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戻ってきた日々


「おじゃましますっと。あれ、冬弥のお母さんは?」

 肩から鞄をおろし、座布団の上にあぐらをかいた春真が、きょろきょろとあたりを見回す。

 あれから無事に家で過ごせたらしい彼は、昼過ぎから冬弥の家に来ていた。勉強を教えてほしい、という冬弥のために、床に置かれたバックの中にはみっちりと教科書が詰まっている。


「母さんなら仕事だよ。俺の塾代のためにパート増やしててさ」


 冬弥は戸棚から皿を取り出しながら答えた。適当なお菓子を皿に開け、並べたカップには麦茶を注ぐ。机の上に教科書を並べながら、春真は不思議そうに首を捻った。


「ふぅん。でも冬弥、行くのってW大だろ? だったら別に大丈夫じゃないのか」


「いや、変えたからさ」


「え?」


 春真の素っ頓狂な声。春真は目を丸くして冬弥を見ている。それもそのはず、冬弥は本当はK大に行きたいといいつつも自分には無理だから、とW大を志望校にしていたのだから。


「変えたって……どこに?」


「K大。だからさすがに勉強しないと無理」


「K大か……確かにそれじゃ塾なしじゃちょいきついか……というか、随分急だな。それにあそこ、数学要るけど…」


「分かってる。だから教えてほしくて」


「そういうことか。冬弥、数学は苦手だもんな……」


 春真が教科書を手に取り、ぱらぱらと捲る。お茶をテーブルに並べた冬弥も、同じように座布団の上へとしゃがみ込んだ。数学の教科書を手に取り、冬弥は口を尖らせた。


「でも春真だって歴史は苦手だろ。お互い様じゃんか」


「だって覚えられねーもん、あんなの。あ、お茶さんきゅな」


「どういたしまして。お菓子は? ポテチかサラダ煎餅のどっちかだけど」


「じゃあサラダ煎餅。てか俺が出すよ。どこにある?」


「いい。俺がやりたい気分なの」


「そうか。じゃあ頼んだ」


 冬弥は立ち上がると、戸棚からサラダ煎餅の袋を取り出す。うっすら塩のまぶされたそれを皿の上に一枚一枚丁寧に並べた。

ついでに、とばかりにガラス容器から取り出した飴も隙間に埋め込んでいく。

できあがった菓子盆をもって戻ると、春真が教科書になにやら線を引っ張っていた。


「なにしてんの?」


「公式のとこに線引いてるんだ。冬弥その方がわかりやすいのかなと思って」


「そっか。でも俺、公式見てもわからないんだよ。なんていいうのか、こう、何でこの公式が成り立つかわからないからうまく使えないというか」


「そこまで考えなくていいんだよ、まだ大学じゃないんだからさ。とりあえず覚えればいいの。暗記は得意だろ?」


「まあそうだけど。でもとりあえずったって……」


冬弥はぶすっとした顔で教科書に並ぶ文字列を見つめる。問題の意味は分かるが解き方がわからない。この四角で囲まれた公式を使うのだということはわかるが、いったいどう使えばいいのか。


「ほら、ここの公式を使うんだよ。そんでこうして、こうやって式を立てて……そうそう、そんな感じ」


「ねえ春真」


「どうした?」


「覚えろって言ったってさすがに全部は覚えきれないよ。だってほら、こことここは数字が違うし……」


冬弥が指さした先には、似たような練習問題がいくつか並んでいる。春真は思わず吹き出した。再びぶすっとむくれた冬弥にごめんごめん、と謝ってみせる。

 春真は頭を掻くと、別の紙にいくつかの式を書いた。


「ほら冬弥、よく見てみろって。これとこれ、数字は違うけど解き方は同じだろ? 数学ってのは暗記なんだ。いくつかパターンがあるから、それを覚えればいい」


そう言われて目を向けると、確かに言われてみれば解法にパターンがある気がする。


「例えばこれはこの一番簡単な公式を当てはめれば解ける。こっちは……このあたりの公式だな。ほら簡単だろ?」


「全然簡単ではないと思うけど……」


「まあそういわず。ほら、まずこの問題から解いてみ。冬弥は基礎はできてるんだから落ち着いて考えればできるはずなんだよ」


そう促されて仕方なくペンを握る。数学は苦手だ。なんで点Pが逃げてしまうのかも、図形だってそもそもの証明する意味を見出せない。春真は楽しいだろ、というが生憎それについては一向に同意できそうになかった。


