1:1 『知らない町並み』
「――――」
目が覚めると、知らない部屋の中にいた。
いつもは古びて狭苦しい中、硬い土の上で目を覚ますのだが、ここはどうも、より整然としていて布団も柔らかい。
壁を見れば、石造りの建物の中にいると分かる。
(ここは何処だ? ……何故ここにいる)
昨日のことを思い出そうとするが、記憶が曖昧でこの部屋にいる理由や経緯に繋がるものは何も思い出せない。
身を起こし、混乱する頭を押さえながら、外へ繋がる扉を開く。
真正面から当たる太陽の光に目が慣れた時――知らない町並みが眼前に広がっていた。
「――――」
動き、言葉、思考の全てが一時停止した。
坂の上にいるようで、僅かに高い位置から町並みの全貌を見渡すことができる。
砂を固めて造られたと思わされる外見の、背の低い建物が窮屈に詰まっている。
視界に入る緑色は少ない。
全体的に色彩に欠けていて、砂漠や乾燥地帯を思わされる。
一見しただけでもかなり大きい町であると分かるのだが、人口は少ないのか、今のところ道を行き来する人間は誰一人見当たらない。
「……城まで、あるのか」
視界の右端、町を見下ろす城が聳え立っていることに気が付く。
全体的に四角く、それこそ砂城のような外見をしている。
天辺には縦に伸びる、鉄の棒のようなものが視認できるが、何故あるのかは分からない。
ただの町よりも、王国のような場所にいるのだろうか。
(ここは、何処だ……? 本で各国の写真を見たことはあるが、こんな外見の国は見た覚えがない)
頭を整理しようとして、失敗する。
夢であると確信し、自分に呆れて中へ戻ろうとしたその時、正面に位置していた建物の扉が開いた。
出てきたのは、自分とそう年は離れていないように見える青銀髪の少女。
強烈な眠気と僅かな混乱を滲ませた目で外を見ると、彼女の目は次第に大きく開いた。
「……ぇ……えっ⁉」
周りの景色を見て狼狽している。
――自分がしたのと同じように。
(はて、夢ではない可能性が出てきてしまった)
少女は慌てて扉を閉め、中へ戻った。
様子からして自分の存在には気付いていないようだった。
自分も部屋に戻るのは、少し待つことにした。
そうして待っていると案の定、離れた別の建物からも扉が開かれ、取り乱した少年が中から姿を見せた。
時間が経つにつれ、頻度を上げて各々の建物から少年少女が姿を見せ、似たり寄ったりの反応をしていく。
静かだった町が、騒がしさを増していく。
――何かが、起きている。
◇ ◇ ◇
青紫色の瞳に、乱れた黒髪。
とこどどころ破けた粗末な服装を着た17歳の少年――テルミュド・スョロはその後、その場に腰を下ろし、周りで起きる騒動に目を向けていた。
ここは何処だと他人に尋ねる者、何が起きているんだと叫ぶ者と様々いるようである。
見たところ、誰もこの場所を知らず、何が起きたのかも分からない。
「10歳から20歳が殆どで大人は見当たらない。きっと彼らもいないんだろうな…………ん?」
独り言を呟いていると、遠く、上空から轟音に似た響きが鼓膜を撫でた。
頭上を見るも音源は見当たらない。
が、次第に音は大きくなり、この場にいる皆が頭上を見上げていた頃、町の上を浮遊する巨大な航空機が視界に入った。
円滑な形で、表面には淡い光の線がいくつも走り、不可思議なテクノロジーで飛ぶ航空機。
あの中にいるのは彼らだろう――あの類のモノを見ればきっと誰もがそう直感する筈だ。
「俺らに何をした――『上層民』‼」
恐怖や憤怒を孕んだ数々の目線が航空機に飛ぶ中、一人の少年がそう叫んだ。
彼ら――貧困な環境で育ち生活するスョロたちとは対照的な位置に立つ彼らは『上層民』と呼称される。
ここに来る前のスョロがいた国は、身分差別の激しい国だった。
「――っあ?」
怒声を飛ばした少年が、今度は頓狂な声を漏らした。
上空から紙切れの雨が降り出したからだ。
数多の紙切れが町に落とされると、航空機は用が済んだかのように視界外へと消えていった。
パラパラと降りてくる紙切れを少年少女がそれぞれ手にしていく。
スョロのところにも一枚降りてきた。
空中でそれを摘まみ見てみると、ミネクァウラ国の文字でこう書かれていた。
『ようこそ、偽ミネクァウラ王国へ
君たちの新しいお家はどうだったかな?
