葛藤~吉平side~
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「ーーー雷電神勅、急々如律令………」
呪が唱えられたと同時に、黒雲が空を覆い、次の瞬間、まるで白刃のような純白の雷が地上に降り注ぐ。
雷が落ちた場所にいた妖は、甲高い叫びを上げ、一瞬のうちに燃え尽きてしまった。
「………いらっしゃるなら、ご自分で退治なさればよかったのでは?」
私は、後ろで佇む人影に向かって声をかける。
「面倒だ」
そう一言だけ告げると、人影はくるりと身をひるがえし、闇夜に溶けた。
「やれやれ、面倒くさがりなところは、相変わらずなんですねーーー父上は」
人影が去っていった方角を向きながら、小さくため息をつく。そしてそのまま、自邸へ帰るべく、帰路へとついた。
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自邸に帰ったのは、真夜中と言っても過言ではない刻限だった。思いのほか、妖退治に時間がかかってしまったと後悔する。
庭を早足で歩いていくと、自室の灯りがまだついていることに安堵した。駆け足で階をのぼり、御簾の前で一声かける。しかし、いくら待てども返事が返ってこない。仕方なく私は、静かに御簾を上げ、室内に入った。
約束を交わしていた少女はすぐに見つけられた。
燈台の下で、縫い物をしていたらしい。
「遅くなってすまない。今、帰ったよ、白雪桜」
起きているのかと思い、声をかけたが、どうやら違ったようだ。器用に、縫い針を持ったまま眠っている。そのあどけない寝顔に、思わず頬が緩んでしまう。
疲れていても仕方ないだろうと思う。なにかと戸惑いが多かっただろうから。
朝、目が覚めたら、この小さな愛らしい存在が己の腕の中で安らかな寝息をたてていた。ひどく驚いたが、逆にその驚愕が己を冷静にしていた。
寝所を共にするような間柄の恋人は作った覚えがなく、否、これからもある事情から作る気はなかった。
本来なら、不法侵入という名目で検非違使に突き出すこともできたのだが、なぜかそうすることもできなかった。久方ぶりに感じた人の温もりに、安堵したせいもあるのかもしれないが。
ふいに腕の中の存在が、苦悶の表情を浮かべ、涙をこぼした。
止めどなく流れ落ちる涙を前に、次の行動はほとんど衝動的だった。
気がつけば、腕の中の存在を抱きしめていた。
割れ物を扱うが如く、優しくーーー然りとて力強く。赤子をあやすように背を撫でれば、安心したのか苦悶の表情から一変して、花が綻んだように可憐な微笑みを見せ、また安らかに寝息をたて始めた。
その様子に安堵したのも束の間、今度は腕の中の存在が小さく身じろぎ、起きる気配を感じた私は、さっと瞼を閉じた。………が、狸寝入りをしたことをこのあと、十二分に後悔した。
まさか、耳元であんなに叫ばれるとは、夢にも思わなかった。
少女の経緯については、非常に興味深かった。なんでもこの少女は、千年以上先の未来から来たと言うのだ。
だが、私にとってそんなことはどうでもよかった。
私は、少女の経緯よりも少女自身に強い興味を抱いたから。女房として雇ったのも、名前を与えたのも、この邸に長く留まらせるためのただの足枷。私の傍にいさせるためのただの口実に過ぎない。
ころころ変わる表情や仕草、私が安倍晴明の息子だと知っても変わらない態度に好感が持て、尚且つ、見ていて飽きないと思った。
蝶に誘われたと言って自室の前に来たときは、己を押さえるのにはずいぶん苦労した。
なぜ、こんなにもこの少女に執着するのかと問われればーーー惹かれたとしか言いようがない。私はこの少女に、例えようもないほど惹かれているのだ。
けれどーーーと、目の前で寝息をたてている少女を見つめる。
私には、誰かを愛する資格も誰かに愛される資格もないのだときつく唇を噛みしめた。
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燈台の火がふっと消える。油が切れたのだろう。
明るくなったら継ぎ足さなくてはと考えながら、そのまま白雪桜を抱き上げ、塗籠に運ぶ。
茵に横たえ、腕を放そうとすると、離れていくのがわかったのか白雪桜は、両腕を伸ばし首もとに抱きついてきた。
突然の出来事に不意を突かれた私は、調子を崩し、そのまま白雪桜と共に茵に横になったしまう。女の細腕の一つや二つ、簡単に振りほどけるのだが、白雪桜の今にも泣き出しそうな寝顔が暗闇の中でも目に入り、求めてはいけないとわかりつつも、抱きしめられずにはいられなかった。