1:6 『無表情の内側』
現段階で僅かでも信頼のおけるメンバーを搔き集め、一夜挟んだ翌朝、城内の上階にある縦長いテーブルの置かれた室内で会議を実施した。
メンバーにはミリユ、スキンヘッドの男と、意思疎通の利く他数名。
昨夜の時点で既に、ソロとトギトウを含めたメンバーで軽い打ち合わせを行ったが、今回の会議でより明瞭な骨組みを作った。
国民約三千人を配属させる役職の取り決めや、配分する人数をある程度円滑に決定していくことができた。
大雑把に――軍兵、城兵、食糧管理、クリーチャー管理と分けた。
軍兵に関しては、城兵を除き動ける者はほぼ全員配属され、できるだけ簡素な訓練を随時施していきたいと思っている。
これらの事項を伝えるべく、初めは吹聴で皆を集合させることになるだろうが、城に大鐘があることが確認されたため、以降はその鐘が皆への集合の合図となる見込みだ。
ちなみにソロとトギトウには密偵の役職を与え、既に『西――ナシャウラ代国』へ向かわせた。
地形や距離的に近い方で、衝突があるとすれば最初に対峙すると思われる国だ。
昨夜の打ち合わせ終了とほぼ同時間帯に出発しているため、今頃到着していてもおかしくはない。
会議中、ミリユの態度に僅かな変化を感じられたが、それに頓着する暇はなかった。
「――――」
会議を終え、一段落した後。
一人、城の上階に位置するバルコニーへ出たシアラは、蒼穹を浮遊する数羽の鴉を眺めていた。
指示通りその場で待っていると、濃紺の羽を持つ一羽の鴉が石造の柵に降り立ち、鴉特有の首の動きをしながらシアラを見てきた。
シアラの所業を待っているようだった。
近付き、中で機械的な模様が蠢く青色の眼を視認する。
この奇妙な鴉は、ブルーレイヴンという名称を持つらしい。
元々いる、レイヴンという鴉に技術的細工を施したもので、基本的な人語を理解し、相手国などに手紙を送達することができるという。
身代わり戦争の場合、常に大空の随所を旋廻し、高所に“身代わり王”を見つけると近くに付くらしい。
――これらの情報は、城内の寝室で見つけた書面に記載されていた。
代国のリーダーとなる者が部屋に入ってくることを想定したものと思われる。
昨夜その部屋で寝たが、この代国で目覚めた初めての部屋よりもいくぶん豪華さを増していた。
「これを、西へ。これを、東へ。これを、北へ」
もう二羽来るのを待ち、三羽にそれぞれ手紙を渡し、輸送先の指令を出していく。
手を広げて発送の合図を出すと、趾で束を掴んだ三羽のブルーレイヴンはそれぞれの方向へと飛翔した。
手紙には、妥協を示した内容が記されてある。
四国共に不動を貫き通し、『上層民』と皇帝らを諦念させ身代わり戦争の中断を狙う提案だ。
無論、無駄だが、相手の出方を見る為だ。
本音を言うと、中断できるものなら中断したい。
しかしそれが不可能であると理解したからこそ、玉座の間であのような演説ができた。
救いの手はない。
この大陸は鳥籠のようなもので、終わるまで出られることはない。
◇ ◇ ◇
午後九時に南――ミネクァウラ代国を出発したスョロとトギトウは、その六時間後となる午前三時に無事、西――ナシャウラ代国を見つけることに成功した。
徒歩だと十時間前後になる距離だったが、二人乗りができるダチョウ型のクリーチャーで騎行したため、日の出までに猶予を持ってナシャウラ代国近隣の森に辿り着くことができた。
クリーチャーは既に離れた場所で樹木に繋いでおり、今は潜入前の準備と最後の休息を取っている。
「――やっと戻って来たな、ソロ。何してたんだよ」
暗闇に包まれた森の中。
焚火の向こうで鹿を解体するトギトウが、一度離れてから久しく姿を見せたスョロにそう尋ねた。
「縄を張っていた」
「縄を張っていたぁ? どういう意味だよ。どこ行ってたんだよ」
「布石をある程度張り巡らせていただけだ。大したことじゃない」
「あー、言ってる意味が分かんねぇや。つまり、またお前の不可解極まりない所業が炸裂してるんだろうな。追及しない方が話が速いってもんだぜ」
