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彦根城
彦根駅の西側、市内金亀町にある彦根山に建立された彦根城は、江戸時代初期、井伊家によって建てられた。全国津々浦々の城郭の一部を移築し合成させた、珍しい建築構成であり、江戸幕府大老の井伊直弼もこの地で過ごしている。
江戸城や姫路城として時代劇によく登場する天守閣と多聞櫓が国宝に、全国的に希少な馬屋や櫓が重要文化財に指定されている他、城北側にある大名庭園も国の名勝として、訪れる人々に感動を与えている。
最近では築城400年を記念した祭事が行われ、イベントキャラクター「ひこにゃん」が爆発的人気を博した。
彦根署のパトカーからの連絡が途絶えたのは馬屋の傍にある二の丸駐車場。青のレパードは、中堀沿道に植えられた松並木を走り、多聞櫓が見下ろす佐和口を抜けて駐車場へ。
白い櫓を照らす赤い光。駐車場に停車していたパトカーはドアが開いた状態。
2人は小型カメラ付きのイヤホンマイクを装着すると、銃を取り出しペンライトを手に、車外に出る。
パトカーに近づくも異変は無い。それでも、嫌な予感はする。
周辺を見回した時だった。暗闇の馬屋、傍に黒い車体のタクシーが停車していた。
あやめが気付き、そこをライトで照らすと
「うっ!」
「どうした?」
「見ない方がいい・・・」
大介もライトで照らした先。
「うぐっ!」
思わず視線を逸らした。
黒い車体から滴る水滴。その正体はボンネットに。
若い女性がボンネットの上で大の字に倒れ事切れていた。口と目を見開き、喉はかき切られて。
全身どころか漆黒のボディが真紅に染められていた事から、どれだけ凄惨なのかが窺えた。
「喉を切り裂き、胸には刺し傷。同一犯か・・・」
「顔に幼さが残ってる。多分、女子高生くらいね。可哀想に」
「よう撃捜査の甲斐無し、か。それにしても、通報にあった男の姿が無いな」
周囲を見回しても、人影はない。
「もしかしたら、天守閣の方へ行ったのかも。とりあえず、応援を呼ぶわ」
イヤホンマイクに、彼女は話す。
「こちら、あやめ」
―――隼だ。
「彦根城二の丸駐車場で手配中の車両と、若い女性のロク発見。尚、彦根22号車内及び周辺にPMの影無し。マル被も確認できない。大至急、応援願います」
―――通報にあった男性は?
「これも確認できない」
―――了解。米原検問にいる高垣と寺崎を向かわせる。
「これから、天守閣へ向かいます」
あやめは通信を終えると、大介と共に一旦車へ。後部座席からデリンジャーを取り出し、赤袴に挟むと眼前、内堀に架かる表門橋を渡る。右手に御殿を利用した彦根城博物館。
その先にある石階段の坂を上がっていくと、頭上に橋が見えてきた。右側には櫓。左右に櫓があり、天秤のような形をしていることから、天秤櫓と呼ばれるこれは、彦根城でしか見ることができない。橋も緊急時には破壊して、敵の進行を遮ることも可能となっている。
橋をくぐると左手の石垣に階段が。上り切った開けた場所に2人の倒れた人影。
「何てこと」
制服警官の死体だった。傍にしゃがみ込む。
「1人は眉間、もう1人はこめかみを銃で撃ちぬかれてる。この状態じゃ、ほぼ即死ね」
「待って。犯人は今まで刃物で人を殺めてきてるんだ。それが、どうして銃に?」
あやめはホルスターを見る。中にはニューナンブがしっかりとおさめられていた。
「銃は抜かれてないから、犯人が持っていたものとみて間違いなさそうね」
「もしかしたら銃は元々持っていて、警官相手に初めて使ったのかも」
「長浜では、刃物で警官2人を即死させたのに?
今回の犯人は、偏執狂じみた側面があるわ。そう簡単に凶器を変えるとは思えない」
「じゃあ、警官を殺した犯人は・・・」
2人は天秤櫓を見る。
橋の先で扉が口を開けて待っている。死への道を。
そう思えた。
2人は銃弾の装填を確認すると、ライトを消し、橋へと歩みを向けた。
天秤櫓をくぐり階段を上る。石畳の上に見えた櫓の下をくぐり、再び階段。
目の前に白壁と黒瓦の美しい天守閣。漆黒の中に浮かぶそれは、2人にこれから起こることを薄ら笑っている様にも大介には見えた。
「ん?」
天守閣の下に人影が。時期尚早なフードつきのコートで、輪郭しか見えないが、恐らく大介と同じくらいの背丈。
考える間もなく、2人はライトを当て銃を向けた。
「動かないで!手を上に上げて、こっちを向きなさい!」
あやめが叫ぶ。だが、反応は無い。
「手を上に上げるんだ!」
今度は大介が叫んだ。すると、人物は手を挙げる命令を省き、こちらをゆっくりと向いた。
「手を挙げろ!早く!」
フードに隠れた顔がのぞいた時、その叫びも途絶えた。
「何だ・・・あれ・・・」
一瞬頭を過ったのは、歌川國芳の浮世絵。人間が幾人も重なって、1人の人間を形成している有名な絵。
その人物の顔は、ぬいぐるみが幾つも重なって形成されていたのだ。目は顔文字マスコット、歯はキーチェーン、鼻の部分を形成するワニの人形からは、おどろおどろしい雰囲気が漂う。
さらに、血まみれの包丁を握る手も人形。歩く人形浮世絵、いや、人形人間と言った方がしっくり来るだろうが、それが浮かんだ大介も、思考回路が混乱中。
