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いなくなった彼

翌日。

 冬弥は鞄を肩に掛けたまま立ち尽くす。春真の席には誰もいなかった。他のクラスメイトはいるのに、なぜかそこだけぽっかりと穴が空いたかのようだった。

 

 春真は、来ていないのだろうか。また明日な、と笑顔で手を振っていた彼の顔が頭をよぎる。風邪でも引いたのかもしれない、そう思おうとした。しかし、どうにも嫌な予感が拭えない。

 

 とりあえず席に着こう。冬弥が鞄をロッカーに入れ、戻ってきた時だった。担任の中島先生が教室へと入ってくる。いつも柔和に微笑んでいる中島先生が、今日はなぜかハンカチを握りしめ、目を赤くしていた。

 

 中島先生がゆっくりと話し出す。その内容は冬弥には信じ難いものだった。

 

「皆、落ち着いて聞いてほしい。芽吹春真くんだが、先程亡くなったと連絡があった。お医者さんたちも手を尽くしてくれたんだが、やはり間に合わなかったらしい」

 

 中島先生はそこで言葉を区切るとハンカチで顔を覆った。しん、と静まり返った教室は、誰もが信じられないという顔をしていた。

 

 冬弥は中島先生の言葉を、ぼんやりと繰り返す。

 春真が、死んだ? だって春真は今もそこに……そうか、今はいないのだった。

 いや、だけど、そんなことはない、だって春真は昨日も――

 

「春真くんのご遺体は、綺麗にしてから親御さんの元に返すから……通夜はおそらく3日後だと思っていてくれ。棺に入れたいなら手紙やお菓子、好きなものを持ってきていい。先生もあいつの好きだった花を入れようと思う。」

 

 がたん、と音を立て、ひとりの女子生徒が立ち上がる。彼女は確か、春真と同じ委員会の子だ。冬弥は幽鬼のような動きでそちらへと顔を向けた。

 

「そんなっ、先生! だって春真くんは倒れていただけで、命に別状はないって……」

 

「…………生徒に不安を与えないように、と思ったんだ。すまなかった。芽吹は、春真は本当のことを言うと朝の時点でもう、助かる見込みは薄かった……」

 

「っう…………、春真、くん……」

 

 女子生徒がへなへなと椅子に倒れ込む。近くにいた他のクラスメイトが彼女を抱き起こした。

 中島先生は、もう一度すまなかった、と繰り返すと俯き、やがて顔を上げた。目の端にはこぼれそうな涙が光っていた。

 

「……今日の、午後の授業はなしになった。この後、警察が来ることになっているから、君たちはすぐに下校するように。死因についてはまだ詳しくは分かっていないから、春真くんのご遺族のためにもSNSなどに書くことは控えてほしい。では、これでホームルームを終わりとする。」

 

 それだけを早口で告げ、中島先生は教室を去った。

 先生が出ていくと、教室はにわかにがやがやと騒がしくなった。

 春真とよく話していた、きらびやかなグループの男子が、そんなの信じられるかよ!と机を叩いている。

 その隣で髪を編み込んだ女子が遠慮がちに口を開いた。

 

「春真くん、中庭で倒れたんじゃないかって聞いたけど……血まみれだったって用務員さん言ってたし、ほんとに病死だったのかな」

 

「いや、ないだろ。だって春真だぜ?俺より足速いし昨年だって皆勤賞だし、そんな倒れるようなガラじゃないだろ」

 

「それな。てかあたし思うんだけどさ。春真って転落死とかじゃないの?だって先生が言ってたとこ、ちょうど屋上から落ちたらぴったりじゃん。それにあいつ、よく屋上に出てたし」

 

「おいおい明日花、縁起でもねぇな……」

「そうだよ、だいたい屋上からって……あいつが飛び降りる理由なんてないだろ、いじめられてるわけでもないんだし……」

 

