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PM6:25
近鉄奈良駅前
ライトアップされた行基像。ガラス張りの駅舎前に車を停めたあやめは、ここに立っていた。
奈良の有名な待ち合わせスポット。
「大介。ここで、誰を待てって言うの?」
「ん?すぐにわかるよ」
時計を気にし、駅出入り口を気にする大介に、あやめは首をかしげるだけだった。
「あや姉っ!」
突然聞こえてきた声。
制服姿の小鳥が一直線に、あやめの胸めがけて走ってきた。
「おっと・・・こ、小鳥?」
全身で受け止めた彼女。動揺を隠せない。
微動だにせず、ギュッと力を込めてあやめに抱き着く小鳥。
「ちょっ・・・痛い!小鳥、離し---」
「心配したんだからね」
声を震わせ、嗚咽と共に、感情をを吐露。
「毎日が怖かった。あや姉が死んだらどうしようって、それだけ考えてた」
「・・・」
「よかった。生きてるよね?夢じゃないよね?」
優しく抱きしめた、あやめの冷たい手。雪女の母性が、小鳥を包む。
「ええ。私はここにいるよ」
「うん」
「ごめんね。それと、ただいま」
「おかえり」
妹への贖罪。この程度の抱擁で済まされないことは、あやめも理解している。
しかし、今の彼女に、これ以外の選択肢はなかった。
レパードに乗り込んだ小鳥は、あやめに捜査協力を願い出た。
当然、あやめは猛反対。
「そんな危険なこと---」
「相手は妖怪じゃない!だったら、私のスキルが必要になるはずだわ!」
「だとしても、この事件は私たちでも手に負えなくなってきているわ。警察に関して素人のあなたに、捜査介入だなんて」
「あや姉!」
「このまま藤井寺まで送るから、いいわね?
それに、これは私たちの仕事なの。この間は電話をかけてきて、運よく事件への突破口が開けただけ。それを抜いたら、小鳥はただの部外者」
「わかってる!わかってるよ!でも・・・」
言葉を濁した小鳥の口から、本音があふれ出した。
「私は、あや姉の傍にいたいの!また死にそうになるかもって思うと、気が狂いそうになるの!
お願い!絶対に危ないことはしません!」
本気。
「小鳥君、気持ちはわかるけど---」
「大介さん。これは私たち姉妹の問題です。すみませんが、口を出さないでいただけますか?」
そう言われ、彼は口をつぐんだ。
後部座席に乗る小鳥の表情は見えないが、運転中の彼女に、その気持ちは、嫌というほどわかる。
だが・・・。
迷うあやめの背中を押したのは、無線の声だった。
―――私からもお願いするわ。彼女を、捜査に参加させて。
「リオさん!?」
リオと宮地の乗るS2000は、レパードの後ろをくっついて走る。
―――事件解決には、コトリだけでも足りないくらいね。正直に言って。
「え?」
―――話したでしょ?検証に協力してもらった関係者。
ワシントン近郊に住む、4人の強力な霊能師なんだけど、彼らでも手こずるような力を、あのニンギョウは持っている。
この先、カオス・プリンセスの力で解決できるとは、私は思えない。無論、貴方が力不足って意味じゃないわ。それだけ今回の相手は強く、私たちにとって別次元の存在なの。
霊能師のコトリと、バチカンのエージェントでもあるエリスで、ようやくやりあえる。私の見立てが正確なら、いえ、エリスの力すら通用しないとしたら、コトリはこの先、必要な戦力。
「・・・」
レパードが交差点に差し掛かり、左折レーンへと入った直後、信号が黄色、赤と。
停車すると、あやめはゆっくりと、ハンドルにもたれかかった。
下を向いて、無言。
「あやめ、どうするんだ?」
大介の声にも反応せず、微動だにしない。
歩行者信号が点滅を始めた。
青、青、青、赤。
自動車信号が、最後のカウント。
青、黄、赤。
車が止まる。
『うわっ!』
レパードが不意に急発進。強引に右折し、西大寺方向に走り出した。
「どうしたんだよ?」
大介はあやめの方を見るが、彼女は何も答えない。
―――アヤ!どうした?