これからしばらくお世話になる場所だから、自分の家は覚えていて欲しいね
僕は城の中で待っているから、会いたい人は歓迎するよ -テュスラ王』
テュスラ王――スョロの生まれ育った国の王だ。
(……色々と危うい気もするが、今はとにかく状況の理解が最優先だな)
王に会えば、少しは話を聞ける筈だ。
その場に立ち上がり、城の方を一度見上げた後、歩み出した。
◇ ◇ ◇
城の前、建物のない広大な空間には壮絶な群衆ができていた。
想像以上に多くの若者がここへ送り込まれているようである。
一目見て、ここにいる人だけでも500人はいるだろうか。
吸い込まれていくように、城の大きく開いた木製の正門に入っていく。
正門を潜ると、左右に2つの階段がある玄関を真っ直ぐに突き進み、広いホールを更に歩んだ後、絶大な広間に辿り着いた。
超の付く巨大な広間で、どこか町の全住民をも納められそうな程である。
石造りで、砂の色をしている。
極太の柱が規則正しく天井を支え、巨大な窓から差す日の光が広間内を照らしている。
壁と床には赤色の絨毯が飾りつけされていた。
神秘的な空間である筈の広間だが、今は若者でごった返していて騒然としている。
「王はどこだ!」「家に返せ!」といった叫び声と数多の感情が錯綜している。
それらの声を聞き、ここに王はいないと悟る。
「……あれは、椅子に見えなくもないな。椅子だとしたら王座という設定で間違いないだろうが……」
広間の真正面、僅かに浮き上がった床の上にある物体を見てそう呟く。
白色の何かでできたそれは大きく複雑な形をしているが、背もたれが見え、人が座るものであると何となく察せられる。
元の国にある王座は卵のような形をしているため、それとはまた違う。
椅子のような白い塊の上には、大きな黒い長方形があった。
それがモニターであると気付いたとき、次に起きることを直感的に察することができた。
――刹那の白光の後、大画面に青髪の青年の姿が映し出された。
「――『下層民』の諸君、ごきげんよう」
純白の壁の前に立ち、ストレートの髪と軽い化粧を施して上品な雰囲気を醸し出す青年――テュスラ王は優しい微笑みと共にそう挨拶をした。
場は静まり返り、周りで息を呑む雰囲気が感じられた。
広間は明るいが、画面に映し出される彼の相貌ははっきりと見て取れる。
「僕はテュスラ。君たちの元の王だよ。昨日の記憶がない状態で、見知らぬ場所で目覚めて、色々と混乱している状態だと思うから、簡単に今の状況について説明しようと思うよ」
想定どおりの展開が起きようとしている。
皆が緊張した面持ちで、聞き入っている。
「東西南北、それぞれの王と会議を交わした結果――僕たちの代わりに、君たちに戦ってもらうことになったんだ」
「…………ぇ?」
どこからか、そんな小さな声が聞こえた。
「と言っても、どう反応すればいいか分からないよね……。極力分かりやすく解説していこうと思うよ。今後の君たちのモチベーションにも関わる話だから、よく聞いていて欲しい」
初めは気付かなかったが、テュスラ王はどうやら今の城の中が見えている状態で話をしているようである。
彼は苦しそうに咳を二つ吐いた後、皆に視線を戻して続ける。
「まず、ラマンノール大陸にある四つの大国については、君達もご存じのことだよね?」
ここにいる大半の者は知っている筈だ。
ラマンノール大陸の四大国。
――西、レンガの道に落ち葉の積もるナシャウラ国。
――東、桜の咲き乱れるヒグッドゥラ国。
――北、一年中雪に覆われたキダウロ国。
そして南――乾燥のミネクァウラ国。
スョロは南のミネクァウラ国で、『下層民』として生きてきた。
『上層民』と『下層民』という明確な身分の分裂は全四国にあると聞いている。
「ごめんね、『下層』の子供たちがどこまで知識を持っているか僕には曖昧だから、念のため確認させてもらったよ。他の三国は特徴的で文化もあっていい所だと思わないかい? 薄くて面白くない南とは対照的だよね……」
