坪庭
雨が降ってきたので、あなたは傍らに置いていたバッグを手繰り寄せた。
そして、なかに折り畳み式の傘が入っているのを確認すると、ほっと息をついた。
焦ることはない。
ほうじ茶ラテは半分以上残っている。
あまり得意ではないはずだが、洒落た場所に来ると頼みたくなってしまうのだ。
素焼きのカップの形状は少々歪ではあったが、そのぶん不思議と両の手に馴染む。
一枚硝子の大窓越しに見えるは、坪庭だった。見えるだけで灯篭がふたつ、そして手水鉢があった。
囲われた開放感。そこには光、水、緑があり、風の吹き抜ける見事な箱庭なのだった。
今さら言うまでもないが、近頃は傷んだ町屋の改修が盛んであり、その多くが店舗として利用されている。
まだい草の臭いのする畳の上の、房飾りの付いた紫の座布団の上に、あなたは行儀よく座っている。
◇
庭に接する廊下には、ささくれひとつない。
迷路のような趣の通路はどこも狭く、人が行き交うにも気を遣う。
給仕の若者たちは、そろって語学達者なアルバイトであるらしい。
皆、器用に両手に盆をのせては、小走りで通り去るのだった。
その際、まるで厳しい決まりであるかのように、赤い絨毯を踏み外さずして。
◇
―雨はますます強く降り注ぎ、青紅葉を揺らす。
あなたは耳を澄ませる。
雨の飛沫が弾けるのと、そのまま霧となって大気に溶け入るのが遠く、あるいは近く。
そのまま、重くごうごうと垂れ込める雲の一端となれば、街を見降ろすことができるだろう。
鳥居をくぐる人々は和傘を差し、不安げに揺れさざめく。
濡れた石段はよく滑るのだ。
五重塔の相輪には避雷針がついている。
過去の気まぐれな落雷により、四度も焼失したのだ―
◇
しばしのあいだ空中遊泳を楽しんだあなたは、何でもないような拍子に地上に引き戻される。
ほうじ茶ラテはもうすっかり冷めていた。
濃い部分が底に沈んでざらりとしたから、木のマドラーで辛抱強くかき混ぜる必要があった。
そしてふと、そろそろ店を出ようと思った。待てども雨は止みそうにないのだから。
このまま通りをずっと行けば、大きい書店があるので、用事はないが寄ってみようか。
しかし、ひとつ困ったことがあった。
こういったことは何度かあったような気がする。
―否、敢えて考えないようにしていたにすぎない。
案の定、店頭の暖簾をくぐると、頭を抱えることとなった。
先は、どうもまた坪庭らしいのだ。