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同時刻 大津市
滋賀県警本部
捜査本部にいた隼に、一本の電話がかかってきた。
彼の妻であり、大阪府警科捜研研究員の亜門沙奈江からだ。
「どうしたんだ?」
―――連続殺人事件を担当している捜査員、あるいは現場周辺の住民に、何か変わったことは起きてない?
藪から棒。隼にはちんぷんかんぷん。
「いや。それがどうかしたよ?」
―――今、商都医大の法医学教室にいるんだけど。ほら、昨日殺された女子高生の検死を行った。
「何か、分かったのか?」
―――呼び出されたのよ。
遺体が、運び込まれたときと状況が違うって。
「違う?」
―――体に、オレンジ上の水ぶくれができていて、両手の指が黒く膨れ上がっていたのよ。
彼も驚いた。その遺体を自分も目にしたが、そんな兆候は無かった。
「どうして?」
―――それが重要なの。
いい、しっかりと聞いて。仏さんを再び解剖したら、肺や消化管が激しく損傷しているのが分かったわ。喉を斬られて殺されたなら、こんな状態にはならない。
「そうだよな?じゃあ、何が原因だ?」
―――正直私も、こんな仏さん見たことが無かったわ。生身ではね。
「生身では?」
―――私の知る限り、この状態を生み出す事の出来る条件は、世界中でたった1つだけ存在するわ。
化学兵器、マスタードガスよ。それが犯行現場にあったなら、説明がつくの。
「何だと!?」
声を荒げ、座っていた椅子から立ち上がった。
何事かと、周囲の刑事が動きを止める。
「そんなものが、どうして?」
―――分からない。でも確かなのは、女子高生が殺された時、あの周囲にマスタードガスが散布されたって事よ。
「お前は大丈夫なのか?」
―――ええ。しっかりと防護して臨んだから。
それに、ガス自体はそこに無いから。研究員にも被害は見られなかったわ。
「そうか・・・」
沙奈江の安全を確認した隼。ほっとした心が、急速冷凍された。
「ちょっと待て。その殺人犯が今、近江八幡駅前のショッピングモールに立てこもっている!」
―――嘘でしょ?まさか、大介とあやめちゃんも?
「ヤバすぎる!そんな相手に銃を向けたら」
―――すぐに指示を出して!自衛隊の応援も視野に入れた方がいいわ。
「ありがとう!」
電話を切ると、隼は叫んだ。
「ライカル近江に展開している捜査員、救急隊員をすぐに避難。近江八幡駅を中心に半径3キロ圏内を封鎖するんだ。
それから、滋賀県の陸上自衛隊と、大阪府警のSATに出動要請の通達。記者クラブには報道協定を要請。
犯人が化学兵器を所有している可能性が高まった。急げ!」
化学兵器。その言葉に、キョトンとしていた捜査本部は大パニックとなった。
何せ日本は、化学兵器で思い出したくもない洗礼を食らっているのだから。
西暦1995年3月20日、カルト的新興宗教団体が首都東京の地下鉄にサリンをばらまいた、通称“地下鉄サリン事件”。
これが世界で唯一の、化学兵器が用いられたテロ事件。しかも国の首都が標的となったケース。
その再来か。疑いが滋賀県の一区画に向けられたのだから、その騒動の大きさは計り知れない。
まるで住処の石をひっくり返された蟻の様、捜査員が一斉にあちらこちらへ走り出した!
「無事でいてくれ!」
隼は無線の傍に向かうと、急行中の刑事たちに連絡を取るのだった。
願うは、2人の大切な仲間の無事・・・ただそれだけ。