口元のキーチェーンを光らせ、包丁を振り上げた時。
カチャ。
あやめには聞き慣れた撃鉄を起こす音。
「隠れて!」
「えっ?」
咄嗟に傍の松の木に、それぞれ隠れる2人。直後、左側の林から銃弾が飛んできた。
発光する銃口を数えると、1人じゃない。
「最低3人。多くて5人」
「あいつらが警官を」
「そう見て間違いないわね」
あやめはワルサー P99のデコッキング・ボタンを押し下げ、引き金に指をかけた。
「大介、光る銃口を狙うのよ」
「分かってるって」
彼もCZ75-1改に指をかけた。既に一般銃弾に装填済みだ。
『3、2、1!』
掛け声とともに、2人の反撃が始まる。銃口から発射される弾丸が、見えない相手目掛けて飛んでいく。
松の木に隠れ、攻撃の隙をついて、引き金を引く。
だが、相手の火力は圧倒的だ。反撃の隙をなかなか与えない。
「警官殺しに銃撃戦。いよいよ琵琶湖県、滋賀もアメリカ並みか?」
「そう悠長なことも言ってられないわよ。弾が切れそう」
「俺もだ」
ここで銃弾を温存してもいいが、盾にしている松の幹が持ちそうにない。
荒い息を整えながら死を覚悟した。
「今です!今のうちにお逃げください!」
向こうで誰かが叫ぶ。
見ると、人形人間が天守閣の後ろへ消えようとしていた。
「逃がさないわよ」
開いた左手で赤袴に挟んだデリンジャーを引き抜くと、素早く引き金を引いた。
銃弾は頭部に命中。何事も無かったかのように消えていった。
「あやめ!」
銃声が止んだ。林に潜んでいた人影が一斉に、櫓の方へ移動し始めたのだ。
「追うわよ!」
銃を握り、全速力で後を追う。
2段飛ばしで階段を下りるも、彼らには追いつかない。
天秤櫓に差し掛かった時、相手の姿を捉えた。
人数は3人。全員男の様で、ワイシャツからパンツまで真っ白に統一された集団。
陸上部並みの全速力で石垣の階段を下り、橋の下へ。
「逃がすかよ!」
大介らが橋に差し掛かると、下から何かが投げ込まれ一旦停止。木製の橋に落ちたそれは球状の金属の塊。
大介の顔が、恐怖で引きつる。
「あやめ!手榴弾だ!」
「何ですって!?」
再び走り始める。
大急ぎで橋を渡りきると同時に、閃光と爆音轟き、風が吹き抜けた。
犯人にとっては緊急事態だ。でも、こんな封鎖の仕方は無いんじゃないか?
煙が収まり、橋は跡形も無く消えてた。
その場に伏せていた2人は呆然としていたが、すぐに起き上がり、追跡を続けた。
階段を下り、残骸を飛び越えると表門橋の向こうに、白のSUV、フォード エクスプローラーが停車し先程の3人が乗り込むと、南側、京橋方向へ走り始めた。
2人もレパードに乗り込むと、後を追う。
カーチェイスもスタートした矢先、フォードの前方からサイレンを鳴らしスパシオが現れた。
「やっと来たのね」
スパシオは2台とすれ違うと、スピンターンを決め、後を追いかける。
右側に見える堀に沿ってカーブする道路。前方から応援のパトカーが見える。
フォードが対向車線を逆走し始める。驚いたパトカーは、ハンドルを次々に切る。樹木に衝突するものもあれば、堀に着水する車両も。
だが、この先は三角州状の駐車場を中心とするロータリー。既に分岐する両側の道は、パトカーで封鎖されている。
「よし、囲い込めたぞ」
フォードはロータリー手前で急停車した。後は逮捕するだけ。
―――とは、問屋が卸してくれなかった。
封鎖されていないロータリーの向こうに、白のトヨタ アルファードの姿。
応援の車両かと思った瞬間、スライドドアを開け、白装束に身を包んだ人々が、ウージーを乱射し始めたではないか。
パトカーが、街路樹が、駐車場の一般車が、瞬く間に蜂の巣にされていく。
周りの警官が右往左往する間に、フォードが急発進。左側の分岐へ突っ込みパトカーを弾き飛ばす。
それを確認したアルファードは、乱射魔を収容し、バックでフォードの後を追う。
ドアを開け、全速力で車の後を追おうとする大介を、あやめは後ろで引き止める。
「待ちなさい。これ以上の深追いは無用」
「何言ってるんだよ。逃げられちまうじゃないか!」
「この先の京橋を渡れば、すぐに市街地。もっと被害が大きくなるわ。
言いたくないけど、今回は私たちの敗北よ。でも、当初の目的は達成できたわ」
それを聞くと、アドレナリンも収まったのか、すぐに聞き入れ銃を下ろした。
「何者なんだ、あいつら」
「白い服に白い車、手榴弾やウージーといった銃火器。
それに暗闇で正確に相手の急所を撃ちぬき、車上射撃に至っては、仲間が被害を被らないように攻撃を加えるテクニック。相手はヤクザ屋さんじゃないわね」
そう話す後ろから、銃を握った高垣と寺崎が走ってくる。
「ケガは無い?」
銃をしまいながら、高垣が聞く。
「ええ」
「何とか」
次いで寺崎。
「殺人事件の犯人は?」
「連中との銃撃戦の最中に逃げられました。ですが、発信機を仕込むのには成功しましたから、追跡は可能な筈です」
「犯人の顔は、見たのか?」
そう聞かれると、互いに顔を見合わせる大介とあやめだった。
『化け物ですよ。あいつは』




