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ニンギョウの進撃は終わった。
警察庁が用意した最悪のシナリオは回避できたのだが、その被害は甚大なものとなった。
ニンギョウによって命を落とした人数は、もう、正確には分からない。萬蛇教が琵琶湖に、何人の信者を展開したのかが不明だからだ。それでも、魔術ともカルトとも関係のない人間の命が大勢失われたことには変わりはない。
大津港は壊滅。多数のビルが倒壊し、浜大津駅周辺にも被害が出たが、大津市市街地への攻撃は回避できた。
化学兵器に関しては、自衛隊に処理を要請。専門班が大津駐屯地から向かう。
一方で、ニンギョウの巨大化の要因が、琵琶湖畔に投棄されたぬいぐるみであることが、正式にわかった。不法投棄した企業には、これからの捜査で処分が下されるであろう。
今回のニンギョウの原動力となった、俵田容疑者の強迫観念は、心理学的には説明がつくとして、トクハンから福井県警に報告書が上がることとなる。この報告で被害者遺族や世間が納得するか。否、そのはずはないであろう。被害者の感情論を抜いたとしても、国民の大多数は、心理学を表面的な事象すら理解できていないから。
警察庁は1時間後に会見を開くということだ。どうやら全ての事象を切り離して発表する方針。
「どういうことだ?」
自衛隊到着まで後処理をしている県警を横に、レパードを囲んであやめ、エリス、大介が話をしていた。
「つまりは滋賀県内で発生した連続殺人事件の容疑者は、自殺したとして書類送検」
「近江八幡駅前で起きた事件は?」
「薬物を乱用した元暴力団員による自動車突入事案。
いずれも、架空の人物を国のデータベースに登録して、偽装するそうよ」
「長命寺港での件は?」
「ミシガンシージャック事件と、守山市内における銃乱射事件、大津港爆破事件と併せて、過激派の犯行として発表。警察庁は密かに、公安のコンピュータに架空の国内過激派メンバーを作り上げたわ。公安が数年前から目をつけていた、イスラム過激派に触発された、関西拠点の過激組織を」
「全ての事件は、同一時間で発生した、スタンドアローンな事案の連続・・・それでいいの。アヤ。また、連中が葬られるわよ」
エリスが言う。
「貴方も分かるはずよ。国家警察、いえ、政府そのものが、カオスプリンセスをイリジネアからの攻撃を防ぐ道具としか見ていない。道具がお上に食いついても痛くもない。
そして人間も、報道以上の事を知る由もないし、イリジネアというDNAを、既に時代という中から忘却しているのだから」
「でもさ―――」
「むしろ、今回の事件で、萬蛇教が再び行動を始めたことは確かになったし、それが表面上に現れたということは、これ以上無視できない、下手をすれば全てが暴露される状態になったと、警察も認めざるを得なくなったわけだから、問題は、数字と体裁を気にする馬鹿な連中が、そのことにいつ気づくか」
すると大介は言う。
「臭いものには蓋をしろ。でも臭いが強烈になりすぎた」
「カレッジ・オブ・ミスカトニックに続いて、萬蛇教の出現と、教祖が妖怪であるという疑い。
この2つが交わらなければいいけど」
瞬間、3人に沈黙が流れる。
「・・・小鳥君は、どうするんだ?」と大介
「彼女は口が堅いから、大丈夫よ。あくまで、彼女は陰陽師だから」
エリスは口を開く。
「それにしても、コトリには驚きました。あんなにも強い術を持っていたなんて」
「よく、兄弟姉妹って、本当に相手を分かっているつもりでも、実は理解できているのは表面的で、全く理解できていないことが多々あるって聞くけど、まさか私が、それを体験するなんてね」
「トクハンに、リクルートするのか?」
あやめは首を振った。
「あの子には、人間の女の子として生きてほしい。私たちのようには、なってほしくはないの。
だから、こっちには呼ばない。どうしてもってときには、こっちから呼ぶことにする。
・・・でも、もう子どもじゃないのね。小鳥」
その眼光は、姉というより、母にも似たものがあった。
母性が強い雪女。それを見て、改めて大介は感じるのだった。
あやめを知るたび、自分の心は、彼女を妖怪と認識して壁を作り始めているのではないか?
かつて、共に遊んだ無垢な頃、そんなことは考えずにいたのに。
学校でもそうだ。
それは無意識に区分していた“あやめ=人間”という価値観の崩壊からか、あるいは―――。
「あや姉!」
その思考をかき消すかのように、声が聞こえた。
走りくるセパレートの巫女服を、赤い巫女が両手を伸ばして、自分から抱きしめる。
「こーとりっ!」
「ちょ、あや姉っ!」
「んーっ。あったかくて、やわらかい」
「ほっぺをプニプニすなって!こらっ!」
戯れる姉妹に、嫌悪も悲壮もなく、平和で楽しげな時間が過ぎていくのだった。
落ち着いたところで、あやめは囁いた。
「小鳥、よく頑張ったわね。ありがとう」
「あや姉・・・」
頭を撫でられ、小鳥は恥ずかしげな表情を、姉の胸へとうずめた。
「あんなに強く当たって、悪かったわね」
「ううん。私も、少し意固地になっていたのかも・・・でも、もう終わったんだから、水に流そうよ」
「そうしましょう」
疲れた心を癒すように抱きしめあう2人。
「その代りと言ったらアレだけど」
「なにかしら?」
「事件が片付いたら、休暇を取って。あや姉、働きすぎだよ」
きょとんとしたあやめだったが、すぐに頷いた。
「ええ。そのつもりよ」
「お疲れ様」
「お疲れ」
姉妹の時間を邪魔する者は、誰もいなかった。
例え風でも、月光でも・・・。
「よかった。これで全てが解決だな」
安堵する大介に、エリスは胸倉をつかんだ。
「な、なんだよ」
「何言ってる?あの光景を見て、平和ボケかましているのか?」
「はあ?」
「練習船から逃げ出した信者は、姿をくらましたし、レイラスもノノイチも逮捕されてない。
分かるか?全ての事象が解決しても、リンコウシティへの攻撃は回避されたわけじゃないんだ。
連中は言っていたよな?ニンギョウを抜いても、リンコウシティへの攻撃は行えると」
「ま、まさか・・・」
「これに懲りて、あきらめてくれたらいいが、ああいうテの連中は、そうはいかないさ。
何せ、信者数もアジトも不明なんだからな」
「だとすれば、監禁されている女生徒からの情報が頼りになるな」
「ああ、リオからの連絡がないから、どうしようもないが・・・」
その時、エリスの電話が鳴った。
同時に、あやめの電話も。
大介を掴む手を放し、携帯を取り出す。
「もしもし・・・ああ、リオ」
瞬間、彼女の表情は強張った。
「なんだと!?」
上空を飛び去ったヘリ。轟音が、新たな災厄の知らせを運んできたかに感じるのだった。
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