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幸せのアップルパイ

作者: 希彗まゆ

 4月も半ばをすぎたけれど、まだ寒い。こんな日は家事もなにもかも放り出して、お布団の中でぬくぬくとしたい。きっとわたしに甘い旦那さまは許してくれるだろうけれど、だからこそそんなことをすれば自分のことが許せなくなるだろう。

 えいやと気合を入れて、布団から起き上がる。部屋の中まで浸透した寒さがパジャマ越しに伝わってきて、ぶるりと身体が震えた。

 ベッドサイドに置いておいたスマートフォンに、自然と目が行ってしまう。高校時代のクラスメイトだった和也かずやに告白されたのは、つい昨日のことだ。


「ずっとおまえのことが好きだった」

 昨日の同窓会が終わったあとに呼び出されたと思ったら、唐突にそんなことを言われて面食らった。だって高校の時なんて、和也はそんなそぶりも見せなかったのに。それに、わたしはとっくに結婚しているのに。

「関係ないんだ。おまえが結婚していようがいまいが。ずっと忘れられなくて……」

 和也は切なそうにそう目を伏せた。少しでもいい、俺との未来も考えてくれないか、と。

 呆然としているうちに赤外線で連絡先の交換を強引にされてしまい、「返事、いつでも待ってる。今度飯でも行こう」なんて言われてしまっているのだ。


 どうして即座に断れなかったのかは、わかっている。別に旦那さまな不満があるわけではない。可もなく不可もない、わたしの旦那さまはそんな感じ。

 だからこそ、と思うのだ。

 和也からの告白をその場で断ることができなかったのは、だからこそなのだろう。いわゆる倦怠期、というやつなのかもしれない。


 寒いなか、なんとなく家事をこなし、いつもどおりスーパーで食材を買って夕食の準備をする。毎日がこんなふうに変わり映えもせず、あっという間にすぎてゆく。

 不満があるわけではない。けれど、満足もしていないのかもしれない、などと思ってしまう自分は贅沢者なのだろうか。


 チャイムが鳴って相手を確認し、扉を開けると、定時通り旦那さまが帰ってきた。いつもと違うのは、手に仕事鞄の他にケーキの箱を持っていることだ。

「どうしたの? 今日、なにかの記念日だった?」

 尋ねてみると、照れ屋の旦那さまは照れ隠しにか視線をそらしながらこう言った。

ゆき、昨日から元気なかったからさ。ここのアップルパイ、雪は大好きだろ?」

 トクン、と心臓が甘く跳ねた。

 確かに旦那さまは可もなく不可もない。けれど、わたしの些細な変化に敏感に気づいてくれる。そしてそのたびにわたしはこの人に、何度も恋に落ちるのだ。結婚生活なんて、それだけでもう充分幸せなのかもしれない。ううん、確実に幸せだ。

「……ありがとう」

 わたしはそう言って、スーツ姿の旦那さまをぎゅっと抱きしめた。

 和也にはきっとこれからも、連絡はしないだろう。向こうからきても、はっきりと言うことができるだろう。

「わたしが好きなのは、いまもこれからも旦那さまだけだから」

 と。

 なんでもない日こそ、幸せだと思える。そう思わせてくれる人こそ、わたしにはふさわしい。心から、そう思った。




《完》

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