呆れたような顔でテュスラ王は言う。
「音楽もあって、竜もいて、美しい民もいて、変わった技術や建築物もあって。それなのに、僕が親切に少し分けてくれないかと尋ねれば、アイツらは同じことを僕に返してくるんだよ。『ならお前のものもくれ』ってね。面白いものを持っているのに、更に欲しようとしているんだよ? 意味が分からないさ」
口元は微笑んだままだが、目と表情には怒気が垣間見えた。
「あっ……ごめんごめん、つい感情的になってしまったよ。要するに、僕たち四人の王は昔から対立していてね。お互いのモノが欲しいって言い合って。戦争が勃発してもおかしくないように思えたけど、それが全く起きずに、ずっと平行線のままなんだ。だってそうだよね、お互いの人々や建造物、文化が欲しいと言っているのに、殺し合って崩壊させてしまっては意味がないんだ」
(まったく……上の者の思考は、やはりいつまで経っても理解できないものだな)
テュスラ王はそこで、目をパッと見開き嬉しそうに言う。
「――だから、君たちに戦ってもらうんだ! 別の大陸で、偽物の国同士で戦わせれば問題は解決さ! 身代わりの戦争で勝利した国の王が、全てを手に入れられるのさ!」
大胆なギャンブルに出たと解釈して間違いなさそうだ。
互いに文化や民を欲する四人の王がいて、決して自分のモノは譲らない。
結果的に駒を使ったゲーム感覚での勝負で決着を付けることとなっているようだ。
ここは元々いた場所から遥かに離れた場所であると推測される。
この大陸で、わざわざもう四つの国を造り上げたのだろうか。
「何言ってるか全然分からない」
今まで黙って聞いていた観衆の中から、少女のそんな声が出てきた。
続けて誰かが声を上げる。
「もうウンザリだ。お前らのために戦う奴いると思ってんのかよ!」
「帰らせろ! こんなの無駄だ!」
「卑劣なお遊びに付き合う気はない!」
「俺らを命令に従って動くだけの機械だと思っていやがる……」
もう聞く価値のない話であると察し始めたのだろう。
騒がしくなる観衆を一時聞き流した後、テュスラ王は溜息をついて言葉を紡ぐ。
「まったく、人の話は最後まで聞いてほしいものだね。君たちにも、勝利したらそれだけの報酬は与えるさ。無意味に働かせる真似なんてしない」
(さんざん無意味に働かされ続けてきたがな……)
何となく、再度呆れてしまった。
「他3国を制圧し、見事勝利を収めることができたのなら、――君たちに『上層民』になる権限を与えよう」
途端、空気が一変する。
「それだけでなく、君たちの直系血族にもその権限を与えることとしよう」
直系血族――その言葉に、神経を逆撫でされるような衝撃を受けた。
目を見開き、鼓動が速まる。
脳裏に映るのは、痩せ細って食料を請う家族の皆。
救われたいと、救いたいと何度願ったことか。
――これは、お遊びではない。
「ほらね、だから人の話はちゃんと最後まで聞くべきなんだ。これで僕も話しやすくなったよ。それに、そろそろ細かい説明に移る時だしね」
始めとは違った雰囲気を纏って、観衆は再び黙りこくっている。
テュスラ王は人差し指を上げ、続ける。
「そこ、ミネクァウラ仮国には、3000人の若者を『下層』から選抜し、身代わり兵として送り込ませてもらっているんだよ。他――ナシャウラ仮国、ヒグッドゥラ仮国、キダウロ仮国も同様、各国から3000人、同じように集められているさ」
想像以上に多人数だ。
確かに今、城内にいない者も多いかも知れない。
「次に勝ち方。この城の天辺には、巨大なフラッグポールが設置されてあるんだ。既に見た人もいるんじゃないかな? あのフラッグポールには本来、我々ミネクァウラの国旗が上がっている筈なのさ。そして、フラッグポールは各国にそれぞれあり、時期に4つ全て、同じ色の旗が上がる。『完全制圧』さ。君たちの活躍によって成し遂げられる」
つまり、東西南北の4国にそれぞれある旗を、自国の旗で統一することが勝利の条件となる。
