その日の話
本作はフィクションです。登場する地震、災害、避難行動、自衛隊・警察・行政機関などの描写はすべて創作に基づいたものであり現実の事象・組織・人物との関係はありません。
公的機関の対応を批判・揶揄する意図は一切なく、人間ドラマとしての側面を描いたものです。
7月5日(月曜日) 世界がほろんだみたいです。
外で友だちとあそんでいたら、どーんって大きい音がして、いろんな所からけむりがあがっていました。いっしょにあそんでいたゆうくんが、やっぱり、っていって、かえらなきゃ、ていいました。みおちゃんとほのかちゃんがとめたけどゆうくんはかえりました。
それから、大人の人が来て、こっちにおいでっていいました。お母さんから知らない人についていっちゃいけないよって言われてたけど、大人の人はそんなこと言ってるばあいじゃない、って怒って、こわかったのでついていきました。
-----
7月5日、まことしやかに囁かれていた予言が現実になってしまった。あちらこちらで黒煙が上がり、山という山が土砂崩れを起こして被害はあまりにも甚大だ。
静岡県焔街市は過去に観測されたこともないような震度の地震の中心地としてほぼ壊滅と言っていいような状態で、その上解析不可能な謎の通信障害により遠方とも連絡が取れない始末。自衛官として一般市民の救援活動を行っていた静流一花は高機動車の中でひそひそ話をしている子供達を後目に、これからの日本はどうなるのだろうかと考えるだけでも憂鬱な気持ちを抱いていた。
「ねぇ、おにいさん」
「っ、」
思い詰めていたからか、急に声をかけられて思ったよりもびっくりしてしまった。一花の肩が跳ねたのを見た少女は小さく「ご、ごめんなさい?」と謝った。別に謝られたい訳ではなかった一花が首を振ってなんの用か促せば、少女は困ったような顔でこちらを見つめた後に口を開く。
「いまから行くところ、お母さんいる?」
車内が、しん、と静まり返る。
気が付けば他の子供達もこちらをじっと見ていて、同僚達は気まずそうに顔を逸らしている。一花は自分がその立場だったら自分もそうするだろうと思ったが、それでもなんと言えばいいか助け舟くらいは欲しかった。
「あ、あー、その、…そう、だな」
「ゆうくんね、お母さんさがしにかえったの。
あと、れんくんとか、ひなちゃんとか、
みんなね、お母さんとこいかなくちゃ、って」
かえっちゃった。一花には、その少女が言う『ゆうくん』も『れんくん』も『ひなちゃん』も分からなかったが、その子供達が、廃墟と成り果てようとしているこの町の中で無事でいるかは断言できない。もしかしたら、もう。
「わたしも、お母さんに会いたいの。
みおちゃんとほのかちゃんも会いたいって」
ぐう、と唇の裏を噛み締めたのは無意識だった。気がついたら、胸の空くような不愉快な感覚と、目の前の少女に対する同情がなんとも言えずに襲ってきていて、自分も他の同僚達と同じく目を逸らしたくなった。それでも『大人』として一花は目を逸らさなかった。それが嘘になるかもしれないと分かっていても、「きっとあえるよ」としか言えなかった。口の中がからからに乾いてきて、どこか夢心地な、現実感の無かったこの災害に対する恐怖が湧き上がってくる。
ばくんばくんと心臓の音がズレる。母さんは、大丈夫だろうかと考える。一花の母親は、数年前に父を失ってからどこかぼんやりしている人で、ちゃんと避難場所に行けているか、救助を受けているのか心配になってくる。それよりも、なんて言えないくらい、頭の中が母親のことでいっぱいになる。
「くーちゃんとも会えるかな、
くーちゃんさみしがり屋さんだから、
この時間はお姉ちゃんとおさんぽしてるんだけど」
ああそう、一花の家にも、『パフ』という名前の犬がいた。避難所ではペットは嫌がられるが、一花にとってパフは家族同然だから、一緒に避難していてくれると…。そこまで考えて、頭を振って、「きっと大丈夫」と声を絞り出す。
まるで自分に言い聞かせているようなその言葉は、酷く掠れて、子供の耳に聞こえているかも分からなかった。
避難所に着くと、子供達の親と思われる大人が群がってきた。子供達の中から「お母さん!」と嬉しそうな声がして、それに呼応するように「澪!」だとか子供の名前を呼ぶ女の人の声がする。けれど、大半の大人が、探し人が居ないことに落胆して、なんとも言えない顔をして去っていく。残されたのは両親と会えず、きょろきょろと辺りを見渡して不安げな子供達で、その中には車の中で一花に話しかけた少女も含まれていた。
「ねぇ、おにいさん、」
「だ、大丈夫!」
一花は、何かを言われる前にそう笑う。
「まだ来てないだけだ、
今日会えなくても、俺達が探し出すから。
君は安心してここで待っていてほしい」
時間は、17:30を少し過ぎたくらい。長くなってきた日は、まだ暮れる気配はなく。ただ、空を見上げれば黒い煙が青い空を汚していた。
* *
名簿を見た一花は、落胆とも絶望とも取れない、歯噛みしたくなるような気持ちに襲われていた。
「(母さんの名前はない)」
何度読み直しても、何度確認しても、一花の苗字である静流は己以外になかった。重たい息を吐きつけて、痛む頭を抱えて目を閉じる。こんな状況で公私混同がどうのこうの言えるほど一花は出来た大人では無かった。立場が、と言うのは確かに理解できたが、他の同僚達と同じように一花も家族のことを気にせずには居られない。
「(パフが、なんて言ってる暇もないな)」
最初の地震から使い物にならなくなったスマホはただの電卓としても使える電子時計になっている。それだけでも便利なのだが、いつもより、と思ってしまうとその分入ってくる精神ダメージは大きい。
本当に、悪夢のようだ。
「静流!2回目の救援の許可が出た!」
「…、今すぐ行く!」
みんみんとセミの鳴き声が、頭の中にこだまする。まるで、現実から目を逸らすなと怒られているような感じだ。昨日のニュースでは、異常気象だとまで言われていた暑さが肌を焼く。喉奥では、血の味がした。
再度申し上げますが、これは妄想の産物です。
実在するなにかしらとは全く関係がありません。