入学
小豊木琴葉は、決意していた。
今回こそ、友達を作ろうと。
『私立四方比良坂学園入学式』
そう掲げられた看板を目の前に、琴葉は小さく拳を握った。
新しい制服と、肩にかかるまっすぐな黒髪が風に揺れた。
正直、小学、中学の頃は散々だった。
だからこの高校生活は心機一転、心意気も新たに友達作りに力を入れるのだ。
心の中でつらつらと独白し、決意を固める琴葉に呆れたような声がかかった。
「……琴葉、意気込んでるところ悪いけど、いつまでそこから動かないつもり?」
看板は門の外に立てかけてあるため、その前にいる琴葉は正確には学園の敷地外。
琴葉に声をかけた少年は門の向こう、学園の敷地内で腕を組み立っている。
「ま、待ってください、リツさん。今決意をさらに強固なものに……!」
「……決意って、どうせ友達を作るとかそんなのだろうけど。」
「なぜわかるんです!?」
「顔に出てる。」
言ってから、少年、琴葉にリツと呼ばれた雪峰六花は深々とため息を吐いた。
琴葉と同じ新しい制服を身に付けているのに、その雰囲気は落ち着いていて、実年齢より年を重ねているように見えた。
「早めに来て正解だったな。もう動かないで二十分は経ってる。……で?その決意とやらが固まるのはあとどれくらいかかる?三十分?一時間?」
「うっ……。」
「……まぁ待つつもりないけど。」
「へ?……うぎゅっ。」
琴葉がぽかんとしている隙につかつかと歩み寄った六花は、その襟首を掴んだ。
そしてそのまま敷地内に入り歩き出した。
いくらか色素が薄く青みがかっている六花の髪が動きに合わせて靡いた。
「リ、リツさんっ、まだ心の準備がぁ〜!」
「待ってたら式が終わる。二十分待ったんだから逆に感謝してほしいくらいだ。」
それにと、六花は目を眇めた。
「友達作りたいって言うけど、琴葉のそのびびりでチキンな性格をなんとかしないと到底無理。」
「うっ。び、びびりでチキンって、ほとんど同じ意味じゃないですか。」
「それだけ琴葉が小心者っていう強調。ほら、さっさと行く。」
「うぅ〜……!」
そのままずるずると六花に引き摺られながら、琴葉は学園の敷地に入ったのだった。
────────……
六花は、琴葉にとって幼なじみだ。
そして琴葉の生家である小豊木家は、古くから続く由緒ある家、俗に言う旧家、の分家である。
そんな琴葉の実家に、六花はやって来た。
幼い頃から、六花曰わくびびりでチキンだった琴葉は幼い子供特有の人見知りも相まって、同い年の六花にさえ警戒心丸出しだった。
だが慣れが早いのも子供特有で、少し経てば琴葉は同い年の友達ができたと喜んだ。
なぜ六花が小豊木家にやって来たのか。
そんなことは幼い琴葉には気にならないことだった。
でも何事にも理由が存在し、特に分家ながらも旧家に預けられるのにはそれなりの理由があるものだ。
今はその理由をちゃんと琴葉は理解しているから問題ないのだが、預けられた当初は借りてきた猫のようにおとなしかった六花は、今はこの通りである。
「ほら、講堂が見えた。ちゃんと立つ。背筋伸ばして、おどおどしない。」
「は、はい。」
襟首を解放されたのは校門を抜けてすぐだったが、人が増えるに連れて琴葉は六花の背中に隠れるようにぴったりとくっついて歩いた。
そして式が始まる講堂が見えると、六花は背中に引っ付いていた琴葉を剥がし前に押し出した。
「しゃきっとする、下向かない。別にここにいる人全員が琴葉を見てるわけじゃないんだから、びくびくしないで堂々とする。」
「は、はい。」
小豊木家に預けられた当初の面影はかけらもない。
ずいぶん前に世間話ついでにに昔よりしっかりしたねと琴葉が言えば、六花はため息混じりに言ったのだ。
近くにびびりでチキンな上にどんくさいのがいれば、しっかりしないとって幼心にも思うでしょ。
辛辣である。
だがそこで反論できない琴葉だ。