 転落死、その言葉に冬弥は肩を揺らした。確かに春真が急に意識を失うような倒れ方をするとは思えない。

 やや体の弱い自分の鞄をさりげなく取って、颯爽と駆け出す春真がそんな。おそらく、彼らのいうとおり死因は転落死だろう。

 しかし、なぜ。

 昨日まで、彼に変わった様子はなかった。思い当たるとすれば、自分が告白をした、ただその出来事だけだ。そして、今日は返事をしてくれるはずの日だったのだ。

 

  ――お断りの返事にショックを受ける俺を見たくなかったから、か。

 

 憶測にすぎないが、冬弥にはそうとしか思えなかった。春真にはきっと、男を好きになるということは耐え難い事だったのだ。

 

 しかし、俺を傷つけたり、関係を壊してしまうのは避けたいと考えたはずだ。だからきっと、優しい彼は、どうにかして丸く収めようとしたのではないか。

 明るく穏やかで、光そのものの彼を殺したのは、他ならぬ自分だったのだ。

 

 なんて馬鹿なことをしたのだろう。自分が余計なことをしたせいで、関係を失うどころか彼の存在そのものを失ってしまった。

 

 冷静に考えれば、実は受験のことで悩んでいたり、単に足を滑らせただけ、の理由もあるはずなのだが、今の冬弥にその余裕はない。

 

 冬弥はスマホを操作し、ひとつのアイコンを長押しすると通話アプリを削除した。

 青いコントーラーを模したアイコンの、ゲーマー御用達のアプリ。

 春真とは毎週のように夜中まで喋りながらゲームをしたものだった。でも、もう彼のいない今は、こんなもの、無用の長物だった。

 

 窓の外は憎らしいほどの晴れ空だ。溶け残りの雪が光に照らされて目に眩しい。とてもそんな気分じゃないというのに。冬弥は光から逃れるように目を伏せ、自分の膝を見つめた。

 

 しばらくしてサイレンの音が響き、白と黒に塗られた車が続々と現れる。生徒が死んだのだ、今日は事情聴取やなんやらで先生たちも大忙しだろう。

 

 邪魔にならないうちに帰らなくては。そう思うのに、石のように固まった足は、全く言うことを聞いてはくれないのだった。


しばらくして。冬弥は自分の部屋にいた。

 あの後、自分の席から動けず、呆然としているところを、中島先生が連れてきてくれたのだ。

 

 お前はあいつとずっと一緒だったもんなぁ、つらいよなと目を潤ませてか細い声で肩に手を置く担任に、冬弥は何も返すことができなかった。

 

 心の底からの哀れみを含んだ目に見送られ、冬弥はその場を後にした。その後、先生の車に乗りこみ、自分の家へと帰ってきたのだった。

 

 部屋の壁に貼られていた、春真と撮った写真を1枚ずつ剥がしていく。剥がした写真を集め、ゴミ箱に捨てようとするもなんとなく気が進まなくて。

 

 冬弥は押し入れの中から箱を持ってくると、その中にバラバラと乱雑に写真を入れていった。

 

 壁紙に設定してある高校の入学式の写真。学ランを着て、胸に花を飾っている、中学の卒業式での写真。

 

 ずいぶんと幼い2人が、プールで水と戯れている写真、舞う花びらの下、ランドセルを背負った春真の写真。うららかな春の木漏れ日に照らされ、色素のうすい瞳がきらきらと輝いている。

 

 「春真……。なぁ、なんで……」

 冬弥の声が震える。満面の笑みを浮かべる紙の上の春真に雫が落ちた。

 

「なんで、死んじゃったんだよ。……俺とは恋人にはなれないって、男なんて好きになれないって、そう、伝えてくれればよかっただけなのに……。」

 

 どんなに涙を流そうとも、彼は帰ってこない。

 

 告白なんて、しなければよかった。

 

 止まらない涙を手の甲で拭いながら、春真はスマホをシーツに叩きつける。柔らかい布地の上に落ちたそれは、当たり前だが傷ひとつつかない。

 

 それがなんだか無性に苛立たしくて。それでも人に買ってもらったものを壊すわけにはいかない。冬弥は枕に顔を埋めた。くぐもった泣き声だけが、茜色の光が射し込む部屋に響いていた。

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