これを『完全制圧』と言うようだ。
肝心な旗の上げ方だが――。
「僕の真下に大きな椅子があると思う。これは『スロウン』と呼称される椅子で、各国に一つある。この上に座れば、我々の旗は上がるのさ。でも気を付けてね、他国出身の者が座ると、その人の国の旗が上がってしまう」
椅子――『スロウン』に座り、旗が上がる。
この制度は、全ての国に共通すると認識して問題ないだろう。
南の兵であるスョロが、西にある『スロウン』に座れば、西のフラッグポールに南の国旗が上がる訳だ。
「制限時間は一年間。ダラダラと延々に長引かせてもらっては困るからね。一年経ってもどこも『完全制圧』を達成できていなかった場合、旗の数が最も多い国の勝利。同数あれば、生き残った身代わり兵の人数で決まる」
多人数、死ぬ前提で話しているように聞こえる。
「武器や防具は城の地下にある程度収納してあるよ。国に点在する倉庫にも道具などがあるから、自由に使ってもらいたいね」
どうやら本当に“戦争”に投げ込まれているようだ。
「最後に助言しておくと、国をまとめるリーダーを決めるといいよ。リーダーがいないと、いつまでも崩れたまま時間が過ぎ去っていくだけだからね。『スロウン』に座った者がリーダーとすれば、きっと分かりやすいよ」
テュスラ王は腕を後ろに組んで、一息つく。
「説明はこれで以上となるよ。簡単だったでしょう? 念の為に聞くけど、質問や分からなかったところはないかな?」
場は重たい静寂に包まれたままだ。
皆、何か言ってやりたいが言い出せない、そんな顔だ。
所詮、ルールなどどうでもいい。
反論によって家族の元に戻してくれるならこれ以上楽なことはないが、無力だと知っている。
誰も質問はないと見て、テュスラ王が言葉を紡ごうとしたその時に、前列をかき分けて一人の少女が前に現れた。
青銀のロングヘア―――スョロがこの“仮国”で目覚めて最初に見た少女だろうか。
テュスラ王は彼女に気付くなり、「どうしたかな?」と言って促した。
「……この、身代わりの戦争というものに私達が勝てば、『上層民』に昇格できるという話、本当なのね?」
「うん、勿論さ。僕のために全てを勝ち取ってくれた人々を無碍にする真似なんてしたら、全国民に蔑まれてしまうよ。そんなことはしない。充分なオヤツも飲み物も、プライベートルームも支給できるさ。家族を連れてこれる話も勿論本当さ。幸福な生活が送られるよう力を貸すと約束する」
その言葉が欺瞞でないことには裏付けができる。
過去に、『下層民』のとある団体が、極南の危険地帯での重要任務を課せられ、それに成功し彼らは実際に『上層民』となっている。
健全な生活を送る彼らの姿を、スョロも実際に見たことがある。
「なら、私達が負けたら? あなたの私欲のために命を危険に晒し、心身ともに傷を負ってでも戦い続けて、それでしても負けたとしたら。あなたは、私達を助ける?」
「それはできないよ。君達は、他の王の手に渡されることになるからね。僕だったら、他の国の『下層民』などには興味ないから、きっと処分してしまうよ。国民にも迷惑だし、敵だった者なら尚更ね。だから君達も、負けたら命はないと思っていた方がいいよ。僕にはどうしようもできないさ」
勝てば助けると同時に、負けた他国の身代わり兵には慈悲の欠片もない。
正気の沙汰とは思えないが、彼らは苛烈な自己中心的思考の中で生きている。
気に入った者には好意的に接するが、少しでも気に障ればゴミ以下として扱う。
四人の王は皆、そういう人間なのだ。
勝てば楽園送り、負ければ死――それがこの待遇の結末だ。
「さて、僕もそろそろ時間だ。君達には頑張ってもらうよ。色々と心配しているかもしれないけど、きっと楽しい一時になるさ。健闘を祈る。それじゃあ――」
笑顔で手を振る姿を最後に、モニターがプツリと消えた。
取り残される、1500人余りの身代わり兵。
静寂。
――状況が絶望的であると理解するのに、時間は要さなかった。