1:2 『希望と絶望』
氷結したかのような沈黙が流れて、数秒後。
一人の少年がスロウンに向かって駆け出していた。
突然響いた発走の音に、多くの者が肩をピクリと跳ねさせた。
続けて、思い出したかのように他何人かがスロウンに向かって走り出す。
テュスラ王は、スロウンに座った者をリーダーとすると分かりやすいだろう、と言った。
その言葉により、スロウンに座れば高位な立場を確保でき、有利になると直感的に思ったかもしれない。
それは誤解であり、衝動に基づいて彼らは動いてしまっている。
「――なあ、殺されてぇのか⁉」
群衆から怒号が響き、スロウンへ走る者たちの動きが止まる。
「そのきたねぇ椅子に座ったって王にはなれねぇよ! そんなもんにも気づけねぇのか? 不都合か反感でも喰らったら簡単に殺されるぞ!」
怒号を投げ飛ばすのは赤髪の少年。
旗を上げるため早々に座っておくべきだと言う意見も出てくるが、自国の旗である以上、急ぐ必要はない。
問題は、何者でもない誰かがスロウンに座って目立つことである。
指導者たる信頼も得ていない者がリーダーを自称しても何もまとまらず、逆に崩れる一方で、味方同士の対立に発展する可能性も否定できない。
そうなると、たかが3000人に1人、状況の改善の為なら殺した方が善良だ、となってもおかしくない。
挙句、自らスロウンに腰かけようとする者はいなくなった。
下手に目立つのは避けた方がいいと理解させられた筈だ。
「――――」
それからのそれぞれの行動は、多種多様だった。
その場に泣き崩れる者、互いに相談する者、広間から出て行く者、状況を知らないまま新しく入って来る者もいた。
そして、留まり、頭の中で状況の整理を試みる者――その殆どは、正面の巨大なモニターに目を向けていた。
――テュスラ王の姿が消えた後、モニターには大陸の地図が映し出されていた。
大陸の形状、東西南北の仮国の位置がそれぞれ白く印されている。
スョロも残っており、地図を一通り確認し終えたところだ。
「……またいる」
少し離れたところに、同じく地図を見詰める青銀髪の少女を見つけた。
前で集まる人だかりを避けるためか、前列にいた彼女はモニターから離れたところまで下がっている。
偶然だろうが、やけに目に入る少女だ。
丁度、相談相手が欲しかったところでもある。
王に掛けていた言葉といい、話し合うに足る人物だと判断し、接近する。
「どうも」
「……何?」
陰気者なりの挨拶に対し、腕を組んだ彼女は群青色の瞳を半眼にしてスョロの方を向いた。
強気な性情をしているようだ。
数分前、目覚めた際に焦燥していた姿を見たとは言えない。
「相談相手になって欲しいのだが、先に一つだけ確信させてもらう。君は、この戦いに勝つ気はあるよな?」
唐突な質問に、半眼から一転し奇怪なものを見る目を向けられた。
「勿論あるわ。あなたの望む相談相手になれるかは分からないけれど」
「念の為だ、それでいい。それで相談なんだが……オレ達は、これからどうするべきだと思う?」
「……まあ、そうなるわよね――」
第二の質問に対し、共感を孕んだ呟き。
皆、迷子になった心情なのだ。
「――これから勃発するであろう戦いに備えるのが妥当な方針だと思うわ。けれど、他国と交渉することができれば、戦わずに、誰も死なずにこのふざけたゲームを終えられるかもしれない」
確かに『誰も何もしない』と4仮国の間で決めれば、4人の王は諦めて身代わり戦争を中止にするかもしれない。
しかしそれは、『上層民』になる好機を捨てることにもなる。
「交渉、か。難しいだろうな。『上層民』になるために死をも顧みない者はきっと沢山いる。オレを含めてだ」
この機に家族を救うと誓った身だ。
「そう」
哀れみと疑問の混ざったような目。
正直、同じ『下層民』としてその目は予想外だ。
少女は“死をも顧みない者”には含まれないかもしれない。
「――ソロ! やっぱりいたな。探してたぞ」
「トギトウか」
第三者の声の方を向くと、赤髪の少年が口端を上げてスョロの方へ駆け付けていた。
ソロとは、スョロのことだ。
発音の難しい名前である故に、皆からはソロと呼ばれている。
正直に言うと、自分でも発音しづらい。
少年の名はミカロ・トギトウ。
首元まで伸びる赤髪に、黄色の瞳。
背丈はスョロより少し伸びていて、年齢も一つ上の17だ。
知り合いである。
「いやぁなぁ、最悪な状況に陥ってるが、ソロもいたのは不幸中の幸いやな。これで僅かな希望も見えてきたってもんだぜ。で、テメェーは何方や?」
口は悪いが、声のトーンはあくまでも親切に、少女の方に視線を向けて尋ねる。
「シアラよ。べタウル・シアラ。2人は知り合い? トギトウと、ソロ」
「ああ。『下層』での生活で協力していた仲だ」
「なるほどね。よろしく頼んだわ」
無表情のまま言うシアラに、首肯を返す。
「ところで、二人は何の話をしてたんや」
同じく真面目な表情に戻ったトギトウが尋ねた。
「これからどうするかについて話していた」
「まぁ、話すことっつったら、それぐらいしかねぇか」
「あなたは、これからどうなると思う?」
スョロが尋ねたものとは微妙に違う質問を、シアラはトギトウに問うた。
トギトウは腕を組み、モニターに映る地図の方へ視線を向ける。
「距離的には西の国とが一番ちけぇな。もし戦いになるとしたら、西のナシャウラ国が最初の相手になるだろうよ。それがいいことなのか悪ぃことなのかは知らねぇけどよ。……ん?」