背負っていたリュックと剣を傍らに置き、スョロも腰を下ろす。
「トギトウも試行錯誤してできるようになるといい。決して不可解な所業ではない」
リュックからガラス瓶を取り出し、トギトウから貰った鹿の心臓を絞り、ガラス瓶に血液を注ぐ。
――これもきっと、トギトウの眼には“不可解な所業”として映っているのだろう。
「そんな簡単にできるもんじゃねぇっつの。俺にはお前ほどの頭脳も技量もねぇ」
「そうか? トギトウでも全然、やろうと思えばできると思うけどな」
「お前の“やろうと思えば”が異次元だっつってんだよ! 『上層』で見つかったかと思いきやいきなりビルから飛び降りるし、果実で人を昏倒させるし。神じゃなきゃ思いつかないようなことを平然とやって退けやげって。なんだよ、一人だけ最強の座に居座ってよ。その力を少しぐらい俺にも分けろってんだ」
焚火の上に備えた薄い岩に生肉を叩くように置きながら、不服そうに物申すトギトウ。
既に焼けた方の肉を掴み取って二つに契り、一つに噛みつきながらもう一つを渾身の振りで投げつける。
スョロはそれを見ずに掴む。
「力を分け与えるような魔法はないが、安心しろ。トギトウは充分に見事な成長を遂げている。少なくとも、この地で猛威を振るうだけの力は据わってる」
昔、スョロの暗躍ぶりを見てパートナーを申し出たトギトウだが、あの時以来、常人を卓越する技量を培ったことに間違いはない。
スョロに向ける羨望は依然として消えないようだが。
「皮肉だな……人なんざ、殺したくねぇよ」
「そう言う割には殺しかけていたけどな」
「殺したいと殺す必要があるとの間には明確な違いがあるだろうが。こんな、殺人でしか夢が叶えられないような環境に陥ったのが腹立つんだよ」
「仕方ないだろ。世界は言うことを聞いてくれない。与えられた状況の中で最善を尽くすしかない」
それから間を置いて、トギトウは戦略的なことを尋ねてきた。
「なぁソロ。……各国にスパイを潜らせて、一斉にスロウンに座らせて勝利をもぎ取るって方法、できると思うか?」
“戦争”など全て無視して、他三国を同時に欺いて呆気なく『完全制圧』を狙う手法。
確かにそれなら、自ら誰かの命を奪うことなく勝利が叶う。
スョロも一度は頭を過ぎった戦略だが、一度だけだ。
「無理だろうな」
「……そうか」
「開始直後に実行できたなら、豪運が働けば可能だったかもしれない。が、地図を見た通りもう全ての国旗がそれぞれの色で上がっている。スロウンは厳重に警備される。それを辛うじて踏破できたとしても、タイミングを合わせることはほぼ不可能だ」
「――――」
何かに思い至ったのか、顎に手を当てたトギトウが一瞬不安げな表情を浮かべる。
「安心しろ。お前が殺しかけたあの男は、味方で間違いない。言動にも偽りはなかったし、スパイなら既に身を引いている」
「そうかよ」
自分がスロウンに座ることに念入りだったスキンヘッドの男を不審に思ったのだろう。
そこで、貰った肉を食したスョロは立ち上がり、近くの盤石の上から頭を覗かせて西――ナシャウラ代国の方を窺った。
夜空の下で随所に光を灯す城郭都市。
尖った巨大な城の前に、サイズに富んだ堅固そうな建造物が広く密集している。
明らかに南の造りとは異なって見える。
「――まぁ、コレに慣れるのも時間の問題だろうな。とっとと終わらせてぇもんだ」
背後のトギトウの声に、振り向く。
「……負ける訳にはいかない」
「だろうな。他国の皇帝の支配下で地獄よりどんなに酷い待遇を受けるか知ったこっちゃねぇ」
「――――」
「……あぁ――そういうことか。……お前の家族、お前が忽然といなくなってから、あまり狼狽えてないといいけどよぉ」
◇ ◇ ◇
――テルミュド・スョロは、毛布を右手、硬貨の入った袋を左手に携え、汚濁した『下層』の道を歩いていた。
一ヶ月ほど危険地帯に出向いて以来、久しく家族と会いに行く。
とは言え、家族と会えるのは殆どが一ヶ月に一回で、期間も短くまたすぐに危険地帯へ戻ることとなる。
帰還してスョロはいつも、『上層』に潜入して偸盗を働く。