(でもこれできなきゃK大なんて夢のまた夢だもんな……ただでさえ時間ないんだし、渋ってる場合じゃないか)


かり、とシャーペンの芯が紙を引っかく音が室内に響く。ゆっくり、落ち着いて、そう自分に言い聞かせながら、冬弥は慎重に問題を読み進めていくのだった。





 ポーン、と時計が時間を告げる。顔を上げてみれば、時計は長い針が12、短い針は1を指していた。もうすっかりお昼の時間だ。


「もうこんな時間か……春真、お昼何にする?」


「ん?ああもう一時か。こっちってあっと言う間に時間が過ぎるな」


「こっちって……じゃあ、向こうの……あっち側の世界は違うんだ?」


冬弥がカップうどんをふたつ手に取りながら尋ねる。春真は腕を組むと、上に伸び上がりながら答えた。


「ああ、なんていうか、時間の感覚がないんだよな。遅いとも速いともつかない、ただ時が止まってるような、そんな感じ」


「そうなんだ。あまり楽しそうじゃないね」


「まあ、確かにあまり楽しくはないな」


「へぇ……」


春真は受け取ったカップうどんーー赤色のふたがついている容器にお湯を入れ、今か今かとばかりにうどんの容器に顔を近づけている。

 冬弥が緑のうどんカップを手に隣に座ると、春真はくるりと振り返り。


「飯食ったらゲームしようぜ」


そんなことを言った。



「気持ちはありがたいけど……俺勉強しなきゃだし……」


「勉強はさっきたくさんしただろ。たまには遊ばないと。どうせ、詰め込んだって覚えられる量なんて決まってるんだから」


「まぁそうだけどさ……。俺、また夕方から塾だけどいいの?」


「いいよ。なんもできないよりは遊べた方が嬉しいし」


 冬弥は机の上に並べたままのノートたちへと視線を向ける。ところどころ赤いペケがついているものや、真新しい付箋が貼り付けられているもの。

 受験までは今月を入れて約半年。遊んでいて大丈夫だろうか。しかし、最近めっきりと遊ぶ機会が減ってしまっていたのも事実だ。


「じゃあ、少しだけな。何やる?」


「よし来た!んじゃスピントゥーンでもやろうぜ。ナツミたちが暇なら誘ってもいいし」


 電源を入れると、画面にカラフルなインクで彩られたゲームステージが映る。ヒトに似た形の、しかし別の生命体らしいキャラクターがタイトルを読み上げた。


「何やる? アジの乱獲してもいいけど」


「うーん。久しぶりだし、普通に陣地取りやらね?」


「おっけ。じゃあそうしよ」


冬弥はコントローラーを操作し、ノーマルステージを選択する。武器を選び、装備を選んで準備は完了だ。

ステージが映し出され、試合開始までのカウントダウンが始まる。冬弥は手元のコントローラーをぎゅっと握りしめた。



「春真、後ろ来てる!」


「え、まじ? うわ、ちょ、これはきついって」


春真の操作キャラクターが敵に追われ逃げ回る。いよいよ追い詰められたその時。

ドン、と架空世界の中で銃声が響いた。冬弥が操作するキャラクターが敵を打ち抜いたのだ。


「さんきゅ、助かった」


「どうも。じゃ、前衛はよろしく」


冬弥のキャラはすいすいと撒かれたインクの中を通り、高台の上に鎮座してはあたりを見回している。


かち、とスティックを倒して春真は前線へと躍り出た。入り乱れた地面の色から敵はどうやらまだ近くにいるらしい。今度はボタンを押し込むと春真の操作キャラはすう、と静かに沈んでいっった。


