知弓の友
常磐林蔵様が連載されている「宗盛記」の二次創SSです。
楽しむには「宗盛記」の知識が必須となります。
「読んでおいてほしい本編の話数」は下記となります。チェックいただければ幸いです。
宗盛記0089 永暦二年三月 競技会
畠山重能が、決勝で負けたことを悔しがっていないので、何が起こったのかなと想像して書いてみました。
原案をAIで古文調にしたうえで言い回しを調整し、現代訳にさせています。
主催者を清盛パパにしたのは、宗盛くんでは貫目が足りなかったためです。
伊豆三嶋の社にて、平清盛公の催し給ひし笠懸のことなり。
決勝に残れるは、那須資隆と畠山重能の二人なり。二度戦ふも皆中にて、いまだ勝負付かず。
三度目、那須の番。馬上疾走の折、風突如吹き、据ゑ置かれしはずの的、思ひがけず空に舞ひ上がる。然れども那須、心を動かさず、舞ひたるままの的を射抜き、皆中と成りぬ。
次は畠山の番なれど、畠山は馬を下り、弓を地に置きて清盛に申す。
「那須殿の弓、神技に及び、余が射るべきにあらず。」
清盛公、これを聞きて問ひたまふ。
「投げられし的を射ることも出来まじきか。」
畠山答ふ。
「投げられし的は、初めより動くものとして射る。然れども、据ゑ置かれしはずの的を、舞ひたるまま射抜かれたり。
これは技にあらず、構へにあらず。あらゆる変を変とも思はぬ心の業なり。これぞ神技なり。」
これを聞き、清盛公、しばし黙し給ひて後、言ひたまふ。
「勝ち負けとは、ただ的に当つることにあらず。
理を尽くして射ち、理を見抜きて退く、いづれもまた武の道なり。
那須は射て勝ち、畠山は知りて負けたり。
この勝負、二人ともに恥なし。」
那須、進み出でて畠山に言ふ。
「我が心を見抜かれしこと、何より嬉し。唐に『知音の友』の故事あり。我らは『知弓の友』とこそ申すべけれ。
友たる証に、此度の報奨の杯を交換せむや。」
畠山、初めは辞すれど、遂にこれを受け、杯を交はす。
かくてこの事、『知弓の友』の由来として、後の世まで語り伝へられたり。
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現代語訳
伊豆三嶋神社で、平清盛が主催した笠懸の決勝での出来事である。
決勝に残ったのは、那須資隆と畠山重能の二人であった。二度勝負しても共に皆中し、勝敗は決しなかった。
三度目、那須の番となる。馬で疾走するその瞬間、突然風が吹き、固定されているはずの的が思いがけず宙に舞い上がった。しかし那須は少しも動揺せず、舞い上がったそのままの的を射抜き、再び皆中とした。
次は畠山の番であったが、畠山は馬を降り、弓を置いて清盛に言った。
「那須殿の弓は、もはや神技です。私が射るべき相手ではありません。」
清盛は問うた。
「ならば、投げた的を射ることはできぬのか。」
畠山は答えた。
「投げられた的は、最初から動くものとして心を定めて射ます。しかし、固定されているはずの的が風で舞い上がったのを射抜くのは別です。
それは技でも構えでもなく、あらゆる変化を変化と感じぬ心のなせる業です。これこそ神技でしょう。」
これを聞いた清盛は、しばし沈黙してから言った。
「勝ち負けとは、ただ当てたか外したかではない。
理を尽くして射るのも武の道、理を見抜いて退くのもまた武の道である。
那須は射って勝ち、畠山は知って負けた。
この勝負、いずれも恥ではない。」
那須は畠山に歩み寄って言った。
「私の心を見抜いてくださったことが、何より嬉しい。中国に『知音の友』という話があります。我らは『知弓の友』と呼び合いましょう。友の証として、このたびの褒美の杯を交換しませんか。」
畠山は最初は断ったが、ついに応じて杯を交わした。
こうしてこの出来事は、「知弓の友」の由来として後世まで語り伝えられたのである。