今日も既に『上層』に潜った後だ。
(……今日の取得は、正直香ばしくないが、まぁいい)
珍しい品物は『下層』ではそこそこの値打ちが付くし、生活用品を奪取して用いることもよくある。
何より、上の食物は新鮮だ。
最近、頻繁に結託するようになったトギトウという少年がいるが、今日も共に『上層』で上手く立ち回った。
当初は煩わしい奴だとも思ったが、彼は意外にも腕が立つ。
帰還して、『上層』へ潜入して、家族と会って、危険地帯へ戻る。
――十六歳にして、この生活をもう十年以上は続けているだろう。
幼い頃からずっと、スパイのように身を晦ましながら過ごし続けている。
「――――」
一人、スョロは亀裂の入った石壁の前に立つ。
壁の下には毛布が掛けられ、それをめくった先に今の“住み家”がある。
「ただいま」
「――あ、スョロ!」
半壊した建物の空洞を利用した居所にいたのは、母親と妹。
一ヶ月ぶりにスョロの顔を見た母親は、満面の笑みを湛えて喜んだ。
妹は相変わらず真顔でスョロを見てくる。
「皆スョロのこと待ってたよ。また無事に戻ってきてくれて嬉しいわ」
「ああ。金と、これ持ってきた。そろそろ寒くなってくるだろうからな」
袋と、『上層』から奪ってきた布団を畳んでその場に置く。
八歳の妹が何故か、卑しい笑みを浮かべながら袋の中身を見ているが気にしない。
「いつも本当にありがとうね、スョロ。でも、無理しなくていいんだよ?」
「大丈夫だ。無理などしていない」
「そう……」
「兄貴の野郎は何処だ?」
「そうね……それが、まだ帰ってきていないのよ。もう今頃、姿を見せていてもおかしくないのにね。もう、心配になるわ」
その時、外から二人分の足音と荒い息遣いが微かに耳朶を撫でた。
外に出て確認すると、そこには満身創痍の兄と、兄を肩で支える父親の姿があった。
異変に気付いた母親も出てきて、二人の姿を見る。
「――――⁉ 大変よ!」
兄の名を叫んで狼狽える母親。
顔や服装に泥と血が滲んだ姿を見れば無理もないだろう。
『待たせてすまなかった。工場からの帰り道で――――が倒れていた。重傷ではなさそうだよ』
舌を切断されている父親が、独自の手話で母親にそう語った。
スョロは兄と父親を中へ誘導し、兄を座らせて状態を診る。
「何があった?」
「……大倉庫んとこからパン盗もうとしたら、惜しいところで見つかってよ、ボコボコにされたわな」
自嘲気味に兄は言う。
「ただでさえ体が弱いのになぜ臨む。お前は二度とあそこへ行くな、分かったか?」
「……チェッ、言いやがる」
兄は不満そうに表情を歪めた。
母親もそうだが、持病のある兄は少しの運動で体力が底を突く。
こういう企みなど臨むだけ危険だ、やめてもらいたい。
「特に痛いところはないか?」
「大したことねぇよ、全部痣だし。足の骨が軋むけど、はっきり言ってすぐ治る」
「額に傷があるぞ」
「ああ、切り傷だろ? 少しヒンヤリする」
そこでスョロは立ち上がり、外との隔たりとなっている毛布をめくって、
「――『上層』から薬を盗んでくる」
言って、一同の反応は良好なものとはいかなかった。
「は? 待てよ、必要ねぇよ。俺のこと子供と思ってんのか?」
「そうよ、スョロ! あなたもずっと動き続けているでしょう? もう休みなさいってば! 今夜はここで休息を取って、私達と一緒に話でも交わしながら、ね?」
母親は悲願するような眼を向けてきて言う。
が、
「放ってはおけない。兄貴の傷に何も施さなかった場合、悪化する可能性がある。オレのことは心配するな、朝までには帰って来る」
「スョロ……」
「チェッ、俺の百倍頭悪いだろ、コイツ」
「兄貴は動かずに待っておいてくれ。それじゃ、また会おう」
ゆっくりと毛布を閉めて、数分前に進んだ道を戻るようにして再び『上層』へ赴く。
家族と話を交わすことに嫌味はない。
話をしたいのなら、してもらって構わない。
だが、そんなことより優先するべきことがある。
――家族の命と安全だ。
「――――」
スョロは思う。
家族のためなら、どんなに残虐で凄惨な悪行も厭わないだろう、と。