「――ヤッホ~!」
トギトウが目線を移した先にスョロも目を向けるや、またも第三者が会話に割り込んできているようだった。
大きく手を振りながらスキップで近づいてくるのは、茶髪に、黄緑色の瞳、少し肌の焼けた少女。
「キミたち、何話してるの~?」
悪辣な、とも捉えられる笑みでそう尋ねてきた。
ポニーテールで、赤く塗った縄を蝶々結びにしている。
薄生地なワイドパンツに似合わぬ分厚い上着も派手である。
「誰や」
溌剌な彼女に、煩わしそうに吐き捨てたのはトギトウ。
「ね~そんな怖い顔向けないでよ~。ウチの名前はカミュラ・ミリユ。ミリリンって呼んでね☆」
「腹立つな」
「えっ⁉」
目にピースサインを当てた折角の決めポーズを、トギトウはこれ以上ない辛辣なコメントで心を粉々にしただろう。
昔から彼はそういう者である。
「カミュラ・ミリユ。君のことはミリユと呼ぶが、オレ達に何か用があるのか?」
空気が更に悪化する前に、スョロがそう口を挟んだ。
「詰まんないな~。ウチはただ仲良くなろうと思ってただけなのにさ~。まあいいよ。仲良くなる必要はなくってさ、速くここから逃げるための協力者になって欲しいんだ。キミたちも、ここに留まる気じゃないでしょ?」
“ここ”とは、この大陸全体のことを言っているのだろう。
全辺を海で囲まれているかは分からないが、どうやらミリユは今からこの大陸を脱出する気でいるようだ。
残れば高確率で死ぬため、無理もない。
「逸っているところ申し訳ないが、恐らくここから逃げることは不可能だ。――これを見ろ」
そう言ってスョロは、裾を軽く上げて右手首を呈した。
手首の内面――皮膚が、正方形を象って僅かに浮かび上がっていた。
骨ではない何かが入っているように見える。
この城に来る道中で気付いたものだ。
「これは、何?」
「オレが生まれつきで持っているものではない。皆ある筈だ」
そう言うと、3人は同時に右手首を確認する。
最初に気付いたのはシアラ。
「本当ね。これは、私達がここに送られる前に入れられたものかしら」
「そうと認識して間違いない筈だ」
「ン~、これがあるから逃げられない、ってこと?」
「そうだ。このゲームを取り締まっている者は、オレたち一人ひとりの居場所を常に認知している。逃げようとする者がいれば、彼らなら迷わず殺すだろう」
異物が体内にめり込まれている以上、何らかの技術によって看視されていない筈がないのだ。
「サイヤクなんだけど~。なんかさ~、どうにかして逃げられない? この四角いのを切り外したりしてさ~」
「無理ね。そもそも、看視されていなくても脱出は絶望的だわ。逃げられたとして、どこへ行く?」
「ハぁ~」
「それに、埋められた位置も悪い。切り外すとなると、下手すれば出血で死ぬ」
皆に言われ、あっけらかんと姿勢を崩すミリユ。
「つぅーか、いつの間にこんなもん埋められてたんだ? 何も覚えてねぇぞ」
そう言うトギトウは確かに、先程から釈然としない顔をしていた。
「昨日の記憶を無くしているのは皆同じようだな。消されている」
これも、技術的あるいは科学的な方法で記憶を消されたのだろう。
「もォ~。……ウチら死んじゃったじゃ~ん」
遂に断念したか、ミリユがそう嘆いた。
「何を諦めたような言い方しやがる。『上層民』になるためぐらい頑張れねぇのかよ」
「ま~、確かにね~。今考えると、ウチらなんていつ死んでも変わらんもんね~。もしかしたら、このぐらいの待遇が一番良かったかも?」
「テメェと一緒にすんな」とトギトウが罵ったが、考え直したのは良いことだ。
この環境において、濃密な死の可能性に焦燥し絶望を抱える者と、そのことを認知の上で『下層』という名の地獄から抜け出せる好機に希望を抱く者とで大きく二つに分かれている。
ちなみに『下層』での生活を簡素にまとめると――重労働、虐待、飢餓、強姦、闘諍、強盗に殺害。
危険地帯での強制的な狩猟。
“家”にあるのは地面のみ。
『下層』で起きるトラブルに『上層民』は見向きもしない。
老衰で死ぬ方が珍しい。
対する『上層』は娯楽に満ちた世界で、『下層』を元に成り立っている。
――見知らぬ大陸に送られ、迫りくる死に恐怖しても、いずれかは皆が前を向いて奮進する必要がある。
こんな世界に抗う術はそれしかない。
「とにかく、他国に抵抗できるだけの準備ができていなければ話にならないわ――」
シアラが話を本筋に戻す。
「――そのためにはまず、3000人近い人数をある程度までまとめる必要があるのだけれど……。今後の様子を見て、リーダー格に成り得る者が現れるのを待つことぐらいしか出来そうにないね」
「今の段階でリーダーの位置に立てる者がいないのは単純に運が悪いとしか言えないが、だからと言って悠長にはしていられない」
「そうね。けれど、うまくいけば一番楽な方法でもあるわ。そのような人が現れないなら、それまで私が裏で何人かを統制できるかもしれない。何も進捗がないよりはマシな状態にできる筈よ」
「なるほど。現にある程度の方針が定まっているな。助かる」
南の身代わり兵全員は統一できずとも、グループの形成は一つの前進と言えるだろう。
「ウチも協力するね~。なんか暇だしさ~、何より、人を侍らすのはウチの得意分野だからね!」
ガッツポーズをして言うミリユ。
ニュアンスを間違えているがそれでいい。
コツコツと南の国をまとめていく――抽象的だがその方針で定まった。