警察の目を逸らすための、リスクの高い保険」
「リスクの高い?」
「このニンギョウは、殺人と破壊のみを目的に行動する存在です。目的を内包し発動させれば、後はその目的のみに向かって、突き進む。
ですが、その進路上にあるものを壊さないとも限らない。行きがけの駄賃とはいきませんが、目についた人間を殺す可能性も。
そうなれば、警察が介入することは必至。下手をすれば、計画が阻止される。いくら存在しない宗教団体とはいえ、公安部が尻尾ぐらい掴むことぐらい安易に想像はつく。
プログラムされていない殺人を犯す可能性がある以上、標的である臨仰市から離れた場所で、ニンギョウを発動する必要が出てくるわけです」
「成程。警察と世間の目を、滋賀県内に向け、その間にニンギョウを臨仰市へ向ける。
でも、ニンギョウはラジコンのように、外部からの操作は不可能よ。滋賀を抜けたとして、その先にある人口密集地に入るリスクも、あるんじゃないの?」
宮地は言った。
「いえ。地図を見てください。東近江市と臨仰市を直線で結ぶと、このコース上は山岳地帯を通ることがわかります。ギリギリ、伊賀市付近をかすめますが、そこは教団が監視をする予定だったのでしょう。だから、近江八幡の時に、教団の車両が即座に、ニンギョウとの交戦を始められたんです」
「じゃあ、萬蛇教の目的は・・・」
「ここまで言えば、わかりますよね。宮地先輩?
そう。彼らの目的は臨仰教本部と、臨仰市の完全破壊。山が連なる市東部からニンギョウを奇襲、混乱するところに武装した信者を投入する。そういったところでしょう。信者の武装は、彦根城での銃撃戦で判明していますから」
「ですが、臨仰教は過激な新興宗教ではありませんよ?」と県警の高城
「奴らには、過激さも信条も関係ありません。目の前にある宗教と名のつくものは、すべて抹殺する。
問題は、教団の当初の計画より、厄介になっている可能性ね」
「宮地先輩の言うとおりです。恐らく萬蛇教は、ニンギョウが今夜の状態に進化するとは考えてもいなかったでしょう。あるいは、進化することを知っていたが、それが見られないために手放した。そのニンギョウは、現在も命令を受理したまま行動をしていることです。その上、船上で俵田の声で助けを求める絶叫が聞こえたと言うことですが?」
あやめは、寺崎を見た。頷く。
「そうなら奴は、元のニンギョウ―俵田を排除した素の姿に戻ろうとしている。そうなれば、すぐに進路を戻すでしょう。
加えて、生物兵器を体内に取り込んでいる。
こんな存在が、万が一、臨仰市に侵入し、プログラムを発動するれば、被害は想像を絶します。
日本犯罪史上、否、世界史上最悪の大量殺人になるでしょう」
だが、問題が1つある。確証だ。
今のところ、これらは奈良ホテルでレイラスが放った言葉を基に、あやめたちが推測したにすぎない。
「確証がなければ、この方針で動くのは難しいですよ?」と横山が言う。
「そうですが・・・」
「臨仰市が標的なら、管轄は奈良県警になります。滋賀県警に出番はない。かといって、この場を捨てれば、新たな被害が」
「それは向こうも同じです。臨仰市を攻撃するとして、萬蛇教はニンギョウを切り捨てて行動するとみられます。もう、奴に構わず作戦を実行する可能性があるんです。
この仮説が外れるのならば、それが望ましい。それによって批判されようと監察対象になろうと、私は喜んで受け付けます。
ですが、仮説通りなら、教団はニンギョウ抜きで無差別攻撃に出る。それは明日、いえ24時間も猶予がないかもしれない」
熱弁をふるうあやめに、深津が話しかける
「君の言うことは理解できる。だけどこれ以上、同僚に傷を負わせられないのも事実だ。
今日の事件。あのスパシオが特殊装甲の特注品じゃなければ、高垣は間違いなく殉職していた。今回の敵はそこまで危ないんだ。分かってくれ。奈良県警には通達をだすが」
しばしの沈黙。あやめは地図の臨仰市を凝視し、微動だにしなかった。
「わかりました」
その一言。