なぜなら的を射ているから。
「じゃあ、クラス違うから離れるけど。式の最中に倒れたりしないでね。」
「そ、それはさすがにありませんよ!」
「どうだか。琴葉の場合、念には念を入れても足りないくらいだから。」
ほら、行くよと、六花は琴葉の背中を叩いた。
クラスはすでに自宅に配送された書類でわかっている。
だからそれぞれのクラスの場所に行って、氏名順に並ぶのだ。
また後でとお互い手を振ると、琴葉は自分の所属するクラスのプレートが掲げてある場所を目指した。
────────……
パイプ椅子に縮こまるように座る琴葉は、粛々と進められていく入学式にそわそわもできずに固まっていた。
この四方比良坂学園の入学式は、名門校と言われるだけあってとても厳粛だ。
だが新入生は高校生になったと言っても、数ヶ月前までは中学生だったのだ。
同じクラスになる人の顔を見ようと、左右を僅かに首を動かして見たりしているのがちらほら見える。
そんな中琴葉は、それこそ微動だにせずに壇上を見つめている。
端から見れば祝辞や来賓の言葉を真面目に聞いているように見えるだろう。
けれど、実際に真面目だから一応話は聞いているだろうが、本当は緊張でがちがち固まって動けないのだろうなぁと、琴葉の後ろ頭が見える六花は内心でそっと思った。
後で壇上に上がった人達がどんな話をしていたかと尋ねれば、きっと琴葉は言い淀むだろう。
聞いてはいても緊張のあまり内容の大部分がすっこ抜けているはずだから。
そのすっこ抜けているはずの内容を、後で敢えて聞いて突っついてやろうかと琴葉にとって迷惑極まりないことつらつらと考えていた六花は、その観察していた後ろ頭がぴくりと反応したのを見て訝しく思った。
琴葉とは違う意味で話をほとんど聞いてなかった六花は、壇上に目を向けてその理由を理解した。
壇上に上がったのは在校生。
漆黒の髪を靡かせて壇上の中央に向かうその生徒は、その歩く姿でさえ気品があり育ちの良さを感じさせる。
多くの注目を集めるのはその雰囲気だけでなく、整った容姿も起因するだろう。
どこかつまらなさそうに大人達の話を聞いていた新入生も、思わず背筋を伸ばしてその在校生を見つめる。
マイクの前に立った在校生は、一礼すると口を開いた。
「────紹介にありました、二学年代表、小豊木真琴です。」
すっと染み渡る清水のような声。
男らしく低い声ではあったが、威圧感を感じさせない。
切れ長の目はしっかりと新入生達に向けられ、淀みなく言葉を述べる。
「私達在校生は、新入生を歓迎します。ちょうど一年前、私もあなた達と同じ場所に立っていました……。」
新入生を歓迎する旨、一年前の自身の心境、そして新入生としての心構え。
すらすらと述べられる小豊木真琴の言葉に、新入生は真剣に耳を傾ける。
ありきたりな言葉の中に、己の経験が混じったものが新鮮だったのかもしれない。
大人達の話より小豊木真琴の話の方をよっぽど真摯に新入生は耳を傾けていた。
さすがと、六花は素直に思う。
新入生を惹き付けるのは話の内容もあるだろうが、小豊木真琴の言葉には力がある。
小豊木真琴、そして小豊木琴葉。
姓でわかる通り二人には関係がある。
一括りに言ってしまえば、二人は親戚関係に当たる。
さらに言えば、真琴は小豊木家本家の者、琴葉は分家の者だ。
ふと琴葉の後ろ頭を見た六花は、やれやれと肩を竦めたくなった。
あれだけがちがちだった琴葉が、今は真琴の琴をひとつも聞き漏らさまいと耳を済まして集中しているのがわかる。
後で入学式の話を琴葉に尋ねれば、大人達の話の内容はすっこ抜けているどころかすっかり綺麗に忘れて、真琴の言葉を一字一句違えずに答えるだろう。
むしろそのまま真琴について語り続けそうで、六花はため息を周りの迷惑にならないよう、細く長く吐き出した。
この式が終わった後の琴葉の話は軽く受け流そう。