祭りの喧騒
「いらっしゃい! 焼きそばひとつ百円だよ!」
屋台の並ぶ参道では、威勢のいい声が飛び交っていた。
隣には小さな女の子が金魚の入った袋に目を輝かせ。
前には自分と同じか、少し年上くらいの男女がぴったり並んで歩いている。
絡み合った手に気づくと、冬弥はそっとそこから目をそらした。
なんでこんなところに来てしまったのだろう。
冬弥は深くため息をつく。祭りの音がただうるさかった。
楽しそうな家族連れや、カップルとすれ違うたびに胸が締め付けられる。
どの人も親しい人と連れ立って楽しそうだ。
なのに、自分の隣に彼はいなかった。
こみ上げる嗚咽を抑え、冬弥は再びため息をついた。
もし、あの出来事がなければ、彼は今も隣で笑っていたのだろうか。
だめだ。
冬弥は小さく首を横に振った。
何を見ても、何を聞いても彼のことばかりが頭をよぎる。彼の笑い声がないことに胸を掻きむしりたくなる。
制服を着たカップルの女の方が笑い声をあげる。
とても、楽しそうな声だった。
居ても立っても居られなくなり、冬弥は足早に参道を駆け抜けた。
辿り着いたのは、神社の裏のひっそりとした空間。
冬弥はぐるりと辺りを見回すと、小さな石段へと腰を下ろした。
ここは自分と春真が小さなころによく遊びに来ていた、秘密の場所だった。
去年の夏祭りで、あまりの人の多さに酔ってしまって、春真と一緒に逃げ込んだ場所でもあった。
無理させてごめん、と冷えたジュースを差し出した彼の、八の字に寄せられた眉。
受け取ったジュースの冷たさを今でも覚えている。元々行きたいと言い出したのは自分だったのに。
春真はそれを咎めようともしなかった。
彼は、そういう人間だった。
腕にかけていた袋から林檎飴を取り出しかじりつく。
さっき参道の終わりに並んでいた屋台で買ったものだ。
控えめな歯形がついて、ぱり、と小気味のよい音とともに程良い酸味が口の中に広がる。
ぱき、ぽき、と飴の砕ける音が静かな空間に響いていた。
風に揺られた神社の木の葉がさらさらと音を立てている。
冬弥は木を見上げた。
生物に詳しいわけではないけど、先だけが尖ったその葉には見覚えがある。
おそらく、桜の木だろう。
「桜、か……」
冬弥は呟いた。
桜、春の花。
またもや春真の顔が脳裏を過ぎっていく。
冬弥は手元のスマートフォンへと目を落とした。
そこには、場所は異なるものの、桜の木の下でピースをしている、二人が映し出されていた。
「春真……」
冬弥は小さく呟くと、再びぼんやりと桜の木を見あげる。
もし、神様というのがいるのだとしたら、もう一度彼と会わせてはくれないだろうか。
冬弥は潤んだ目をこすると、鞄の中から一枚の手紙を取り出した。
彼が亡くなったとき、ポケットに入っていたものを無理を言って回収してきたものだ。
うっすらと赤く染まったその紙には、自分が彼に抱いていた想いが書き連ねてある。
彼はこれを見て何を思ったのだろうか。
嫌悪、失望、落胆。
きっとそのどれかだろう。
だけど彼は気持ちは嬉しいと言っていたのだ。
また明日返事を聞かせてくれるとも。
もしかしてそれすらも嘘だったのだろうか。
その現実は直視するにはあまりに酷く、つい空想の中へ逃げてしまいたくなる。
冬弥は目を伏せると、手紙を畳んで鞄へと戻した。
いささか角のずれたそれを、クリアファイルに入れ、教科書の間に挟み込む。
本当ならここで破り捨てた方がよかったのだろう。
彼に対しての思いを振り切るためにも。
しかし彼という存在を示すものがなくなってしまった今、どうしてもその気にはなれなかった。
手紙には彼の血が染み込んでいる。
気持ち悪いと言われようとも、この手紙は、彼がいたことの証明だったのだ。
ぱさり、と膝の上に一枚の葉が落ちてきた。
ちょうどさっきまで見ていた木のものだろう。
桜の奥に見える空はすっかり夜色に染まっていた。
ちょうど夏だし、流れ星でも見えないだろうか。
冬弥は空を見上げた。
しかしそんな都合のよいことはあるはずもなく。
そこにはただ、瞬く星が散っているだけだった。
一瞬でも期待した自分を嘲るように星が瞬く。
冬弥はぎゅ、と拳を握りしめた。