放ったのは、宮地だった。
「トクハンの大阪係から、何人か人員を割きましょう。これで文句ないよね。深津君?」
「宮地!」
神妙な顔で、宮地は話し始めた。
「こんな話したら、齢がばれちゃいそうだから言わなかったけど・・・私、地下鉄サリン事件の現場にいたの」
「え?」
「私が妖怪から人間になり、新米刑事としてスタートを切った私の、最初の事件だったわ。早朝、あの時はゲリラによる地下鉄爆破事件が起きたってことで、築地駅向かったわ。
あの時の光景は忘れろと言われても、絶対にできない。無数のサイレンとヘリの音、道を大きな赤い消防車が占拠していた。その中で警官や消防士が叫び声を上げ、大勢の人が路上に倒れこんでいた。
私は後方支援に回されたけど、駅から出てきた担架、ぐったりしている乗客をくるむ黄色い毛布が、今でも目に焼き付いている。それに、地下から電車の座席にのせられて運び出された男の人・・・目を見開いて微動だにしない姿に。
カルト事件に巻き込まれるのは、いつだって部外者だ。カルトも敵も教祖も関係ない、全くの部外者。自分たちで盛り上がって自爆するなら、どうぞお構いなくすればいい。でも、周りを勝手に敵視して石を投げる。その迷惑さには勘弁できない!」
右手を握りしめて語る宮地。その姿から、当時の凄惨さがわかる気が、大介にはした。
彼もかつて、目の前で親友を殺された。その悲しさは身を引き裂くほど。
あの事件で亡くなった人たちにも家族がいて、友達がいて、恋人がいた。
「宮地・・・」
「深津君。宮地班長として正式に指示を出します。直ちにトクハン大阪係の人員数名、及び奈良県警の捜査員を、臨仰市に配置。同時に市境と県内の幹線道路に検問を行って、萬蛇教の侵入を阻止。
急いで!」
「先輩・・・」
ゆっくりと彼女を見るあやめの頭を、宮地は撫でた。
「君は自信を持って、引き続き捜査を」
「了解!」
と共に、トクハンのメンバーも、宮地を見た。誰も嫌な顔をしていない。否、意気軒昂といった状態か。
「2人のリーダーから言われたんじゃ、仕方なかとね。で、俺たちは?」
寺崎が方便を交えて聞いた。
「そのまま琵琶湖周辺の警戒と、鈴江の入院している病院の監視を。
病院には、今誰が?」
「県警の高城さんと柴村さんが」
神間が答えた。
「状況は?」
「10分前の通信では、異常ないとのこと。温かいラーメンが食いたいって、嘆いていましたよ」
「寺崎君と神間君は、長浜の病院に。ただし、彼らはまだ、ラーメンはお預けで」
「交代しないんですか?」
「人員が長命寺港に割かれている以上、病院を信者が襲撃した際に、応援の到着が遅くなる。できるだけたくさんの人間を、あそこに配置したい。
どうやら教団は、彼にも目を向けているみたいだから」
「わかったぜ」
寺崎は神間を引き連れて、本部を後にした。
加えてリオも、宮地に。
「で、私はどうすれば?」
すると、あやめが
「リオさんは、ここで待機を。私は大介と、奈良に戻ります」
「はい!?」
リオが驚くのも無理はない。
正直、大介も驚いていた。
「職務放棄でもするつもり?」
「いえ。切りに行くんですよ。最後のカードを」
瞬間、彼は察知した。
警察以外で、教団関係者と接している一般人。
そう、映像研究サークルの渡瀬部長。
「彼に揺さぶりをかけて、話を聞き出します。少々、手荒なことをするかもしれませんが」
「行ける?」
「ええ」
微笑した宮地。傍で聞いていた隼が、大介の肩をたたく。
「親父」
「なにやってるんだ?“姫”のエスコートが、紳士の役目だろうが」
「・・・了解。行ってくる」
あやめと共に捜査本部を出ていく大介を、父はただ、優しい目で見続けるのだった。
この日、捜索は翌日未明まで行われた。
しかし、ニンギョウの行方はようとして知れず、教団側も、目立った行動は起こしていなかったのだった。
あやめと大介は、本部へ。休息を取った2人は、自分たちの通う大学へと向かった。それだけの対価に似合った仕事を、やるために。




