偽善
獣人たちは結構毛深いでござる―
柔らかい。
寝起きの微睡の中でブジュが感じた感覚は、柔らかい、だった。
目を覚ますとブジュの頭の下には、昨夜自分の親指にから水を飲んだ獣人の女の手があり、それを枕にしていた。
獣人の女とブジュで、赤ん坊を挟むように、抱き合うように眠っていたのだ。
目を開けると、目の前には獣人の女の顔が見える。昨日の夜にはよく分からなかったが、日の光の下よく見ると女は、思っていたより若いように感じた。
ブジュが獣人の女の顔を見ていると、パチリと女の目が開き、
「おはようございます」
と、挨拶をした。
寝ている顔をまじまじと観察していたブジュは気恥ずかしくなり、目を反らし、
「おはようございます」
と、小さな声で挨拶に答えた。
「なぜ、」
起き上がろうとするブジュを手で制し、女はきく。
「オウルを助けたのですか?」
オウル? なんだそれは? この赤ん坊の名前か? それとも女の名前か? それとも獣人全体、種族の名前か?
ブジュはオウルが分からず、答えられない。
女はブジュの答えを待ち、ブジュの目をずっと見ている。
ブジュが困っておろおろしていると、ぽんぽんと、肩を叩かれる。
「黒い昼に生きる兄ちゃん、オウルってのは、私たち白い夜の住人のことさ」
振り向くと、獣人の女がブジュのすぐ横にあぐらをかいていた。
「黒い昼に生きる兄ちゃん。なぜトイ、その赤ん坊をを助けたんだい? 私たちは獣人なのに?」
トイ?
「トイ?」と、ブジュが懐にいる赤ん坊を指さすと、
「トイは母親、その子はピク」と、あぐらをかく獣人の女に笑われてしまった。
「ついでにいうと、私はポル。あんたは?」
「俺はブジュ」
「それじゃブジュ答えてよ。なんであんたはトイを助けたんだい?」
ブジュは口をへの字に曲げ、考え込む。
トイとポルは考え込むブジュを見ている。
「きっと俺は、トイさんを助けたかったわけじゃないんだ。俺はきっと、」
ブジュは懐で眠るピクを見る。
「この子が、死ぬのはイヤだなって思ったんだ」
「イヤ?」ポルはブジュにきく。
「ああ、目の前で赤ん坊が死ぬの見るのは、誰だっていやだろ?」
ブジュの答えをきいて、ポルは驚いた顔をする。
「赤ん坊なんてすぐ死ぬだろ? 赤ん坊じゃなくても、私たちはオウルだよ? 奴隷だよ? ブジュだって人が死ぬのを見たことないわけじゃないだろ?」
「でも、いくら見ても、イヤなものはイヤだろ? 特に赤ん坊は、見過ごす理由がないんだ」
「見過ごす理由? なんだいそりゃ?」
「俺が死ぬ人間を、無視していい理由さ。いやな奴だからとか、仕方ないからとか、助けない理由をつけないと」
「理由がないと?」
「助けるしかないだろ」
ブジュはそういうとまだ寝ているピクをトイににわたし立ち上がる。
トイは座り、ピクを抱いている。
トイはピクをぎゅっと抱きしめると、ブジュにむかいゆっくりと深く頭を下げた。
ブジュはトイの後頭部を見て、何も声をかけずに立ち去った。
ティカティリナは食事を作る騎士たちの従者を見て、もう食糧が底をつきかけていることに気がつく。
塩と麦酒、麦の粉を鍋に入れ、干し肉を千切り入れ煮込むだけの料理。最後にライムのしぼり汁をかけて出されている。
ユリタイトや自分たちはまだマシなものを食べているが、明日つく傭兵団がもってくる食料が、まともな量でない場合は進軍しても三日も持たず自分たちもあの麦を麦酒でのばしただけの食事をすることになるだろう。
いや、それすら怪しい。
騎士たちがあの食事で、従者たちはそのおこぼれを食べている。
外にいる農兵たちは、天幕も毛布も与えられず外で寝て、問う海上まともな食事をしていない。
このままでは戦えない。
ティカティリナはユリタイトの直訴することにした。
「ユリタイト様、兵が飢えております。体が弱り、弱兵となっております」
ティカティリナがユリタイトの天幕に入ると、連れてきた侍女二人に体を拭かせているユリタイトがいた。
水は貴重品で、もうつきかけている。
いま食事に使う水すらおしく、麦酒を使っているほどだ。
それなのに、ユリタイトは大きな桶いっぱいに水をはり、その水で体を拭かせている。
ティカティリナはタメ息が出た。
「兵が飢えているなら、食事の量を増やせ。弱兵では困る」
ユリタイトはそう言う。
「持ってきた麦も、水も、塩も、干し肉も、干した野菜や果物も、葡萄酒や麦酒もつきかけています。お願いいたします。農兵と共に徴収した麦を、兵にお与えください」
ティカティリナはユリタイトに頭を下げる。
「それは無理だ。あの麦は奴隷兵の代金として奴隷商にわたしてしまったからな」
眩暈がした。
ティカティリナはユリタイトの言葉を聞いて倒れそうになった。
つまり、もうこの軍隊にはまともな食料がないのだ。
「安心しろティカティリナ。明日には傭兵たちが合流して砦を攻める。砦にはそこそこ備蓄もあるだろう。それを奪えばいい。
なに、一日ぐらい食べなくても兵は大丈夫であろう」
一日ではないのだ。農兵たちはもう10日以上、まともに食べていないのだ。騎士たちや従者たちだってここ数日、腹が満ちるほどの食事はしていない。
飼葉ですらつきかけているのだ。
皆、消耗している。
こんな弱兵で砦が落とせるものか!
ティカティリナは頭を下げたまま、唇をかむ。
そして、無理やり笑顔を作り、頭を上げる。
「ユリタイト様、兵たちは新鮮な食べ物に飢えております。ほら、この野営地は森の近くでしょう? 獣人たちに狩りをさせ、獣を捕らせてはどうでしょうか? きっと皆喜びますわ」
ブジュは木の陰に寝転がり、周りに誰もいないことを確認して、肩掛けカバンの中に手を突っ込み、干し肉を千切り、口に入れ飲みこむ。
噛まないから空腹はなかなか満たされない。
でも、この干し肉は塩がまぶしてあるので、ナトリュウムがとれる。
親指を銜え、魔法で水を出し、飲む。
干し肉の残りが少ない。今まで節約して、12歳のブジュの手のひらほどの干し肉を2日で一枚ときめて食べてきたが、もうカバンの中には干し肉が1枚と半分ほどしかない。
ブジュは食料がつきた時のことを思い、焦りだしていた。
その焦りがブジュの注意力を散漫にし、近いてくる人間に気がつかなかった。
「なぁ、ブジュ何食ってるの?」
ブジュは驚き声のしたほうを見る。
そこにはブジュより1メートルは身長が高い人影が立っていた。
垂れ下がり耳、垂れ下がる尻尾、灰色にくすんだ肌。
口には得物を見つけた笑み。
獣人ポルが敵意むき出しの笑みを浮かべながら、ブジュを見下ろしていた。