無線から流れるリオの声には、答えた。そっけなく。
「先に本部へ。なんでもありませんから」
しばらく走り、大和西大寺駅南口へ来ると、車を路肩に止める。この辺りは再開発地区であるが故に、建物は少なく街灯もない上、4車線道路は途中から車が進入できない。
暗闇に、レパードの車体が同化している。
「小鳥、ここで降りなさい」
『!?』
その言葉に、小鳥も大介も驚いた。
「リオさんは、あんなことを言っているけど、私は反対よ」
「あや姉・・・」
「この事件は、私たちだけでも解決できる。今、同じ相手と戦っているエリスが、突破口を探してくれているハズ。
あなたの力を借りずと、ニンギョウは倒せる」
その口調は、いつになく冷淡。
「ただ私は---」
「私が言うのも変だけど、人はいつか死ぬ。私も例外じゃない。
その時が来ても、それは私の死期に対する執行猶予が、切れたに過ぎない。98年から逃れてきた、私の魂が終わりを告げる。ただ、それだけ。
ロスタイム・ライフ。私の、いえ、カオス・プリンセスの生命なんて、所詮はそんなもの。
話は、これでおしまい。今すぐ車を降りて。西大寺からなら自力で帰れるでしょ?」
「そんな・・・」
「それから、事件が解決するまで、私に近づかないで。連絡もしてこないで、迷惑だから。
・・・大介、そこをどいて、シートを」
「あやめ」
「早く!」
抵抗する彼に、あやめは怒鳴った。
仕方なく、シートベルトをはずし外に出ると、シートを前に倒した。
そこから小鳥が、車外に。
同じくあやめも。
車の前、ヘッドライトに照らされ両者無言で、近寄った。
パァン!
寒空に響く、乾いた音。
小鳥が、あやめの右頬をはたいた!
それでも、表情を変えないあやめ。変えたのは、はたいた方。
大粒の涙を流し、顔をくしゃくしゃにせんとしたとき、彼らを背に、西大寺駅へと走り去っていった。
光の方へ。だんだんと姿を消していく。
「いいのか、あやめ?こん---」
大介の言葉を遮るように、否、自分を責めるが如く、あやめは自らの拳を、レパードのボンネットに振り下ろした。
バアンと、大きな音が。
涙声でしゃがみながら、あやめは己を呪う。
「馬鹿よ。こんなやり方しかできないなんて・・・馬鹿よ・・・大馬鹿よっ!」
煌々と照らすライトを横に、あやめは。
大介は、ゆっくりと彼女に近づく。
「俺が悪かった。この事件が解決してから、小鳥君を君に合わせれば」
「いいえ。大介は悪くないわ。私も、小鳥の姿を、すぐにでも見たかった。私の大切な妹・・・。
それでも、不安はあった。不幸にも的中しただけ」
涙をぬぐい、彼女は続ける。
「小鳥が捜査に加わってもいい、あの交差点で、一瞬はそう思った。
でも、それ以上に怖かった。小鳥が殉職を怖がったのと同じように」
口に出さなくてもわかる。
彼はすべてを察した。彼女が怖いこと。それは妹の“殉職”。
相手はこれまで、大勢を殺してきた呪いのニンギョウと、それをけしかけるカルト教団。
五体満足すら、怪しい捜査の道のりを、小鳥が駆け足でたどることになる。
「これから先、私は彼女を全力で守ることが、できないかもしれない。もしかしたら、私より先に・・・。
そう思うと、全てが怖くなった。今回も、昏睡した私の身を案じた小鳥に、どれだけの不安と恐怖を与えたのか。考えるだけで申し訳ない気持ちに襲われる」
「気持ちはわかる。それなら、彼女を家に送り届けたときに、少し話す程度でよかったんじゃないのか?」
「ただでさえ、教団に宣戦布告とも取れる行いをした後よ。いつ襲ってくるか分からない」
「だから、西大寺に向かったのか。巻き添えになるから」
彼女は頷き、微笑して
「嫌いになっちゃったかな?」
「そんなことないさ。
お互いのことは、よく知っているハズだろ?姉妹なんだからさ。
ちゃんと説明すれば、きっと小鳥君も理解してくれるよ。ね?」
「うん」
「行こうか。その不安要素をぶっ飛ばしに」
指でそっと、涙の線を拭うと
「そうね。叩き潰そう」
ゆっくりと立ち上がったあやめは、彼と共にレパードに乗り込むと、その場を後にするのだった。
一方で小鳥は、大和西大寺駅1、2番線ホームに。奈良・天理・橿原神宮前方面行の電車が発着するホーム。
ベンチに座り、涙で目を腫らした顔をうつむかせ、うなだれる少女。
その横を、オレンジ色の特急が、ゆっくりと走り去る。
彼女も、あやめの言うことは理解できたし、あの表情、声、雰囲気・・・すべて察していた。
自分が姉の死を恐れているように、彼女もまた妹の死を恐れているのだと。
そう思うと、彼女は自分を激しく後悔した。感情に任せて、姉を叩いてしまった。自分の身を案じていた、自分の理解者に。
「あや姉」
静かにつぶやくと、自分のスマートフォンを取り出して、電源を入れる。
デジタル時計の表示と共に、あやめの顔が。
「お願いだから、死なないでね」
瞬間!
「え?」
スマートフォンが振動と共に、鳴り出した。見たこともない番号。
彼女は、恐る恐る、通話ボタンをタップすると、耳に。
「もしもし・・・」
聞き取れたのは、その言葉だけ。
通話をする彼女の前を、向かいのホーム、阪神電鉄の快速急行が轟音を立てて通過していくのだった。