 (よかった。なんとか間に合って。春真、ゲームだとちょっと危なっかしいんだよな)

 冬弥はボタンを操作してマップを開く。今ので前線が少し戻った。これならもう少し前へ出ても大丈夫だろう。

 ふいにキャラクターの声が聞こえる。声のした方を見ると、春真が手を振っていた。


「春真、横の通路来るよ!短銃だ!」


「まじ?うおほんとだ、危ねぇ!」


 春真のアバターが高台から飛び降り身を隠す。さっきいたはずなのに、とばかりに辺りを見回す敵に、冬弥は照準を合わせた。

 



「よっしゃ勝った! いや、久しぶりにやると難しいなこのゲーム。何回か水に落ちてやられたわ」


「でもいい動きだったよ春真。春真が敵倒してくれたおかげで俺も後衛に集中できたし」


「お、ならよかった。それにしても冬弥、やっぱお前強いな……」


「まあ……一応は最高ランクだし……。このくらいできないと恥ずかしいというか……」


 ふと、冬弥が壁の時計に目を向ける。時計の針が3を指していた。


「ごめん春真。もうそろそろ行かなくちゃ。今日塾でテストあるから勉強しないと」


「そっか。じゃあまた今度だな。それじゃ俺も帰るか」


途中まで一緒に行こうぜ、という春真の言葉に頷き部屋を出る。家の扉を閉めて、外へ出ればちりちりとした熱が肌を焼いた。

 通り道の近くにあったコンビニでアイスを買って2人で食べながら歩く。しゃく、しゃく、という音とともに砕ける氷の冷たさが心地いい。


「なぁ、あのさ、春真」


 絞り出すような冬弥の声が耳をついた。目を右に左にとさ迷わせ、所在なさげに服の裾を握りしめている。


「ん?」


「えっと、あー、その…………」


 冬弥が言いたいことは半ば分かっていた。しかし、知らないふりをして言葉の続きを待つ。

 冬弥は、もじもじとしたまま、えー、だの、あー、だの声を上げている。だんだんと縮こまっていく背中に罪悪感を覚えながらも、春真は冬弥が話し出すのを待ち続けた。


「…………ごめん、やっぱなんでもない」


 ぽそり。力なく呟かれたのはそんな言葉だった。冬弥は肩を落としたまま、アイスのゴミをくずかごに放り込んだ。

鞄を肩にかけ直す彼を横目に、春真はなんでもない様子で立ち上がる。空はいっそ恨めしいくらいに晴れ渡っていた。


「じゃあ、俺こっちだから」


 そう、軽く手を振る冬弥に春真は大きく手を振って答えた。




 冬弥と別れ、春真は炎天下の道を一人歩き出す。

 (まだ帰るには早いか。適当にスポーツ専門店にでも寄って新作を見てくるかな。この暑さにも辟易としてきたところだったし、涼むのにもちょうどいいかもしれないし)


 春真はふいに立ち止まり、後ろを振り返る。続く道の先、随分と小さくなった冬弥の背中が見えた。


「やっぱ言えなかったな……」


 アイスを食べながら、何かを期待するような目つきで自分を見上げた彼。その意味も、彼が何を期待したかも、全部分かっていた。なにせ、死ぬ前の日の出来事だ。忘れるわけが無いだろう。


 しかし、彼の期待に応えることはできない。

 冬弥は自分が生き返ったことを喜んでくれたが、それはいっときだけだ。許された時間が終われば、俺はまたこの世界を去らなければならない。根拠はないが、それは確固たる事実だと思った。


 2度も好きな相手を失う辛さは計り知れないものだろう。冬弥にはそんな思いをしてほしくない、だから変に期待させてはいけないのだ。


「ごめんな、冬弥」


 あそこで自分がヘマをしなければ、彼が願っている生活も夢ではなかったのだろう。冬弥は謙遜しているが、彼はきっとK大に合格する。

そしたら2人で同じ電車に乗って、学食を食べたりしたのかもしれない。

しかし、それはもう、全て夢の話だった。

 あの朝、大した考えもなくとった行動。それが全ての始まりだったのだ。



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